72話 【ユエラVS.】嫉妬と艶美の傀儡 ティルメル・E・アラック・アンダーウッド 2
希望の味。
「――き、貴様ッ! なにをッ!」
勝利を確信したように高を括り、嬉々として獲物の肢体をもてあそんでいたティルメルは、ユエラの異変に気づいて慌てて飛び退いた。
神によって生み出された混血の運命。
運命は2つの巡り合わせをユエラに与え。
縁によって世界に和をもたらそうとしている。
救済の導の称える偶像は、しょせんは偽り。
「――――ッッッ!!」
噛み締めたユエラの身体に異変が起こった。
ヒュームのひらめきとエルフの精霊信仰を掛け合わせた、魔草の応用にして自然魔法使いとしての極意がある。
はじまりはどこぞの風呂炊き係による何気ない一言だった。
――手から水をだせるならお湯もだせるんじゃない?
おそらく本人すらも覚えていないであろう空に絵を描くような戯言だったはず。
しかし、それはユエラにとって戦慄するに値する衝撃だった。
「やっぱり私の体にはヒュームの血が流れてるって実感したわ!」
明人の言葉によって導き出した答えは、視差と呼ばれるもの。
水を上から見下ろすか水中から水面を見上げるかによって世界の形がかわるのと同様。塗り固められた常識を逸脱させるための材料であり、ヒュームのひらめきの一端でもある。
最大限に高められた自己再生能力によって麻痺毒は瞬時に癒える。
噛み締めたのはマナと薬学の掛け合わせによって生み出された秘薬。敵が毒を好んで武器とするならば、あらかじめ対応策を用意しないはずもない。
そして、心を苛む恐怖もまた、成長の足がかりとなる。
ユエラを中央において鋼鉄の大地を無数の蔦が大蛇の如くうねり狂った。
「ば、《バインド》!? いや、違うッ! これはまさかっ――!」
狼狽してたじろぐティルメルをよそに青々と絡み合う蔦は、伸び、曲がり、組み、重なり合う。
見る間もなく山岳級兵器の屋上に巨大な半球状の籠ができあがっていた。
「《レガシーマジック》!? まさかその若さですでに混血の才能を開花させていたというの!?」
動揺する敵に対して、ユエラは両手を広げるようにして嫣然と微笑む。
その白い肌をなぞるようにして這い回る草花は、まるで花の精霊の如く彼女を彩った。
「研究をすればするほど下級とか上級の枠組みに入った教科書魔法がくだらなく思えてくるのよね」
魔種はマナの力に起因して体内で発芽し、萌え、実をつけ、枯れれば、やがて新たな体内マナの種となる。
効力が薄まるまでそれを繰り返す。つまり、循環によって土壌となった使用者に無限のマナを供給した。
そして自然を摂り込んだ自然魔法使いは、自然そのものへと至った。
これこそがユエラの編み出した《レガシーマジック》であり、《自然女王》形態。
「それじゃあ覚悟してもらうわよ。無限のマナと自然の脅威にひれ伏すといいわ」
蔦の巻かれた手を持ち上げると手のひらにから無数の花びらを発現させる。
もはやユエラは自然と同化している。自然的な現象に対して詠唱は不要。
そして、唱える。
「生命の息吹によって裁かれなさい。《フラワーカッター》」
表面に花を纏って、すぼめた唇から優しく息を吹きかけた。
桜吹雪の如く舞い落ちる花々は、鋭利な刃物のように硬質化して、無数の矢の如く放たれた。
「くッ! 《フレイムウォール》ッ!」
ティルメルは赤褐色の大地から燃え上がる炎の壁を発現させて攻撃を防ぐ。
花の刃は熱に焼かれ萎れるようにして灰となって消し飛んだ。
瞬時に属性を把握して対応してくるあたりは称賛に値する。しかしここはすでに自然女王によって創造された檻のなか。
「いきなさい。アンタは大自然の驚異を相手にどこまで耐えられるかしら」
ユエラは意識のみで周囲を囲う蔦を炎の壁にむかって仕向けた。
先端が棘のように鋭い蔦は、敵の防壁をいとも容易く突破してティルメルに襲いかかる。
