ワイヤード(1) ──「私がやる。東京駅の蜘蛛を殲滅し、私の部下を救出する」
わずかに時間を遡り。
宰河弘樹の前にオゼロベルヤが初めて姿を現した、その同刻。
生き残っていた二人の銃器対策部隊の隊員が、東京駅地下の狭いエアダクトの中を這い進んでいた。
「最低、最悪の一日。クソ……」
麻戸井茗子は、私物のオイルライターの小さい灯りを頼りに、その狭い空間を慎重に這っていた。
フラッシュライトは持っていたが、その大光量は敵に発見される危険性が高く、使用を避けている。
その後ろを這っていた凛瀬沢京佳が、不安の声を漏らす。
「無謀です……もう無理ですよ……」
「黙ってろ。まず……武器を見つける。それから、奴らを全滅させる方法を探す……」
麻戸井は、左手に銃剣を握りしめながら答えた。
大量の敵との銃撃戦で、武器と弾薬をほとんど失ってしまった。今や、わずかな拳銃の弾しか残っていない。
よもや、この銃剣一本で敵を壊滅させられるような超人的技能など持っているわけもない。
「麻戸井さん……正気に戻ってください……もう、みんな、殺されたんですよ……?」
凛瀬沢は口を開けば泣き言ばかりで、麻戸井は小さく舌打ちをする。
複数のエアダクトが合流する少し広い空間に出たところで、麻戸井は姿勢を変え、オイルライターで凛瀬沢の顔を照らす。
その表情はすっかり怯えきっていて、目には涙が溜まっている。
右頬は機関銃の弾丸が掠めたことによる大きな切り傷ができていて、左の瞳も爆発によって飛散したコンクリートの小破片で傷つき真っ赤に充血していた。
「どうして私たちが勝てるんですか……? あの宰河警視だって……今頃は殺されてます。もう、かなうわけないんですよ……」
それに対し、麻戸井は苛立った口調で答える。
「逃げる場所なんて、何処にあると思う……? 外だって、異世界の怪物だらけ。のこのこと外に出ていったら、ものの数秒で跡形もなく食い尽くされるだろうね。戦う以外に、選択肢なんてない……」
「それでも……きっと、どこかに安全な場所があるはずです……。このままじゃ、ただの無駄死にですよ……!」
「……無駄かどうかは、あたし自身が決める。あんた一人で逃げてもいいけど、その時は武器を全部置いていけ。腰の、よくわからない日本刀もね……」
凛瀬沢は震えながら、自分の腰に下げた、WASP隊員が趣味で持ち込んでいたであろう日本刀をちらりと見て、首を横に振る。
「丸腰で一人きりになったら、それこそ殺されるに決まってるじゃないですか……!」
「なら、黙ってついてこい……武器と、生き残りを探して、反撃する……」
麻戸井は、刃こぼれしかけている自分の銃剣を睨みながら、これまでの経緯を思い出す。
戦いの練度は、明らかにこちら側が上だった。
しかし敵は数で勝った。撃てども撃てども、敵は続々と沸いてくるのだ。
アヤカのバリアーに守られているとはいえ、弾薬と体力を着実に削がれていき、敵のショットガンに銃撃されて重傷を負った古淵を庇いながら戦うには限界があった。
ついに半田も敵に撃たれて倒れ、ついに蜘蛛の兵士たちに囲まれ逃げ場を絶たれた時、麻戸井が踏み出した『床』が偶然に抜けた。
それは生い茂った異世界の草木に隠れていた、換気扇であった。
ダクト内に落下し、動転しながらも這い上がろうとする麻戸井に対し、宮潟は言い放った。
────『逃げて! 私の作った時間、無駄にするんじゃないわよ……!』
宮潟は、戸惑っていた凛瀬沢も掴んでダクトに投げ落として、がむしゃらに叫びながら敵に向かって乱射を始めた。
それから急に、アヤカの魔法が発動したのか、小さい爆発音と共に濃い煙幕が立ち込めて、何も見えなくなってしまったのだ。
煙の中で宮潟の叫び声と発砲音、そして大量の怪物の咆哮と殴り合うような音が飛び交い、成す術もない麻戸井と凛瀬沢はダクトを使って退避することを選んだ。
そうしてダクトの迷路を這い続け、今に至っている。
「私たちは、宮潟先輩も見捨てて、逃げたんですよ……。もう、取り返しなんてつくわけないです……。たった二人で無謀にも挑んで殺されたら、宮潟先輩の最期の想いも、無駄になるんですよ……?」
「…………あたしの言う事、聞いてなかったの」
「聞いてますよ……聞いた上で、私は言ってるんです……。麻戸井さんは、復讐に囚われて、冷静さを失ってるんですよ……」
