56 王ヨーハンと上級顧問
第五王子レオンハルトの参戦した国軍が、敵地トライデントを落とした翌日。
ヨーハンは中央評議会を緊急に召集し、上級顧問らに朗報を聞かせた。
トライデントから王宮へと、伝達兵がもたらした朗報において、最重要事項は二点。
敵国エノシガイオスの要所トライデントを、国軍が制したこと。
そして、エノシガイオスの次期君主であり、トライデントの戦における司令官トリトン公子を、ついに捕らえたこと。
会議は、トリトン公子釈放の条項作成を含む、今後のエノシガイオス公国への対応についてはもちろん、トライデント制圧における各武将への功労について話し合うために催された。
だが、メロヴィング家のオーギュストに恨みを持つヴリリエール家のアンリが、オーギュストに噛みついたのを機に、話は逸れていった。
上級顧問である建国の七忠が揃う際の、見慣れた光景だ。
リシュリュー家のシャルルが場をなだめようと、道化を演じる。
年を重ねてもいつまでも美しい蝶シャルルが舞い、歌えば、堅苦しい議会も一瞬で華やかな舞台へと転じる。
そうしてシャルルによって、いっとき華やいだかと思えば、いつまでたっても粗野な少年のようなガスコーニュ家のアルヌールが、いらぬ野次に揶揄を飛ばし、七忠間の不和をもたらす。
オルレアン家のセザールは、表立ってアルヌールに賛同するのでもなく、誰かをからかうような真似もしない。
だが、セザールがアルヌールをとくべつ可愛がっていることは、誰の目にも明らかだ。
セザールはアルヌールを年の離れた弟か、甥のように思っているのだろう。
魔術師団の真の長であるオルレアン家。魔法騎士団の真の長であるガスコーニュ家。
この二つの旧家は激しく対立するか、あるいは同調するか。そのどちらかであることが、これまでの常だった。
魔術師団と魔法騎士団の団長は、七忠その人が務めるのではない。
これらの二組織は、王権に議会、教会といった、いずれの機関からも独立した組織であるからだ。
建国の七忠は王の上級顧問を務めるため、独立組織の人事について、直接関わることを、法でかたく禁じられている。
しかしそれぞれの組織を創設したのは、オルレアン家とガスコーニュ家であるのだから、無関係でいられるはずがないのだ。
梟と馬の結託は、ヨーハンにとって、うっとうしかった。
ヨーハンの獅子王としての存在がなければ、魔術も魔法も、なにも発動できぬものであるはずなのに、彼らの臣従と忠誠は、名目のみで内実をともなわない。
現王ヨーハンが建国王の子孫であり、その血脈を継ぐ器であることにおいてのみ、奉仕と服従の体裁を示す梟と馬。
いや、梟と馬に限ったことではない。
アングレーム家のブノワの狂信ぶりときたら。
人間としての自我や本能を否定するほどの、潔癖の蛙ブノワが、ヨーハンを見つめてくるたびに、おぞけ立つ。
ブノワがヨーハンを通して、いったい何を見ているのか。
ヨーハンが即位して以降、ブノワとは目が合ったことがない。
視線が重なれども、ブノワのまなざしは、ヨーハンを素通りしているからだ。
エヴルー家のロベールは、ヨーハンの『鈍重暗愚』という性向について、ロベール自身と同族のくくりで見なし、ひそかに嫌悪している。
怯懦の豚ロベールは、王としてのヨーハンに敬意を払いつつも、人間としてのヨーハンを蔑んでいるのだ。
彼は強者に媚びへつらい、弱者を蔑む。
豚から見た人間ヨーハンは、弱者だ。
七忠のほぼ全員が、ヨーハンに建国王の血脈だけを求めている。
現王ヨーハンの政治理念や思想など、どうでもいい。
むしろ、王の中身が空であることこそ、望ましいのだろう。
器が空であれば、建国王の霊魂を注ぎ、初代獅子王を見立てることができるのだから。
建国王、獅子王。
初代王レオンハルト。
フランクベルト王国の神。
王権神話の創始者。
国教のほかに信仰をもつ、リシュリュー家のシャルルだけが、王ヨーハンに神を求めなかった。
七忠どものいつもの諍いをうんざりと眺めていたヨーハンだったが、梟のセザールが年長の知識人ぶり、場をおさめた。
セザールのふるまいは鼻についたが、それでもくだらぬ茶番に、ようやく終止符がついたかと、ヨーハンは安堵した。
だが、そうかと思えば、かつての友アンリが、ジークフリートへ建国王の青い血をゆずるよう議会を先導する。
蛇のアンリが、未来を予見せぬはずがない。
なによりアンリは、かつての友として、ヨーハンの願いを熟知している。
ヨーハンとマリーの約束を知っている。
にも関わらず、アンリはジークフリートを王にすべく、ヨーハンにせまった。
マリーの父シャルルでさえ、アンリの肩を持った。
ジークフリート誕生後からレオンハルト誕生前まで。
その空白の期間で、王妃マリーが犯した不貞について、王妃の父シャルルは明かした。
七忠が勢揃いした中央評議会という、言い逃れようもない決定的な場で。
シャルルによって暴露された、王妃マリーの汚れた子宮。
