68話 ならば、後手だったと知る瞬間に
見事に彫り削られた槍を手に佇む男の巨大な彫像を背負い、立ち並ぶ町並みは宗教色を強めた中世の情景を匂わせる。
自然を彩る緑の気配はなく、石工技術を発展せざるを得なかったのだろう。精巧で美麗な修飾が華やいでいる町並みは非常繁栄していた過去が伺える。
空っぽのすすけた家に、咲かない花壇。ひとり夢に迷い込んでしまった如き錯覚すら覚えるほど悲しげで、大理石のように冷たい。さながらゴーストタウン。
どれほど価値のあるものでも管理を怠れば塵芥となるのは仕方のないこと。誰かの手によって生み出された建造物であればより顕著にあらわれる。自然の営むのは自然のみということ。
「ほどくのじゃあ! ワシはおじいちゃんを助けにいくのじゃあああ!」
簀巻きにされたラキラキは、工房の石床の上で打ち上げられた稚魚のように跳ね回っていた。
「リリティアが遠回しに足手まといだっていってたでしょ!? アンタ、自分のおじいさんがどれだけ強いか知らないわけ!?」
「魅了ならばマジックスタンパーで殴ればなおせるのじゃ!」
「冷静になりなさいってば! 双腕が相手だったらアンタなんか一瞬でぺったんにされちゃうわよ!」
わがままを言う子供を叱るようにユエラは、目に角を立て、怒り心頭といった様子で発した。
「にゃにおう! おじいちゃんはワシに助けてほしくてこの魔躱しの白槌を託したんじゃあああ!」
喧々諤々。寂れた屋内にふたり分の喚き声きんきん響き渡った。
明人は落ち着かない心持ちで周辺調査にむかった先遣隊の帰りを待つ。
――クソ。こんなときにオレはなにも出来ないのか……。
ずぶ濡れの靴下を履いているかのような焦燥感が足元をそわそわさせた。
なんとか心を沈めながらそこいらに転がるずしりとした重み手にとる。
銅色の円柱は鈍く輝き、さきほど対面した双腕の義手と同じような見た目の暗褐色に鈍く輝く。
「あーん、もう! 明人もなんか言ってやってよ! って、どうしたの?」
「いや、このへん何故か鉄パイプが多いなと思ってさ。とりあえずここにはなにもなさそうだから外にでよう」
ここはとある民家のなかにあった工房だった。
鎚や杭、鋸や金床、四角い木箱はおそらく炉へ酸素を送るためのふいごなどなど。たかだか民家にこれほどの施設が整っているのはさすが技術大国といえよう。
そしてイェレスタムのときとは違って作業の形跡と思わしき埃を被っていない箇所がちらほらと発見できた。
明人たちが扉を開けて小汚い街道にでた丁度その時、カルルが忍者の如く颯爽と戻ってくる。
「明人さん隣の民家にこんなものがありました」
傷だらけのだが引き締まった顔立ちに、皮と布の身軽な服装には清涼感があった。
新緑の爽やかな短髪は口調も相まって実に好青年である。
明人は手渡された1枚の日焼け紙を受け取って広げた。
「町の工場と思われる場所に捨てられていたのですが、これはいったいなんなのでしょうか?」
描かれていたのは、線と線が重なり合って描画されているなにか。
それは明人にとってはとくに日常で良く見慣れたものだった。
即座に技術者としてのスイッチが入る。
「んー……これは図面かな。しかも部品の製作図だ。さすがに出来上がりの描いてある組立図じゃないからなんともいえないけど……」
「と、いうことはドワーフが作らされていたものと見て間違いなさそうですね」
「だろうねぇ。しかも繊細で時間のかかる部品ばっかりが書かれてる。となればかなり制作に期間を要することになるだろうさ」
男ふたり、顔を突き合わせるようにしてしげしげと図面を見つめた。
エルフたちにだした指示はドワーフの捜索、ではなく作業の痕跡を探すこと。