「……復讐に執着して、何が悪い。仲間の死を飲み込んで逃げる方が、あたしにとっては地獄だ」
麻戸井は凛瀬沢との会話を断ち切り、進行方向を決めるべくオイルライターを掲げて周囲を観察した。
するとすぐ先に、換気扇が壊れてエアダクトの外に出られるようになっている場所があった。
「出てみよう……」
「でも……この辺りは……さっきまで、銃声が山ほど聞こえていた所ですよ? 危険です……」
「それは、敵が派手に撃ち合うような相手が居たってこと。死んだ奴から、武器を奪えるかも」
凛瀬沢の意見を無視して、麻戸井は壊れた換気扇を蹴って外し、エアダクトの外に這い出る。
ライターを消し、代わりにMP412マグナムリボルバーを右手に握って、銃剣を持った左手と交差させて構えた。
生暖かい空間に、生ゴミを蒸したような異臭が立ち込めていて、麻戸井は思わず眉間に皺を寄せる。
「これは……何事……?」
射殺された蜘蛛兵士の死体が大量に転がっている。だが、応戦したと思しき人間の死体はどこにも見当たらない。
まさか、これだけの数の敵を一方的に殺し、未だなお生存している人間が居るというのか。
続いてエアダクトから出てきた凛瀬沢も、この場所の有様を理解できずひたすら困惑する顔つきだった。
「……撃った薬莢は山ほど落ちてるけど、銃が見当たらない。まさか、このボロ屑が、銃……?」
麻戸井は、長年雨ざらしにされるよりも劣化の程度が酷い、朽ちた鉄パイプのような物の破片を拾い上げる。
ますます何が起きたのかが理解できない。
少なくとも確実なのは、この場所の敵は皆殺しにされ、撃てる状態の銃も全く無いということだけだ。
その時、通路の奥から、女性がすすり泣くような声が聞こえた。
飛び上がるほど驚いた凛瀬沢は、咄嗟にFNX45ピストルを構える。
「……聞こえました?」
「ああ……」
二人で拳銃を構えながら、慎重に歩を進める。
「────誰でもいいから、助けてぇ……」
やがてその声の主に辿り着き、麻戸井は唖然とする。
青肌で軍服を着た蜘蛛女が、黒い植物に拘束され吊り下げられているのだ。
麻戸井はMP412を即座に撃てるように撃鉄をカチリと起こしながら、近づいていく。
蜘蛛女も二人に気付いて、顔を上げる。
「あっ、人間……? お願い……助けて……!」
蜘蛛女は、敵である人間に対して動揺するそぶりも見せず、ただ唐突に助けを求めてきた。
どういうわけか、日本語が通じる。麻戸井は戸惑いを感じながらも、率直に尋ねる。
「お前は誰? ここで何があった……?」
「私はシュノリューネ……本当はあなた達の敵なのだけど……味方に裏切られて、捕まったの……! 助けて……!」
嘘だ、と麻戸井は思った。率直に信用できない。
捕まっていることは目に見えている通りの事実だと思うが、『味方に裏切られて』というのは嘘だという確信があった。
戦っていた相手に反撃されてこうなったか、もしくは襲撃の失敗の責任を取らされてこうなったか、そのどちらかだ。
「……他に人間は見た? あの蜘蛛兵士を殺したのは、誰だ?」
「人間の、男と女の警官よ……。捕まえていたんだけど、武器を奪って逃げ出したの。でも……また捕まっちゃったけど」
麻戸井は凛瀬沢と顔を見合わせる。
「もしかして……蜘蛛に捕まっていた、宰河警視と、米海さんじゃないですか!?」
「生きてたのか……!」
シュノリューネは、必死な口調で続ける。
「二人だけじゃない、あなたの仲間たちも、生きてるわ……。同じ場所に連れて行かれてる。その行き先を教えてあげるから……お願い……助けて……! 何でも協力するから……!」
凛瀬沢は、どうするのかと聞きたげに麻戸井の顔を見る。
麻戸井はMP412の銃口をシュノリューネに近づけながら、鬼の形相で尋ねた。
「────それと、武器と爆薬を貯め込んでる場所も教えろ」
◆
グザエシル帝国降下猟兵師団第三中隊、シェイトン・アラドール軍曹は、友軍であるはずの兵士を次々に殺害するオゼロベルヤの行動に、底知れぬ恐怖を感じていた。
オゼロベルヤたちのガルータム王国軍の支援が任務と聞いた時から、黒い嫌な予感が漂っていた。それがついに現実のものとなってしまった。
【叡】と呼ばれる少女、エイリス姫を確保した今、人間との戦いで兵士を消耗したのを好機として、オゼロベルヤは中隊長のカーツェン・ベイデワーグ少尉を殺害し、グザエシル帝国軍を裏切ったのだ。
