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33.思い出した

 


 前世で小さい頃、ほとんど毎日のように友人たちと遊んでいた広場は、今もまだそこに残っていた。噴水は建て直されていて、やけに綺麗になっていたが、地面のタイルはそのままだ。


 ぼーっと私たちの周りを歩く鳥を眺めて、日向ぼっこをする。ディアは何も聞かずに隣にいてくれている。


 ディアに寄りかかってぼんやりとするうちに、心の整理がついてきた。


「……ディア。私の前世の話、聞いてくれますか?」

「あぁ」

「私、一人っ子だったんです。だからすごく大事に育ててもらって」

「…………」

「お父さんは凄腕のパン職人だったんですよ。近所の人はみんなうちのパンが大好きだったんですから! 後ろからギュッて抱きついたら、陽だまりみたいなパンの匂いがするんです。それが私、大好きで!」

「……そうだったんだな」

「お母さんはすごく、優しくて。いつも笑顔なんです。私、料理と掃除も最初はダメダメで。植物だってろくに育てられずに枯らしてばっかりでも、しょうがないわねって笑って、くれて。私が初めて苺を育てた時は、ケーキにしてくれたんですよ! すごく甘くて美味しいって、ミレリアは天才だって大袈裟に褒めるんです。全然大したことなんてないのに!」


 そうだよ。私、二人にもっともっと喜んでもらいたかったから、フレミリアだった時は匙を投げるほどセンスがなかった、料理にも農業にも熱が入ったの。


 愛してもらった分、幸せな姿を見せて、有り余るほどの愛を返したかった。


「そんなに大事にしてもらったのに、私、二人よりも先に死んじゃったぁ……」


 私が事故で死んだ後。二人はどうしていただろうか。そりゃあ少しは悲しんで欲しいけれど、ちゃんと立ち直ってくれただろうか。


 私はなんて親不孝ものなんだろう。愛していた。大好きだったの。パンの焼き立ての匂いを嗅ぎながら、朝おはようって言うのが、嬉しくって堪らなかった。


「……ひっく、ぐす、ぅッ」


 涙腺がおかしくなってしまったのか、止めようと思っても涙は溢れ続ける。


「気が済むまで泣いたらいい。……誰にも見えないようにしておくから」

「でぃあはっ、みてるじゃないですか」

「そうだな」

「ダメです! なきがお、かわいくない!」

「いや? お前が愛おしくて困ってたところだ」


 何言ってるんだ、この人は! こんなの全然可愛くないよ! 頭がおかしいとしか思えない。優しく笑って私の泣き顔を隠してくれたディアの胸を、黙って殴る。


「素敵なご両親だったんだな」

「……はい」


 なんなの。こんなのズルだ。この人のことを、好きにならないでどうするの。

 真っ赤になった顔を隠すように、より深く顔を埋める。


 ディアが背中をさするせいで、徐々に冷静になってきて、思考もまとまり始める。そうだ。やっぱり明らかにおかしいのだ。


 こんなに思い出せるのに。父と母の名前も、パンの作り方も味も、近所の人も、広場も。


 他の全ては覚えているのに、死んだ日の記憶だけが抜け落ちているなんて、何かがあったとしか思えない。


「……ディア」

「何だ?」

「あとで、あっちの森に行ってもいいですか。ここから一番近い隣町に行くには、絶対あそこを通るはずなんです」


 この街から馬車に乗ってどこかへ行くとしたら、隣町に遊びに行く可能性が一番高いはずだ。それ以外に馬車に乗る用途も思いつかない。


 人気のない森へ行くのは、クローテッド教団のことを考えると怖いけれど、今、私の隣にはディアがいる。


「あぁ。必ず行こう」


 二度と誰かを失わないためにも、今が頑張りどきなんだ。













 私がすっかり泣き止んでから、私たち二人は森へ向かった。カレンデュラの森に似ているけれど、雰囲気がどことなく違う。


 森の中は静かで、人がいるような気配はない。昔は馬車の行き来が頻繁な森だったはず、と思って、世間話がてら通りすがりの人に聞いてみたところ、大きな山火事があってから人が近寄らなくなったのだと教えてくれた。今は、もっと安全なルートを通って隣町へ行けるようになったのだそうだ。


 山火事に、土砂崩れと自然災害が重なれば、馬車が通らなくなるのも当然かもしれない。


 そんなことを考えながら、自分が死んだ場所かもしれないという恐怖と、見知らぬ景色に怯えながら、今はすっかり森になってしまっている、昔馬車の通り道があったであろう場所を歩いていく。