当然、潔癖の蛙アングレーム家のブノワは強い拒絶を示した。
汚れた子宮で産み落とされたレオンハルトは、次期王にふさわしくないとされ、ジークフリートの立太子が決まった。
そこには、ヨーハンの希望も意思も、存在しなかった。
このようなことは幾度となく繰り返された。
エノシガイオス公国との開戦もそうだ。
ヨーハンが望んだのは、エノシガイオス公国との対立に決着をつけることではなかった。
対話し、互いの妥協点を見出し、講和へと至る。それがヨーハンの望む、二国間の未来だった。
しかし建国の七忠は王の上級顧問として、王の弱々しい反対を押しきった。
フランクベルトとエノシガイオスの二国は、長引く緊張関係の終止符として、ついに開戦へと至った。
今回も同様だ。
建国の七忠は王の上級顧問として、ジークフリートを次期王とすると先導し、彼の立太子を認めた。
次期王の受諾という七忠の特権は、次期王の選出とほぼ同義である。
ヨーハンは義父シャルルの真意を疑った。
シャルルとて、愛娘マリーの希望を把握しているはずだ。
かつて中央評議会は、王ヨーハンの期待をうらぎり、エノシガイオス公国との開戦に踏み切った。
だが、それでもヨーハンは、マリーとの誓約を違えるつもりはなかった。
王と王妃として、夫婦として。
二人の関係を再構築する条件。その対価。
マリーがヨーハンに求めたのは、レオンハルトを次期王とし、エノシガイオスの公女をその妃とさせること、だった。
これまで一度たりと、政治に口をはさまなかった王妃マリーが、唯一、能動的に現王ヨーハンへ願ったことでもある。
しかしマリーは、レオンハルトを産み落とすと、それ以降、ヨーハンとふたたび枕をともにすることはなく、建設的な会話もなかった。
ヨーハンは絶望と憎悪をつのらせ、王妃であるマリーを娼婦代わりに政治利用するようになった。
それでもヨーハンは、妻マリーと交わした最初の誓いを遵守するつもりだったのだ。
エノシガイオスの娘の産んだ子には、王位継承権を許さぬ、という条件つきで。
レオンハルトより下った世代の王位継承権について、マリーには告げていない。
レオンハルトがもし、他の妃との間に男児をもうけぬのであれば。
同腹の兄ジークフリートが存命ならば、王位はジークフリートに。
次に異母兄である、ルードルフ、ハンス、フィーリプ。
彼ら全員が王位を継げぬ状態であれば、ジークフリートの息子。次に異母兄の息子。
それらすべてがかなわなければ、レオンハルトがエノシガイオスの娘以外の妃ともうけた女児が、婿を取って、その婿が王位を継ぐ。
そのまた次が、ジークフリートの娘。
エノシガイオスの公女が次期王となったレオンハルトの妃となることを許す。
だが、フランクベルトの王位は、けっしてエノシガイオスに渡さぬ。
それがヨーハンの決意だった。
建国の七忠に匹敵するほどの有力者からも、次代の妃を娶ることで、七忠の強権を崩す。
王位継承権を与えぬことで、エノシガイオスの内政干渉を阻む。
王位についたレオンハルトが、うまく権力者たちの舵取りをする必要はある。
とはいえ、王妃マリーのよこした荒唐無稽な条件は、王ヨーハンの政治指針のための、よい口実になった。
だからヨーハンは、マリーにうなずいた。
だがしかし、シャルルはみずから、娘マリーの大罪を打ち明けた。
現王ヨーハンとは、すでに折り合いをつけていること。
次期王の母が姦通罪で裁かれるとなれば、ジークフリート即位後、王としての権威、その統治の支障をきたすだろうこと。
捕虜としたトリトン公子の保釈金請求において、その交渉にあたるリシュリューの権威を、今の段階で失墜させることは得策ではないこと。
以上の理由をもとに、王妃マリーへ罪を問わないと七忠に約束させた上で、リシュリュー家のシャルルは、次期王をジークフリートとすることに賛同した。
表立った処罰は与えられなかった王妃マリーだが、発現の儀以降、持病の悪化を口実に、リシュリュー侯爵領へ静養することが決まった。
王妃マリーの犯した罪に見合う罰ではない。
とはいえ、これまで同様にマリーが正妃として、安穏のうち王宮に留まるといったことが許されるほど、宮廷人が寛大であるはずもない。
そしてまた、万が一、宮廷内に正妃派閥なるものができることを憂慮した結果でもある。
こうした経緯を経て、トライデントに逗留する国軍の元へ、ジークフリートの立太子を伝達すれば、彼らは陣をたたんだ。
ヨーハンが指名し呼び戻した息子レオンハルトだけでなく、国軍の兵士全員が王都へ凱旋するという。
トライデントで捕らえた捕虜を連れての大所帯だ。
必然、捕虜の大目玉、エノシガイオスのトリトン公子も王都へ連れられてくる。
そこでヨーハンは、古のスペルが施された銅板を、石壁の中にある小さな洞へと移動した。
小心者の暗愚王が、敵国の英雄トリトン公子の王都来訪を恐れ、慌てて結界の楔である銅板を隠したのだと、見せかけるために。




