85話 やっぱり、不死者は笑えない
災厄の兄妹
兄は狂い
妹の終焉は遠く、遠く
条件付けもまた
幸を願うもので
荒野が暮れなずむ。夜の帳が降り始めると同時に湿気が増していく。
美しき蒼い月のカラカラ林を遠目に見守っている。
「はははっ! まさかキミがあの研究所を破壊したとは驚きです!」
活気ある笑い声が木霊した。
腹を抱えてカラカラと笑う人の良さそうな青年の名は、腐肉食いのハリム・E・フォルセト・ジャールという。
隣でヴィンテージものの古臭いローブにくるまれた少女は、終焉なきミルミ・E・フォルセト・ジャールだとか。
「オレも、まさか依頼主が救済の導だとは思わなかったよ」
言うまでもなく彼らこそが大陸の混沌を願う、その一派。
対面に座してあぐらをかいた明人は、やれやれとゆるく小首を振った。
「そのエーテルの神より賜りし宝物の模造品を見たときは心臓が止まりそうでした! あ! もう止まってましたね、なーんてっ」
青年曰く、その身は年を経ることを忘れたのだと言う。
不老不死であるハリムは、自分をネタにした冗談を交えてカラカラ笑う。
「……笑えない冗談だなぁ」
一転して、友人同士が馬鹿話するかのような緊張感のなさたるや、だ。
ハリムがだしたという依頼の内容はゴブリンの討伐である。
それを明人がしめたものと快諾したということ。
しかし凶暴化した原因の究明の裏に隠された事実が別に存在していた。それは、妹であるミリミを回収するためのものだった。
ヒュームは弱い。基本的には低級ていどの魔法しか扱うことができないらしく。ゆえにゴブリンですら数が揃えば驚異となる。
だからこそ、救済の導にいる知り合いのドワーフに頼むことでイェレスタムの斡旋所へ依頼をしたらしい。
「不老不死なら自分で突っ込めばよかったんじゃないのか?」
「そ、そうです! わたしたちがくるまでの間に妹さんが可愛そうでしたよ!」
明人が苦言を呈すると、キューティーもそれに同意した。
彼女にとっては妹であるミリミへの慈愛なのだろう。こちらが向かっている間なにが行われていたのかは正直なところ耳を塞ぎたくなる。
「え、だって痛いって嫌じゃないですか?」
それをハリムははっきりと言ってのけた。
「いくら不老不死とはいえ打たれたら痛いですし死んじゃうような怪我をしたら死んじゃうくらいいたいんですよ」
まあ死にませんけどね。さも当然とばかりの言い草だ。
それを聞いてキューティーは頭痛をこらえるみたいに頭を抱えてしまう。
妹の回収をする気になればできなくもないが、痛いのは嫌だからという粗末な理由で放置していたらしい。
その結果が、これ。ミリミを媒介にゴブリンたちは増え、死後はミリミの能力によってグール化し、手に負えず。
明人は気分の悪さを隠そうとせずに低く問う。
「ところでその触れたものをグールにする呪いってなんだ? 胸糞悪すぎて反吐が出るぞ?」
ハリムは別段気にした様子もなさげにニンマリ顔を崩さず応じる。
「僕たちは別々の能力を後天的に与えられているんです。僕の場合は腐肉を食べて不老不死の状態を保つ能力。そして妹は触れたものに呪いをかけ、死後にグールへと変えてしまう能力です」
ハリムは、色のない瞳でぼんやりとしているミリミの頬を優しく撫でた。
ぱっと見、兄妹の微笑ましいふれあい。しかし、その裏にはどす黒い闇が渦巻いている。
ハリムは、明人たちの前で自身を魔法による障害者――心無人だと自称した。そして、ミリミはもはや魂の入っていないただの肉の塊だとも豪語してみせた。
研究所に拉致され、不老不死の被検体の末に災厄の兄妹となった。
そして今こうして兄は、妹を世界から始末するためにこうして奔走しているらしい。
――……死してなお死なない妹を殺すために尽力する兄、か。
脳で反芻してもはやり胸糞が悪すぎた。
普段の明人であれば不老不死などという絵空事の妄言とするところ。しかし今回はわけが違った。キューティーという魅了によって奉仕を強要されていた記憶を持つ女性の存在はなによりも信頼に値する。
その彼女曰く、癒やしのヴァルハラを訪れたハリムは安全らしい。
決して他種に対して差別的、あるいは暴力的な行為にでたことはないという。