彼女は、生き残り全員を皆殺しにする気に違いない。
「……司令部、司令部、応答を! こちら、第三中隊、シェイトン・アラドール軍曹! 緊急事態が発生……! 司令部、応答を!」
シェイトンは第三中隊が持ち込んでいた軍用無線機を使い、救援を求めていた。
高度な魔力を持つ者であれば遠距離精神感応を使うことが出来るが、シェイトンを含めてほとんどの隊員にはその技能がなく、魔法の技量に関わらず遠方への意思伝達が可能な無線機は欠かせない道具である。
<────こちら司令部、ユミエル・リーヴェル少尉だ。シェイトン軍曹、報告せよ>
「駐留していた地下鉄駅にて、現地の武装警官隊と交戦……壊滅的な被害を負いました。隊の生存者は、十名以下。そして……オゼロベルヤが、裏切りました。中隊長のカーツェン少尉を殺害し、我々の武装を鹵獲抑止魔法で破壊。このままでは、全滅します。至急、救援部隊を送ってください……!」
カーツェン少尉は、少女を確保したことは司令部に報告済みだったが、大量の戦死者を出したことについては咎められることを恐れて報告を上げていなかったのだ。もっと早くに救援要請をしていれば、こんな最悪の事態にはならなかったであろう。
<何だと……!? 戦死者が出た場合は逐一報告するようにと命じていたのに……! シェイトン軍曹、その場には何人居る? 捕まっているのか? 隠れているのか? 報告せよ>
シェイトンは、周囲を警戒しているノーヴィーと無言で視線を交わしてから答える。
「この場に居るのは、自分と、ノーヴィー・スロティリンカ上等兵の二名のみです。他の兵士たちは人間の捕虜を監視するためにオゼロベルヤの側に居ましたが、今は武器を破壊されて手も足も出ない状態です。カーツェン少尉の他、二名が既にオゼロベルヤによって射殺されました。一刻も早く、救援が必要です」
<承知した、シェイトン軍曹。今、動かせる部隊を確認する。…………え? あ、ちょっと……!>
突然、ユミエル少尉の声が途切れた。だがすぐに、通信は別の人物に変わった。
<────シェイトン……君だな>
耳を凍てつかせるような冷たい女性の声。
その声に聞き覚えのあったシェイトンは、思わず背筋を伸ばし、目を見開く。
◆
日本の政治の中枢である巨大建造物、東京都千代田区永田町、国会議事堂。
異世界軍に占領され、出動部隊の司令部へと変わったその議場で、シェイトン・アラドールの救援要請は受信されていた。
「五分で行く」
降下猟兵師団第一中隊【高機動騎兵隊】隊長、メイ・ストゥーゲ少佐は、それだけ言って無線を切った。
力ずくで椅子から持ち上げられて退かされた通信担当のユミエル・リーヴェル少尉の尻餅をついた姿には目もくれず、メイ少佐は立てかけてあるSTG44アサルトライフルを持ち上げ、その背の黒い翼を広げた。
「────【高機動騎兵隊】、出動の時間だ」
その合図で、待機していた六人の兵士が一斉に立ち上がる。
様々な背格好を持つ、異人種だけで構成された歴戦の精鋭集団。
遠距離精神感応で即座に全ての情報を受け取った六人は、一言も交わさないまま必要な武器を装備と手に、議場を退出していく。
そしてメイ少佐自身も、STG44のコッキングハンドルを引いて初弾を装填し、予備弾薬ポーチが下がったハーネスを素早く身に着けると、呆然としたままのユミエル少尉に告げた。
「他の応援部隊は不要だ。私がやる。東京駅の蜘蛛を殲滅し、私の部下を救出する」
それだけ言って、メイ少佐は退出していった。
すっかり気圧されたユミエル少尉は、ふらふらと立ち上がって、椅子に戻る。
出し抜けに、建物の外から連続した爆発音が聞こえた。
それは、国会議事堂の隣に位置する、皇居の方角から聞こえてきた。
こちらでは皇居には部隊を送っていない。
ロエベッタ王国軍が竜を使って攻撃を行っているのだ。
しかし上手くいっているようには思えない。聞こえるのは、爆発音と竜の悲鳴ばかりだからだ。
皇居は、その平時の静謐さとは裏腹に、強力な警護部隊を持っている。
ユミエル少尉は溜息をついて、独り言をこぼした。
「……やはり、手こずってるようだな。だから、皇居には深入りするなと言ったのに」
【Wired】- 針金を巻き付ける / 線を繋ぐ / 興奮する、酔う





