89話 やっぱり、…………
精霊祭の閉幕
それは次の戦いのはじまり
怯え、震え
とった決断は
未来を描くためのさきがけ
闇に紛れて小高い丘を下り、狭い帯のような道をなぞりながら都を目指す。
最後はエルフの女王が自身が直々に空を飛び、超絶怒涛の巨大な白光を夜空に放って精霊祭は終演した。
そして、リリティアの提案によって明人たちは徒歩で帰宅している。
「いい加減、歩き辛いから離そうか?」
「おことわりです」
覚束ない足どり。左腕をがっちりとホールドされての提案は通らず。
決定権がリリティアにあると知った明人は、コペルニクス的発想の転換で耐え忍ぶ。
ジャケット越しに伝わってくるぬくもりは暖かく、夜冷えのカイロ代わりにちょうどいい。
「~♪」
聞き馴染みのある鼻歌は、もはや異界の旋律などではない。
リリティアは厚みの増した腕に歓喜し、幸せそうに目を細めて頬ずりをする。
その後頭部。ちょうど大きな三つ編みの根本あたりには、羽を広げた蝶のような青いリボンが飾られていた。
「どうです? 似合ってます?」
「オレがつけるよりは似合ってると思うよ」
別に照れでもなんでもない、明人にとっては賛辞の感想だった。
それでもリリティアはにんまりと口元でニンマリとした緩やかな弧を描く。
長い長いリボンの贈り物。
明人の加工しろという要望は蹴られ、タレの長さを加味して余すことなく三つ編みに縫い込まれている。
まるで色合いの異なるの紐を絡ませた大きなミサンガのようなソレは、歩くリズムに合わせて機嫌良さげに踊った。
「いちゃいちゃしてないで早く帰るわよー。1日中走りっぱなしでお腹空いちゃったんだからー」
僅かに前で外套の裾をはためかせて歩くユエラは、歩調を緩めて冴えない長耳をしゅんと垂らす。
豊満な胸元の下。くびれたウェストの辺りを撫で擦って不満を露わにしている。
「おいこら。片方の熱が冷凍庫ばりに冷えっ冷えでもいちゃいちゃって呼んでいいのか?」
リリティアを挟んで1人とふたりは草の生えそぼった田舎道をぽくぽく歩く。
雲はなく月光が小雨のように降り注ぎ、文明の利器も魔法も必要ないほどに轍の道を照らした。
なにをするでもなく、なにか話題があるわけでもない、ほのぼのとした夜のお散歩。
いつもよりもゆっくりと流れる時間は、安寧の風呂に浸かるような。欠けた櫛の歯が戻ったような安心感のある風情に満ちている。
肩を並べて歩くいつもの面子の横で、明人は聞き耳を立てつつ妄想に耽った。
「そういえば、この14日間リリティアはどこに行ってたの?」
ひとりは、青竹のような長髪が美しい同世代で大雑把だがグラマラスな気の合う少女。
直接ではなくとも生涯を寄り添えると、プロポーズじみた言葉を発した。
「テレーレのお部屋に泊まってました」
ひとりは、包容力と懐の深さに定評がある世界に名高い剣聖。
面と向かって好きですと言われればもはや勘違いのしようもない。
「あ、いいなー。私も久しぶりに会いたいなー」
「ふふっ、テレーレもユエラと明人さんに会いたいって何度も言ってましたよ」
バカなことは考えるものではない、と。瞼の裏に映ったイージス隊の仲間たちを思い出してしまう。
明人は魂を吐きだすように吐息をこぼす。
「……どうかしました?」
ようやく腕から離れたリリティアは、まっとうな距離で質問を投げかけた。
「…………。ふたりに告白されちゃったなーって、考えてた」
ユエラの足が止まり、しょぼくれた耳が天をむく。
同時に、くの字に曲がったくびれた腰もピンと直立した。
「え!? 誰と誰に!?」
「ユエラとリリティアに」
全員の足がその場で止まり、うそ寒い空気に包まれる。
リリティアは両手で頬を押さえながらわざとらしくいやんいやんと首を振った。
それに合わせて絵リボンのついた尾のような三つ編みが8の字を描く。
そして、ユエラは苦渋を舐めたかのように口を三角にして眉間にシワと寄せる。
「私がいつアンタに告白したあああ!?」
前髪端の小さな三つ編みが風に撫でられ風鈴のように大き揺らぐ。
夜に木霊する獣の咆哮の如き甲高い声。寝静まっていた鳥たちが驚いて羽ばたいていた。
「え? ほどほどに好きって言ってなかったっけ?」
「まぁ! ユエラもなかなか隅に置けませんねっ!」
リリティアは瞬時にからかう態勢を整えた。
言うまでもなく、明人も面白半分でからかっている。
