44話 そのため、デュアルソウルは笑い NPCは激怒する
「そこのちっこいの、私の肩を揉ませてやろう」
椅子に座ってニヤついていた黒髪の女性エルフがシルルに命令を飛ばす。
「なのかなっ!」
それを受けてシルルは股上が浅いローライズからスラリと伸びる健康的な足を元気よく繰り出して、女性エルフの膝に飛び乗った。
「……フフフッ、まあ良しとしよう」
高圧的な態度と威圧的な口調のわりに、かなり寛容のようだ。
マナレジスターによって散り散りなった衣服は、女性が手をかざしただけでまるで巻き戻したかのごとく修復されていた。
黒地にふりふりのフリルが大量に仕付けられており、胸元やスカートなどの女性的な特徴が目立つ箇所が透けて見えるデザイン。その独特のセンスをしたドレスは異性の目を奪うものというよりは個人の趣味の域であろう。なぜなら今も、この家唯一の男性である明人に下着姿を見られたのに毛ほども気にかけている様子はない。
そして、呪いによって薬指から二度と外れることがないマナレジスターの効果たるや。魔法の多様性と指輪の機能性に明人は息を呑む思いだった。
明人は、さきほどからなぜか居心地が悪そうにもじもじと身をよじらせていたユエラにむかって小さく手招きする。
「このバリってるお方はいったいどちらさまで?」
「こ、言葉に気をつけなさいっ! この方は大陸最強の魔法使いでエルフの女王よ」
互いに顔を突き合わせ、ごにょごにょと囁くようにして目の前の女性についての情報を聞き出す。
これならばユエラが萎縮してしまっている理由も合点がいくというもの。忌み子としてエルフたちに迫害されてきたハーフエルフにとってエルフの女王ともなれば雲の上の存在だろう。
魔法とはマナによって発現する力の総称。そこから枝分かれするかの如く鍛冶師薬師呪術師など様々な職に分岐する。さきほどの長距離転移魔法は、下級や上級の共通魔法を強化する《エピックマジック》とは異なり、《レガシーマジック》と分類される特殊魔法なのだとか。
これは個人で開発したオリジナル魔法で、ユエラの使う自然魔法も《レガシーマジック》に分類される。ちなみに詠唱があったとしても《レガシーマジック》の呼称はそのままとなるらしい。
このように著リリティアの”一夜で仕上げたルスラウス大陸での生存方法”には書いてあったことを明人は思いだす。
「リリティアの剣聖みたいに、この方も語らずの呪術師って称号をもってるわ。とってもすごい御方なのよ!」
どこか誇らしげに語るユエラを見て、明人は改めてそんな偉大な者との接点がある家主の偉大さを実感した。
そんなリリティアは機嫌良さげに鼻歌を奏でながら、腰まである大きな三つ編みを尾のように揺らしてキッチンで朝食を作っている。
「ところで、バリってるってなによ?」
「プレス機のパンチが下降したときに製品の破断面に生じるダイの側の……」
「ごめん。聞いた私がバカだったからちょっと黙って」
唐突に饒舌に語り始めた異世界の技術者の口を手で塞ぎ、ユエラは長いまつげを伏せて小さくため息を漏らした。
ちなみバリっているとは女王の性質を跳ねっ返りと形容したかっただけ。
「フンッ、ずいぶんと表情豊かになったな。デュアルソウルよ」
突然、王女はシルルを撫でながら血のように赤い瞳でユエラのほうを見据え、気だるそうに呟く。
すると、ユエラは目を見開いて背筋をピンと伸ばして、すくみあがった。
デュアルソウル。変な名前で呼ばれたことが原因ではないようで、感極まったかのように緑と琥珀の彩色異なる瞳を滲ませている。
「え、あっ、そのっ……わたしは……」
「以前出会ったときの貴様は陰気臭いガキで視界に入れることすら不愉快だったが、どうやら化けたようだな。自然魔法使いよ」
王女はルージュの引かれた唇で軽く弧を描いて見せた。
一方で、ユエラは言葉にならないような声を口から漏らすだけ。
「今の貴様はほどほどに面白い。救済の導とキングローパー討伐の件、ご苦労だった」
冷淡な声色だが、言葉の端々には威厳の威圧と労りの心が感じてとれる。
「そして、魔草の効能もなかなかなものだ。アレはこの偉大な私であっても真似ができん。気に食わんがこれからも頼めるか?」
「――はいっ!! もちろんです! ありがとうございます!」
ユエラは言い終わるのが先かわからないほどの破竹の勢いで立ち上がると、目を赤くしながら何度もお辞儀を繰り替えした。
頭を下げるたびに髪は乱れ、前髪の端で結われた小さな三つ編みとほどよく育った胸がボールのように弾む。
見れば、こちらに背中をむけているリリティアも肩を揺らしてくすくすと笑っているようだった。
「ククッ、落ち着けデュアルソウル。そろそろ本題に移ろうか」
女王は、首を横にもたげるとこちらに妖しく微笑んでくる。
さらりと。まとまった流麗な黒髪は窓から差し込む陽光で白く煌めいた。
どうやら目的はリリティアではなく自分にあるようだと察し、明人は身構える。相手はエルフの女王。今まで出会ってきた誰よりも危険で、気を損ねたらユエラの立つ瀬がない。
「そこのマナすらもたぬノンパワーキャラクター。略してNPCよ」
「――だあああれがNPCだあああッ!?」
出会い頭で貶されたと判断した明人は、振り下ろすようにして拳でテーブルを殴りつけた。
ユエラはおろおろしながら腕にしがみついてくる。
「明人ストーップ! 女王様から名をいただけるのはとても光栄なことなのよっ!」
「離せデュアルソウル! なんなんださっきから聞いてれば、この語らずの呪術師ッ! 全然サイレント成分ないしッ!」
「それは無詠唱でレガシーとエピックマジックを操るって意味よ! ――わあああっ! 武器はダメだってば!」
冷静さを失った明人は思い余って散弾銃へ手を伸ばす始末。
それを抑えようと一心不乱になってユエラは止めに入った。
いっぽうでリリティアは異世界の優雅な旋律を鼻ずさみながらキッチンで包丁を鳴らすだけ。
「なかなか愉快なことになっている。ククッ、良いぞこれは大いに期待がもてそうだ」
ヘルメリルはそんな喧騒を愉快そうに眺め、陶器のような白く美しい手で膝上でちょこんと大人しくしているシルルを撫でた。
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