悪魔の巣窟(1) ──「無能な民衆も、強欲な政治家も、残忍な軍隊も、全てこのお花畑の中に、埋もれてしまえばいい」
「……お前が、レファバールか」
周囲を警戒しながら、新たに現れた蜘蛛女と対峙する。
彼女こそ、この食人植物を東京地下に侵食させ、大量の民間人を虐殺した張本人。
一見すると武器は持っていないようだが、使える武器が無いのはこちらも同じだ。
未知の魔法と怪物と操る相手に、丸腰では太刀打ちできるはずがない。
メヴェルは、思案する俺の横顔と、魔法によって破壊された武器の残骸を見比べながら言う。
「……鹵獲抑止魔法。自軍の武器が敵に奪われることを防ぐために、緊急時に上官は指揮下の隊員の武器を自己破壊させることが出来る」
「なるほど……」
俺は、足元の草むらにシャンパンの瓶が割れずに落ちていることに気付いていた。東京駅の利用客の誰かがクリスマスを祝う為に買っていたものだろう。
それを上方に蹴り放ってキャッチして、壁に思い切り叩きつけると、ガラス片とシャンパンが盛大に飛び散り、俺の手元には鋭利な割れ瓶が残った。
先端を、レファバールに真っ直ぐに向ける。
「……最悪。マジかよ」
俺の様子を見た米海は、悪態をつきながら、落ちていた黒い紳士傘を拾い上げる。
「ビンと、傘で、この東京を救えって……? ふざけんな、バカ」
「俺に言うな。生き残りたいなら、他に手段はない」
貧弱な間に合わせの武器を構える俺たちを、レファバールは冷たい面持ちで見つめ続けている。
「……叡を、何処にやった?」
問うが、彼女は沈黙したまま答えない。
「答えろよ。……それとも、俺の言うことが分からないか?」
俺は横目で、メヴェルを見やる。
「……共有翻訳魔法は良好に機能してる。問題ない」
メヴェルは簡潔にそう言った。
俺は、割れ瓶を逆手に持ち替えて、構えをとる。
「今すぐ、問答無用で殺し合いを始めるつもりか。それとも、部下が集まってくるまでの時間稼ぎか? ……上等だ」
そこで、今まで黙っていたレファバールが、小さい口をそっと開く。
「私は、このお花畑を、壊されたくないだけなの」
それを聞いた俺は、眉をひそめる。
「お花だと……? ふざけるな」
「……貴方は、誤解してる。私が創ったこのお花が、みんなの世界を救うの」
レファバールは黒い瞳を細め、壁に磔にされている犠牲者の身体から生えている紅く光る花を、そっと摘んで、匂いを嗅いだ。
「あぁ、いい香り……。貴方もたくさん嗅いだでしょう。凍えた心を融かすような、この芳醇で甘い香り。
食べても、とても美味しいの。まろやかな優しい味で、誰もが幸せになれる。
……貴方も想像してみて? この花たちが咲き乱れる、暖かく、静かな、戦争のない楽園を……」
恍惚とした表情で語るレファバールに対し、俺は、食人植物の犠牲になった死体の一つをちらりと見た。
幼い我が子を守るように抱きしめながら、死んでいる母親の亡骸。
植物は、母親が命に代えても守ろうとした子供の身体にも、深く根を張っていた。
「……狂ってる。そんな世界は、地獄だ」
そう俺は一蹴する。
レファバールは眉間に皺を寄せて、摘んだ紅い花をかじった。
厚い花びらから、血液のように赤い汁が飛んで、彼女の口元を吸血鬼のように汚す。
「……私たちは皆、ずっと、地下深くに穴を掘って暮らしてきた……極寒の凍てついた地表の下で。
王国のほとんどの民衆は、地上に出ないまま一生を終えるの。
貴方には想像もできないでしょうね……その苦痛が。
暖かく、静かな、戦争のない楽園なんて……おとぎ話の世界でしかない。
でも……私は、それを現実のものにしたい。
このお花が、それを可能にする。私はそう信じてるの。
