78話 やっぱり、異世界でも働くべきだ
ふとした拍子に
あばかれる真実
懐疑心による
誤解
すべては愚かな
勘違い
一流の手によって生み出された料理は食材が魔物という点を差し引いてもどれもが極上で、美味だった。
スパイスや香草の香りが染み付いた皿を流し台にもっていけば、ようやく1日がはじまる。
とはいえそそぐ夏色は、頂点から槍の如く下生えを照らす。朝と言うには遅めの時間帯だった。
普段であればここからは各自自由行動となる。食材である魔物狩りや家具の修繕、魔草の精製に勤しむはずだった。
晴れやかな陽気のもとで窓越しにはしゃぐふたりの幼児を窓越しに、屋内では会議がはじまる。
「はいっ! みなさんにお集まりいただいたのは他でもありません! オレの頼みと悩みを是非聞いていただきたい!」
明人は皿洗いで濡れたてをタオルで拭いながら席についた。
クロスの剥がれた染みなどで薄汚いテーブルを中央において、ぐるりと他の面々の顔を見る。
ユエラ・アンダーウッドは頬杖をつきながら好物のチョコレートクッキーを齧った。
「頼みを聞くくらいなら別にいいけど面倒くさいのは嫌よ?」
近頃は終戦にともなって魔草の需要が減ったせいかこうして家にいる時間が多くなっていた。
そのため、エルフ領のウッドアイランド村からシルルが頻繁に遊びにやってくるのも日常のスパイスとなっている。
「それで、議題は剣聖様の機嫌を直す方法ですか?」
「話が早い! カルルにプラス10点!」
明人は、苦い顔をする友にむかって近頃肉づきのよくなってきた指をつきたてた。
食生活の劇的な改善と安定によって骨ばっていた体は一般男性ほどになったといえよう。
「で、ワシはどうすればええんじゃい? 恩もあるしのう。くだらんが多少は協力してやる」
そう言って、ゼトは鉄の擦れ合う音を鳴らして枯木のような頬をかく。
マナレジスターによって破壊された義手は改めて自分で作り直したらしい。
リリティアはあの後、食事を作るだけ作ってとっとと部屋に戻っていってしまった。よほど胸が小さいと言われたことが効いたらしい。
哀愁に満ちた背中を見て、明人はいよいよ危機感を抱いている。
家主と使用人。そんな関係のふたりはある種雇う側と雇われる側という社会の縮図によって成り立っている。衣食住の提供。それは魔法という力をもたない人間種にとってライフラインそのものだった。
「あのねぇ、たぶん落ちこんでるのってスタイルの話だけじゃないと思うわよ?」
くだらないとでも言いたげにユエラは小さく開いた口からあくびをこぼす。
眼の淵にぷっくりと押し出された涙が浮かぶ。
「なにそれどういうこと? 後もう少しやる気出してくれると嬉しいな?」
明人が尋ねると、こちらに見る艶を帯びた彩色異なる瞳が瞬いた。
宝石のようなエメラルドの緑と熟れた蜜のような琥珀色が、鋭く明人を睨む。
「リリティアってさ、普段からアンタに物凄く気を使ってるのよ。わからない?」
明人はしばし腕を組む。
そうやってこの世界に来てからのおおよそ半年の過去を探った。
救済の導討伐にはじまりエルフドワーフ戦争の終決に終わる。波乱万丈の異世界生活。
いくら悩もうが答えが見つかるはずもない。明人にとってリリティアは未だに濃い霧のむこうにいる不明瞭な存在である。
素性を聞けばぼやかされ他人に聞くのは卑怯と考えている。そのため、情報がまったく得られないまま平行線を辿っていた。友ですらない、もっとも近くにいる他人という表現が1番しっくりくる間柄だ。
「リリティアがオレに気を使う? この家に強引に引き込んだあのリリティアが?」
うんうんと。明人は迷宮を彷徨うが如く唸りつづけた。
それに見かねたのか、ユエラは握られた手を前に突き出す。
「ひとつ、アンタは私と違って男。リリティアは男と同居したことがないから勝手がわからない」
