70話 【VS.】山岳級特攻要塞モッフェカルティーヌ
慌ただしくもあくせく動く褐色のドワーフたち。
支援魔法を纏った男たちは模型のように盛り上がった筋肉で重機を持ち上げる。
「「「あ、それ!! せぇぇぇの!!」」」
その回りを幼子たちが指示と支援と給水のためにカモシカのような足で、跳ね回っていった。
見事な連携と統率によって繰り広げられるものは、種によって培われた歴史を物語っている。
「なんか感動しちゃうわね。こんな光景が見れるなんて数ヶ月前の私だったら信じられなかったわ」
そんな作業風景をモニター越し見つめ、ユエラは穏やかに彩色異なる目を細めた。
熱気の籠もったコックピットに充満した鉄と油。それに混ざって、濡れて束になった青竹の髪から香る濃い柑橘類の心地よい匂い。嗅ぎ飽きた臭いと嗅ぎ慣れた香り。
「ワシ、いや、ワシらだってそうじゃ。まさか目覚めたらエルフと剣聖様とよくわからんヤツがおるとは思わん」
ちょこんと。ラキラキは行儀よくユエラの膝上に座ってほどよい大きさの谷間に頭をうずめた。
傾くコックピットはまるでジェットコースターの上りのよう。
そして白槌がワーカーの屈強な爪によって挟まれている。
こうなってはもう堪らない。
「――んぁふっ! ちょ、ちょっと! ビビってるのはいつものことだけどあんまり震えないでよ! な、なんか変な感じするから……」
ユエラは汗で濡れた頬を桜色に染めて肉感的なふとももをもじもじとすり合わせた。
座り心地の悪い下側へと控えめに抗議を飛ばす。
振動するのはエンジンに火の灯ったワーカー。ではなく、尻の下にいる臆病者。
「はぁーっ、はぁーっ! おエっぷ……むり……ウぷっ、それどころじゃない……!」
そして、明人は胃の腑から臓物そのものを吐だしそうなほど緊張していた。
凍てつく手足は残像が残るほどに震え、心臓は重機に負けぬほどに恐ろしい早さで高鳴る。膝上の感触を楽しむ余裕はもはや皆無といえよう。
「えづくでないわ! どんだけびびりなのじゃ! ゴブリンみたいな顔色しおって!」
偽りの幼女による叱咤まで飛んでくる始末だった。
やや緊張気味のユエラとは違い、ラキラキは自己主張の激しい谷間を枕代わりにどうどうと座している。長生きをしていると肝が据わるのだろう。
「じゃ、じゃあわかったっ! 喋らなくていいから! んぅっ――! ゆ、揺れるのは我慢するわ! だからこんな狭いところで絶対に吐かないでッ!」
「絶対に吐くでないぞ! いいのじゃ! 絶対じゃからな!」
懇願。ユエラとラキラキの悲痛な叫び。
明人とて必死だった。
すし詰め状態の息苦しい操縦席で、うねりをあげてせり上がってくる胃酸を飲み下し耐えに耐えた。
しかし、心と体が同期しないこともある。
――ムリムリムリムリムリィ!!
ふたりと1人は、モッフェカルティーヌ討伐部隊として出撃待機中だった。
そして、外でドワーフたちが組み上げているのはイェレスタムの街に放置されていたとある装置。
「とはいえまさか100年以上も放置されていた巨大用の投石器を使ってとは。さすがエルフの女王ということかのう、頭が賢いのじゃ」
こくこくと。ラキラキは腕を組んで満足げに首を縦に揺らす。
「しかもそれがエルフとの戦争に使われるはずのものだっていうんだから、懐が広いというか……」
モニターのむこうでは血の如く赤い瞳が優雅に光っていた。
そのカメラを見る表情は微笑みは狂気じみていて、ざまあみろと言わんばかりに顎を傾けて空をゆらゆらと漂っている。
作戦は至って簡単。巨大投石器で重機を打ち上げ、敵内部に明人たちが乗り込むというだけ。
そしてマナ機構を破壊する。単純明快すぎて間違えようのない作戦内容だ。
しかし、明人にとっては空前絶後の恐怖でしかない。
「な、なんでオレがこんなおっかないことの片棒を担がされなきゃならん! も、もうこんなところにいられるか! オレはここで名実ともに降りさせてもらう!」
「別の子たちは別の子たちで作戦に必要なのよ!? 分相応! アンタがやらなくて誰がこの丸いのを動かすっての!?」
