75話 【VS.】託し願う老体 双腕のゼト・L・スミス・ロガー
双腕は白槌を託し孫を残した
剣聖は宝物に種の運命を託した
月下の決戦はやがて
かぎりなく透明に近い静寂が夜の荒野をベールのように包み込む。次いで遠方から鳴り響く、締めの言葉もでさえかき消してしまうような歓喜の雄叫び。
「モッフェカルティーヌ沈黙! モッフェカルティーヌ沈黙ッ!! 進攻組が目的を達成した模様ッ!!」
それはエルフとドワーフによる混声の喝采だった。
しかし鉄塊と化したモッフェカルティーヌの麓での死闘は、未だ降着をつづけている。
剣を片手に凛と佇む剣聖と、霞眼に殺気を籠めた双腕が、相対していた。
「アナタもキューティーさんと同様に魔法抵抗力が高いはずです。だから私の声が意識化に届いてますね?」
燃ゆる炎の如き瞳が艶やかに弧を描く。
戦争の終焉を告げると、ゼトは赤く尖った眼で膝をつき丸く筋張った全身を上下に揺らした。
「ウウウウウゥゥ……!」
体液によってすぼまった白髭には散らされたかのよう。
血がまぶされ、深手ではないが赤土に染まった半裸体の上にも細やかな傷を作っていた。
「ふふっ。なぜ私がここにいて、こうしてアナタと闘技を演じているのか不思議でいっぱいだと思います」
リリティアはもとより負ける気こそさらさらなかった。
相手は半凶。しかも闘争を命じられて操られただけの槌は軽く、あっけないほどに弱い。
その上、片腕の白槌もないのであれば双腕の実力であれ5割減といったところか。1対1で正面を切っての打ち合いならば負けることさえありえない。
「オオオオオオオオォォォッ!!」
ゼトという器にはもはや赤槌を思うがままに振るう体力も残っていないのだ。
それなのに憔悴し、雄々しく猛る姿は、ひどく切ないもの。
「ガアアアアアアアアアアッ!!」
地を穿つ。リリティア目掛けて飛来す。
老体とは思えぬ筋骨は、鉄の如く強靭でいて、脂のなさを物語っていた。
「オオオオオオオオオアアアアアア!!!」
暴風を纏って赤の槌が、リリティアの頭上目掛けて振り下ろされる。
およそその体格にふさわしい禍々しくも誉れ高き自己犠牲の武器は、効果を発揮せず。
そして振り下ろされる直前に銀閃が横なぐと、ギィィン、という衝撃波が辺りの砂塵を踊らせた。
「乙女に振るうには些か粗暴な攻撃ですね」
リリティアは、豪腕による猛虎の1撃でさえ剣に手を添え、難なく受け止めてしまう。
発破するかの如き打撃により大地がひび割れる。衝撃が周囲の砂を帳が降りようとしている夜空へ狂ったように巻き上げる。
この非現実極まりない光景こそが伝説と伝説の闘争であり、老若男女を問わない平等な力と力の押し合い。ともすればこれは不死鳥と凶獣の死闘か。
「ある日、私のもとに小さな光が2つ舞い降りてきたんです」
油が減って軋む義手から生み出される豪の威力は、剣を折れんばかりにしならせた。
なおもリリティアの穏やかな声を聞いて、ゼトの年季の入った白眉が僅に傾く。
「どちらも触れたら崩れてしまうのではないかと思うほどに尊い小さな小さな輝きでした」
「……ウゥゥウゥッ!」
「一方の光は、私の生に育むという潤いを与えてくれたんです」
銀閃で弾き、飛び退き、追従してくる敵を蹴りつける。
黙って聞け、と。思いのこもった一打は双腕を跪かせるに足る威力をもっていた。
「ガ……ァッ!」
「もう一方は、夢を与えてくれました。あの方の言葉をお借りするなら――どちらも私にとって大切な宝物なんです」
宝物を救済の導から救ってくれた時点でそれ以上ない功績だった。
しかも明人はユエラを仲間の輪に加えるよう奔走して、見事にことを成し遂げた。たったひとりの意図を汲んで動いた結果、ルスラウス大陸そのものの分岐点を作りだしてしまった。
そして、リリティアは彼へと選択を迫る。
それは種の短い生涯を自由に生きて欲しいという願いと、唯一自身の手綱を握ることができる者への欲望でもあった。
彼の種族名は人種族という。ただひとり背に乗ることの許された唯一無二の単種族。
「精算を終えた人間という種が果たしてどう動くのか。私の胸は期待で躍りだしてしまいそうなんです」
リリティアは月明かりを胸に、儚げに自身の体を抱きしめる。
そして、小首を傾げて赤熱の瞳の一方を閉じた。
「お孫さんに会いたいんですよね? ならばアナタも天に祈ってみてはどうでしょう?」
片目を開いて闘争心を引っ込めた金色の眼をゼトへ見せてやる。
それから天を指差し空を示す。
