47.あなたと私が出会った日
パンが焼けたいい匂いがしてくるのと同時に、窓から光が差し込んでくる。ようやく日が登ってきたらしい。
私は眩い光に目を細めながら、オーブンに入れていたパンを取り出した。新メニューのクロワッサンは見るからにパリパリに焼けている。うん、美味しそう。
「よしっ! 今日もよく焼けてる」
取り出したクロワッサンを台に並べる。今日は早起きしたから、お店に出す分のパンはある程度揃ってきた。キリがいいので少し休憩をしようかと思い、テラスに出て深呼吸をする。やっぱり、今日は暖かい日になりそうだ。
「……ん、んん」
思いっきりノビをして、またパン作りに戻ろうとしたとき、お店の方から外に出てきた人影が見えた。
青みがかった白髪がサラサラと風に揺れる。シンプルな黒色のエプロンは、彼のすらっとした手足という完璧な素材を余すところなく活かしていて、遠目で見ても美しい。
私は彼に向かって走り出し、後ろから思い切り抱きついた。
「ディアっ!」
「……急に抱きついたら危ないだろ」
「私が走り出した時点で、もう受け止める姿勢取ってたでしょ」
図星だったのか、ディアは顔をそっぽを向いたので、遠慮なく抱きつかせてもらう。体格のいいディアは抱きつき甲斐があるし、あたたかい。
そもそも、ディアはきっと、私の姿を見てテラスに出てきたはずだ。恥ずかしがるだろうから、気づいていたことは本人には言わないけれど。
「今日は頑張って、ちょっと早くお店を閉めようね」
「本当にいいのか?」
「いいに決まってるでしょ」
エプロンに埋めていた顔を上げて、まっすぐディアの目を見つめる。
「だって今日は、ディアの誕生日なんだから!」
◆
私がパン屋を始めると決めたのは、ディアと番になってすぐのことだった。
せっかく三度目のチャンスを貰ったのだ。人生は短い。好きなときに、好きなだけ、好きな人に愛を伝え、好きなことをしなければならない。
好きなときに、好きなだけ、好きな人に愛を伝えることは間に合っている。ならば、次は好きなことをしなくては。そう思い立った私は、当初の目的だった、パン屋を開くことを決めた。
頭の中に理想像はある。両親が営んでいたような、近所の人に愛されるあたたかいパン屋にしたい。ついでにカフェスペースなんかも作っちゃったりして。お庭も広かったら嬉しいな。ディアが作ってくれた野菜と果物を使ったパンなんて、美味しすぎて人気出ちゃうよ!
どうしよう、楽しい。ちょっと想像しただけで夢は広がるばかりだ。ただ、想像だけでパン屋が始められるほど、現実は甘くない。まずはパン屋を開く場所が必要だし、パン工房を建てなきゃいけないし、問題は山積みだ。
急に現実が見えて気持ちが落ち込んできたが、こんなところで躓いている場合ではない。まずはディアに相談しよう。
「ディア。私、パン屋を開こうと思うんだ」
昼食後。突然そう言った私に、ディアは少し口角を上げて、「いいんじゃないか。楽しそうだ」と言った。
…………ん? 楽しそう?