もはや心臓は10年分の鼓動を繰り返しただろう。
気を散らせようと絶望の赤に染め上げられた空を仰ぎ見れば、釣り糸のように三つ編みを垂らしたリリティアが猫のように目を細めている。
「明人さん。これが終わったら、ちゅ~のチケット1枚追加してあげますからっ」
そう言って、淡い桃色の唇に人差し指を添えて片目を瞑った。
ウィンクとは元来異性に好意を示すための。これではただの暴力。あるいは脅し。
上にいる悪魔のためにかなり努力した。実は、明人はこの数日の自分の活躍を評価すらしていたのだ。
第1楽章、土巨人を掻き分けての国境越え。
第2楽章、救済の導との死闘を勝利して街を救った。
第3楽章、敵の正体を暴いて連合軍だけではなくエルフ国すら救った。
そして、ついに恩返しの最終楽章。
「うプっ……まじでいらない……前回の分も、おエッ……取り消していいから……ここからだしてください……オレをたすけてください……」
ここにきて遂に、土気色の万感の思いとともに満を持してのリタイア宣言だった。
しかし、それが聞き入れられることはない。なぜならリリティアはこういった非日常ごとが大好きなのだ。
「取り消しは無効でーす。ちなみに前回のチケットは醸されて10枚になっていますので早めに使ったほうがいいですよぉ?」
お前のキスは粘菌かッ、という言葉を胃液とともに飲み下す。
着々とドワーフの手によって進んでいく作業のむこうで、薄っすらと見える、陽炎に歪んだ敵の4つ足。
「き、きたわね……」
ゴクリと。ユエラは緊張の面持ちで白い喉を鳴らす。
「ウっぷ」
明人も酸味を呑み込んで喉を鳴らす。
ミルク色の蒸気を噴きあげ、その歩みは地を穿つ。野太い円柱が大地に刺ささればクレーターの如く押しつぶされ、点々と跡を残した。
軋む鉄の音。球体のワーカーと違って角ばった見た目は、大きさも相まってまさに移動要塞といえた。マナを動力とした本物の鉄巨大。
『ではこちらも準備完了です! カウントダウンはじまります! みなさんご武運を!』
モニターに小さく映ったシルルの兄、カルルは両手に手旗をもって、元気よく振った。
ドワーフたちの掛け声とともに、スプーンの上に乗せられた卵の如くワーカーは傾いていく。
『距離よーし! 射角よーし! 10秒前!』
投石機ワーカー発射までのカウントダウンが開始される。
漬物石を投石機に乗せるという狂気。しかも相手は超巨大。
そしてそんなものを発案したヘルメリルという狂気が、煮凝りのように固められた作戦だった。
「明人さん、ユエラ、ラキラキさん」
耳鳴り鳴り止まぬ鼓膜を凛とした声が揺らした。
上を見れば、紫を背景に浮かぶ金色のシルエットが整然とした佇まいで立っている。
『8、7、6』
救われたドワーフたちと肩を並べたエルフたちの期待の籠もった鋭い眼差しが、ただ1点へ注がれていた。
「私は貴方たちを信じて待ちます。待ちつづけます」
「大丈夫まっかせて! リリティアも怪我しないようにゼト様を引きつけてよね!」
「おじいちゃんをよろしくお願いするのじゃ!」
意気込むふたりの見つめる先で揺れる金色の瞳が見たのは別れへの不安か。
はたまた希望への予見か。
『5、4、3、2』
「だから……だから、どうかご無事で!」
そう言って、リリティアはスラリと銀剣を鞘から抜き出す。純白のスカートが夕凪の風にさらわれて波打つ。
明人は、蒼白の想いを胸に座席後部左右にあるアームリンカーを引っ張り出す。
そして大見得を切るよう歯を見せて叫ぶ。
「新生イージス隊! しゅつげ――」
『零ッ!!』
言い終わるまで現場は待たず。
投石器は、がなるようにしてワーカーを打ち出した。世は非情である。
そして、明人は空を翔ける。
「ッッッッッ!!!?」
玉が縮み上がるような浮遊感と荒れ狂う線となった風景がモニターいっぱいに広がった。
夜の帳が降りはじめた空は広く、大地は遠く。刹那のうちに敵は巨大になっていく。
本当に怖いときは叫び声すらでないんだなぁ、なんて。もう引き返せないと知り、どこか達観した調子で明人はタイミングを待った。