繋げて、周囲の様子を伺って話を合わせるような臆病な部分もある、と。
キューティーからの情報は、ひとまず明人がハリムを信用するに値させる価値があった。それでも油断だけはしないが。
「その不老不死の実験をしていた研究所ってオレの潰した場所だろう? それなのになんでハリムは遺恨のある救済の導なんかに入ったんだ?」
「ああ、それを語るにはまず救済の導が団体じゃなくて個々の信念だと理解してもらわないと説明が難しいですね」
ハリムは、笑いジワのある顔立ちをやや引き締めた。
重苦しい風体をまといながら粛々と語りはじめる。
「僕は妹の体をこの世から抹消したいんです。でも、なにをやっても妹……の肉体は復活して世界に残り続けようとしてしまう。だから今回のように魔物のいる森に放置したりしても肉体は永遠に滅ぶことがない……」
およそそれは狂気だった。
もはや目の前にいる青年ですら狂ってしまっているのだ。
そう理解しつつも、明人は黙って聞き役に徹する。
「正直少しは抵抗がありました。なにせ家族の姿をしてる相手へ幾度となく剣を突き立てたりしたんですから……」
ハリムは、どこか切なげだった。
今にも精神が崩れてしまいそうな。遠くを見つめる瞳から生気が失せていく。
「絶望に明け暮れていた時、ちょうどティルメルっていう女性のエルフと出会ったんです。彼女曰く、作戦がうまくいけば膨大なマナによって妹を消し飛ばせるかも、って。まあソレが失敗して今こうしてるわけなんだけどね……ははは」
恐らく、ハリムの言っているのはマナ機構とモッフェカルティーヌという爆弾のこと。
そして、この場にはその作戦の綱を握っていたエリーゼがいる。
――ッ、まさかコイツエリーゼを連れ戻しにッ!?
刹那の間に明人の心臓がどくりと跳ね上がった。
その手は横に寝かせてあるショットガンに伸びる。
「ストップストーップ! アナタのやったことを僕はもう理解してるんです! それに対して恨んでませんし復讐も考えていません! これは本当です!」
信じてください! ハリムはぎょっとしながら両手をぶんぶん振った。
わたわたと慌てながらこちらとの敵対関係を拒む。不老不死であるにも関わらず痛いのは嫌だという臆病さが行動から滲みでていた。
明人が立て膝を寝かせると、彼は大げさに「助かったぁ……」ほっと安堵してみせる。
「僕には縋るものがソレしかなかったんです……。でも、今になって考えてみれば爆発に巻き込まれても妹も僕も生き残ったでしょう……」
藁にもすがる思いとはまさにこのことか。
そして救済の導はそれを知っていて弱みに漬けこんだということ。
恐らくハリムにとって他者をグール化させることはなんら抵抗はなく、ただ一心に妹を消滅させたいという信念で行動している。
イェレスタムの街にグールを仕向け、連合軍によってそれ以上の被害がでなかったことだけがこの物語唯一の幸福だろう。
「しかし、アナタもなかなかエゲツないことをしますよねぇ」
ハリムの指さした先を見れば、粗土の上に横たわる者がひとりいた。
キューティーはわたわたと状況が掴めず無意味な看病に走っており、明人はショットガンから手を引いて素知らぬ顔でそんなふたりを見守った。
「まぁ、エリーゼのやったことはしょせん殺しだ。許されることじゃない。だから、みんなに変わって裁いただけだ」
「ははっ……作戦に加担した僕には返す言葉もないですね……」
ハリムは、その無造作に乱れた黒い髪をボリボリと掻いた。
無慈悲な所業に一筋の汗が流れ、ぶるりと肩を震わせる。
エリーゼは裁きを受けていた。数多くのドワーフたちの命を弄んだ罪の精算。
そしてそれはエリーゼへ救済の導を忘れろという魅了が働いているわけではないのだ。
それれだけでは種の根絶という野望が芽生え直すだけで無駄に終わってしまう。
「まさか、救済の導を思い出すな、とは。考えましたね」
「救済の導が目の前にいるとこうなるとは予想してなかったけどさ」
不老不死と操縦士。青年たちの語らう場所より少し遠くに、彼女はいた。
エリーゼは形のいい胸を深く上下させながら静かに眠っている。
