17.あなたじゃないと意味がないのに【ディア視点】
フレミリア様の死から二年が経った。
彼女を殺したのは、魔王と呼ばれている、シンシアという名の魔女だった。
死に物狂いで魔物を滅ぼし、魔王に辿り着いたとき。魔王はもう自我を保っていなくて、魔に支配されただけの化け物に成り下がっていたから、恨み言の一つも言えずに首を折って終わらせた。
呆気ない終わりだった。世界は平和になった。それでも、彼女は返ってこない。
「やっと、終わりましたよ」
手を合わせて呟く。彼女の墓は、俺と彼女が暮らしていた森に作った。
森はほとんど焼け野原になってしまっていたので、俺が一から木と花を植え直した。
彼女の墓の周りには、溢れんばかりのカレンデュラの花を植えた。彼女の瞳と同じ色の花。そして、俺が初めて出会った日に彼女から貰った花だ。
柔らかい風が吹いて、花畑の花が揺れる。
「天国はどうですか。幸せに暮らしていますか?」
返事がないことは分かっている。それでも話しかけることはやめられなかった。
「俺も、」
幸せに暮らします。彼女のためにそう言うべきだ。分かってる。分かってる、けど。
「……俺は、あなたがいないと幸せになれません」
我ながら不甲斐ない弟子だと思う。
幸せになりたい。でも、なり方がもう、分からなかった。
フレミリア様がいない世界に光はない。今すぐに後を追いたい。何度もそう考えては、「生まれ変わって会いに来る」と言ってくれたことを思い出して、やめる。
昔、彼女に尋ねられたことがある。
「あなたは何をしているときが幸せ?」
「分かりません」と答えた俺に、彼女は優しく笑った。
「じゃあ、まずはそれを探すことを一番の目標にしましょうか!」
今、やっと分かったんだ。
起きてきたら紅茶を入れて、あなたがおはようと言うとき。あなたが俺の作ったご飯を食べて美味しいというとき。カレンデュラの花畑の中で笑うあなたを見ているとき。
あなたと。フレミリア様と一緒にいられたら、俺はずっと幸せだったんだ。
────どうか名前を呼んで欲しい。
こうなるのだと分かっていたら、全ての瞬間をもっと記憶の中に閉じ込めておいたのに。
彼女だけがいなくなった部屋で起きて、眠る。その繰り返し。「置いておいて!」と言われたせいで、食卓にあるパンケーキは今も捨てられていない。
家の外からたまに聞こえてくる風の音がなかったら、きっと俺はとっくに壊れてしまっていただろう。
何度頭の中で思い返しても、月日が経って、何度も季節が変わるうちに、植えた木々が立派に育つうちに、徐々に彼女の姿が薄れていく。
どんな風に笑うんだっけ。どんな声で俺の名前を呼んでくれたんだっけ。あぁ、知っていたはずなのにな。
彼女を信じて待っている。
それなのに毎日、あの時一緒に死にたかったと思っている自分もいた。
「ディア!」
フレミリア様が微笑んでいる。
あぁ、きっとこれは夢だ。そう分かっていて、俺は背を向けて走っていく彼女に手を伸ばす。
「フレミリア様……!」
目が覚めた。眠い目を擦り、眼前に広がる夜空を見上げる。
あと少し、だった。手を少し伸ばしたら彼女に届きそうで、怖かった。
ふと手に視線をやる。すると、フレミリア様にそっくりな『ミレリア』の細い手首を握っていた。彼女は穏やかな顔で眠っていたが、寒さからか身を捩ったので、起こさないようにブランケットをかける。
彼女を初めて見た時、頭ではなく心が、直感があなただと言った。
それなのにミレリアは、自分は"フレミリア様"ではないと言う。そうとしか考えられないほど同じ容姿と喋り方をしているのに。
「君が呪いをかけたの?」
フレミリア様の婚約者だった北の魔女は、彼女の死体を見てそう言った。
「なんのことだ」
「カレンデュラの君に生まれ変わりの呪いをかけただろ。死体を"視た"らそんな感じがしたんだけど、もしかして君じゃないの?」
「の、ろい……?」
北の魔女は、魔力と強い想いを込めながら自分に傷をつけることで記憶と魂を結びつけ、同じ容姿と記憶を保持したまま生まれ変われるのだと言った。
不意に、フレミリア様を抱き上げた際、うなじに爪が食い込んだことを思い出す。もしかするとあれのことだろうか。