「もうちょい……もうちょい……――いまッ!!」
ユエラは、掛け声とともに転回レバーを左に傾ける。
柔肉の圧に押しつぶされたラキラキが小さく呻き声をあげた。
「《マジックスタンパー》ァァァ!!」
「――あいだぁっ!?」
詠唱によってワーカーの構えた魔躱しの白槌が顕現する。
アームリンカーと同時に突き出された《マジックスタンパー》は、絢爛と膨れ上がり、光槌へと様変わりする。
それとラキラキはしたたかにコンソールに頭をぶつけた。
すると敵をドーム状に包む透明の壁、穿たれた箇所からまるで万華鏡をひっくり返したような幾何学模様の筋を作った。
やがて割れ弾けた魔法の壁は異物の侵入を拒みきれず、ワーカーの突撃を許す。
時を同じくしてヘルメリル率いる連合軍は折り重なるように壁を発現させ、再生する敵の壁にぶつけた。環境マナが枯渇して実力を発揮できない、最強による苦肉の策だ。
上空から降り注ぐ透明な破片と、輝く槌を爪に挟んだ漬物石が、鉄の大地を踏む。
モッフェカルティーヌの屋上に見えるは、双腕のゼト・L・スミス・ロガー。そして屋上に土巨大の群れが敷き詰められていた。
モニターを横切っていく赤き鳥は、まるで羽ばたいた不死鳥の如く炎を纏って、剣を構える。
『みなさん先にいってください! 早く!』
ひとり、相手取るは、双腕と土巨大。
「おじいちゃん……! 必ず助けるからまっててくれなのじゃ……!」
目に涙を滲ませて、ラキラキは額にできた大きなコブをさすった。
鉄面への着地。臓物が下に固まるかのような衝撃が4脚と明人の尻に襲いかかる。
「――グぅッ!」
それでも、さすがは国産の重機。アクセルに応答するかの如く力強く敵の頭を踏みつけて闊歩した。
目指すは、先に見える要塞の内部に繋がるであろう、ポッカリと口を開けたトンネルへ。
ここまではすべてが計画通り。そして、必ず行き当たるもうひとつの壁もまた予測済みである。
「やっぱりいたわね」
ユエラはモニター越しの敵を睨む。
鉄の居城前に佇むのはローブの姿の影だった。
被ったフードは扇の如く横に広がり、ルージュの引かれた赤い唇は妖艶に弧を描いている。
「今度こそ私のことを信じてくれるんでしょ?」
揺らぐ彩色異なる瞳。長いまつげの下でエメラルドの如く光を放ち、琥珀のように明るく暖かな美しさ。
「信じるよ。というかオレはユエラの努力をずっと横で見てたんだ。信じてないわけがないだろ。でも、信じられるようになったからこそ心配だったんだよ」
「明人……?」
キングローパー戦で見せた努力と才能があった。
救済の導との戦闘で見せた実力。そして、心的外傷も。
明人は、この世界にやってきて誰よりも近くでユエラのことを見つづけていた。
はじめは距離を置いていた。しかし、今はこんなに近くにいることができた。
救い救われ。いつの間にか友だちになった。強気で意地っ張りで大雑把で。努力家で他人思いで。わかればわかるほどに気を揉んで仕方がない友への思いが膨れ上がっていった。
あの時のように。
もう手放さぬように。
そんな想いを繰り返さぬように、決断する。
「いってこい。アイツを倒し虐げられてきた過去の精算をしてこい。これで全部終わらせよう。もう前だけをむいて歩いていいん――ッ!?」
ふわりと。明人の視界で艶のある深緑色の髪舞い上がった。
頬に柔くて暖かい感触がひとときほど触れる。
「んふふっ。いってくる!」
「……あ?」
そう言い残して、ユエラは風邪でもひいたかのような真っ赤な顔で上部ハッチから脱兎の如く飛び出していく。
呆然と明人はアームリンカーごと頬を押さえた。当然、ワーカーも一緒になって頬を押さえる。
「むふふー! 若いのう、お熱いのう!」
我に返って見れば、ラキラキが膝の上で嫌らしくニヤついていた。
「う、うう、うるせえ! さささ、さっさといくぞ! あーっ! やるぞっ! みんなを助けるぞっ! よーしがんばるぞぉぉぉ!」
「おヌシ……さては童貞じゃな?」
体の震えは、いつの間にか止まっていた。
☆☆☆☆☆
4章の総決算
怒涛の【VS.】シリーズ
参ります