無能な民衆も、強欲な政治家も、残忍な軍隊も、全てこのお花畑の中に、埋もれてしまえばいい。
争いのない、美しい花々が咲き乱れる素晴らしい世界を、私は創り上げるの」
彼女の背後から、カサカサと不快な音を立てながら、百足にそっくりな巨大な黒い虫が現れた。
背から、俺たちを拘束していたものと同じ黒い針金のような植物のツタを触手のように蠢かせていて、縛りつけた何か大きな塊を背負っている。
その塊を注意深く見て、正体に気付き、俺と米海は叫び声を上げた。
「……宮潟!!」
血まみれでボロボロになった姿の宮潟が、巨大百足の背に拘束されているのだ。
執拗に殴られたらしく、高雅な美人であった彼女の顔は、今や正視に耐えないほど無残に血で汚れ腫れ上がっている。
彼女はまだ息があり、薄く開いた目でこちらを見た。
「本当に、ごめんなさい……頑張ったけど……やられたわ……」
俺が絶句していると、レファバールは肩を揺らして笑う。
「人間にしては頑張って抵抗していたみたいだけど、無駄だったね。……他の皆にも、会いたい? 良かったら、会わせてあげる」
目の前に突如として突き付けられた残酷な報せを、俺は現実感を持って受け止めることが出来なかった。
ただ、体内を流れる血液が徐々に氷水のように冷えていく感触を味わっていた。
「貴方の命も、もうすぐここで終わる。けれど……大人しく私に従うなら、皆に再会させてあげる。……貴方が命懸けで守ってきたあの娘にも、もう一度だけ、会わせてあげる」
俺たちの背後にも、三匹の巨大百足が迫っていた。
「服従するか、ここで死ぬか、好きな方を選んでいいよ。……でも」
突然、メヴェルの悲鳴が上がった。
一匹の巨大百足が背中の黒いツタを伸ばし、一瞬にしてメヴェルの全身を拘束したのだ。
「メヴェル……!」
「……裏切者には、選択の余地なんて無いよ。用が済んだら、この子たちの餌になってもらおうかな。生きたまま、少しずつ、ね……」
もがくメヴェルを素早く背中に縛りつけた巨大百足は、彼女の口に猿轡のように黒いツタを巻きつけて喋れない状態にしてしまった。
他の二匹の巨大百足も、俺と米海を威嚇するように黒いツタを伸ばして突き付けてくる。
「まだ、無駄な戦いを挑むつもり……? その時は、貴方を捕まえてから、目の前で仲間を一人ずつ嬲り殺してあげる。……どうするの?」
俺は、レファバールを今すぐ八つ裂きにしたい衝動を必死に堪えながら、静かに首を横に振る。
「……分かった。降伏する」
俺は唇を噛み締めて、ガラス瓶を投げ捨てた。
武器を探さなければ。
あの巨大百足を倒すには、銃器か、さらに頑丈な刃物が必要だ。ガラス瓶や傘などでは刺した時点で壊れてしまう。
WASPの隊員の死体を見つけることが出来れば、彼らが持ち込んでいた武器や装備が残っているかもしれない。
「そっちは……?」
レファバールの視線が、米海に向いた。
米海は身体をビクッと震わせて、何度も頷く。
「こっ、降伏する! 私は、虫は苦手なんだ……お互い、平和的に、解決しよう……」
ぎこちない笑みを作る。
レファバールも、笑みを浮かべて応える。
「平和的に……? そうだね……貴女には後で、とびきり綺麗な花を植えてあげようかな」
米海の顔から、さらに血の気が引いた。
「フフフ……じゃあ、ついてきて……」
レファバールは満足そうに、カチカチと脚を動かして後退していく。
俺と米海もそれに従って注意深く進み始める。
「……私のお花を、踏まないでね。踏んだら、その場で殺すから」
俺は、足をぴたりと止めた。
踏み出しかけた足の先に、青く光る花が咲いている。
巨大百足に縛りつけられた宮潟が、そこで、か細い声を上げる。