「僕は自分でしか試したことないし、成功してるかは分からないけどね」
「……呪法が使えるのか?」
「そこそこ。独学だけど」
「っ、それなら、今からフレミリア様を生まれ変わらせることはできないのか!?」
気がついたら胸ぐらを掴んで縋りついていた。
「俺に差し出せるものなら、なんだって差し出す。腕でも、鱗でも、命でも、なんでも。だから、どうか、フレミリア様を生き返らせてくれ……!」
生まれ変わりの呪いとやらが使えるなら、どうにかして、今すぐフレミリア様を生き返らせることが出来ないのか。死ぬほど憎かった彼女の婚約者だということすら忘れて縋りついたが、それは不可能なのだと申し訳なさそうな顔で言った。
「ごめんね。既に死んだ人を蘇らせることは、僕には出来ないんだよ」
「…………そう、なのか」
「それでも、呪いが正常に発動している気配はあった。龍は寿命が長いんだろう? 彼女が無事に生まれ変わることを祈って待つしかないね」
そんなことを言われたせいで、俺は余計に希望を捨てきれなくなってしまった。
そんなある日、フレミリア様にそっくりな女が森に迷い込んできたとなれば、勘違いしても仕方がないだろう。
「…………こんな風に笑っていたんだろうか」
ディアと友達になれて嬉しい。
ミレリアは、そう言って笑った。
フレミリア様と姿はそっくりなのに魔法は一切使えず、パンを焼き、植物を普通に育てて、家事をする。ピザが食べたいから、と窯を作ってくるような突飛な行動力は似ているが、フレミリア様と同じ笑顔で笑いかけてくるのに、俺に敬語を使い、いつもどこか遠慮している。
最初はミレリアの姿を見るたびに絶望していた。同じ姿をしているくせに、彼女は俺のことを何も知らない。俺のフレミリア様ではない。
ミレリアを見ているだけで辛くて堪らなくて、一日も早く目の前から消えてくれることを願った。顔を合わせないように、花畑で過ごす時間が増えた。
そのはずだったのに、微笑ましい、と。最近は、そう思ってしまうことが増えた。今では彼女のために果物や野菜を取って帰るし、嬉しそうにパンを作っている姿をずっと眺めているし、脆弱な彼女が死なないように、ずっと気を配っている。
俺はミレリアといると弱くなる。
フレミリア様がいないのに、幸せになってしまう。月光に照らされて、ミレリアのか細い首が白く光っている。きっと、俺が握るだけで簡単に折れる。
「……殺しておけばよかった」
最初に会ったときに。中身を知ってしまう前に。絆される前に。今はもう、そんなこと出来やしないから。
ミレリアが狼に襲われていたとき、何百年ぶりに動悸がした自分に驚いた。彼女を失うことが怖いと思ってしまった自分のことが怖かった。家の中に彼女がいても不快に思わなくなったのは、いつ頃からで、彼女の姿が見えないと不安に駆られるようになったのは、いつ頃からだっただろうか。
何度生まれ変わったって、例え俺からあなたの記憶が全部なくなったって、何度やり直しても、きっとフレミリア様のことを好きになる。
見た目が同じだけじゃ意味がない。そう、そのはずだ。そのはずなのに。
ふと、ベルが寄越してきた手紙の内容を思い出す。シンシアが復活したというのはクローテッド教団の嘘で、教団はシンシアを何らかの手段を使って蘇らせようとしているのではないか、という話だった。
教団の主張には、あの時代を生きていた人間以外知り得ないような話も混ざっているので、もしかするとシンシアに近しかったものがまだ生き延びているかもしれないとのこと。
ディアも気をつけて、と締められていたが、死に際のシンシアの姿を思い出すと、到底自分に生まれ変わりの呪いがかけられるような正気は保っていなかったはずだ。それでもただの嘘だと断定出来ないのは、何か得体の知れない方法があるのかもしれないという感情で。
もし、本当にフレミリア様を蘇らせる方法があったならば、悪魔に魂を売り渡したっていい。でも、その結果ミレリアが悲しむのであれば、俺は────。
夜空の月は少しずつ満ちていく。今日に限って、やけに月が綺麗だ。
俺は昔のことを思い出しながら、隣にいる彼女が目覚めるまで、ただ夜空を見上げていた。




