83話 やはり、空は紅く、そして割れず
意図せぬ新パーティー
人間、露出狂、ストーカー
過去の痛みは
茨が刺さった心は
癒えず
血を流しつづける
魔物。それはルスラウス大陸に住まう魂の汚れから生み出される生物。そう、言われている。
輪廻へと旅立った種族たちは冥界によって浄化され、世界を巡のだとか。その工程で浄化しきれなかったものこそが魔物の種となり誘いの森より湧きだす。
「そう考えると、オレってすごいところに住んでたんだなぁ……」
明人はガイドブックよろしく手にもった大判の本を眺めた。
著リリティアによって書かれた、一夜で仕上げたルスラウス大陸での生存方法の内容には魔物の記述がきちんとされている。
「なに? その本? すごい詳細」
ともに荒野を征くエリーゼはぱちくりと目を瞬かせた。
夜が明けるころにイェレスタムの街をでて川沿いを上流へ、1日挟んで、現在は夕刻。比較的穏やかな空には茜色の入道雲が立体のようになって浮かんでいる。
精霊祭まであと1日まで迫っていた。焼けただれた真っ赤な空は肩で乾いた風を切る明人の歩調を、より急かしてくる。
「わっ! す、すごい! この本、魔物の特性どころか他者の扱う《レガシーマジック》まで詳しく書いてありますっ!」
そんな明人の腕に身をすりよせながらキューティーも共に歩く。
普段の水着のような制服を脱ぎ捨て、ほどほどに身を守る茶がかった革鎧を着込んでいた。本人曰く、この時期にフル装備は熱いとのこと。
イェレスタムより僅かばかり北上したところに目的の場所がある、ドワーフ領とヒューム領との堺近辺にある小さな林。恐らくネーミングセンスがない者がつけたのであろう、カラカラ林という名前が地図に描かれている。
そしてその場所こそが討伐依頼のゴブリン群生地だった。
主目的はカラカラ林で大繁殖したゴブリンの討伐。次いで、大量発生と凶暴化した原因を探ればボーナスがつくというもの。
どちらもこなせば見事に破格の60万ラウスという垂涎ものの成功報酬が約束されている。
「ところでさ、エリーゼと出会ってからずっと疑問だったことがあるんだよ」
パタンと。明人は大判の本を閉じ、やや砂を被った腰のポーチにねじ込んだ。
「なに?」
エーテルの特徴である銀枠の瞳は純粋で、夕闇に浸かってなお美しく輝く。
「なんで下になにも履いてないんだい? 前開きだから普通にパンツ丸見えで目のやり場に困るんだけどさ……」
明人は前開きのスカートから伸びるましろ色にうんざりとした視線を送った。
絹糸のような細まった足からふとももをなめるように根本まで辿ると、ドレスと同じく白黒色の薄布が一枚あるだけ。ダイス柄の薄布。
「それじゃあただの痴女。なにも履いてないわけじゃない。これは見せてもいいヤツ」
そう言って、エリーゼは小首を傾げながらベル状の裾を掴むと、羽のようにぱたぱた仰いで見せる。
「それはそっちの尺度だろう……。異性にとってその形の見せパンは、本パンとなにも変わらないぞ」
「でも涼しいし動きやすい。どうせ外にもでない」
依頼をこなすにあたって、エリーゼは同行を強制された。
引きこもり気味で常にファンシーグッズを作ることに喜びを見出しているらしく、飼い主のヘルメリルにとっては頭痛の種らしい。今回の冒険を期に外で遊んで欲しいという謎の親心のようなものによって、こうして冒険にだされている。
「私、アナタ嫌い。友だちをクッション代わりにしたから」
エリーゼはぬいぐるみをぎゅうと胸に押しつけた。
それから子供のように片頬を風船の如く膨らす。
どうやらモッフェカルティーヌから降下する際にセリーヌを使ったことが気に入らぬようだ。
「あれはクッションじゃなくて緩衝材だから、セーフだ!」
「それ、言い方変えただけ……アウト」
明人は、モッフェカルティーヌからワーカーを降ろすためだけにエリーゼを魅了した。
現エリーゼにとって出会い頭の命令だったのだから嫌われるのも無理はない。
それでも不満がありつつも魅了の条件によって逆うことは不可能となっている。
なぜなら、明人を死なせたら宮殿から勘当され悠々自適な引きこもり生活を送れなくなる。エリーゼはそういう制約を背負わされている。
「私は、そのぅ……大好きですよ?」
キューティーはややうつむきがちに、両の手に行儀よくもたれた弓の上で指をもじもじとさせた。
蕾が咲くように頬をぽやっと色づかせ、甘く濁った囁き。
小さな体躯とある程度露出を押さえた身なりは、まるでただのませてる子供。
なお、このストーカーは勝手についてきた。
かたや大人の肉体に入った子供の精神。かたや子供の肉体に入った大人の精神。
