『※イラスト有り』96話 【VS.】気丈夫な狼の姫君 ジャハル・カラル・ランディー 3
張り巡らされた罠の数は
すべてで4つ
喉を突き
恥骨を殴打し
さらに
それでもこいつは
正々堂々と言い張る
※後書きにこの臆病者の姿が貼ってあります
「もう、蹴らないんだな?」
「ぐッ……!?」
その問いを受けてジャハルは振り上げた手刀をぴたりと止めた。
呼吸するたびにその赤く腫れた喉元がひゅーひゅーと不自然な音を奏でる。咽頭外傷による呼吸困難だろう。しかも酸欠によって揺らめく世界はトリモチの如く足を離そうとしない。
「は、はっ、はっ……はっ、はっ!」
「つらそうじゃないか。そろそろ本気で終わりにしたほうがいいんじゃないのか」
「……だ、だまれ、っ……!」
顔中に油を塗りたくったかの如くぬめりを帯びたおびただしい発汗だった、暗褐色の瞳孔は散大の兆候も見られる。
ジャハルに現れている症状のすべてが酸素欠乏症によるものだった。その上で激しい運動をしているともなれば集中力も散漫になる。
体力の限界だろう。そして、明人も写し鏡のように窮地だった。
「当てても当てても倒れない。そりゃあ倒れないさ」
肌を撫でる風が心地よく、殴打されて熱を持った体を僅かに冷やしてくれる。
「オレは腰の入ってない牽制しか受けていない。腰の入った必殺の攻撃だけを選んで避けたんだ」
明人は構えを崩さず、真っ直ぐジャハルの顔を見つづけていた。
「意識がはっきりしてさえいれば、それくらいはわかっただろうな」
「……ふぅ……ふぅ、ふっ、そんなこと、が……か、可能なの、か? ヒューム如きの貴様にっ!」
ひっきりなしにひゅーひゅーとジャハルの喉は不協を歌う。
岩岩が乱雑に転がるガレ場の如きしゃがれ声のよう。戦闘開始以前の尊厳と凛々しさを載せた面影は、もはや霧散している。
「ムリだ。だから、色々と嘘をついてオマエの行動を制限させてもらった」
「せい、げん……だと?」
明人の言葉に、ジャハルはびくりと全身を強張らせた。
高い位置で結われた細い髪束もふわりと、重力を感じさせない動きをする。
すでに日は落ち、紫色の空には幾億もの星が淡く映し出されていた。決して出会うことのないルスラウス大陸の日と月が入れ替わり、蒼月が地平線から顔を覗かせている。
まるで波乱の集結を見届けるみたいに。見届けると言えば別のところでも、そう。
「ジャハル……!」
「なぜヒュームを相手にあそこまで苦戦をしている……!」
固唾を飲んで見守るワーウルフの仲間こそが、弱点。ジャハルにとっての重石だったのだ。
彼女は最初こう思慮しただろう。簡単に終わらせたら集まった観客たちは盛り上がらない、つまらない。
対して、明人は防御にまわって観察に徹した。それで負ければそれも良し、それで勝てればそれも良し。もともと試合には一切の責任を負っていない、死にもしない気楽な闘い。
しかし、ジャハルは違った。ヒューム如きに勝利することは容易く、勝つことこそがワーウルフとして順当な結末なのだ。
その上で余裕を見せて油断し、致命の1撃貰ってしまう。思いもよらなかったであろう重大なミスを犯した。
「そろそろネタバラシをしようか。久々に体を思う存分動かせて楽しかったよ」
明人は試合を巻き戻るように両腕をだらりと垂らした。
本当ならばはじめからやろうとしていた戦法を用意し直す。
「クっ……! まだ……嘘を重ねるつもりかッ……!?」
訝しげにジャハルは眉尻を釣り上げた。もう騙されないという強い意思が感じられる。
しかし、もはや立っていることすら難しいのだろう。壮大な疲労を体現するかのようにどんどん声が細くなっていく。
だからこそ明人は俄然とほくそ笑む。最後に策略のすべてが詰まった言葉を口にした。
「目は口ほどにモノを言う、ってよく言うよな?」
「……?」
本当に最後の 嘘 だった。
少しばかりの間が空いてジャハルは、びくっと全身を跳ね上げる。