「もしかしたらその願いが天へ届くのかもしれませんよ? ――私のときのように」
ゼトは、なにくそと言わんばかりに顔を歪め血反吐をごぼりと吐き散らす。
「オオオオオオオオオオオオッ!」
そして虫の息にも関わらず最後の抵抗を見せた。
地のそこから湧き上がるが如くゼトは世界を揺るがさんばかりの雄叫びを大空へと投げのだ。
敵へ、ではなく魅了への抵抗だった。白霞の眼より流れでる涙はしわがれた頬に星空を散りばめたような線を作る。花すら咲かぬ乾いた老父の肌を帰りたいという秘めた思いが彩った。
見上げたのならば天より飛来する巨大な影がゼトの目にも見えただろう。
「ほら、きますよ。アナタのもとにも」
刹那。ドスンと地に貼り付き、ドロリと溶ける。
絶望の淵に立たされた双腕のもとへベチャベチャになった泥巨大が届けられた。
ペースト状になった泥はモゴモゴと動いてゆっくりと形を成していく。
「……はへ?」
「オオオォォ……?」
熱に浮かされた心が、ひやりと凍った。
文字通り水を打つような静寂がふたりの間を横切ったかのよう。
なにかやってしまった空気感と罪悪感がリリティアを襲った。
しかし、これでは終わらない。よろよろ立ち上がろうとしている泥巨大の上へともう1度。ズンッ、と。降臨する巨大があった。
津波の如く弾ける泥、泥、泥。戦闘ですら汚れなかった純白のドレスに泥が降りかかり、染みを作る。
そろそろ互いのやり口が理解し合える頃合い。リリティアは目をすぼめ遠くを見つめた。
――あーそういえばぁ……こういうことをする人でしたねぇ……。
飛んでくる液体を浴びながら思った。
穴から顔を出すように、球体の上部で影が飛び跳ねる。
「《バインド》! 《バインド》《バインド》《バインド》ぉぉぉ!」
その手より発された青々とした蔦の猛攻はゼトの片腕の自由を奪う。
ほぼ同時。球体の下部から白槌を構えて小さな影が這いでる
「いま助けるのじゃッ! 《マジックスタンパー》ぁぁぁ!!」
自身の祖父へ撃ちこもうとするも、しかし攻撃は避けられ届かず。
魅了による闘争の本能は、敵の闘争心に追い立てられるようにし、槌を自身の孫へと振りかざした。
「ふっ!」
それをリリティアは素早く剣で受け止め援護に回る。
「《マジックスタンパー》! 《マジックスタンパー》!! 《マジックスタンパー》!!!」
「グゥッ――!」
目の端いっぱいに涙を溜めてガムシャラに白槌が打ち込まれた。
放たれる輝きにたまらず、ゼトは拘束を噛みちぎり、後ろへ飛んで後退を選択した。
「明人さんッ! 今ですッ!」
リリティアの予想通り、当然のように敵の飛び退いた先には、人影がある。
ピッチリとしたスーツを身にまとい、全身へ泥を被って擬態して、1人ほくそ笑むのだ。
嘘と嘘を巧みに使って他者になにかしらを与える者の姿は、どうにも格好悪くない。
「残業はこれで終わりだァァァ!! オマエも孫と一緒に家に帰れッ!!! 《マナレジスター》ッ!!!」
明人は魅了解放の腕輪と蒼き輝きを放った。
陣を描く指輪のつけられた左手を突き出し、握られた拳は敵の背を殴りつける。
「ガはッ……!」
魔具である2本の双腕は、ひしゃげるようにしてばらばらに砕け散った。
義腕はガラクタへと変貌を遂げる。膝から崩れ落ちた老父は夜を見上げて小さく呵呵と歌う。
そして魅了から開放されたゼトは、静かにしわがれた頬を緩めた。
「本当に……叶ってしまうとはのう……長生きはしてみるもんじゃて……」
「おじいちゃん! しっかりするのじゃあ!」
その目は生を見いだすよう輝きを取り戻して、飛び込んできた孫を胸のうちに受け止める。
人に始まり人に終わる。これで長きに渡り憎しみと差別によって紡がれてきた戦争の閉幕であった。
そして、リリティアは子犬のように明人のもとへ駆け寄って、頬を膨らませた。
「まなまなちるちるですってばっ! もしくはまなちるですっ!」
「あー疲れたぁ……」
抗議を聞く聞かない以前に疲労困憊といった様子だった。
明人は崩れ落ちるようにして地べたに座り込む。
だから、リリティアはいつものように花開くような満開の笑みで出迎える。
「ふふっ、おつかれさまです。おかえりなさい」
この日、終わらぬはずと思われていた争いがひとつ潰えたのだった。
1人の英雄が現れたことによって収束する未来が確かに変わろうとしていた。
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