11 出自と異文化(2)
「どう飾るか、ですか」
テレーズはぱちぱちと目を瞬かせた。
グレイフォードの誇る産物となるべき磁器の、その装飾について。
テレーズの聞き間違いでなければ、ジャスパーはテレーズに、そんな重要なことをたずねたのだった。
グレイフォードの領主であるジャスパー・ジョンソン・キャンベルが。余所者であり、なんの実績も力もない、年若い女のテレーズに。
生家モールパでは、テレーズの意見を求められたことはなかった。
もちろん、テレーズが何をしたいとか、何がほしいとか、家族内でのことだったり、個人的な範疇ではずいぶんと甘やかされた。
だがこれは違う。
グレイフォードの産物にするのだとジャスパーは言った。
「えっと……磁器の装飾について」
テレーズはとまどい、ジャスパーにたずね返した。
「私の意見を申し上げてよろしいのですか?」
「もちろんだ」
ジャスパーは力強くうなずいた。
「風流なモールパで育ったあんたのことだ。俺には思いもつかねえ、きれいな装飾を知っているだろう」
期待に満ちたジャスパーの視線に、テレーズの胸が熱くなっていくのがわかった。
求められている。テレーズは自覚した。
モールパ公女として生まれ、そのくせ、これまで役立たずでしかなかった自分が、ジャスパー・ジョンソン・キャンベルという、立派な貴顕から、意見を必要とされている。
「あ、の。それでしたら」
思わず声が震えた。
だが目の前のジャスパーは、淡い水色の瞳をキラキラと輝かせ、テレーズの言葉を待っている。
テレーズは小さくうなずいた。
「飲み口にぐるりと細くひとすじ、金を焼きつけてはいかがでしょう」
「金か。そりゃいいな」
ジャスパーは手を叩き、嬉しそうに同意した。
「これ見よがしにべたっと張りつけるんじゃなくて、ひとすじってとこがまたいいな」
「なあ?」
背もたれに肘をかけ、ジャスパーはうしろに控えるオウエンへと振り返る。
「雅やかですね」
まぶしそうに目を細めたオウエンも、テレーズへ賛辞を送る。
「さすがテレーズ様です」
「まったくだぜ」
ジャスパーは満足そうにうなずき、テレーズに向き直った。
「それで? ほかにも案があったりするのか?」
ジャスパーとオウエンのにこにこ顔に背を押され、テレーズは続けた。
「取っ手にも金があると、きっと華やかになります。カップの側面と内側にはそれぞれ、異なる図案で花の絵付けを」
テレーズは頭に浮かんだ美しい意匠を、思い浮かんだ先から口にした。
「いえ、花よりも葉がよいかもしれません。グレイフォードの美しい森を想起させるような」
そこまで言うと、テレーズはぱっと表情を明るくした。
「ああそうだわ! いっそのこと、絵付けはやめにして、磁器ならではの透明感のある美しい純白色を活かしましょう。それなら金縁は、やっぱりない方がいいわ」
カップを手に取り、その輪郭を指で示す。
「彫りや透かし、造形に凝るのよ。グレイフォードの森そのものを想起させるの!」
テレーズはカップをテーブルに置くと、両手を広げた。
その細い指先が、宙に空想の絵を描く。
なめらかに、優雅に、繊細に。
テレーズの描く流線はジャスパーに、彼が幼い頃、グレイフォードの森で一度だけ見かけたような気がする、森の精霊の記憶を呼び起こした。
こいつはすごいぞ。
瞳を輝かせ、生き生きとして磁器の意匠を語るテレーズに、ジャスパーは魅入った。
「器の曲線と直線、取っ手の造形には、葉や木の実、枝々といった意匠をかたどるの。それから磁器の純白と白蝶貝の純白と、風合いの異なる白をかけ合わせて、グレイフォードの森の神秘性を表現してみては――」
はっと我に返ってみれば、いつのまにか立ち上がっていた。
テレーズは恥ずかしくなって「失礼いたしました」と、座り直す。
「いや、あんたすごいぜ」
ジャスパーは興奮で頬を紅潮させ、太い首を前につきだし、無邪気に称賛した。
「あんたの出してくれた案はすべて、俺にゃ絶対に思いつかなかった。俺だけじゃねえ。グレイフォードの職人だって、きっと思いつかなかったぜ」
「美しく優雅なだけでなく、テレーズ様は、グレイフォードの特色まで汲んでくださいました」
オウエンも静かに、だが感嘆した口ぶりで言い添えた。
「また、引き下げられた絵付けのご提案も、素晴らしいように感じましたよ」
「そうだな」
ジャスパーはうなずく。
「ひとつだけしか作っちゃいけねえなんてことはねえんだ。テレーズ嬢の案は、かたっぱしっから試してみてえな」
「かたっぱしっから」
テレーズは驚いて、ジャスパーの言葉を繰り返した。
「あ、いや」
ジャスパーがあわてて両手を広げた。
