―90― アゾット剣
アゾット剣。
賢者パラケルススが遺したとされる至高の聖遺物。
その価値は計り知れない。
ただそこにあるだけで周囲に強力な加護をもたらし、傷を癒やし、生命力を活性化させる。
魔術師であれば誰もが一度はその手で触れることを夢見ながら、一生叶うことのない高嶺の花。
国王陛下にアゾット剣の管理権を要望して、承諾してもらえたというわけだが、てっきり俺は以前、入学したての頃に教えてもらったガラスケースに入ったそれを管理できるのだとばかり思っていた。
だが、あれは真っ赤な偽物――レプリカだったのだと、後から知った。
冷静になれば、それだけ貴重なものをあのように誰でも見えるところに置いてあるわけがなかったな。
「ふむ、これが本物のアゾット剣か」
俺がいるのは、プラム魔術学院の最深部に位置する特別保管室だ。
壁も床も天井も、数重の結界と物理的な装甲で覆われた密室。
国王から管理を一任された俺でなければ、立ち入ることさえ許されない聖域だ。
レプリカが飾られていた大広間とは違い、ここには俺と、祭壇に鎮座する剣しかない。
遮るもののない状態で対峙すると、肌がピリピリと粟立つのを感じる。
「すごいな、これは……」
魔力なんだろうか?
もっと根源的で、濃密なエネルギーの奔流が、剣を中心に渦巻いているような。
普通の魔術師なら、この部屋に入っただけで魔力酔いを起こして気絶してしまうんじゃないだろうか。
だが、魔力がゼロに近い体質のおかげか、この異様なエネルギーの質を冷静に観察できていた。
俺は恐る恐る手を伸ばし、剣の柄に埋め込まれた『球体』に触れようとする。
昔、賢者パラケルススは〈賢者の石〉を用いて多くの人々を癒やして回ったという伝承がある。
その伝承から、彼が愛用していたアゾット剣の柄には〈賢者の石〉が埋め込まれているのではないか、という説がまことしやかに囁かれていた。
だが、俺はその説をただの噂話だと切り捨てていた。
以前、大広間で見たレプリカには、柄に石など嵌め込まれていなかったからだ。だから、そんなものは実在しない嘘なのだと。
それでも、俺はこのアゾット剣こそが、妹プロセルの呪いを解く鍵なのだと確信してここまで来た。
そして今、目の前にある本物のアゾット剣には――レプリカにはなかった『球体』が、確かに存在している。
もし、これが本当に〈賢者の石〉だとしたら。
このエネルギーを解析し、自在に操ることができれば。
「プロセルの呪いも、解けるかもしれない」
妹の体に刻まれた、偽神ゾーエーによる短命の呪い。
それは生命力の欠落、あるいは魂の変質によって引き起こされている可能性が高い。
ならば、生命を活性化させるこのアゾット剣の力を使えば、欠損した寿命を補填できるのではないか。
あるいは、呪いそのものを浄化できるのではないか。
希望が見えた気がした。
長年追い求めてきた答えが、今、手の届くところにある。
俺は高鳴る鼓動を抑えながら、解析のための魔術構築を練り上げようとして――
「くっくっくっ……」
不意に、忍び笑いが聞こえた。
この部屋には俺一人しかいないはずだ。
とはいえ、この声には心当たりがある。
「おい、勝手に出てくるなと言ったはずだが?」
問いかけると同時に、俺の影がぐにゃりと歪んだ。
そこから這い出るようにして現れたのは、見慣れた幼女の姿。
俺の使い魔となった元・偽神、アントローポスだった。
普段なら俺の命令には敏感なはずだが、今の彼女は俺の言葉など耳に入っていない様子だ。
その視線は、俺ではなく、祭壇に鎮座するアゾット剣へと釘付けになっていた。
「まさか……こんな機会を得られるとはなぁ」
アントローポスは独りごちながら、ふらふらと剣に近づいていく。
その表情には、驚愕と、そしてそれ以上の愉悦が張り付いていた。
「おい、アントローポス。なにをするつもりだ」
俺は警戒を強め、いつでも魔術を発動できるよう身構える。
こいつは隷属化されているとはいえ、元は人類の敵だ。この聖遺物を使ってなにか良からぬことを企んでいる可能性もある。
だが、アントローポスは俺の警戒など意に介さず、アゾット剣を指差して笑った。
「くははっ! アベルよ、貴様はこれがなにかわかっておらぬようだな」
「アゾット剣だろ。賢者パラケルススの聖遺物だ」
「聖遺物? 加護? はははっ、そんな異名もあったか」
「それ以外になんて名前があるんだよ。その聖遺物のおかげで、この学院の生徒は加護を得ることができる。どんな怪我をしても治るというな」
だからこそ、ここプラム魔術学院で生徒間同士でも遠慮なく魔術を使った戦いができるのだ。
「かははっ、違う違う、そんな生易しいものではないわ」
アントローポスは小さな肩を震わせ、嘲るように言った。
「これが、イデア界とこの世界を繋ぐ『パス』か」
「……パス、だと?」
聞き慣れない単語に、俺は眉をひそめる。
「そうだ。我々偽神の故郷であり、魂の源泉たる完璧な世界『イデア』。そこへ通じる穴を開けるための鍵、あるいは通気口のようなものだな」
アントローポスは剣の柄にある石を興味深そうに見つめた。
「そもそもこの世界は、物質という不完全な代物で構築されている。だからこそ、魔術といったイデア界由来のものを取り入れるには、こういった鍵が必要なわけだ。貴様のいった、怪我が治りやすくなるといった加護のような力はあくまでもその副産物に過ぎん」
俺は言葉を失った。
アゾット剣が、加護を学院の生徒たちに配るものではなく、イデア界への「穴」だと言うのか?
「そんな貴重なものを、こうして触れられる権利を手に入れるなんてな。貴様、運がいいな」
アントローポスはニヤリと笑い、俺の方を振り返る。
「待て」
俺は頭は混乱しっぱなしだった。だって、そもそもそんなことを知るために、俺はアゾット剣にこうして触れる権利を得た訳ではない。
「そもそも、俺は、プロセルの呪いを解くためにここに来たんだ。偽神ゾーエーによる短命の呪い……その呪いを解くには、あらゆる病を治す力があるとされる賢者の石が必要で、その賢者の石のために、こうしてアゾット剣を」
なのに、アゾット剣の本質がもっと別の場所にあるとするならば、俺の目的は――。
「はぁ」
アントローポスは、心底興味なさそうに大きなあくびをした。
「なんだ、そんなことか」
「そんなこと、だと?」
「貴様は難しく考えすぎだ。それ、悪い癖だぞ。いいか、妹の呪いを解きたいのだろう?」
アントローポスはアゾット剣の柄に手をかけたまま、退屈そうに俺を見上げた。
「だったら、このアゾット剣を壊せばいいだろ」
「……は?」
思考が停止した。
超絶久々に更新いたしました。
実は、魔力ゼロちゃんとした完結まで書いているので、それまで更新する予定です。
それはそれとして、新作も投稿しました。
『わたしだけ、魔物じゃなくて【人間】を殺害しないと経験値をもらえないんですが?~『癒やし系大天使』とバズった幼女、実は配信の裏で『虐殺』しています~』
というタイトルの新作です。
超絶おもしろい本格ダークファンタジーです!
ご興味がありましたら、こちらも読んでいただけますと嬉しいです。
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