92話 ところで、天使はすごく偉かった
解呪の成功
それは未だ事の始まりに過ぎず
放たれた弾丸のゆくえは
責任を呼び
真実へと足を向ける
ラキラキ・ロガーは、んーっと空を抱えるように伸びをした。
晒された褐色のお腹でぽっかりと口を開けたヘソも僅かに縦に伸びる。
そして、使い古された工具でしなやかな首筋を叩くと一瞥した。
「まーだ震えとるのじゃ。難儀な性格なのじゃ」
「……ワーウルフすごく怖かった」
明人は、ずっと同じ場所で抱えた膝を舐めるように丸くなっていた。
背中では革鎧を着込んだキューティー・ロガーが引っ付いて眠っている。
降り注ぐ日差しは強く、威圧感すら覚える大きな雲は縁を際立たせて低い空を泳ぐ。
エルエルは、ふよふよ浮遊しながら明人のややだらしなく跳ねた頭を梳くように撫でる。
「あの、この御方様はいつもこうですのよ? もっと暴力的な方かとお見受けしていたですのよ」
「いっつもなにかあるたび怯えまくるんですのじゃ。やることなすことは突拍子もない癖に、最後は必ずビビる小心者ですのじゃ」
くわぁ、と。あくびをしたラキラキは、眠たげに目を擦った。
先ほどまでの剣呑を食うような睨み合いはどこへやら。とうに平和は訪れていた。
手の空いているものは家々の修繕や飯炊きをはじめ、種々共々は混じり合ってあっちへこっちへと忙しそうに駆け回る。
村の入り口で佇む気品のある黒いドレスの女性を中心に野っ原で行われている会議は今後の方針を決めるもの。
今回おこなわれた作戦は、覇道の呪いの解呪だけではない。アザムラーナの村に防衛拠点を築くことが本丸なのだ。
きたるべき複合種の襲来に備えるべく、濃密な話し合いがおこなわれている。
「天使様も災難じゃったのじゃ。ですが時間が経てば戻るという話ですのじゃ」
「ふふっ、気軽にエルエルとお呼びくださいですのよ。ラキラキ様」
花開くような笑顔でエルエルは、握手を求める。
ラキラキもまた、自身の手を短パンでごしごしと拭ってから、それを受けた。
本来、種族と相まみえることは叶わない天界の民だとか。普段は、姿を消して彷徨える魂を輪廻に導く案内役に徹しているらしい。
天使とは、ルスラウス世界の舞台裏を支える役目を担っていた。
「しっかしそんな天使様をあろうことか拉致捕縛するとは……なんて不敬ものなのじゃ」
ラキラキは、弟弟子の失態をまるで自分のしたことのように、頬を引きつらせる。
天使の首にはチャラリと音を立てる禍々しいものが、たらり。首につけられた首輪から伸びる銀のクサリを真っ直ぐ辿れば、膝を抱えた明人の手に巻かれていた。
「このお方は神話にもでてくる審判の天使様じゃぞ! 貴様が想像できんほどに物凄い偉いお方なのじゃ! ええかげんに開放するのじゃ!」
「……ヤダ。せめて散弾1発ぶんの活躍はしないと許さない」
それでも明人は顔も上げずに駄々をこねる。
なおも体はぶるぶると震えていた。
出会い頭にRDIストライカー12の弾を興味本位でぶっ放したエルエルへの恨みは根深い。おかげで残弾は1発減って、4と2。せめて今回の戦争中だけでも水戸黄門の印籠よろしく使用して罪滅ぼしさせる魂胆だった。
「それは確かにワタクシの行動が軽率だったことは認めるですのよ。それに……」
ふわふわ波打つ純白のスカート。とても飛べるとは思えないアクセサリーのような羽がゆっくりと上下する。
エルエルは困ったように微笑みながら、頬を掻いた。
「天使様? どうかなさったのじゃ?」
「いえ……このように種と種が揃うことさえ昨今の大陸では見られなかったのですのよ」
「ああ、確かにそうですのじゃ……」
ふたりは首を回してぐるりと村の様子を眺めた。
豪快に家々を作り上げていく筋骨隆々ドワーフを前に、ヒュームはあ然と棒立ちになる
容姿端麗な長耳によってワーウルフたちは尾を振って感謝の言葉を口にする。
「クククッ、泡沫なる弱者を守ることは民を守ると同様ッ! 我が語らずの威光にかけ、貴様らを幾千の矢から庇護してくれるぞッ!」
戦に高揚したエルフの女王は仁王立ちで種の共存を遠回しに宣言した。
レースと黒いふりふりの可愛らしい生地が風に流され、僅かに揺らぐ。
