24話
色合いの異なる瞳を巡らせつつ、周囲の気配を探る。窓のむこうには先ほどまであったはずの影がない。
表情に焦りの色を浮かべながらも、ユエラは手を前にかざして次の奇襲に備えた。
「誰? ここがどんな場所だかわかっててこんなことをしてるのよね?」
数秒の沈黙。返答はない。つまり、戦闘継続ということ。
ここはルスラウスでもっとも危険かつ凶暴な魔物が徘徊する誘いの森であり、世界に名を轟かす剣聖の住処。
いくらなんでも知らずにの場所へやってきて盗みを働くわけがない。それこそ無知で無謀というもの。つまり、計画的な犯行である。
「……チッ」
ユエラは忌々しげに舌を打った。
屋内ではあまりにも狭すぎる。すでに侵入されている可能性も高い。
さには敵が熟練した者ならば屋内で接近戦をすることは彼女にとって分が悪い。
ならば、とユエラは床を蹴って外へと繋がる扉を目指した。
遅れて背後からドカドカと複数の足音が聞こえてくる。彼女の選択は間違っていなかったようだ。
「《強化支援》!」
ユエラはすかさず魔法を唱え出現させた膜をかぶって庭へ転がり出る。
「なっ――!」
手をかざして構えた先、我が家から自分を追ってくる敵の数は6。しかし彼女が驚いたのには、数ではない別の理由があった。
怪しげな仮面で目を隠した6人のヒュームだった。
その手には各々に剣や槍などの武器を握りしめており、なかには縄を持ってこちらに近づく機会を伺っているものもいる。
「なんで……! なんでアンタらみたいなゲスがここにいるのよッ!!!」
ユエラは敵を知っていた。忘れようにも忘れられるはずがない。
ここルスラウスの世界において、神への冒涜とさえ言われている人体実験。これは魔法しかり薬学しかりすべてにおいて禁忌とされており、もし実験が日の目を見ようものなら確実な死が待っている。
しかし、それでも被検体実験をおこなう愚か者こそ、彼ら救済の導と名乗るオカルト集団だった。
彼らが検体実験を行う明確な理由は定かではない。ただ、ユエラだけは彼らの目的を身をもって理解している。
なぜなら、彼らが希少種を意図的に産みだしたのだから。
ユエラは自身の内側に臓物が煮えたぎるが如く激しい怒りが込み上げてくるのがわかった。
自身の境遇に対する恨みつらみだけではない。ここは、迫害されたユエラにとってリリティアと共に築き上げた安らぎの止まり木。そこに憎むべき奴らが上がり込んだことが、彼女にとってなによりも許せなかった。
「殺す……殺してやるッ! この外道ども!!」
「《低級束縛》」
「《火炎》ッ!」
後手。
しかし、敵によって放たれた虚弱な蔓をユエラの手より放たれた炎は容易にかき消した。
そして勢いのままに紅は魔法を放った敵の体を包み込む。
魔法において下位である彼らが、精霊と密なエルフに勝てるはずもない。たとえ扱えようとも質が違う。
「がぎゃあああああああああ!!」
雄叫びを上げて悶え苦しむ下位の男。肉の焦げていく悪臭に眉をしかめてもなお、彼女は敵の動きが止まるまで炙りつづけた。そして、炎が止む頃には2手2足である体の面影すら残してはいない。まさに消し炭の如く。
「次に死にたい下位は誰? 全員順番に輪廻に旅立たせてあげる」
敵を順繰りに睨み、手から立ち込める炎の余韻を跳ね除けるようにしてユエラは羽織っている外套を払った。
「ああ、死体すら残っていないじゃないかもったいない。せっかくグールの元にしようと思っていたのに……」
横並びになった仮面連中の誰かが、そう言った。
聞き覚えのある耳障りな声。対して感情はなく、おそらく仲間が死んだことですらなんとも思っていない。
「まさかアンタ――ッ!」
チクリと。ユエラは首筋に鋭い痛みを覚えた。
後ろでは男が悠然とした動作で仮面を外す。
その光景を横目に、ユエラの視界が紗がかかったかのように白ばんでいく。
見れば、自身の肩に刺さった1本の針。
敵が6人だと思い込んだ事がそもそもの間違いだった。これは舞い上がる怒りに流されて冷静さを欠いた結果。
「こ、の……げどう、どもがっ……」
ろれつの回らない舌で悪態をつきながらもユエラは糸の切れた人形のように下生えに倒れてしまう。
必死に腰蓑から毒消しを取り出そうとするも、毒の回りが早すぎるために指先がおぼつかない。つまりこれは尋常ではないほどに強力な麻痺毒。
「――よっと。ふふっ、こういう後味の悪い仕事は好きよ。」
ユエラの耳に入ってきた、女のものと思われる愉快そうな声色の声。
「まだ意識はある。キミは姿を見せないほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫よ。だってアナタ、この子のこともう逃がすつもりはないんでしょ? あーあー、かわいそう」
薄れゆく意識のなかで網膜が捕らえたもうひとつの影に、ユエラは絶望した。
赤い口紅を塗られた弧を描く唇。そして、フードを目深に被った女。
その灰色のフードは真横に広がっていた。
「な、んで…………エル……フが………」
待機していた仮面を被った下位たちは、痙攣しながら横たわるユエラへ一斉に群がった。
口に布を押し込め、手早く彼女の細い手足を荒縄で縛ると、最後にその小さな頭部に麻袋をかぶせて担ぎ上げた。
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ユエラが物心ついた頃から彼女の母は”心無人”だった。
古い洋館の一室に設けられた自分たちの部屋。窓には木板が打ちつけられており、僅かに入ってくる光の筋を頼りに母の膝の上で本を読んで育った。
彼女が問かけても、母はくすんだ瞳で一点を見つめるばかり。それでも彼女は、めげずに母と接しつづけた。そうすればきっと心を取り戻してくれるだろうと。
稀に、男たちは下卑た笑みを浮かべ母を連れて部屋の外に出ていってしまう。
稀に、男は内に溜まった怒りをぶつけるように母と幼いユエラに暴力を振るった。
稀に、母はなにかを思い出したように涙を流して、艶のない髪を振り乱しながら叫び狂った。
ここにいては母の心は戻ってこない。そう思ったユエラは、月のない夜を見計らって母の手を引いて洋館から逃げ出した。
窓の隙間からしか見えなかった檻の外は、まるで本で見た虹のように美しい。彼女は痩せ細った母のぬくもりを手に新たな世界に胸を躍らせる。
しかし現実は酷く排他的だった。それでもユエラは持ち前の気の強さで闘いつづけた。
そのかいあって、ついに母はかろうじて心を取り戻してくれた。待ちわびた瞬間だった。
白くささくれだった口からユエラに一言、こう語りかける。
「忌み子よ、忌み子。私の不幸の元凶さん。もしも叶うなら、アナタも私と同じ仕打ちを受けて輪廻に呑まれるといいわ」
母だったはずの女が泣いていた。
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くらいですね




