27 グレイフォードの結束
ナタリーの捜索がジャスパーによって正式に命じられ、屋内外を問わずにオイルランタンや松明の明かりが、深夜の館を飛び交っている。
カーテンを開いた応接間の窓からも、松明の炎があちこち浮かび、せわしなく揺れ動くさまがよく見えた。
「近日中に、ヒューバート様がグレイフォードまでお越しになるとのことだったのです」
ジャスパーがテレーズのとなりの席に腰をおろすのを待ち、オウエンは切り出した。
「グレイフォード滞在中のナタリー様に面会するため、ヒューバート様が直々にお出ましになると」
「理由は」
ジャスパーはテレーズのそばに椅子を寄せ、震える細い肩を抱いた。
「王都で王太子殿下のご機嫌とりに専念しているはずのヒューバートが、わざわざグレイフォードに来てまで、一介の女扈従に会おうって理由はなんだ」
「詳細は教えていただいておりません」
オウエンの答えに、ジャスパーが詰め寄る。
「ナタリーはモールパ家の使用人だぞ。グレイフォードじゃねえ。わかってんのか。他家の使用人をどうこうする権利が、ヒューバートにあると思うのか」
「ヒューバート様はただ、『ナタリー様に挨拶をしたい』とだけ」
オウエンがこたえる。
「『古キャンベル語を操るモールパのレディに、ぜひお会いしたい』と」
「はん」
ジャスパーは不機嫌そうに鼻をならした。
「挨拶ってのはつまり、得体の知れねえ不気味な女の正体を暴こうって魂胆だろうが。古キャンベル語は今となっちゃキャンベル人の母語でもなんでもねえ、一族の人間だけに課された家憲みてえなもんだからな」
オウエンがくちびるをかみしめ、黙りこくる。
ジャスパーはすこしばかり汚い言葉を吐き捨ててから、「すまん」とオウエンに謝った。
不可解なナタリーの失踪に、不条理なヒューバートの追尋。テレーズから伝わる不安。
熱くなりすぎた頭がジャスパーに、オウエンへと八つ当たりするよう仕向けた。
理不尽だ。オウエンはグレイフォードのために、主ジャスパーのために行動しただけなのだ。
「オウエン」
ジャスパーは深呼吸すると、口調をやわらげた。
「おまえが俺のために動いてくれたってのに、当たって悪かった。そもそも最初から、俺が真剣に考えるべきだったんだ。グレイフォードに来てしばらく古キャンベル語しかしゃべらねえでいた女が、キャンベル家と無関係なはずがねえんだからな」
「いいえ」
オウエンがかたくこぶしを握る。
「旦那様が見て見ぬふりをなされていたのは、テレーズ様とナタリー様。お二方を思いやられてのことだと、私も存じておりました」
「そんな」
テレーズは小さな悲鳴をあげた。
「テレーズ嬢のせいじゃねえ」
ジャスパーがテレーズの体をぐっとひきよせる。
「俺が判断を誤ったんだ。テレーズ嬢がグレイフォードに来る前、俺はウジェーヌ殿から手紙を受け取っていた。あんたを救い出してほしいと言われたんだ。はなから厄介な事情があるだろうことはわかっていた」
血の気を失った冷たいテレーズの額にくちづけをし、それから涙が浮かびあがった目じりにくちづけする。
「俺が引き受けたんだ。だから、俺の責任だ」
見開かれたテレーズの瞳に浮かぶ、恐怖や不安、罪悪。
さまざまに入り乱れた感情のひとつひとつをほぐして取り除いてやろうとするかのように、ジャスパーはテレーズの目をのぞきこんだ。
冷たい頬をなで、「テレーズ嬢のせいじゃねえ」と言い聞かせた。
「ナタリーは俺が見つけ出す」
ジャスパーの淡い水色の瞳に、テレーズのはしばみ色の瞳がうつしだされる。
「今は無事でいてくれるよう願うしかねえが。それでも見つかったら、温かい風呂に入らせ、たっぷり食事をとらせ、ゆっくり休ませよう。罪人扱いして、ヒューバートに突き出したりなんかしねえから安心してくれ」
「ありがとうございます」
テレーズはうつむき、両手で顔を覆った。
嗚咽をもらし始めたテレーズを、ジャスパーが抱きしめる。
「大丈夫だ。ナタリーはきっと無事だ」
テレーズの後頭部に手をやり、落ち着かせるようにゆっくりとなでる。
「大事な友人なんだろ。わかってる。わかってるよ」
「テレーズ様のせいではございません」
オウエンもまた、ふるえるテレーズの背に向かって訴える。
「ナタリー様のご不在でご不安だろうところへ、さらにお心をわずらわせてしまい、大変申し訳ございません」
「謝らないでください」
テレーズはジャスパーの胸から顔を出し、苦渋にゆがむオウエンの顔を見つめた。
「ナタリーの失踪や、それからご事情までも。隠さず教えてくださってありがとうございます」
オウエンは黙ってちいさく首を振った。
「どうぞ」
ケイトがおずおずと、ホットミルクの入ったカップをふたつ、ジャスパーとテレーズの前に差し出す。
それから、ひとくちも口をつけられることなく冷めきった、テレーズのもうひとつのカップを引き下げた。
酒精の強い蒸留酒が垂らされているのだろう。ミルクとバターの甘い香りに混じって、蒸留酒の芳醇な香りが湯気とともに立ちのぼる。
落ち着き始めたテレーズはケイトに「ありがとう」とほほえみ、カップに手を伸ばした。
ジャスパーはテレーズを囲う腕をほどいた。
燭台のあたたかな炎が白い湯気を優しくなぞり、テレーズの鼻先でゆらめく。
テレーズののどを温かなミルクが伝っていくのを見て、ジャスパーは目元をゆるめた。
「気が利くな」
ジャスパーはケイトを見上げて礼を言った。
「ありがとさん」
気遣わしげに眉根を寄せてテレーズを見つめていたケイトは、ジャスパーに向き直った。
カップを運んできた盆を胸に抱え込み、その腕に力がこもる。
「あたし、旦那様とテレーズ様の味方ですから!」
ケイトは毅然として言った。
「なんだってお言いつけください!」
「おい、ケイト」
オウエンが娘を咎める。
「グレイフォードの一大事なんでしょ」
ケイトが父オウエンへと振り返る。
「あたしだって父さんの娘だよ。あたしだってやるときはやるんだからね」
「頼りがいがあるじゃねえか」
ジャスパーは嬉しそうに笑った。
「オウエン。大切な娘をこの館へ助けに寄越してくれて、ありがとな。おかげで縁起でもねえような重苦しい空気が晴れたぜ」
「旦那様にそう言っていただけるのであれば、ケイトを呼んだ甲斐があります」
オウエンは複雑そうな面持ちで言った。
「おうよ」
ジャスパーはうなずくと、今度はケイトに向かって力強く言った。
「おまえさんのおかげで、幸先がいいぜ」
「くよくよ悩んでいるばっかりじゃ、お腹がすくだけですよね!」
ケイトは満面の笑みを浮かべ、声を弾ませた。
「あたし、きっとお役に立ちますから。ロジャーと一緒に、がんばります」
「ロジャーと一緒にか」
ジャスパーがにやりと笑う。
「ちゃっかりしていやがるじゃねえか、ケイト」
ジャスパーが視線をうつせば、苦虫をかみつぶしたようなオウエンの渋面と出会った。
オウエンは娘ケイトとロジャーとを見比べては、眉間のしわを深く刻む。
ジャスパーは噴き出しそうになるのをこらえ、急ぎカップを口元に運んだ。