「まさかっ! 貴様が見抜いたという我の癖は――!?」
直後、ジャハルは見ただろう。死角から生えてくる巨大ななにかを。
即時響き渡る。パァンッ、という破裂音。
「ガッ――……!!?」
打たれたジャハルは全身をぶるりと揺すった。
尾っぽと垂れ耳が背伸びをするよう総毛立ち、無意識に瞼が閉ざされる。
明人がだしたのは、1発勝負の裏技だった。
「ここだァァッ!!」
相手の眼前で両手を叩くことによって視界を閉ざす、必殺の目くらまし。
相撲などで使われるこの技法の名は、狼だましならぬ、猫だまし。
それは、どうやっても勝ち目がないであろう相手に対しての弱者による悪あがきだった。
「オオオオオオオ!!」
明人は素早く、潜り込む。
さらに、相手の視界から消えるように背中側へと回り込んだ。
そして、その紋様の入った締まっていて若々しいくびれを全力で抱擁する。汗でぬれそぼった肌は鍛えられていても女性特有の柔らかさがあった。
「なっ――なにをッ!? くっ、はなせっ! い、いやっ! は、はなしてっ!」
正気に戻ったジャハルは乙女の如き高い悲鳴を上げた。
男に組まれたという自身の状況を察して頬を赤らめる。沖から上げられた魚のようにばたばたと弱々しくも、もがいた。
しかし、明人もここが正念場であるからこそ譲らぬ。もがく女性にしては有り余るほどの力で抵抗されても、決して離しはしない。
「な、な、なっ! きゃあああああああ!」
「変態だああああ! 決闘にかこつけて姫を嬲る変態がいるぞおお!」
真剣勝負で突如おこなわれている凶行に、観客達が火が灯ったかのように騒ぎ出す。
変態だ、童貞の暴走だなんだと、罵声の数々は主に性的な方面へとシフトしていった。
審判のエルエルも止めるべきか止めざるべきかとおろおろしている。
「あ、あのっ……! そ、そのっ……ど、どうすれば……!」
「くはっ! ハァーッハッハッハ!! いーひひひひ!!」
そしてヘルメリルはずっと笑っている。
まるでコメディー映画を見ているかのように涙を流しながら腹を抱えて抱腹絶倒の限りを尽くす。
「き、き、キサマアアア!! 我が娘への数々の不定もう見過ごせんンン!! 試合に乗じて我の娘を汚す気とは万死に値するウウウッ!?」
ジャハルの父であるカラムは耐えかねた。
手足で大地を蹴り、試合場のなかに割って入ってくる。
そして、それにつづいて自分たちの姫を守らんとワーウルフたちがなだれ込んできた。
「明人さんが危ない!」
カルルは、スカベンジ部隊のみなを先導するように指示をだして草を巻き上げ、駆けだす。
阿鼻叫喚の地獄絵図を前にしてもヒュームたちは、僅かな動揺を見せて、やはり動かないでいた。
組み付く決闘者を挟んで種族と種族たちがぶつかろうとしている。このままでは戦争となりかねぬ窮地に及ぶだろう。
「オレのついた嘘はぜんぶで4つだ!」
1つ目は人間であることを隠し通したこと。
これによりワーウルフにとってのヒューム像に成り代わり、己を過小評価させ慢心を引きだした。
2つ目。パイロットスーツでは、剛力ワーウルフの攻撃を完全に遮断できず、演技していたこと。これによって、ジャハルにボディへのダメージは通らないと錯覚させた。つまり、頭部への攻撃を誘発集中させるで躱すための目処を立てることができる。
「腹への攻撃はすごい効いてたけどがんばって耐えてやったぞ! そして――」
実のところ明人は、舌を噛みながら表情を固定して痛みに耐えていた。
3つ目は、2つ目の嘘との連携である。
ジャハルの癖は耳と尾ではないこと。見舞われる攻撃の狭間で明人が発見したジャハルの弱点は別にある。
「ジャハルの癖は芯の入った本気の攻撃を繰り出すときだけ僅かに持ち上がる眉尻だ!」
これによって強打のくるタイミングのみを読みとり、弾いた。
そして最後。ジャハル自身の癖は目の動きだと勘違いさせた上で、意識を視界に集中させた。
