66話 決戦前夜に前へ歩くと誓う、ならば
雨が上がり蒼月がぬかるむ大地をを青く照らす。
閑散とした街の一角にある癒やしのヴァルハラでは、今日も作戦会議いう名の祝勝会が開かれていた。
さすがにその楽観的な行動を不謹慎だと唾はく者も数人はいたようだ。しかし、今回の襲撃によって亡くなった者たちへの追悼の意と言われれば牙を収めざるを得ない。
結果だけ見ればエルフドワーフ連合の大勝だった。
これにより多種族間び絆が強まり、前日よりもロリータキャバクラは賑わっていた。
しかしその話題の中央にいるのはあろうことかユエラだった。
ご自慢のオリジナル魔法、自然魔法によって傷ついた兵たちの命を華麗に救ったことがもちきりとなっている。
リリティアが神業的剣術によって数千の敵を破り、ヘルメリルが最強という名をいかんなく見せつけた。
「忸怩たる思いとはまさにこのことだ……」
「うむぅ……。ワシもおじいちゃんのことで頭がいっぱいだったのじゃぁ」
そんな拍手と喝采が鳴り響く陽気な店内の端で、明人とラキラキはお通夜のような陰鬱な空気を醸し出していた。
そんな1人とひとりの活躍も評価に値するもの。それでも明人たちは輪のなかに加わろうとは思えず。
カウンターでちびちびと酒の入ったグラスをかたむける。
「まさかあそこで不意打ちを食らった挙げ句に失神するとは……はぁぁ」
「ワシじゃって似たようなもんなのじゃあ……。痺れさせられ気づいたら終わっておったのじゃぁ……」
祝勝会のさなか、かたや反省会だった。
満足に動けるのはユエラだけという状況にも関わらず敵はエリーゼをさらって去っていった。逃したのではなく見逃されたという屈辱が酒よりも辛くのしかかる。治療されてなおブラシでくすぐられているような疼きを残した手に、敗北の文字が色濃く現れていた。
「おじいちゃんの手がかりすら得られないとは……難儀じゃあ……」
――そうだよなぁ。ラキラキのことを思えばあそこで負けるのはありえないよなぁ。
昨晩ラキラキの祖父への想いを聞かされ、敵を捕獲しよう一瞬でも考えてしまった阿呆がいる。
最終的には冷静さを失ってエルフの接近に気づけず昏倒。接近してショットガンを撃たなかったことへの後悔がつのっていく。
猪突猛進の幼女もまた大切な人の安否を知りたいがために敵の力量を見誤った。白槌というという特殊な武器をもっていながらも、純粋な負け。
「はぁぁぁぁ……」
「のじゃぁぁ……」
もう何度目かもわからない深い溜息だった。
明人とラキラキは、なぜか店員につけられてしまった猫耳を揺らしカウンターへと突っ伏す。
戦後処理がつつがなく進んだとしても戦は戦である。今回の事態を重く見てヘルメリルは翌日にソイールへの進軍を決定させた。
しかし1日稼がれたという事実は拭えない。つまり目に見える部分は大勝であっても、裏を返せば痛み分け。
喉にできた腫瘍のように飲み下せない不安が、明人の苦心を苛む。
「あらぁん? ヒーローがそんな顔してたら他のみんなが不安がっちゃうわよ?」
目に優しくないマスター、ミブリーがカウンター越しにぬぅ、と現れた。
客が全員リリティアたちのほうへいってしまっているため手すきなのだ。
「そんなこと言われてもさぁ……。キングローパーのときもそうだったけど、オレって脇が甘いんだよなぁ……」
「ふぅん……? どれどれ、私がナーメナメしてあげるわぁ、れろれろれろれろ」
そう言って、筋肉の権化が巨体を明人の方へと乗り出してきた。
これにはたまらずノーマルな性癖の明人は飛び退く。
「比喩だよッ! 糖尿病患者の尿が甘いと思ってるくらいありえない間違いをするんじゃないよ!」
「あらそうなの? 後半はちょっとよくわからないけどぉん?」
ミブリーは、わざとらしく青ひげの生えそぼった顎を撫でた。
いちおうは元気づけてくれているのだろう。憂鬱な心持ちは強制的に寒気に入れ替わった。オカマ特有のコミュニケーション能力はあなどれない。
「でもね、ふたりががんばらなかったらここにいるお客さんがもっと少なかったかもしれないのよ? だったらもっと自分の功績を誇りなさいな?」
コトリと。空になったグラスの代わりに1杯のショットグラスが置かれた。