サムズアップ。まず親指を立てた。
次は細長い人差し指で銃をかたどる。
「ふたつ、この世界にいないはずの種族。つまり人間種の頼みなら血の盟約を無視して行動ができる唯一無二の能力をもってる」
そして最後に中指を立てる。
フレミングの左手の法則の形を意識しているわけではないはず。
「みっつ、アンタは自分のことを全然話してくれない。だから自分の情報を等価交換しないと一生話してくれないかもしれない」
そこまで言い終えてユエラはふーっと疲れをはきだすようにため息をついた。
肩とともに主張の強い豊満な胸がふるりと波打つ。
そして鋭利な刃物のように鋭くなった視線が牙をむく。
「アンタいつもリリティアと話すときに口調が変わるでしょ。いつまでも家のなかで壁作ってんじゃないわよって言ってるの」
友だちからの浴びせられるような一喝だった。
「……ん、んんん……」
明人は言い返せなかった。
視線を膝に落とすことしかできない。
勘違い。距離をとっていたのは自身のほうだったという愚かさにいまさら気づかされてしまった。
いつもニコニコ笑顔のリリティアの本心は、たくらみではなく。ただの慈愛のあらわれだという真実に否定の言葉がでるはずもない。
「しかも最近ドワーフ領にたびたびでかけるでしょ? アンタがでていっちゃうかもしれないって本気で不安がってるんだからね?」
ユエラは整えられた眉をよせて僅かに微笑み、クッキーを頬ばった。
一変して押し殺すような低い声がぽつりと響く。
「――剣聖と呼ばれたリリィも丸くなったもんじゃわ」
エルフの女王と同じくリリティアとの深い関わり合いのあるこの部屋で唯一の者。
ゼトは、喉を鳴らして顎をしゃくるように白髭を撫でた。
「昔は、孤高で誰にも触れられぬ使い手のいない剣のような女じゃったかんの」
訛りのある威厳と信頼に満ちた頼りになる低音がびりびりと大気を揺らす。
ふたりと1人は背筋を伸ばすようにして三者三様に、生ける偉業の言葉に耳を傾ける。
「それがなんじゃ。魅了されて体が動かんワシにむかって光だ宝物だと語りよって。まるで夢を見るいっぱしの乙女じゃわい」
古木の天井にむかって細められた目は、まるで遠い過去を眺めるようにどこか寂しげ。
すると語りの合間を縫ってカルルが長い指をくるり、くるりと回す。
「確か双腕様の両腕をもっていったのも剣聖様と聞いております」
「カッカッカッ! 懐かしいのう! ワシが両腕を生贄にしてようやくアレと対等じゃったわい!」
ガラガラと。ゼトは身の毛もよだつようなことを口にして、しゃがれしゃがれ大胆に笑い飛ばした。
なにかとてつもないことをこの老父は口にした気がした。
青ざめて言葉を失うふたりをよそに明人は、自身の左薬指を見つめる。
銀を基調として中央にぐるっと青いラインの入った呪いの指輪。救済の導によってつくられた神より賜りし宝物の模造品だ。
『変革は望みません。ですが……もし、叶うのであれば……この子のように救ってくれますか?』
雨上がりの紗がかった星空から降りてきたひとつの願い。
リリティアが明人に語りかけたひとつの夢の、その声だった。
「なぁユエラ。ユエラがこの家にきたばっかりのときなにかリリティアにしたこととかってあるか?」
「うん? 私のときは感謝の印とかを籠めてあのへったくそなエプロンをあげたの。当時はお金とかなかったからお粗末だったけどね」
見れば、食器棚の横に台の上にふたつのエプロンがたたまれている。
ふりふり若奥様風エプロンと、芸術作品から芸術を引いたような襤褸の前衛的なエプロンの2枚。どちらも皺のないようにたたまれていていかに大切にされているものなのかが見るだけで理解出来た。
明人は、どっかと背もたれによりかかる。
「仲直りと改めてよろしくのプレゼントかぁ……。オレの場合はいったいなにを作って渡せば喜んでくれるのかなぁ……」
