71話 【ユエラVS.】嫉妬と艶美の傀儡 ティルメル・E・アラック・アンダーウッド
闇を切り裂くが如く眩い白光を展開し敵のはらわたへ4つ足の白玉潜り込んでいく。
勇姿を背中を見送って、ユエラは切れ長の目をさらに鋭させて、敵を睨みつけた。
外套は強風ではためき、敵のローブの裾ももバタバタと波打つ。
「剣聖の庇護だけじゃ飽きたらずヒュームの男まで抱き込んだのかしら? 年の割にずいぶんとお軽いことね?」
ゆるりと。敵は覆っていたフードを脱いで長耳を晒す。
ゆったりとした手付きで髪を梳く。厚い紅に熟れたやや濃い目の化粧が鋭い半孤を描いた。
対峙するは純正のエルフ種ということ。
そして、こちらはエルフとヒュームの混血種だ。
女はくつくつと喉を鳴らす。あからさまな挑発を振る舞ってくる。
「そういうアンタはずいぶんと長く生きてるようね。体内のマナが腐敗しているわよ?」
震える心を覆い隠すよう、ユエラも負けじと受けて立つ。
猛威を振るって夕暮れの空を駆け巡る閃と槌は、もはや別次元が違う戦いを行っていた。
夜空を舞い刻む月下美人と、暴君の如き巨漢の勢いたるや。大気を揺るがし、互いが撃ち込む闘争の波動は、剣聖と双腕。
2つ名をもつもの同士、およそ世界を揺さぶらんばかりに一進一退の攻防をつづけている。磨かれた技と技、力と力が衝突するたびに衝撃波となって鼓膜を揺らした。
「ハッ! 青臭いメスガキが調子にのるんじゃないわ! 孕み袋の忌み子風情がッ!」
「あらぁ? 若さへの嫉妬かしら? ずいぶんとお顔に分厚い粉を塗りたくってるようだけど?」
「若いだけで、女を磨こうともしないメスガキになにを言われても痛くも痒くもないわね!」
「おかげさまでそこそこ忙しいのよね。それに生まれ持った女性としての武器も私のほうが優秀みたいね。アンタのはずいぶんと奥ゆかしいわね。ふんっ、勝負にならないわ」
泥のように粘りつく挑発と挑発の嵐。一歩も引かないユエラに対して敵のエルフも食い下がった。
腰に手を添えてふたつの豊満な膨らみを押し出して見せれば、敵は皺をきわだたせて憎々しげに歯を噛みしめる。
「この小娘がッ! おとなしく研究所の男たちに嬲られる肉穴にでもなっていればいいものをッ!」
そして「《ハイフレイム》!」間髪入れず魔法詠唱が敵の口から紡がれる。
一瞬遅れてユエラも構え、唱えた。
「《ハイフレイム》ッ!」
金光の炎と、煮えたぎる怒りを表したかのような灼炎が、轟々。ぶつかり合う。
押しつ押されつ燃え上がる熱気は空間すら歪めるように陽炎となって周囲を照らし出す。
「その年で上級魔法を使うなんて、やっぱり混血として才能だけはあるようね!」
「生きた年数と経験は比例しないのよ! 私の住んでる場所は誘いの森! 舐めないでほしいわ!」
肌を焦がさんばかりの光の熱が、目の奥を焼く。
「《ハイウォーター》!」
「くっ……!」
刹那。敵の赤は青に色代わりした。
一時的ではあるが視界を潰されたユエラは咄嗟に横へと転がって退いた。
もうもうと。立ちこめる蒸気はまるであのときのようで、経験が生きたとそのたわわな胸を撫で下ろす。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。混血……いや、自然魔法使い《ネイチャーマジシャン》とでも呼んでほしいのかしら?」
濡れれば雷撃がよく通る。
属性と精霊のあり方を理解しているものであれば想像は容易だった。
「私は、色めく艶美ティルメル・E・アラック・アンダーウッドよ。以後はないけどお見知りおきを」
ローブを脱ぎ捨てたその衣装はざっくりと肩を露出させる。
肌を惜しげなく晒すさまはどこか妖艶な空気を纏っていた。
「これからアナタだけ長い付き合いになるのだからよろしくお願いしてほしいわ。ねぇ? ユエラ・フィーリク・アンダーウッドちゃん?」
ティルメルは目を細めて口角を僅かに上げる。
艶のない髪は食まれた後の草葉ように跳ねている。厚塗りの化粧も相まってまるで日々に疲れた娼婦の如き。
「どういう意味よ。ここで勝負を決めるつもりはないってこと?」
姿勢を低くとり、ユエラは一度仕切り直すために探りを入れた。
やはり、まだ精神の根底では救済の導という目に見えないシルエットを恐れている。
「さすがにね、私も後悔してるのよ」
「……いまさら後悔? ここまできて命乞いってわけ?」
「ふふっ、ハズレ。私の後悔はあの憎々しいヒュームを殺しそこねたことのみ」
ざわり、と。ユエラは心が乱れるような不快感を覚えた。