「度重なる恩、本当にありがたく……。そして青年よ、不貞なおこないを改めて謝罪させてほしい。すまなかった……」
「い、いえ! こちらこそ今になって考えてみれば共に歩もうとする心遣いが足りておりませんでしたから……こちらから村に招いて治療を申し出るべきでした」
そして、ヒュームとワーウルフの代表も互いに深々と頭を下げた。
戦わずして勝ちとった、無血の解呪だった。
それを見てエルエルは満足とばかりに100点の笑顔を顔中に貼りつける。
「とっても素敵な光景ですのよ。肉体の回収に意を唱えたルスラウス様のお気持ちを汲むことができましたですのよ」
伝播する幸福感を噛みしめるように両手を高く上げてバンザイした。
それから未だ怯えきった者の頭を撫でる。その手つきはまるで母が我が子を愛でるように、優しいもの。
「……おい、撫でるのをやめろ。オレは自分のために動いただけだ」
「ワタクシは審判の天使ですのよ? 輪廻にたゆたう魂の善悪を見極めるのが仕事ですのよ。だからアナタの健気な心はお見通しですのよ」
そう言って、エルエルは自身の目が曇っていることを証明した。
テレーレからの依頼の内容は、ヒュームの救助と保護である。その報酬はエーテル女王であるテレーレがなんでもひとつだけお願いを聞いてくれるという俗なもの。それは臆病者が奮い立つほどに極上の褒美だった。
なにを願うかはともかく、明人は本当に自分のためにだけに動いたにすぎない。利己的を追求しつづける態度に偽りは微塵もなかった。
半刻震えてようやく一息。明人はとりあえず、ずっと不思議だった疑問をぶつける。
「なあ……ずっと不思議だったんだ」
「はい、ですのよ?」
ふわふわと。エルエルはヘリウムガスを入れた黄色の風船のようにずっと浮かんでいた。
もともとは白いロングのワンピースだったが、女性化したことで丸っこい膝小僧までめくれ上がってしまっている。
そして、女性化したとはいえ顔にはなんら変化がない。変わったのは、あどけない瞳に不釣り合いなふたつの鞠のように大きな膨らみだけ。
「なんで男状態のときからスカート履いてたの?」
直球真ん中ストレート。ぶつけるのは天使の癖に関する疑問だった。
しかし、エルエルは顔色ひとつ変えずに何気なしといった感じですんなりと答える。
「ワタクシは両性ですのよ? 結構地上なんかでも神話などで有名なお話ですのよ?」
「ハァ? じゃあ、なんでもとに戻りたいんだよ? ならどっちでも変わらないじゃないか」
「……胸が重いんですのよぉ。」
よくよく見れば、エルエルの飛び方はなにかがおかしい。
普通に飛ぶのではなく尻を空に突き出すような、うなだれているかの如き腰を弓なりにした態勢をしている。
「まさか両性男よりから女よりになるだけでここがこれほど膨らむとは思わなかったんですのよ……」
エルエルはぶちぶち文句をこぼしながら自身の大きなふたつの膨らみを憎々しげに掴む。
掴まれた含まりは手のなかで容易にムニュリと形を変えた。
しかし、明人は淫靡な体型の少女を見ても眉をしかめるだけ。なぜなら脳内で、相手は豊胸した男だと断定してしまっているから。
「なんか……変なこと聞いてごめん……」
「いえー……理解を頂けただけで涙ちょちょぎれる思いですのよ……」
男と元男同士は目を逸らし、白ける。
しかし、憎々しげに顔を強張らせるものたちもいた。
幼いままで成長は止まり、大人になってもほぼ体格が変わらない者。ドワーフ種の特徴は力の強さと屈強さと手の器用さである。近頃は、ヒュームやエルフやエーテルなんて種族とも密接な付き合いが増えてきた。つまり、自身たちがアウトローであるという現実を知る機会多いということ。
「ワシは、胸ではなく耳が痛いのじゃ……」
「でも……きっと需要はあり、ます……」
ドワーフであるキューティーとラキラキは、どこぞへと旅立っていく雲を寂しげに見つめていた。
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どうでもよさ気なギャグ回でした。
この辺から戦争同時進行で物語の皮むきがはじまります。