「だいじょうぶかなー、このメンバー……」
明人が頭を抱えたい欲求に耐えつつ両手を遊ばせていると、荒野の先に目的地であろうカラカラ林が見えてくる。
その名に恥じぬ新生児の毛量の如くすかすかに生えた木々は、まるで山火事のあとのよう。埃っぽい風が吹いても葉は鳴らず。水のせせらぐ音とともに、寂しく落ち葉が舞い上がる。
果たしてカラカラに乾燥しているからカラカラなのか、カラカラと落ち葉が鳴るからカラカラなのか。それは名づけた者に尋ねるしか答えはわからず。明人の目的は名づけた者に出会うことだった。
その悲しげな情景に妙案をひらめく、悪巧み。
「林を燃やせば魔物も簡単に死滅するんじゃないかな?」
乾燥気候に僅かに生える木々は防風の策はない。
しかもここら一帯は視界を遮るものもないだだっ広いだけのひび割れた荒野だけ。火を放てばそれはよく燃えることだろう。
「ムリ。ゴブリンの排泄物が混じって育ってる葉や木は煙も灰も毒になる。もし毒が街の方角へ流れたら大惨事」
エリーゼの否定が無感情に紡がれる。
つづくキューティーも申し訳なさ気に背すじを丸めた。
「
「ご、ごめんなさい……。エリーゼさんのいうとおりです。それに隣に流れる川へ毒が流れたら下流にある街や村が大変なことになってしまいます……」
「……そうか。妙案だと思ったけど別の方法を考えるしかないか……」
ルスラウスの民ふたりに否定されては、地球人も閉口せざるを得えない。
それでも明人はどうにかして危険のない方法を探る。
包帯に包まれた手で口を覆うと消毒用エタノールのようにツンとくる臭気が鼻腔を刺激してきた。
「……早く帰りたい。さっさと殲滅して帰る」
傾く日差しによって伸びた黒い影を踏むようにしてエリーゼは、いの一番に林の中へ足を踏み入れた。
考え耽っていた明人は血管に氷水を流し込まれたかの如く寒気を覚えた。
「おいちょっと待て! ほんとに待て! ダメだッ!」
「あっ、ま、まってください! 今そこに――」
がっしがっしと。無遠慮に進むエリーゼの数メートルほどの横から滑るように走る小さな影がひとつ。
ふたつ。みっつ。よっつ。まるで待ちかねていたとばかりに子鬼たちが木の裏からそぞろに現れた。
「――ッ! バカヤロウッ!」
明人はストラップで吊るしていたRDIストライカー12のたたまれたストックを伸ばした。
右肩にストック押しつける。隣ではすでにキューティーが弓に矢をつがえて引き絞っている。
互いの目標を武器の先端のみで把握し、一切の指示なしで数秒の迷いもなく同時に放つ。はじめてにも関わらず奇跡的な呼気の同調だった。
びゅう、と。木目の矢が風を鳴らして敵の側頭部を突き通す。。
ガォン、と。尻を叩かれ発破した鉛の群れは、無情にも敵を血だるまに化かす。
「はぁ……《ブリザード》」
抑揚の欠片もないため息混じりの詠唱によって、手より吹き荒れる白い霧は、敵は瞬く間に氷つく。
刹那のできごと。残ったのは、みっつの死骸は脳梁と血溜まりに沈んだ。
「……ゴブリン如き余裕。そんなに怖いならここで待っていれば――」
明人は、木の葉を蹴りつけるように散らして駆ける。溶岩のような猛烈な感情の噴火。
そして、エリーゼの胸元のドレスを引っ掴んで眼前へと無理やり引き寄せた。
「ひぐっ――!」
「それじゃダメだ……! だめなんだよッ……! ひとりが先走って、油断して……その結果……みんなが……!」
手は異常なまでに震え、指先は凍てつき明人の心が深く沈んでいく。
「みんなが無駄死にするんだよッ!!! オレのときみたいになァッ!!!」
思いを乗せた叫びは、林の木々に沿って流れ、2度3度と、反響していった。
怒りを噛み殺して怯える明人にエリーゼは愕然としていた。
表情は心境は違えど、どちらも涙をこらえるような表情をする。
澄ましていても心は子供。エリーゼの瞳は浮き上がるように滲み、こぼれた涙は色白の頬を伝い落ちていった。
「あ、明人さん! やめてください! ここにはまだ敵がいるかもしれません!」
踊り子のように手を振って走ってきたキューティーが、明人とエリーゼの間に割って入った。
明人は涙ぐむエリーゼから手を離し解放している。
「くそっ……!」
やり場のない激昂した感情を振りほどくように、空を見上げた。
僅かに狭められた空は、この世の終わりの如く紅に染まり後悔が渦巻いていた。
幾度となく繰り返しても消えぬ。その泥のような不安は乾くことはなく、底の足は常に前へ向かない。
さめざめと泣きじゃくる声と慰める声を耳に、明人は夢を見るように割れるはずのない空間へ問いかけた。
「……ここにアレはいないんだ。そうなんだよな……ワーカー」
○●○●○