エーテルの国にむかう道すがらで、明人は1度なにものかに狙われたと聞いている。魔草の調合に忙しかった当時は毛ほども気にならなかったことだが、今は違うと断言できよう。
「まったく、剣聖が覇道の呪いに蝕まれない理由を探っていたらあんなおまけがついているんだものびっくりしちゃったわ」
戦いの最中だというのにも関わらず、ティルメルはガラスの小瓶を取りだして大きく露出した胸元に吹きかけはじめる。
風上から不快な臭気が流れてユエラの鼻奥を刺激した。色の濃い妖艶な香り。
「マナもない雑魚かと思えば、聖剣を抜くわ、研究施設は破壊されるわ。ほんとあの男には踏んだり蹴ったりさせられっぱなしよ。やっぱりあのとき刺し違えてでも始末しておくべきだったわ」
ディルメルは、まるで舞台の上で演じているかのようにヒールを鳴らし、敵は身振り手振りで悲劇を演じる。
「ま、終わったことはどうでもいいわ。継ぎ接ぎも、自分で始末したいって言ってるし」
きわどいスリットから伸びた淫猥な足を交互に繰り出して、男を誘惑するかの如く右へ左へ。
はためく裾は羽虫のようはためき紫の薄布が腿の奥にちらりと晒される。
と、不快感に囚われていたユエラの身体がぐらりと傾いた。
「なっ――!」
なにが起きたのか、なんて。考えている場合ではなかった。
とにかく膝をついて状態をキープする。すると同時に体の動きが極端に鈍いことに気づかされる。
「あ、そうそう。さっきの質問なんだけど――転移魔法陣でアナタだけをお持ち帰りさせてもらうわ」
こぼれんばかりに目を見開いてディルメルはしめたものと紅で弧を描いた。
「あっ……!? ぐっ……!」
降ろした手は、鉄の床に貼りついたようになって離れない。
恐らくは敵の扱う毒。強力な麻痺ではなく、遅効性の粘膜で吸収するタイプのものか。
ユエラは罠に掛けられたことをようやく自覚した。ここまでの語らいすら敵の罠だったのだ。
「せっかくのあのヒューム教のバカが作り上げた希少種だし丁度いいわ。それにうちの男どももいい加減ドワーフは飽きたって文句言ってるのよね」
敵は醜悪な笑みを浮かべて猫のような足どりで近づいてくる
対して、ユエラは弱々しくなってしまった顎で歯を噛み締めた。
――この……誰が思い通りになってやるもんか……!
近づいてくる足音とともに、脳裏によぎるは悪夢の夜だった。
ヒュームに押し倒され、絶望を植え付けられたあの晩。
もしリモコンを拾っていなかったら。もし助けが間に合っていなかったら。
もし、もし、もし、と。深層に深く刻まれた傷を抉るられる。起こり得なかった過去の幻想が濁流のように体中に流れ込んでくる。
引き裂かれ、摘まれ、嬲られ、暗い闇に落とされ、手を伸ばすことすらできずに、男たちによって光を閉ざされる。
ユエラがときおり見る残忍な空想上の夢だった。それが残酷にも現実の如く鮮明となり蘇ってくる。
心の傷。
ユエラの頬から滲んだ汗が全身を伝って滴り落ちた。それをティルメルは目ざとくも指で掬ってゲタゲタと下卑た声をあげる。
「ヘハァッ! ヒーッヒヒヒ! ざまぁみろよォッ!? 男は死んで! 剣聖も死ぬ! 当然エルフとドワーフも壊滅だわ!」
動かぬ体に獲物を品定めするかの如く手が這い回った。
「その若さが妬ましい! その才能が疎ましい! その選ばれた力が鬱陶しいのよォ!」
感覚が鈍くなっているとはいえ肌は泡立ち嫌悪し、ユエラはさらに奥歯を噛みしめる。
視界は赤く染まり意識を落として目覚めれば、すべてが終わる。あのときとまったく同じ状況に陥っていた。
そして、あのときのように助けはこないということも理解している。
「アンタは、いたぶられて心が腐り落ちて心無人になっても生きつづける! 神に定められた運命はなーんにもかわらないのよ!」
「……神って……なに、よ……」
「アァン?」
こちらの鼓膜を引き裂くが如く鬼気迫った女に、ユエラは異を唱えた。
「アンタたちが……称えてる、神って……どこの、ゲス野郎かって、聞いてるのよッ……!」
僅かにしか動かない顎を軋ませた。
奥歯と奥歯が届くよう歯をむいて上下の顎をぶつけ合わせる。
「わたしの……しってる、かみさま……は……――ちがうッ!」
渾身の決意とともにユエラは歯と歯をぶつけるように噛みしめた。
そして、希薄に白ばむ世界に淡い甘味がじわりと広がっていくのがわかった。
本編語られないコーナー
Lは、世界的に認められて名づけられた2つ名 ※本人たちの承諾なし
Eは、ただのコードネームで勝手に名乗ってるだけ