「もちろん、職人に作らせるときにゃ、あんたの許しを得てからにするぞ。完成したらあんたの名前を残すし、あんたの手柄を奪ったりなんざしねえ」
テレーズの懸念とはまったく違うところを気にして、ジャスパーはあたふたと弁明している。
その姿を見て、テレーズは声を上げて笑った。
ジャスパーは言い訳するのをやめた。
しおらしく、よそよそしく。名家のお嬢様然としていたテレーズ。
磁器の意匠を語るときのテレーズも楽しそうではあったが、どことなく神秘的で、近寄りがたさが残っていた。
だが今のテレーズときたらどうだ。ジャスパーの苦手な令嬢らしさが、すっかり取り払われている。
大きな口を開け、笑いすぎで目じりに涙が浮かび、笑い転げている。
ジャスパーは目を見開き、楽しそうに笑うテレーズにくぎづけになった。目が離せなかった。
ジャスパーの手は無心で、ふさふさとした顎鬚をひっぱり続ける。
「まあ! そのようなこと」
テレーズは、ころころと笑った。
嬉しくておかしくて、しかたがなかった。
名前が残るかなんて、どうでもいい。
それよりも、テレーズの思いつきをジャスパーが認めてくれた。
それも、『かたっぱしから』試すだなんて。
「どうぞお気になさらず。私の名など、どうでもよいことです。ジャスパー様のお役に立てるのであれば」
胸の奥から起こっては、なかなか止まらないくすくす笑いを、テレーズは最後に、ふふふ、と漏らすことで鎮めた。
「私は、それが何より嬉しく思います」
テレーズはにっこりとほほえんだ。
ぽかんと口を開け、間抜けヅラをさらしたままのジャスパー。
不如意な主の耳元に、オウエンが「旦那様!」と小声でささやく。
「お、おうよ」
今しがた気がついたように、ジャスパーはうなずいた。
それからあわてて両手を大きく振りかざし、「いや、いや、だめだ!」と反論する。
「あんたの名前はちゃんと残すぞ」
ジャスパーは真っ赤に染まった顔をしかつめらしくさせ、真剣な口ぶりで言った。
「それがあんたへの礼儀だ。それから、グレイフォードへとあんたを寄越してくれた、モールパ公、ウジェーヌ殿への礼儀でもある」
そうか。テレーズは納得した。テレーズの功名は、モールパの功名となるのだ。
「そういうことでしたら」
テレーズはうなずいた。
テレーズが了承したことに、ジャスパーは安堵し、頬をゆるめた。
それから、わざとらしい大きな咳払いをし、「さて、話がだいぶ遠回りしちまったが」と切り込んだ。
ジャスパーの声色が変わったことに、テレーズも居住まいを正す。
「つまりだ」
ジャスパーはニヤリと口の端を歪め、磁器をつついた。
「このカップひとつに、グレイフォードとミルフィオリの文化が混じっている」
「はい」
テレーズがうなずく。
テレーズが己に向けるまっすぐなまなざしを受け、ジャスパーは満足げにうなずき返した。
「そんでもって今後、こいつに白蝶貝を使うんなら」
ジャスパーは少し思案して、続けた。
「白蝶貝の希少な産地、正妃殿の生国エオスが混じるだろう。そして意匠のモールパが混じる」
しかしここにきて急に、ジャスパーは弱気になった。
「かもしれねえ。いや、うん。混じるといいなっていう……」
自信に満ちたジャスパーの語り口は、言葉じりで、消え入りそうなほどに小さくなった。
心許なさそうにジャスパーはテレーズを見て、二人の目が合ったかどうかもわからぬうちに、後ろに控えるオウエンへと視線をやった。
「な?」
ジャスパーは助けを求めるように、すがるようにしてオウエンを見上げた。
「しっかりなさってください」
オウエンは情けない中年男を一刀両断した。
「偉大なるキャンベルのお血筋の、そしてグレイフォードの領主らしく、堂々と!」
「お、おう!」
ジャスパーはいさましく応えた。
だがすぐに「まあ、だから、なんだな」とまごつく。ジャスパーは顎鬚をひたすらもてあそび、しまいには指先にくるくると巻きつけ始めた。
「そういうわけでな」
特に意味のない、すっきりとしない前置きを重ねてごまかすと、ジャスパーはごほん、と咳払いをした。
黒く豊かな顎鬚はすっかり癖がつき、ひとふさだけ、その先端がくるりと丸まっている。
「おそらくあんたが想像するより、たくさんの異文化がキャンベルでは混じり合ってるぜ」
ジャスパーは無邪気な笑顔をテレーズに向けた。
「慣習も言語もな」
癖のついた顎鬚を揺らし、「だからキャンベルに迎合する必要はねえって。あんたにはそう言いたかったんだ」と笑うジャスパーは、モールパ公爵邸を離れるとき、尻尾を振って馬車を追いかけてきた、大型犬ノワールの姿と重なって見えた。




