46話 そのため、彼女の願いも約束となる
「――と、貴様の選択次第ではエルフの国が地図から消滅するということだ」
そう言って、ヘルメリルはこくりと淹れたての香り立つ紅茶で喉を潤す。
「あー……つまり、ドワーフとの戦争を終わらせるためにはリリティアの力が必要だと?」
疑問の濁流に呑まれながらも明人は、ここまでの半刻を簡易的に咀嚼した。
それを聞いてヘルメリルは満足げに首をたてに振って肯定する。
「ウム、その最強たる剣で敵の腸を食いちぎってもらいたい」
現在、エルフが西方のドワーフと戦争していることは周知の事実だった。
そして、それに加えて北方のワーウルフも攻めてくる。長きにわたる戦争によって余力のないエルフにとってはこの上なく危機的状況。それを察したエルフの女王であるヘルメリルは、種の存続のためにリリティアの協力を仰ぎたいとのこと。
明人も、幾ばくか紅茶をすすり泡立った口内を湿らせる。
身振り手振りを用いてわかりやすく戦争の状況を説明して貰ったが、やはり納得がいかない。
話題の中心であるリリティアはシルルを膝に乗せて、お澄まし顔。ヘルメリルを除いた女性陣は食後にも関わらず籠に詰められた異世界産チョコレートクッキーもどきを、もそもそと食べている。甘いものは別腹とはいったもの。
つまり、全員この話題に関心がない。
「あの、みなさん。もう少し興味を持ちませんか?」
あまりの温度差に耐えきれず明人は声を掛ける。
すると、口の端にクッキーの破片をつけたユエラが至極当然といった具合で答えた。
「だって、この問題はアンタが決めることでしょ? そうよね? リリティア」
その問いかけに、リリティアは小さな口でハムスターのように頬を膨らませてクッキーを食べながら小刻みに頷いた。
「フム、貴様は話の根幹が見えていないようだな」
「話の根幹?」
顎を上げて、白い喉仏をこちらに見せてニヤリと笑む。
ヘルメリルが人を上から見下そうとするのはもはや癖なのだろう。
明人は視線を宙に巡らせて考える。これはあくまでリリティアとヘルメリルが交渉するべきで第3者が立ち入るものではないはず。
ふと、思い立ったかのようにリリティアは口内のものを熱々の紅茶で流し込み、手で乾いた音をたてた。
「私は、剣聖としてルスラウス種族間において中立的立場をとっています。明人さんに言ってませんでしたっけ?」
「え? あー……? 絶対に言ってないね」
記憶を辿って否定に及ぶ。すると、リリティアは悪びれもせず澄ました顔でペロッと舌を出すだけ。
リリティアはあまり自身のことを語らない。たとえ聞いても答えない。話したくないのか、聞かれたくないのか。その真意は本人のみぞ知る。
そして、明人もあまり他人の過去に興味がないということもあいまって上っ面な関係を築いているのも事実。
「……んっ?」
ここでまた新たな疑問が脳裏をかすめる。
先の救済の導やキングローパーは国家間の問題ではないとして、戦争ともなれば政治そのもの。
「それって、誰が頼んでも一緒だよね?」
「ええ。たとえ明人さんに頼まれても私は動きません。しかし、私を戦争に赴かせる方法はあります」
紅茶を片手に、リリティアは薄く微笑んで指を立てた。
リリティアはときおりこうして、明人を試す。教科書を読んでおけばわかるだろうと教師が問いを投げ、生徒が答えを導き出す。それ同じ。しかし解けずとも叱られることはない。ただ、ほんの少し影を落として笑うだけ。
明人にはそれがどうにも気にくわない。まるで進むべき道を間違ってしまったかのような、足をくすぐられるような焦燥に駆られる。もしかしたら、リリティアが欲する答えがあるのではないか、と。