カルルを皮切りに次々とやり手のエルフたちが帰ってくる。も、得られたのはすべてパーツの図面のみだった。
町に住まうドワーフの影はなかった、と。エルフたちはみな長耳をしょんぼりと垂らして報告してくる。
「ドワーフかたがたは始末されてしまったのでしょうか?」
「くっ、我々の到着がもうしばし早ければ救えていたかもしれないのに……!」
ユエラは、成果が得られずしょげるように耳を垂らしたエルフたちを敬語で励ます。
「いえ。連中の目的から考えれば手駒は多いほうがいいはずです。そう簡単にドワーフたちを手放すとは思えません」
そして、ついでと言わんばかりに石畳の上に転がったラキラキを踏みつけながら明人へ問いを投げかける。
「ところでどうしてリリティアに時間稼ぎを頼んでまでこんな図面を集めてるのよ?」
彩色異なる瞳がぱちくりと瞬いた。
先遣隊のエルフたちと並べるとやはり深い髪色は目立つ。
「こ、こら! そんなこともわからんのにワシを踏むでないわ!」
「なによちびっ子? そういうアンタは知ってるわけ?」
そのすぼまった腰に手を当てたユエラは、不機嫌そうに足元の下でもがく幼女を睨みつけた。
「とーぜんじゃろがいっ! 図面や精製されたものには製作者の魂が宿る、料理に愛を篭めるようなものじゃ! 武器は葬りたい相手を想像しながら作ったほうが切れ味が増す! と、おじいちゃんがゆーとったわい!」
芋虫のような恰好にも関わらず誇らしげに恐ろしい解釈を語りだす。
それを聞いたユエラ含むエルフたちは、みな一様に首を傾げた。
「あきとー解説よろしくー」
結果は言わずもがな。
このとおり丸投げである。
「ん? あぁ、はいはい」
どっこらしょ。集まった図面を地面に並べてしゃがみ込んでいた明人は、立ち上がり、油で黒ずんだ指を立てた。
「洗濯機を皿洗いに使わないだろ? つまりそういうことだよ」
「どういうことよ……。あと、せんたっきってなに……?」
「あー、そうだな……温めるのに冷蔵庫は使わないし、冷やすのにレンジも使わない。空を飛ぶために……まあ、船は作るか」
ぽかん、と。その場にいた全員が目を点にさせた。
こうも詳しく解説してやっているのに理解できていない様子だった。これだから異世界というものは。
「作られたものっていうのは使用方法、つまり結果にむかって収束するんだ。ラキラキの言ったとおり図面から奴らがなにを作ってなにをしたいのかっていう目的を探ってるわけだよ」
解体新書の如く懇切丁寧に解説してようやく。
エルフたちの凍りついた表情が和らいだのだった。
そして明人はしゃがみ込んで再度図面と対峙する。
――大切なのは製作者の意図を読みとること、だな。国語のテストかっての。
すると後ろ手に靴音高く、すぐ隣まで近づいてきたユエラが一緒になって広げられた図面を覗き込む。
突き出された尻は丸みのある丘の如く弧を描き、前髪の端で結われている三つ編みが揺らぐ。
「で、さっきからにらめっこしてるみたいだけど、なにかわかったの?」
真剣な明人にむかって目を細め嫣然とした表情に、どこか期待に満ちた楽しげな笑み。
部品は工房によって加工する部位を決めていたのだろう。何枚かに分けられた図面は、欠けた側のパズルのピースのよう。しかしどの図面にも必ずのたうつような異世界の文字でひとつの単語が書かれていた。
「うーん……モッフェカルティーヌっていう名前くらいしかまだわからないかな」
「もっふぇっふぇ……聞いたことがないわね。ラキラキはどう?」
「知らんのじゃ知るわけがないのじゃ」
作らされていた彼女が知らぬと言うのだから現存しているものではないのだろう。
魅了で記憶が消されてしまっているといえ完成品を知らされていないドワーフたちは、まるで下請けのような扱い。作業している者にとっては達成感のかけらもないことをさせられていた。
