03 目の前には美女、足元には魔方陣
目の前に立っている人は、ものすごく美人だった。
西洋と東洋とも、言えるような言えないような。敢えて言えば、どちらの要素も持ち合わせ、しかも良いとこ取りの容姿と言って通じるだろうか?
まず背が高い。百七十センチくらいだと思う。どちらかというとスレンダーな体型で、モデルさんみたいだ。
そんな彼女の全身を覆うのは、身体の線を際立たせる黒いドレス。それとは対照的なゆったりとした黒いローブを肩に羽織っていた。肩からこぼれた波打つ黄金色の髪は、床の青白い光を受けて怖いくらい綺麗に輝いている。
……やだ、この人ってば、すっごい美人だ。
スタイルも良いけれど、やっぱり顔。彫りは深すぎず浅すぎず、くっきりとした目鼻立ち。小さな卵型の顔。アーモンドみたいな形をした大きな目に長い睫。瞳は氷山の氷みたいな落ち着いた青色。
でもよく見ると、目尻の隣に刻まれた皺と、くたびれた肌の質感。
もしかして、この人結構歳いってるのかな?
すると、まるでわたしの思考を読み取ったかのように、急に険しい表情になった。つかつかと足音を立てて近寄ってくる。
怖い! 年増だけど、下手に美人なだけに怖い!
うわあ! また何かわからないこと言ってる!
慌てて逃げようとしたものの、立ち上がった途端に足がもつれて転倒してしまう。すると、年増美人は尻餅をついたわたしの上に馬乗りになった。
悲鳴を上げる間なんてなかった。わたしの頭を鷲づかみすると、長い人差し指を額に押し付けた。年増美人の長く尖った紅い爪が食い込む。
「痛っ!」
避けようにも避けられない。彼女はゆっくりと額から指を離すと、爪と同じくらい紅い唇で、ひっそりと何かを呟いた。
微かに聞こえるかどうかの小さな声。抑揚のない歌のような、呪文のような不思議な調べは、わたしの思考を停止させる。
淡く灰色がかった青い瞳が、わたしの両の目を覗き込む。途端、何かが頭の中に怒涛のように流れ込んできた。
身体が膨れ上がるような錯覚。ものすごい勢いで何かが頭の中をぐるぐると回る。
これは……何?!
頭がいっぱいになりすぎて割れてしまいそう。頭を抱えて、嵐のようなよくわからない感覚に堅く目を閉じて堪える。
「私が何を言っているか、わかりますか?」
どれくらいだっただろう。突然聞きなれた言語が耳に届いた。
え?
恐る恐る目を開く。あまりにも堅く閉じていたせいで、すぐに視界が戻ってこない。突然のことで頭が混乱して言葉が出てこない。
「おかしいわね……さっきの魔法で通じるはずなのに」
困惑した様子。視界が少しずつ戻ってくる。話しているのは年増美人だ。見た目はどうみても外国人だ。さっきもどこかわからないけど、外国語を話していた。
なのにどうして、急に日本語が話せるわけ?
それに、魔法って?!
「ハヴェック様。この娘、魔法が効かないようですが、いかが致しましょう?」
彼女は天を仰ぐように誰かに訊ねる。気づかなかったけど、どうやら他にも人がいるらしい。
彼女の視線の方向を追うと、その肩越しから黒いローブ姿の老人の姿が目に入った。背は低いけれど、岩石みたいな厳つい身体つきをしている。白髪と白い髭がなければ老人だとは思えない。
「呪文を間違えた可能性もあるだろう。やり直してなさい、もう一度」
すると老人の言葉は彼女にとって心外だったみたいだ。
「! お言葉ですが、私が呪文を間違えるなど」
憤慨しながら反論する彼女に、いかつい老人は鋭い眼差しで一瞥する。
「リーア・オヴィネン」
するとリーア・オヴィネンと呼ばれた年増美人は、ぐっと唇をかみ締めた。どうやら結構負けず嫌いのようだ。
「……わかりました」
渋々返事をすると、年増……じゃなくてリーアさんは、ものすごく嫌そうにわたしの方へと向き直った。
「わたしが間違えるわけがないのに、この子がどこかおかしいに違いないわ」
周囲には、特にあのご老人には聞こえないように、ぶつぶつと呟いている。そして実に面倒臭そうに、再び長い爪をわたしの額に突き刺そうとするから堪ったものじゃない。
「あの! もう呪文とかいりません! ちゃんと通じてますから!」
思い切って声を張り上げる。意外と大きな声が出て、自分でもびっくりする。
「なんだ。通じていたの」
すると年増美人は大きな目を瞬いた後、すうっと三日月みたいに細くなった。
「だったらさっさとお言いなさい」
「は、はいっ!」
低く唸るように囁く声に、身体が硬直してしまう。そんなわたしを知らん振りして、リーアさんはくるりと身を翻した。黒いローブと、輝く金髪がふわりと広がる。黒い背中が遠ざかると、ようやく視界が広がった。
ここは……どこ?
暗い部屋だった。明るいと思ったのは、石の床に描かれた文字というよりは図形。この図形は何かに似ているような気がしてたまらない。
魔方陣。そう、魔方陣だ。
ほの明るく浮かび上がる魔方陣の光に浮かび上がるのは三人の人物だった。
一人は長身の女性。年増美人、もといリーア・オヴィネンと呼ばれた人。
一人は彼女よりも頭ひとつ分低いものの、がっしりとした老人。
そしてもう一人は、幼い少年。近所の幼稚園児くらいの体型だった。
奇妙な組み合わせの三人の姿に面食らっていると、老人が勢いよく近付いてきた。硬直したまま動けなくなったわたしの前で止まると、とても偉そうな態度で訊ねてくる。
「お前がレーヴィットさまの呪いを解く者か?」