癖を指摘した際の張り詰めた尾のように視界、瞳の動きに意識を向けさせ、もっともショックの受けやすいタイミングで猫だましを当てた。
「そしてこれがそのすべてを集約した全力だ! 人間を舐めるなあああ!!」
この試合は一方的にジャハルが負債を払うためのもの。
勝てば当然。負ければ恥。つまり、はじめから明人にとって負けのない優雅な試合だったのだ。
「キャア!! ヒューム風情が我にさわるなぁっ!!」
なにを想像したのか頬を真っ赤にしてジャハルは足をバタバタとさせた。
もはやそれは戦士ではなく、駄々をこねるただの子供。あるいは暴漢に組み付かれた乙女といった感じ。
その間にも群衆たちは剣爪を引っさげ群がってきている。
「姫を守れ! 暴漢の首を掻ききってしまえ!」
「このままではマズい! 明人さんを全力でお守りしろ!」
しかし、これは最後の一撃だ。
明人は、まるで土から大根を引き抜くようにジャハルを持ち上げてしまう。
「オレはヒュームじゃない!! 人間だあああッ!!」
「ひあああああ!?」
仰け反り、仰け反り。エビのように仰け反り、なおも橋のように反り返っていく。
これこそが石拾いと念入りな柔軟体操をした真実の理由だった。地球で培われた技、男だらけの環境ならばイタズラに真似るであろう技。
被疑者側の背筋と、被害者側の体重と重力をすべて首および頚椎へと叩き込む技の名は、ジャーマンスープレックスと言う。
しかしこれはそれだけでは終わらない。
「目が覚めたらこれからの未来のことについて語り合おうかッ!!」
反り切る直前。迫る大地に、ジャハルは激しく尾を振って抵抗するも、無駄。
そして明人は、腕のなかで彼女はすでに涙目になっている自身よりも背丈の低い対戦相手を、藪から棒にぶん投げた。
「ドオオオオオオ!!」
「ひいいいいいいいい!!?」
これはジャーマンスープレックスからの派生技、投げっぱなし。
人間であれば首の骨を粉砕しかねない殺人技と言われている。そして、ここは柔らかい床ではなく草の生えた土の上。
しかし明人は、ジャハルをある意味で信用している。力、速度、強靭さなどの人間では到底到達できぬであろうワーウルフ種ならばそう簡単に死にはしない。
「っ――――!?」
ジャハルは声もあげずに首の後ろからあられもない姿で大地に突き刺さった。
地上に激突した際波打ったふとももがその有り余る威力を物語っている。
これで何度目か。喧騒が、しんっと静まり返った。
止まった足に口を半開きで呆ける観客だった者達は、まるで彫像のよう。種族の垣根を越えてみな同様に愕然としていた。
「………きゅぅぅぅ」
ごろり、と。ジャハルは、うつ伏せに倒れ込む。
硬直し、ピンと張った薄茶色の尾が力を失ってへなへなとボロ切れのように垂れ下がっていく。
ヒュームたちはそれを滲ませた瞳で見ている。
「か、かった……?」
誰かが言った。
そこからはもう、とめどない。
「勝った……っ、勝ったあああ!!」
「魔法も使わず武器も使わずワーウルフ族に勝ったぞおおお!!」
熱気と歓喜が渦を巻く。さながらハリケーンのように歓声が大空へと打ち上がっていった。
喝采が痛む身体を躊躇なく叩く。
「ふぅ……こんなもんだな。これを機にヒュームも頑張ってくれればいいんだけどさ」
明人は、目を回しながら倒れている敗者をよそに、ゆるりと立ち上がる。
それからパイロットスーツにとりついた草のカスをぱっぱと手でほろう。
「よしっ! 正々堂々勝ったぞ!」
体中がじくじくとした鈍い痛み感じて眉根を寄せ、スーツの内側を見ることを恐怖させた。
審判の天使エルエルは、両手をがむしゃらに天へ伸ばして判定を下す。
「し、勝者! 舟生明人・ティール! ですのよっ!」
やや遅れて、ふるりと大きな房が揺れ動いた。
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