ep.7 試行の壱 -敵状把握- (1)
意識がはっきりと戻った時、そこは見慣れた城内の廊下だった。
ルイーゼは一度左手を持ち上げ、それを翳すようにして数秒だけ眺めてから無言で頷く。
正直なところ半信半疑ではあったが、確かに己は再びの生を得たようだった。右手に抱えている資料からして、これから自分は宰相のところへ城の警備に関する話をしに行くところであり、初めてであっても魔女の力は問題なく行使できたようだ。
ルイーゼは黙って踵を返し、真っ直ぐに城門の方へと向かう。
城の敷地を出たところで、手にした紙束をその辺りに適当に放り、彼女の足は強く地面を蹴った。
◇
駆ける足を一度も止めぬまま屋敷へと辿り着いた時、そこは未だ喧騒に包まれていた。
ルイーゼは木陰に身を隠し、周辺の様子を伺う。ちょうど火が放たれたところのようで、西の一室から小さな火の手が上がるのが見えた。
門のところに倒れている骸へとそっと歩み寄る。小さな身体はまだ温かく柔らかかった。
ルイーゼの指先がその傷跡をなぞる。一度目の時と同じく、鋭利な刃物で何度も突き刺されたような傷は、未だ血を滲ませてはいるが拍動するような噴出は感じられない。
(やはりこの傷……城の兵の剣ではない)
ルイーゼは少年の虚な瞳を瞼で隠すと、立ち上がって屋敷の方を見る。あの時、混乱の最中で感じた違和は間違っていなかったと思った。
黄昏時の夕闇の中に、屋敷の敷地を跋扈する人影が見える。その者たちが纏っている装備を遠目に確認して、ルイーゼは小さく舌打ちした。
◇
屋敷の炎は次第に大きく燃え上がっていった。
敵の目を盗み、木から屋根へと飛び移ったルイーゼは、ただ無言で地上を見据える。
恐らくはやるべきことを済ませたのであろう。屋敷から数人の人影が駆け出てくる。
先程まで耳に届いていた怒号や悲鳴の類は既に聞こえず、屋敷の中からは炎が調度品を焼く音や、たまに木々が崩れ落ちるような音がした。
煙による息苦しさと、鼻をつく不快な匂いにルイーゼは眉を寄せる。ごそ、と胸元を漁るといつも身に付けている一冊の手帳が指先に触れた。
黒い装丁の冊子を取り出して、ルイーゼは幾つかの事柄を書き連ねる。その間も、視界の端では闇夜を跋扈する賊の姿を捉えていた。
(敵の規模……構成……ブラント侯爵の私兵については想定内でしたが……あの鎧、それからあの伝達方法は、隣国の……)
思考しながら、黙々とルイーゼの指先は記録を記していく。
次に戻った時にも、この手帳自体はきっと身に付けているだろう。しかし中に書いた文言は、その時点では存在しない筈のものである。
ルイーゼは少し考えて、身に宿る魔女の魔力を辿った。『死に戻り』とはよく言ったもので、この特性を一言で説明するのであれば『回生』といったものだろうとルイーゼは分析する。
(一度書けば、滅多なことでもない限り忘れない。しかし、身体への影響も分からず、試行回数も読めない以上、この先を考えるとやはり記録があることが望ましい。力の使い方はこれで適当か、戻って魔女……ロズを探ってみましょうか)
ぱたん、とルイーゼは手帳を閉じた。赤い瞳の先には、既に狼藉者たちの姿はない。
視界を覆う黒い煙の向こう側に、火事に集まり始めた群衆が見えた。予想通り、真っ先に駆けつけるべき夜番の兵の姿がないことに、ルイーゼは幾度目かになる舌打ちを漏らす。
肺を侵す煙に咳き込んでから、ルイーゼは薄く口角を上げた。
「敵は強大、これまでと何一つとして、変わらない」
少し苦しげな吐息の合間でそう言って、ルイーゼの手が腰の剣を抜く。ひたりと首筋に当てた剣身を、少しも躊躇いなく強く引き切り、ルイーゼの身体からは勢いよく血潮が迸った。
完全に炎に包まれて崩れ始めた屋敷の屋根から、細い身体が力無く落下したことに、集まってきた群衆たちの誰一人として気がつくことはなかった。