テーブルを挟んで楽しそうにニヤつく白と黒。気をもむかの如く肩を寄せて頬を緩めるリリティアと小馬鹿にするかの如く紅の三日月をつくるヘルメリル。そして、ちびっ子。一方で、ユエラは頬杖をついて眉をよせ、不安げな顔つきでこちらを見ている。
全員の視線を一身に背負って明人は考える。
パズルのピースは、灰汁のようにいくらでも浮いてくる。リリティアが戦地で闘うことになることや戦争が終結によってユエラはより明るい人生を歩める、など。
しかし、それは正解の色ではない。なぜならそれらはすべて勝手に夢想した色のない欠片。ただのまやかし。
しん、と。水を打ったように静まり返る部屋。もはや風のそよぎも鳥の声すら届かない。
「ヒント……いります?」
根を詰めていてなお鼓膜を揺らす、凛としたよく通る声がした。
小首をゆるくかしげ、期待めいて僅かに揺れる金色の瞳。艶めく唇に添えられた細長い指。
どうやらリリティアは、この道を歩みたいのだ。歩みたくて明人に答えを導き出して欲しいと言っている。
心を読みとってからは早かった。暗雲は晴れ渡り、まるでさきほど胃に落とし込んだ澄みきった琥珀色のスープのように脳が冴え渡る。なぜなら、リリティアのことだけを思えばよかったから。
《汝、生涯を賭して勇猛な盾であれ。我らは盾。天上に至りて世に個の歴史を刻む者。汝と共にあらんことを》
守られるのならば守る。与えられたのならば与え返す。これが明人とイージス隊の道理であり約束。
そして、自らが掴んだ横暴ともいえる答えに肝を冷やし、恐怖を覚え、なおも明人はヘルメリルを睨みつける。怒りをもって怯えを殺さねばならぬ事態はそう多くはない。
「オレ自身が前線で戦えばいいんだな?」
すると、語らずの呪術師は目をこぼさんばかりに見開いた。
綿の如く白い口角を影をつくり、玉を転がすように高々に言い放つ。
「ハーッハッハッハ! ――正解だッ! ちと時間は掛かったが、余興としては大いに楽しめたぞ!」
歯の根が鳴らぬよう噛みしめる。
明人が前線で闘う。であれば、それを守るために護衛としてリリティアも戦争に参加するというきっかけができる。
もしくは、ルスラウス種族間においての中立的な立場だとするならばそこにたった1人の人間は含まれない。謳と書くか、歌と書くか。どちらにせよ終着点は変わらない。疑問があるとするならば、なぜそうまでして中立を守るのか。
選択の余地はなかった。ルスラウス世界にきて、リリティアがはじめて明人に見せた己の願望。このチャンスをふいにすれば二度と命を救われた恩を返せないだろう。そう、一瞬でも頭によぎってしまったのだから。
「わかったよ……そのかわり、戦争をしに行くんじゃなくて辞めさせるように動くからな」
しぶしぶながら明人が決意を伝えると、リリティアは花の咲くような満開の笑みを見せてくる。
「明人さん! ありがとうございますっ!」
「どういたしまして。あとさ……誘導尋問みたいな演技をやめなさい」
あんなにわかりやすいアプローチされて気づかないわけがない。この結論に収まるべくして収まったのだ。
「だってぇ……こういうのは男性のほうからって言うじゃないですかぁ……?」
もじもじと。白い頬を桜色に染めてリリティアはわざとらしく身をよじる。
「赤紙でもこない限り戦争なんぞにいってたまるかッ! ……ハァァァ」
「アンタ……絶対女に振り回されるタイプね……」
深い溜め息をついて落ちる肩を、ユエラが慰めるように優しく撫でた。
こうしてエルフ種とドワーフ種による戦争への参戦が決定したのだった。
「私はもう帰るのかなっ!」
「フム、では転移で送っていってやろう」
シルルは朝食を終えて平和な村へと帰っていくのだった。
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