豪雨吹きすさぶ決闘のこと。記憶は正しく、ユエラは確かにその言葉を口にした。
「ちっがーう! 明人は寿命が短いから看取ってやるって意味よっ! リリティアだって知ってて言ってるんでしょ!?」
僅かにその長耳は羞恥に染まり、喋るたびに動揺するかの如くピコピコと上下する。
「アンタなんかお手伝いでも主夫でもなくてペットよ! ペット!」
惚れた腫れたの相手に自身のパンツを洗わせるはずもなく。
ユエラはぷりぷりと怒りながら髪と裾をひるがえして都に足を向けた。
後を追う枷が外れた明人の足どりは軽やかで、見えた先にはぼんぼりのような粒の光がちらほら浮かんでいる。
そうやって散歩を気取っているとやがてはユグドラシルの根本の都が遠方に見えてくる。
精霊祭の終わりとはつまるところ平和の終焉。戦争の再開を意味していた。
ワーウルフ種とはワーウルフを中心に集った複合種らしい。
そして今回の内乱は複合種側の連携によって国の中枢を担っていたワーウルフが敗北したのだとか。
簡単に言えば国家転覆、革命軍側の勝利に終わった。
その後、複合種側の勢いは収まらず。現在はヒューム領に攻め込んでいる。もしヒューム領が落ちれば確実にドワーフ領に攻め込んでくるだろう。
「あのっ……明人さん!」
僅かに空いた距離へ、凛として、なにかに手をのばしかけたような。よく鼓膜に通る玉を転がすような高い声がした。
明人が振り返るとそこにはリリティアがいた。
自身のドレスの胸のあたりをギュッと握りしめて立ち尽くしている。
目が合った。真っ直ぐな心のそこまで見透かしてしまいそうな紅の瞳だった。
そして、青のリボンと燃えるように燐光を散らす紅の髪が踊る。
「あっ、あの……私は……」
喉に言葉をつまらせたようだった。
出かかっているのに発声できないような。もどかしさ。
「リリティアいくぞ。誘いの森に帰るんだ」
「…………はい」
明人は知っている。それくらいのことは察している。
彼女は闘いたいのだ。なにか大切なものを守るために戦争に馳せ参じたいのだ、と。
しかしそれは血の盟約という不可思議なものによって縛られ、己が力ではその願望を叶えることは出来ない。
だから、臆病者は伏し目がちに追いついてくるリリティアに心と心を繋げるように言って伝えることにする。
「帰ってワーカーをとりに行くぞ。オレたちもワーウルフとの戦争に参戦するんだ」
「っ! あ、あきとさん!」
それが今回の騒動の反省であり、教訓だった。
すべては伝えなければ伝わらない。察することはできるがすべては察せない。
相手に察することを望むことが愚であるということを、明人は学んだ。
だから怯えなんてプレス機の金型で挟むように無理くり笑い飛ばしてやる。
「さあ明日からまた忙しくなるぞお! 本当なら労働のほうが好きだけど色々終わってから考えるとするか!」
伸びをしながら空元気で怯えを丸ごと吹き飛ばす。
そして異変が起こった。
それはうつむきがちに黙って、早足気味に近づいてきた。
「だから――ちょっ、なになになにっ!?」
リリティアの怪力によって明人は体の自由を奪われてしまう。
「堪えきれないので……先払いです……」
僅かに頬を染め、リリティアは妖艶な笑みで唇をぺろりと舌で湿らせた。
「なに!? なにするつもり!? 誰か男の人呼んでそれもすっごい力の強い人!?」
「私もはじめてですから……」
そう言って彼女は恥ずかしげに腰をよじらせた。
紅の瞳を爛々と輝かせて桃色の唇をほんの少しだけ尖らせる。
そしてそのまま、ちゅ、っと。
しゃにむに奪われたファーストキスは強引で、濡れていて、ほっぺたよりも柔らかく、いい香りがして、すがりつくような、一瞬こっきりの肌と肌の触れ合い。
「じゃっ、じゃあ私は先にメリーのところに行ってますねっ!!」
リリティアはゆでダコのように顔を赤らめて一足飛びで都の方角へと消えていく。
所在なさ気にユエラもいそいそと歩きだす。
「さ、さーて! 私もいこーっと! ナニモミテナイカラーホントウダカラー!」
ただひとり残された明人は唇に残された僅かな余韻に触れ、ぼんやりと空に思いを馳せる。
世界が変われど瞬く星は、まるで宝石箱をひっくり返したように、美しかった。
・・・・・
5章 あの子のリボン この子のペット そしてオレはカーニバる END




