保健室
熱を出したせいで学園を休んだ翌日、私は無事に登校した。初めての三人揃っての登校は、予想以上に人の目が集まって大変だった。もちろん美人姉妹のジュリアとジェシー目当て。私も悪い意味でなら人目を引くこともしばしばあるけどね。
教室に入ってからも向けられる好奇心混じりの視線と「あ、死んでなかったんだな」なんていう失礼な噂話たちに気付かないふりをして自分の机に向かう。ラスくんがこっちを見てた気がしなくもないけど、全て無視だ。席に着いた私はいつも通りのぼっちスクールライフを過ごしていた。
そうして問題の昼休み。私はジェシーに言われた通りに保健室に向かった。病弱体質なジェシーは早くも保健室の先生と仲良くなったみたいだ。"ヤエル先生"がどんな人なのか聞くと
「とても美しい方ですよ。あ、もちろん浮気じゃないので安心してくださいお姉様」
と、なんとも参考にならない返事が返ってきた。
とりあえず我が校の養護教諭は、自分自身が天使のような外見であるジェシーが褒めるほどには美人らしい。
何故か観音開きになっている無駄に豪奢な保健室の扉の前で足を止め、大きく息を吸い込んだ。
実はこう見えてもジーナは、かなりの健康体だ。今まで特に大きなケガや病気もなく、保健室とは無縁の人物。
人間誰しも初めての場所へ行くのは緊張するものだ。深呼吸を二回してから
「失礼します」
お決まりの挨拶を述べながら片側のドアノブを掴み、内側に引いた。
開いた扉の隙間から頭だけを差し込み、中の様子を伺う。目に飛び込んできたのは真っ白な床や天井、そんなに必要なのか とツッコミたくなるほど壁の薬品棚にずらりと並ぶ薬品。柔らかそうなベッド。
それから……
「いらっしゃい、ジーナ・リリークさん…で合ってるかしら?」
回転式の椅子に座る、白衣を着た金髪ブロンドの美人の姿。
確かにジェシーの言う通り、とても美しい人だ。背中の中頃まで伸ばしてあるサラサラの金髪。組まれた長い足、よく通る澄んだ声音。何より白衣がよく似合う。
だがしかし、私が攻略対象者たちの情報を覚えてさえいれば、ここへ来ることは無かっただろう。
ヤエル先生……もしや。
気付いた時には、病み上がりだというのにあの頭痛が襲ってきた。あぁ、思い出した。
ヤエル・レイーダ 養護教諭。
普段は女装をしている、中性的な美丈夫。
通常は声や話し方も女に寄せていて、皆から信頼されている人なのに、ヒロインに迫る時は男を見せるというズルいキャラ。二年目から攻略可能になる先生の一人。
私は開きかけの扉に頭を凭れかからせ、少しだけジェシーのヒロイン体質を恨んだ。よく行く保健室の 先生が攻略対象者だなんて。
それに何の疑問も持たずにのこのこやって来た私も私だけど。
とりあえず顔を上げ、ずんずんと保健室の中に入っていく。ヤエル先生の前まで来ると
「二年ジーナ・リリーク。ストレス性の発熱により昨日は欠席しましたが、もう平気なので特に気になさらなくても大丈夫です」
先生が口を開く前に全て言ってやった。
これもジェシーが教えてくれたことだけれど、この学園は生徒のほとんどが金持ちだからか、生徒たちの体調管理に関してかなり気を配っているらしい。
そのため、学校を体調不良で欠席した生徒は直接 養護教諭に詳しく説明をしないといけないとか。
どうせ目的はそれだけだ、と確信した私はさっさと報告を済ませ、保健室を立ち去ることにした。攻略対象者と長い間関わるのも避けたいし。
そんな私の憶測はあながち外れてもいなかったようで、ヤエル先生は一瞬驚いたように目を大きくしたが、すぐに笑顔を作ると机の上の紙に、私が言ったことをメモした。
「わざわざありがとう。まったく…この学園も面倒なシステムしてるわよね」
「はぁ……」
教師がそれを言っちゃお終いじゃないかなと思いつつ、私は視線を壁に掛けられている時計に向けた。
昼休みはあと30分。今戻れば昼食を取る時間は余裕であるな。出来れば用務員のおじさんの所にも遊びに行きたい、癒しが欲しい。そのためにも早くここから立ち去ろう。
一歩後退り、少し頭を下げてから踵を返す。扉の前まで歩き「失礼しました」ともう一度礼をしたら外に出るだけだ。
軽く頭でシミュレーションした通りに行動に移す。まずは足を一歩引いて……
「そうだ」
「…っ!!」
次のモーションに入ろうとしていたら、突然ヤエル先生に声を掛けられた。びっくりして若干腰を折り曲げたままその場に固まる。
そんな私に気付いていないのか、はたまたどうでもいいのかは知らないが、変わらない美しい微笑みを浮かべながら先生は切り出した。
「ジェシーちゃんは元気?今日ひどい隈があったから」
その言葉に私は あっ! と喉を鳴らした。
姉として最低だけれど、忘れていた。ジェシーが病弱でよく貧血を引き起こすことを。只でさえ目眩がしたり急に倒れたりするのに寝不足だなんて……。最近は昔よりはマシになったとはいえ、無理をさせていいはずがなかった。
