28 すりあわせ
「なんにしろナタリーを探すのに、まるきり情報がないんじゃあ話にならねえ」
はちみつとバターで甘みとコクの増したホットミルクを一口飲むと、ジャスパーはテレーズにたずねた。
「テレーズ嬢はなにか聞いているか?」
「ええと――」
とまどいがちにテレーズが顔をあげたところで、ジャスパーは口をはさんだ。
「モールパ家の事情もあるだろう。秘匿しなけりゃならねえことまで言う必要はねえ。だが判断材料は多い方がやりやすい」
「はい」
テレーズはうなずいた。
「ナタリーは父ユーグが、我がモールパ公爵邸『開かずの間』にてかくまっていた客人でした」
父ユーグの口から直接、ナタリーをかくまっていたとは聞いていない。
だが兄ウジェーヌからナタリーの素性について聞かされ、テレーズはそのように結論づけた。
まず第一に、モールパ家は傷ついたひとびとを癒すことを信条としていること。
第二に、モールパ公爵は愛国の七忠、王の上級顧問という、絶大な信頼を王や国民から得ながらも、国政には関与せず。貴顕の間からも、市井のひとびとからも、中立的な立場であると見なされていること。
これらの理由から、モールパ家当主が義憤のために正義の鉈をふるうことは、理にかなうとテレーズは考えた。
罪人の判決や処罰には、その土地の法が適用される。
領邦・都市を違えた罪人であるとき、部外者の口出しは、たとえ王族であろうとも、基本的に認められない。
例外として、『フランクベルト王国という国家をおびやかしかねない犯罪である』と見なされた場合に限り、全権限がフランクベルト宮廷へと譲渡され、王国法が適用される。
つまり正しく法に従うのであれば、罪人の追跡や罪の追求、裁きの担い手が、他領邦・他都市からモールパへと移行することはない。関与することもない。
愛国の七忠、王の上級顧問を担うとはいえ、モールパはフランクベルト王国の一領邦に過ぎない。
政治犯や思想犯、国事犯、宗教裁判で異端と見なされた者など。
仮にモールパ家当主が、人道的・道義的観点において、罪人と定められた彼らを良心の囚人と判断したとしよう。
加えて、彼らが受け取るべき健康、そして罪からの解放、新たな人生について、その必要性を強く認識したとする。
しかしいっぽうでは法的観点において、弁護あるいは擁護することが難しいとき。
そのときモールパ家当主は、己の家名と信条にかけて立ち上がるのだ。
無実の、あるいは量刑に見合わぬ軽微な罪しか背負わぬ弱者が、救いの手を求めるのならば。
弱者を救う手がなくてはならない。さしのべられねばならない。
強者という特権を有するのであれば、常に憐れみを忘れず。
弱者の救済は強者の義務であり、矜持である。
モールパ家の信条。使命。矜持。
モールパ公爵ユーグやその嫡男ウジェーヌが、モールパ公女テレーズに、ナタリーの救済をたくした。
ナタリーを守ることは、友人を守るというテレーズの私情にとどまらない。
モールパ公女としての使命。
生の対価だ。
「ナタリーはキャンベル宗家のマダム――レディだとうかがっております」
テレーズは挑発的なまなざしでジャスパーを見た。
「キャンベル宗家において、なにかしら問題を抱えており、兄ウジェーヌからは『キャンベル辺境伯、ならびにキャンベル宗家の人間には、彼女の存在を知られてはならない』と」
「俺はキャンベル宗家の出自だが、そんな話は聞いたことがねえな」
ジャスパーは首をひねった。
「ウジェーヌ殿に、ちいとばかり事情を聞かねえとな」
「やはりジャスパー様は、ナタリーについてご存じなかったのですね」
テレーズは安堵に頬をゆるませた。
「知らねえな」
ジャスパーは顎鬚をもてあそび、ロープのようにして太い指に巻きつけていく。
「しかしウジェーヌ殿は大胆だな。キャンベル宗家に存在を知られちゃならねえって女を、キャンベル家当主の弟のところに寄越すんだからよ」
それもそうだ。
ジャスパーの言葉に、テレーズは口をつぐんだ。
なぜ兄ウジェーヌは、ジャスパーのもとならば安全だと考えたのだろう。
『ジョンソン氏は穏やかで包容力のある、素晴らしい男だ』
ウジェーヌはそう言った。
ウジェーヌはジャスパーを信頼している様子だった。
ジャスパーが裏切り、ナタリーをキャンベル辺境伯へと差し出すことなど、疑いもしていなかった。
信頼する兄ウジェーヌの言うことだからと、テレーズも疑問をはさまなかった。
「ナタリーについて、モールパを教区とする神官のもとへ、内密に告発があったようです」
もはやテレーズは、ジャスパーに対して、なにひとつ隠すつもりはなかった。
「『悪魔、あるいは悪しき魔女である』と。そしてナタリーには侮蔑的な渾名があり、過去にマダム・グノン――野猿夫人と呼ばれていたそうです」
「野猿夫人とはな」
ジャスパーは指に巻いていた顎鬚を開放し、にやりと笑った。
「似合いの渾名ではあるが――」
テレーズのひとにらみが飛んできて、ジャスパーが咳払いする。
「いや、しかし夫人ってことは、婚姻歴があるかもしれねえな」
「夫君を探しに行かれたかもしれませんね」
オウエンが口をはさむ。
「あるいは、夫君から逃げたのか」
「そうだな。加えて『悪魔、あるいは悪しき魔女である』なんてのも、ずいぶん強烈な文句だしな」
ジャスパーはうなり、今度は反対向きに顎鬚を指に巻きつける。
「キャンベルの地では他領邦に比べて、さほど信仰心が強くねえとはいえ、魔女狩りが起こったらまずい」
「魔女狩りだなんて」
テレーズがふるえる。
「あ、いや悪い」
ジャスパーはあわててテレーズの肩を抱いた。
「告発はモールパで起こったんだろ。モールパからキャンベルまで遠いからな。話を広めようとする輩がいたとして、猶予はある」
「話を広めようと……。おっしゃるとおりです」
ジャスパーの言葉に、テレーズのおびえが増す。
「告発が起こったということは、悪意ある方が、たしかに存在するはずです」
「とにかく早く見つけてやろう。な!」
ジャスパーはごまかすように、あるいは励ますようにして、テレーズの額に口づけた。
「はい」
テレーズは恥ずかしそうにうつむき、それからジャスパーの胸に頬を寄せた。
「ありがとうございます。ジャスパー様が慈悲深く寛容でいらして、素晴らしいお方で、どれほど感謝しているか。どれほどお慕いしているか」
テレーズの手がジャスパーの膝に、そっと添えられる。
「すべてお伝えできたらいいのに」
胸元から立ち上る、甘い花の香り。
テレーズの白いうなじ。
華奢ながらもやわらかく、みずみずしい肌。
ガウンと寝間着とを乗り越えて伝わる、吐息の温かさ。
オウエンやケイト、ロジャーの目の前ということもあり、ジャスパーは耐えた。鼻の下はのびきっていた。