「……うん?」
「そろそろ僕たちにもなにかしらの指示をいただけませんか?」
「あ、ああそうだな。そう言えばオレが指示する側だったね」
立ち尽くすようにその場で待機する先遣隊を見て、明人は自身が指示する側であったことを思いだす。
連合軍へ情報を渡してドワーフの捜索を手伝って貰わねばならない。その上リリティアが外で奮戦していることもある。
――ここらが潮どきか。ここまできたのに確信には届かないか。
威力偵察と称したものの町のなかは偵察から聞いたとおり、もぬけの殻だった。
てっきり土巨大や救済の導の襲撃を覚悟していたため全員が肩透かしを食らう結果となった。
が、それでも得られたものは少なくはない。
「じゃあ、そろそろ――」
ざわり。その場にいた全員が息を呑んだ。
なにかが見えたというわけではない、小さな異変だった。
おそらくこの場にいる全員が自分だけが気づいたと思っただろう。それほどに小さな大地の揺れ。
「な、なにこれ……? マナのカスが急に増えて……」
次の異変に誰よりも早く気づいたのはユエラだった。
しかも明人を除いた全員が浮足立つかのように狼狽えはじめる。
マナのカス。それは魔法を使った際に例外なく発生するという現象のひとつの名称のことを差す。強大な魔法であればあるほどに多くのカスが周囲に充満するという。無論、魔法を使えない者、人には見えない。
「なにか……聞こえませんか?」
誰が言ったか。次第に回転を早めるかの如く音は大きく、揺れは激しく。
鼓膜を引き裂く如く、耳馴染みのある暖気音まで巨大になっていく。
そして瞬く間に明人の脳内によぎった光景はあまりにも寒々しい。
一瞬間をおいて喉から猿叫の如く発された。
「――ッ! 撤退だッ!! 急げッ!!」
雷に打たれたかの如くエルフたちは長耳を逆立て踵を返す。
明人は図面を回収してから簀巻きになったラキラキを担ぎ上げてワーカーへと疾走した。
「誰でもいい! 町を出たら進軍中のヘルメリルのいる場所まで走れ! そして伝えるんだ!」
それとほぼ同時刻。
背後で首都ソイールの背負う山の岸壁が内側から盛り上がった。
槍を持った男の彫像は首をもたげ、胴を裂かれ、足元から崩れ落ちていく。
ゴゴゴゴン、ゴゴゴゴン。
ウォオオ、ウォオオ。
直下地震の如くそれの巨大な歩みはドワーフの町そのものをひしゃげさせた。
轟きわたる咆哮は空をも引き裂かんばかりに発して世界を揺らす。
「敵は――救済の導の目的は種の根絶じゃない! ルスラウス大陸そのものをぶち壊すつもりだ!」
まるでクラッカーのように容易く山肌を穿ち、顔を覗かせたのは鈍く光る赤褐色の極大兵器だった。
100年。人ならば2世代は紡げる1世紀という時間が存在した。
幾代を掛けてドワーフの粋を集め、世界に限界したものはあまりにも途方もなく絶大で、極悪だった。
「なんじゃ! なんなのじゃあれは!」
ワーカーにラキラキを無理やり詰め込んで搭乗した明人は全身で恐怖の感情を、自身のとった選択を悔いた。
「と、とにかく逃げるわよ! 《ストレングスエンチャント》!!」
膝の上に乗ったユエラによってワーカーは赤い膜に包まれる。同時にアクセルを限界までふかす。
ズズズズン、ズズズズン。
ゴウゴウ、ゴウゴウ
重機の旋律は敵のソレと比較にならぬほど弱々しい。
「走れええええええええ!! 撤退だ撤退!!」
ワーカーは雄叫びを上げて石畳を穿った。
それはあまりにもよく似ていて、残酷なまでに小さすぎた。矮小と言い換えても良いほどに。
明人は、青ざめ、震える唇で敵の名を呼ぶ。
「山岳級4脚型兵器……いや違う! 山岳級特攻要塞モッフェカルティーヌモッフェカルティーヌ!」
☆☆☆☆☆