「ごめんなさい、ジェシーは昨日私の看病で夜更かしを……」
「なんだ、そういうことならいいのよ。眠れないとか、不眠症の気があったらどうしようかと思っていたの」
「あの…もしジェシーが倒れたら」
「大丈夫。ベッドは開けておくし、最近は彼女も丈夫になったんでしょう?本人がそう言ってたもの、安心して」
椅子から立ち上がり、落ち着かせるようにヤエル先生の長く綺麗な指が私の頭を優しく撫でる。
あまり触られるとフードが脱げるから止めて欲しいんだけど。でも、妹の安全を保証してくれる言葉にホッと胸を撫で下ろした。
不意に上からクスクスと笑い声が聞こえて見上げると、可笑しそうに目を細めた美人が視界に映った。
「それにしても、本当に仲がいいのね。ジェシーちゃんも貴方の心配ばかりしてたわよ」
「えっと……」
ジェシーやジュリアと一緒にされるのは些か不本意だが、私にも人並みに姉妹を思いやる気持ちが芽生えていることに心が温かくなるのを感じた。
あぁ、こういうのが兄弟か。
一人っ子だった前世では決して味わえなかった気持ち。思わず笑みが溢れそうになるのを必死に口を引き結んで堪える。
「ありがとうございます、そう言ってもらえると嬉し」
「いいね、私には兄弟がいないから羨ましい。ねぇ、良かったらもっとお話し聞かせてくれない?」
「…え、は?」
「仲良しなリリーク姉妹でも喧嘩することってあるの?」
「いや、まぁ、ありますけど」
「例えばどんなことで?」
……あれ?何この質問タイム。帰るタイミングを完全に見失ったんですけど。
矢継ぎ早にくる質問に答えながらちらちらと横目で時刻を確認し、徐々に減っていく私の休み時間に泣きそうになった。
そんなに兄弟のことについて気になるならジェシーに聞けば良いじゃん!!他にも兄弟を持ってる人は沢山いるだろうに、何故私が餌食にならないといけないんだ。
途中から立ち話もなんだから、と椅子とコーヒーを勧められたが、そんなものを用意してくれるくらいならさっさと帰して欲しかった。私はコーヒーよりもお弁当のほうが食べたかった。
そんなこんなで昼休みが終わる五分前、とうとうお腹の虫が悲鳴をあげた。案外響いてめちゃくちゃ恥ずかしかった。
もちろん向かいに座ってたヤエル先生にも聞こえたらしく、綺麗な顔を引き攣らせると
「……もしかして、お昼ご飯まだだった?」
恐る恐る聞いてきた。それにゆっくりと首を縦に振る。
「ご、ごめん!!てっきり食べてきたのかと思ってたから……あーやべ、どーすっかな」
先生、焦りすぎて男が出ちゃってますよ。
別に一食ぐらい抜いたって……ダイエットだと思えば、うん。
「私は平気ですから」
そんな取り乱さなくても、と言おうとすると、目の前に一枚の紙が差し出された。
「悪い…じゃなくてごめんなさい。生徒に食事を食べさせないなんて養護教諭 失格ね。お詫びと言ってはなんだけど、これ貰ってくれないかしら」
「これは?」
「食堂のBコース無料券」
その紙の正体を知った瞬間、私は全力でそれを突き返した。
「無理です!!こんなもの受け取れません!!」
この学園は何もかもが規格外。もちろん食堂だって同じこと。
食堂と呼ぶには相応しくない、高級レストランさながらの生徒が食事をとる施設がここにはある。金持ちばかりが通う学園のメニューの値段が庶民の手が届くはずもない。
一皿数万円なんていう化け物じみた料理がざらにある。もちろん料理人も各国から集められた超一流の人達ばかりで、コース料理なんて考えただけで恐ろしい。
だから私たち姉妹はいつも手作りのお弁当を持参しなければいけないんだけれど。
そのコース料理の無料券なんて何処で入手するのか。そしてそんなものをタダで貰うだなんて……。確かにこの機会を逃せば食堂の料理を味わうチャンスなんて二度と回ってこないだろう。でも私には良心が痛すぎて無理。
「いいの、気にしないで」
「無理です。貰えません」
「貰ってくれないとこれから午後の授業サボって私の料理食べてもらうわよ。もちろん調理は私の家でするからヘリを呼んで」
「……ありがたく頂きます」
何故だ。何故みんなすぐにヘリを呼ぼうとするんだ。金持ち怖い。
ヤエル先生は笑顔で私の手に無料券を押し付けると、満足したように最初と同じ回転式の椅子に腰を下ろした。
私も次の授業に遅れるといけないのでお辞儀をして保健室を後にする。
廊下を小走りで通りながら手の中の紙を見下ろし、ため息をついた。
面倒くさいもの貰っちゃったな。庶民の私が食堂に入った時点で悪目立ちするのはわかりきっている。でも捨てるには勿体なさ過ぎる代物だ。
とりあえずスカートのポケットに丁寧に折り畳んで入れ、今後は絶対保健室のお世話にならないように体調管理により一層気を付けようと決心して教室に戻った。
きっと姉妹が喧嘩することの主な原因は『ジーナ争奪戦』