「アンタ流れで男を酔わせるんじゃない。なにしてくれるつもりだよ」
「望むのならなんでもよくってよんっ。うっふん!」
「おぇ……」
例え兵力の差が倍以上だろうと覆してしまうほど、挟撃は恐ろしい。
挟み、囲み、押しつぶす。そうなれば犠牲者の数はミブリーの言う通り、桁が違っていたかもしれない。
後ろを振り返るのは一度きり。後は、前へ進めばいい。
思っていてもそうはいかないのが人生というもの。実際、まだ仲間の死を忘れられていない。
――まだ……こんなオレのなかにも地球に残した未練が燻っていたとはな。
それでもあのとき明人は激怒した。
この耳を塞ぎたくなるような喧騒ですら尊く、さきほどからずっと背中に引っ付いているキューティーや、エルフ、ドワーフの笑顔を思い出して。
なにかが変わろうとしている。ユエラへの恩返しリリティアへの恩返しと言いながらも自発的な行動をとろうとする自分がいる。
利己的に歩んできた臆病者が他人の利を汲んでさきばしり、渦中へと飛び込んだ。
旅立ってしまった旧友だけではなく、新天地で誰かを守りたいという新たな感情が芽生えつつあった。
「あーきーとーさぁぁん! なーにやってるんですかぁ?」
へべれけに酔っ払ったリリティアが千鳥足でこちらにむかってくる。
ニコニコ笑顔の頬と耳はとうに桜色へ染まりきっていた。勝手な行動で危険な目にあった明人を叱り飛ばした面影は、もうない。
「えへへぇ、リリティアは飲みすぎよぉ」
その傍らに寄り添うユエラも少々酔っているらしい。
はだけた胸元が、ぽぅと高揚していた。
彼女こそ立役者。想像以上に実力があって今回は一番の輝きを見せたといっても過言ではない。
「ふたりとも飲み過ぎだぞ。酒は飲んでも呑まれるな、は社会人の鉄則」
「よってなんかないれすぅ! あきとひゃんのほうがよってます! 3にんもいます!」
「えへへぇ~♪ おしゃけがたりないわよぉ! もっろもっれきれー!」
絡み酒は無視をするに限る。
そしてあちらからはヘルメリルと先遣隊の面々優しげな瞳が向けられていた。
顔傷のある歴戦の男エルフの名は、カルルとか言うらしい。
「もう、言い訳はやめようかな」
ぽつり、と。こぼれた言葉は幾重にも束ねられた賑わいのなかに吸い込まれていくかのよう。
思えば遠くまできたな、という言葉では足りないほどの距離を歩いてきた。なにしろ世界そのものが異なる。
ワーカーのパーツとしての力を持っていて、死ぬために生まれてきた人間が、初めて願った祈りに似たなにか。
《汝、生涯を賭して勇猛な盾であれ。我らは盾。天上に至りて世に個の歴史を刻む者。汝と共にあらんことを》
騒々しくも、夜は静かにふけていく。
決戦のときは刻一刻と近づいてくる。そしてきっとただでは終わらないであろうという予感がひしめく。
孫に《マジックスタンパー》を託して首都ソイールへむかったという双腕のゼト。他種族が集い戦争を激化させようとしている救済の導。大陸を包み種を争乱へと導いた覇道の呪い。
そして救済の導の口にした血の盟約というワード。
――考えだせばきりがないな。
そうやって苦笑しつつも明人は、飛びついてくる酔っぱらいにむかって生贄を捧げる。
「あきろはぁんはぐしましょー! むぎゅぅぅぅ!」
「モゴォっ! や、やめっ――胸板で鼻が潰れるのじゃあああ!」
板胸を押しつけられてじたばたと抵抗するも馬鹿力には、無意味だ。
出会い頭に身をもって体感しているはず。もがき苦しむラキラキは獲物も捕らえた食虫植物の如く開放されることはない。
「やーん、あきとさんったらぁ! もっろ強くしてほしいだなんてっ! しょうがないですねぇっ!」
「種族違いじゃあああ!? ああああああ!?」
とろけた笑顔にがっちりホールドされた幼女は、次第に力尽きるように両手を垂らした。お通夜の空気はやがて追悼へ。
明人は、感謝とお悔やみの意を込めて静かに両手を合わせた。
酔ったリリティアには絶対に近づかないようにしようと心に念を押した瞬間でもある。
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