第63話 全力で気持ちを込めて
息の詰まるような緊迫感だ。
傍観するだけの客が後ずさり、気分が悪くなっている者もいる。
凍り付いて動けない人間も少なくない。
すべて辺境伯の尋常でない迫力のせいである。
要求を拒まれて苛立った彼女は、周囲に恐怖を振り撒いていた。
まだ殺気すら発していないというのに、全身から滲む魔力が破壊現象へと昇華されつつある。
実際、戸棚の皿が小刻みに震えて擦れる音を鳴らしていた。
辺境伯は顎を撫でて俺に問う。
「ふうむ。どうしたら店を譲ってくれるのじゃ」
「絶対に譲らない。帰ってくれ」
「ワシは辺境伯じゃぞ。本気で逆らうつもりなのか」
「騎士団をぶっ潰した話は知っているだろう。俺は誰にだって頭を下げない。敵対するなら殺す」
俺の発言に周りが焦る。
辺境伯の神経を逆撫でする行為だ。
きっと巻き込まれたくないと切に願っているのだろう。
挑発的な返答を受けた辺境伯は一歩踏み出す。
無表情の彼女は瞬きせずに見下ろしてきた。
「正気か?」
「無論だ」
俺は怯まずに視線を返す。
生存本能が刺激され、五感が普段以上に冴え渡る。
辺境伯は無言で睨み付けてくる。
ほんの僅かにでも気を抜けば死ぬ。
その確信が脳髄を滾らせて、呼吸すら忘れさせようとする。
時間感覚が歪み、もはやどれだけの沈黙が続いているか分からなくなってきた。
辺境伯の威圧感が俺を押し潰しにかかってくる。
指一本として触れられていない……しかし、ともすれば気を失いかねないほどの力だ。
屈すれば楽になると誰かが囁く気がした。
(まあ、ここで退くつもりはないがな)
俺は歴戦の傭兵だ。
殺意と狂気がひしめく戦場を生き抜いてきた過去がある。
相手が怪物だろうと態度は変えない。
暴力に訴えてくるなら暴力で捻じ伏せる。
ただそれだけだった。
永遠かと思われた睨み合いは、辺境伯が顔を動かしたことで唐突に終わった。
彼女は頬を微かに紅潮させている。
再び俺を見つめる双眸は、先ほどまでと意味合いが異なっているようだ。
嫌な予感がするも、それを阻止する術は持っていない。
何かに納得した頷いた辺境伯は俺に告げる。
「――惚れた。迷宮とか店はどうでもいいからお前、ワシの夫になれ」
「はぁ?」
予想だにしない言葉に思考が停止する。
次の瞬間、俺は辺境伯に掴まれて肩に担がれてしまった。