「ちぃッ! 《ストレングスエンチャント》ッ!」
荒れ狂うが如く、突き猛攻。
それをティルメルは支援魔法の助力を得て身軽に躱していく。
鉄面を踏みしめるヒールの音は甲高く、その纏った被膜は光の粒子を撒き散らす。手練を物語る無駄のない動作だった。
しかし、これらすべてユエラにとっては手足を動かすようなもの。単純作業。
この魔法の発案がヒュームの系譜を辿ったものであれば、応用される自然こそが精霊と密なエルフの象徴か。
これこそが混血とされる血族の真価、もとい進化なのかもしれない。
「そこ」
「が――はっ!?」
隙を見つけて放たれた野太い巨木の如き攻撃は、ティルメルの胴を横に薙ぎ払った。
ユエラは野太い蔦を仕向ける。間髪入れず風を切るような速度で冷たい床へと叩き落とす。
確認するまでもない致命の1撃だった。
ティルメルは、壁に投げられた肉の如くしたたかに床板に貼りついた。口から漏れ出る血液がルージュのひかれた唇を鮮血に染め上げる。
「手をひくのなら命まではとらないわよ。私は壊すよりも治すほうの専門だし」
ふわふわ、と。揺らめく深緑の長髪はユエラの意思に反して静電気を帯びるようにしてまばらに艶く。
積み重ねによって彩られ、滲み出る強さこそ自然界の女帝と形容できよう姿となっていた。
「ふふっ……あの男がヒュームとの掛け合わせにこだわった理由がわかったわ……流石ね」
完璧な一撃を加えられたにも関わらずティルメルは漫然と立ち上がる。まるでなにごともなかったかのように。
「ひらめきと精霊のミックス。もしこれが天界へ送られれば相当な戦力になるわ」
体を傾けて幾重にも亀裂の入った顔はニタリと笑う。
「どう? 自分の意思で救済の導にくるのなら好みの男を選ばせてあげるけど?」
もうもうと。ヒビ割れた皮から紫煙が立ち昇っていく。
それを見て、ユエラは敵の世迷言を受け流すように舌を鳴らした。
「ッ! ちッ……ただの傀儡だったってわけね!」
形に幻影をかぶせてマナを塗り込んだだけのいわゆる捨て駒。
しかし、それだけならばこれほど精巧かつ強力な魔法を使えない。となれば考えうるものはひとつ。あれこそがティルメルのもつ《レガシーマジック》だろう。
「当たり前じゃない。私は情報収集担当だもの。それに毒と潜伏で敵を狩るほうがスマートで美しいの」
粉塵を撒き散らしながら敵の蠱惑的な肢体がボロボロになって砕けていく。
「アンタたちの目的はなに?」
「必要悪ってやつね。私たち救済の導は個々の目的は違えどひとつの目標にむかって歩む者たち」
ティルメルの外皮はガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
そうして幾ばくもせぬうち、最後に残されたのはただの塵屑だけ。
『理解出来ないのならば剣聖に聞いてご覧なさいな。アレはすべてを知った上で――……』
腑に落ちない《テレパシー》とともに、その気配は紫の霧に乗って去っていく。
残ったのされたのは足の下で唸るモッフェカルティーヌの鼓動音のみ。
「…………」
ユエラは、肉の詰まったの臀部をぺたんと降ろして茶皮のブーツを投げ出す。
「はふ……もう少し魔種の調合を調整しないと……体がもたないわね」
見上げた網目の隙間からは蒼の月光が降り注ぐ。
乾いた風は、小さな三つ編みをゆらして汗ばんだその身に涼をもたらした。心地のよい余韻。
敵こそ倒せなかったが、とりあえずは勝利としてもよいだろう。重くのしかかる疲労感と色を失って戦闘の余韻が遠ざかっていく。
「もう……1歩も動きたくないわぁ……」
まるで演舞が終わって我に返ったら部屋にひとりになってしまったかのような孤独感。ひとりの夜。
それでももうユエラは、震えていなかった。
「あとのこと……任せたんだから……」
☆☆☆☆☆