「別に作る必要はないんじゃないですか?」
コトンと。カルルは茶の乾いたコップを置いた。
「と、いうと?」
「剣聖様も女性なのですから花などという綺羅びやかな贈り物が好ましいと思われます」
モテそうな男がモテそうな口にした。
すかさず長耳を揺らしてユエラは、カルルの開いたカップに茶の追加を注ぐ。
野草を乾燥させて作った自然魔法使い(ネイチャーマジシャン)ブレンドを注ぎ足す。
「ありがとうございますユエラ様。お気を使わせてしまい申し訳ないです」
「いえいえ私がやりたくてやってるだけですからっ! 追加もありますからどんどん飲んじゃってくださいっ!」
エルフと一緒にいられることが嬉しくて仕方がないらしい。
ユエラは両方の長耳をぶんぶん振りながら茶の追加をとりに調理台へとスキップしていった。
そんな浮かれた自然魔法使いを横目に、明人はカルルの言葉を待つ。
「つまるところ買うんですよ! 女性が喜びそうな装飾品や嗜好品を! どうですか!? とくに指輪とか喜んでいただけると思いますよ!」
ぐっと握られた拳は、それだけで自信の現れ。
妙案だと言いたげにカルルは興奮気味に身を乗り出してくる友の手を握る。
――嗜好品、それも身につけるアクセサリーか……。
明人は眉を渋かせながら悩んだ。
買い物。それは金銭と商品の取り引きをするということ。
それが綺羅びやかな装飾品や贅沢を象徴する嗜好品などなら金額はそうとうなものになる。そして、女性への贈り物ともなれば、より顕著。
社会とはギブアンドテイクで成り立つ。雇い主が金銭を支払うことで労働力を得て、労働者は雇い主から金銭を得ることで生活をする。たとえそれが異世界であってもなんら変わりはない。
金のない明人は立ち上がった。倒れた椅子が大きな音をたてる。
「よし! なら働くかッ! プレゼント資金調達大作戦だッ!」
「えっ? 別に私のお金あげるわよ?」
経済の中心を掌握しているユエラからの提案だった。
魔草精製によってエルフ領から多大な礼金を得ているため、リリティア家は使いみちがないにも関わらずかなり裕福である。
食材は料理役が誘いの森で調達し、多少の物ならば森の木々から制作する技術士がいる。しかも近頃裁縫にハマっている薬師がいて、ひとつの家で隙のない生活がおくることができていた。
「いやいい! そこまでされたらオレはマジでダメヒモ男になる!」
しかし、明人は融資の提案を蹴り飛ばす。
少し前にユエラにヒモ扱いされたことが悔しかったからとは決して口にださない。
そんないきり立った青年に対してもうひとつの提案が成される。
「フム、面白い。ならばキサン、ワシの工場で働いてみるか? マナを使わんもんの作り方くらいならば教えてやろう」
それはゼトからの勧誘だった。
ドワーフのなかでも一流の冶金術を心得たという双腕からの誘いとは思いもよらぬ。技術者としての心を昂ぶらせるには充分なもの。
「半端は許さん。が、そのかわり完成したもんをワシが高値買いとって捌いちゃる。それで無駄はないじゃろうて」
霞がかった瞳が高圧的にギラリと光った。
明人は客回り中のサラリーマンよろしく深々と礼をもって返す。
「志望動機は金です! よろしくお願いします!」
「う、うぅむ? それ以外に働く理由なんてねぇじゃろ?」
異世界で労働契約が成立した瞬間だった。
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本編で語られないSS
「なあ、ユエラはなにを言って怒らせたんだ?」
「……料理の手伝いをしてるときの事故よ」
「まな板か?」
「恐ろしい察しの良さね」
「救急車の音を聞いてお迎えがきたぞって言うくらいには鉄板のネタだからな。板だけに」