魅了の条件付けにより、少なくともハリムがここにいる間は、意識を取り戻すことはないだろう。
誰かを殺すのならば裁かれる覚悟があってこそのもの。忘却を繰り返させることでモッフェカルティーヌで闘っていたころの記憶と信念は死に絶えた。
もうエリーゼは志していた夢を思い出すこともできない。ただなにも知らず平和を享受するだけ。
それはきっと極刑と同等の裁きであろう。
そこからは好きに生きれば良いという明人の願いにより今は、女王のわりに面倒見の良いヘルメリルが責任を持って育てている。
罪を憎んで種族を憎まず。
「……?」
ふと、物思いに耽る明人とミリミの視線が交差した。
彼女は心のないわりにあどけない子供のように無垢な表情をしている。美しくも儚い装いはまるで生きているかのようにさえ思えてくるほど。
「なあ、この模造品の指輪を使ってもその呪いを消せなかったのか?」
マナレジスター。またの名をまなまなちるちる。
左の薬指からとれない呪いの指輪は夕闇に負けず、煌めいている。
「ああ、それも前に研究所の男が実験したんですよね……」
明人が何気なしに問う。
と、途端にハリムの顔色がさぁ、と薄くなった。
「全身が無数の肉塊に弾け飛んでからゆっくりと戻りました……。僕的には1番酷いやりかたでしたね……」
「そ、そっか……難儀だな」
その光景を思い浮かべるだけで胃酸がこみ上げてくる思いだった。
風はベタつく肌に冷を運び、空には星が散らばる頃合い。明人は立ち上がって砂のついた尻を叩く。
「さてっ。そろそろオレは迎えを呼ぶけど、ハリムはこれからどうするんだ?」
敵と敵ではなく、ここで語り合ったのは人に似た雰囲気のヒュームと異世界の人間だけ。
そのバックボーンもあってか少しは同情もある。
「正直……どこに向かったらいいのかすら僕にはよくわからないままです。けど、少し休んでからまたがんばろうと思ってます」
妹を殺すためにはじまる終わりの見えない旅か。
これほど後ろ向きな前向きの考えもない。それでもきっと、ハリムはミリミのために生きつづけるのだろう。
「まあ歩きつづけさえすればいずれはゴールも見えてくるだろうさ」
「はい……そうですね、うん。ありがとうございますちょっと元気がでました」
明人は少しだけ頬をゆるめて、ハリムに安らかなるときが訪れることを願う。
逆を言えばそれくらいしかしてやれることはない。あとわりとどうでも良いということもあるが。
そして、腰のポーチからメリベルを取りだす。
「ところで迎えを呼ぶってどういうことです? もしよろしければ僕と妹も――」
「このベルを鳴らしたら語らずのヘルメリルが秒で大扉を繋ぐ予定だけど」
「――う”ぇ”ッ!?」
まるで千切れたゴムのようにハリムが直立するのを見て、明人はほくそ笑む。
彼とてイェレスタムでグールを全滅させた語らずのことくらい知っているだろう。驚き竦むのも当然だった。
「ほーら、鳴らすぞぉ? 鳴らしたら超特急だ。なんせ詠唱がいらないからなぁ?」
「ちょちょ、ちょっとでいいから待ってください! せめて僕らが見えなくなるまで呼ばないでくれませんか!」
そう言って、あーでもないこーでもないとハリムは手際悪くミリミであったものを肩に担ぐ。
そして妹を抱えた兄は脱兎の如く遠ざかっていく。
「依頼の報酬は、もう斡旋所に預けてあるから受け取ってくださいね!」
後ろ手に礼を告げて去っていく。
明人は他者を不用意に信用をしない。
たとえ相手が自分と似ている種族であっても例外はない。
「この恩は絶対に忘れませんからッ!! ありがとうございましたー!! ヒュームのフニーキさんッ!!」
名前も種族もそう簡単に明かしてやるものか。
不老不死の兄妹の背中は闇に溶け込んでいく。
明人は無責任だと思いつつも旅の終焉を願って見送った。
――話を聞くだけで気分が悪くなったからもう2度と再会しませんように、と。
それからエリーゼを起こしてヘルメリルを呼んでその場を後にしたのだった。
妹のいた明人にとってあの兄妹の存在は、凄まじく胸糞が悪かった。
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