「もしかしてディア、私と一緒にパン屋さんやってくれるの?」
当然一人でやるつもりだったので驚いて聞き返すと、ディアの目は一瞬で昏くなり、不機嫌そうな顔をした。
「俺以外の誰を頼るつもりだったんだ?」
「わーー! 違うの! 違うんです! 全然一人でやるつもりだったから、まさかそんな嬉しいことになるとは思わなくて……!」
慌てて弁解をすると、ディアは「冗談だ」と笑った。絶対冗談なんかじゃなかったでしょ。
とはいえ、ディアが一緒にお店をやってくれるのは本当に嬉しい。お店を始めたら一緒にいられる時間が減るかな、とか悩んでたけど、一瞬で解決してしまった。
「ミレリアのパンは美味しいから、すぐ人気になるだろうな」
「そうだといいな。……私、頑張るね!」
力強く拳を握った私を見て、ディアは優しく笑って私の頭を撫でる。大好きなディアも手伝ってくれるんだから、私に怖いものはない。
それから私とディアはパン屋開業のために奔走し、お店が完成したのは約1年後のことだった。正直もっと時間がかかると思っていたが、早い段階で土地を確保出来たことが大きかった。運良く空き地を譲ってもらうことが出来たのだ。
お店の場所は、両親の店があった場所の近く。コリンズの街は私にとって、家族との幸せな記憶がたくさん詰まった場所だ。今はもういない、大好きだった人たちを思い出して悲しくなることもあるけれど、私はやっぱりここが大好きだから。
あたたかい雰囲気が出るように、お店は木で出来たログハウスにした。テラスには机と椅子を並べており、パンを食べられるスペースになっている。木漏れ日を浴びながらパンを食べられるこの場所は、私も大のお気に入りだ。
満を持して開いたお店は、有難いことに開店後すぐに人気になった。私が作ったパンを美味しそうに食べてくれる人が見られるのは、ひたすらに嬉しい。特にデニッシュ系が人気で、ディアが作ってくれた果物のジャムがたっぷり入ったデニッシュはうちの看板商品だ。
ディアとゆっくり過ごす時間も欲しいから、開店するのは月の半分程度だけれど、開店日が楽しみになる、と案外好意的に受け入れられている。
「今日はもう店仕舞い、っと」
普段から不定期な営業をしているので、今日は早めに店を閉めるのだと伝えても、お客さんたちはみんな快く受け入れてくれた。その代わり今月は開店日を増やします! と誓いながら、お店のドアにかかっているプレートをOPENからCLOSEDに変える。
私はお店に戻り、パン工房を覗きに行った。
「ディア。そっちの片付けは」
「あぁ。もう終わった」
ディアは明るい声でそう言って、私を振り返った。パン作りで散らかった道具たちは、いつもディアの魔法で片付けてもらっている。本当に有り難い限りです。
「じゃあ早速、私たちの家に帰ろうか」
「そうしよう」
頷いたディアは、私を軽く抱き上げ、人化を一部解いて羽を出す。そして、テラスからふわりと浮き上がった。
最初はこの状態を近所の人に見られたらどうしようと怯えていたけれど、どうやら結界を張っているとかで、見つかることはないらしい。それを聞いて以来、私は安心して、ちょっと大袈裟にディアに抱きついたりしている。
今日は待ちに待ったディアの誕生日なのだ。私がディアと出会うことが出来た、大切な日。思いっきり祝う準備はしてある。それでもまだ足りない気がして、準備したことを頭の中で思い返しているうちに、すっかり家に着いていた。
「ありがとう、ディア」
お礼を言って地面に降ろしてもらい、二人で玄関の中に入る。それから、リビングへ向かおうとしたディアの前に私は慌てて立ち塞がった。
「ちょっと待って! ちょっとだけここで待ってて!」
大人しく頷いたディアを横目にリビングへ入り、ひと月ほど前から準備してきた飾りたちを全速力で飾っていく。机の上にはご馳走。あともちろんケーキ。それから、飲み物も準備して、とにかくいつものリビングを誕生日お祝い仕様に変える。
最後にちょっとだけ自分の身なりを整えて、深呼吸をしてからドアを開けた。
「ディア! 来て!」
満面の笑みで出迎えると、ディアは私のことが愛おしくて堪らない、みたいな表情をして「もういいのか?」と聞いてきた。あぁ、もう! 幸せ!
「もういいよ! ディア、お誕生日おめでとう! 産まれてきてくれてありがとう!」
大袈裟にそう言って、飾りつけたリビングの様子を見せる。ディアはぽかんとした表情をしたあと、とびきり嬉しそうに笑った。