「ミレリア。見たことがある景色はあるか?」

「ある、ような気もしますけど。ピンとはこないです」


 そういえば昔、この森に木の実を集めに来たことがあったような気がする。親からは危ないと言われていたけれど、どうしてもこの森にしかないベリーを使って、常連の女の子にパンを作ってあげたかったんだ。


「……そうだ。イリヤだ」


 思い出した。いつもうちにパンを買いにきてくれた、常連の女の子。イリヤという名前で、銀髪のショートカットがよく似合う、綺麗な子だった。


 ─────あたし、ミレリアとお友達になれてとっても嬉しいの!


 そう言って笑う、彼女の顔が脳裏に浮かぶ。どこか浮世離れしているところがまた可愛くて、私は妹みたいに可愛がっていた。


 ベルさんに話した、一緒に馬車に乗っていた、妹みたいに可愛がっていた子はイリヤのことだったんだ。


 どうして今まで、そんな大事なことも忘れていたんだろう。


 彼女は、大切な人にあげるのだと言って、いつもベリーのパンを買って帰っていた。そのうちにすごく仲良くなって、隣町まで買い物に行こうと誘われ、馬車に乗ったんだった。


 おそらく、事故に遭ったのはそのときだろう。死んだのは私一人だけだったとベルさんは言っていたから、あの子は死ななかったはず。良かった、と胸を撫で下ろす。


 私の死を、隣町に遊びに行こうと誘った自分のせいだなんて責任を感じていないといいな。


 あれから250年経った今はもうきっと、死んでしまっているだろうけど。


「ディア。私、思い出したこと、が……」


 振り返ると、ディアが黒ずくめの衣装を着た人間を氷漬けにしているところだった。


 今にも襲い掛からんとする前傾姿勢には躍動感があって、私は驚いたまま半歩後ずさる。


「……………え? あの、ディア。その人は?」

「知らない。ミレリアに近づこうとしたから反射的に氷らせただけだ」


 ディアはそう言って、氷漬けにした人へと近づく。そして、ローブの胸元を覗き込み、コンコンと指で一部を叩いた。


「あぁ、やっぱりな。狼のマークが入ってる」


 狼のマークはクローテッド教団の証。ベルさんからそう聞いたことを思い出して、慌ててディアの後ろへ周り、今更ながら距離をとる。


「ありがとうございました。ディア、怪我は?」

「怪我なんてするわけないだろ。心配するな」

「良かったです」


 そう言いながら私は、思わず自分の手を見てしまった。


 ディアは強い。私は守られてばっかりだ。昔はこの手で、ディアを守って、キラキラと尊敬した瞳で見上げられていたのに。


 私は、強かった。孤独だった分、そしてディアのことを守ると誓った分。今、ディアの隣にいて、ただ守られるだけの私には、どんな価値があるのだろう。


 今の私は、ディアに何をあげられるんだろう。











「手がかりを思い出せたなら、早く持ち帰ってベルに渡そう」と、氷漬けになったクローテッド教団員を持ち上げたディアが言うので、私も「そうですね。今日はもう帰りましょう」と同意した。


 一人になった部屋の中で、ぼんやりと考える。


 ディアは私と同じ喪失感を抱えている。私が両親に感じているような悲しみを、ディアはフレミリアに感じている。


 その苦しみが取り除けるのならば、私は保身ばかりしている場合ではない。今の私がディアのために出来る一番のことは、まずそれだ。


 明日話そう、と覚悟を決めた。今日のことがあって、これ以上黙っているのは無理だと思ったから。


 私たちの関係や、その間にある感情の名前については、その後で話し合えばいい。


「……私は、弱くなったなぁ」


 一人、カレンデュラの森の奥に住んで、毎日戦場へ行っていた時の私は強かった。ディアと出会って、失うものが増えて、生まれ変わって、物理的にも精神的にも弱くなった。


 強さは私の唯一の取り柄で、誇りだったのに。今の身体では、ディアが辛い目に遭っている時、立ち向かえるだけの力がない。何からも守ってあげたいけれど、守られているのはずっと、私の方だ。


 ディアのことが好きだと自覚するたびに、私はどんどん弱い自分のことが嫌いになっていく。


「それでも伝えるって決めたんだから!」


 どうしようもない自分に溜息を吐いて、明日のことを考えながら布団に入る。

 今日のことで泣き疲れていたのか、それから意識がなくなるのはあっという間だった。


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