「……ここは、従って……。逆らっても、勝てないわ……」
「……クソッ」
俺は、今すぐ花を踏み潰したい衝動を抑え、花を避けて慎重に東京駅地下街を進み続ける。
しばらく歩くと、やがて、武器を持った二人の人影が見えてきた。
その身なりは人間の兵士そのもので、仲間かと思ったが、それは違った。
第二次世界大戦中の、ドイツ軍兵士。
彼らの第一印象は、それだった。
グレーの厚手の軍服に身を包み、今や希少な骨董品と化した古い戦時中の武器を、さも当然のように握っている。
無骨な顔つきをした背の高い男性兵士と、背が低くまだ少女にも見える若い顔つきの女性兵士。
俺は、今まで見てきたものから、すぐに彼らの正体を推察した。
彼らこそ、この東京を破壊し占領した、異世界軍の兵士だ。
「……シェイトン、ノーヴィー。ご苦労様。暴れてた三人、捕まえてきちゃったよ」
メヴェルの共有翻訳魔法により、本来は言語の異なるはずの彼らの会話を、日本語として何の遜色もなく聞き取ることが出来た。
シェイトンと呼ばれた男性兵士が、訝しげにこの顔ぶれを見る。
「シュノリューネと、その部下の兵士たちは……?」
「何の役にも立たずに壊滅。シュノリューネは逃げようとしたから、私が捕まえた。後で実験の材料にでもしちゃうよ」
平然と言ってのけるレファバールに対し、シェイトンとノーヴィーは無言で表情に嫌悪感を露わにする。
「それより、貴方たちも仲間を大勢殺されたでしょ? ご自由に復讐しても良いよ。殺しても拷問してもいいし、メヴェルの共有翻訳魔法が効いているから、罵倒してあげるのもいいんじゃないかな」
他人事のように淡々と言う。
シェイトンは、俺と米海の身なりを改めて一瞥してから、虚ろな目で答えた。
「……結構だ。犠牲のない戦いなんて無い。……恨みはしない」
先ほどから一度も喋っていない、ノーヴィーという女性兵士の方は、それに同意するかのように据わった顔つきをしている。
軍人として悲観的な感情を無理に抑え込もうとしている様子がほの見えるシェイトンに対し、ノーヴィーは確固たる意志を持ってそこに立っているという強い雰囲気が感じられた。対照的なコンビだ。
俺は、噤んでいた口を開く。
「…………お前らは、この戦いを、正義だと思ってるか?」
破壊されていく東京。成すすべもなく殺されていく市民。必死に抗うも、無残な死を迎えていく仲間たち。
一生消えることのない様々な感情が胸の内に渦巻いていたが、俺の口から出てきた言葉はその問いだけだった。
それを受けたシェイトンは、あらかじめその答えが決まっていたかのように、冷静に言った。
「俺たちは、君らと同じだ。俺たちは、国に命を捧げた兵士だ。……与えられた使命が、俺たちの全てだ」
もう話すことはないという顔つきで、シェイトンとノーヴィーは道を開けた。
レファバールは、そんな彼らを見て鼻で笑うと、俺たちに再び付いてくるよう手招きした。
その場で理性的な話し合いなど出来るわけもなく、俺たちは二人の前を横切って進む。
やがて、俺たちは吹き抜けになった広い空間に出た。
今まで光源となるものは淡い光を放つ花々だけであったが、上層部から見下ろしてみると、下層の空間の中央に、蒼く輝く大きな水晶が立っていた。
「あれは……」
その正体を確かめようと目を凝らして覗き込んでいた時、不意に巨大百足たちに背中を押され、米海と共に宙に投げ出された。
「うわぁああああああ!!」
米海が叫んだ。
俺は着地の瞬間に身体を捻り、身体の各部に落下のダメージを分散させるように転がって、素早く立ち上がる。
だが、反撃のチャンスは無かった。
多数の敵の姿を視認したと同時に、俺の全身に大量の黒い蜘蛛の糸が絡まった。
巻きついた糸は瞬時にコンクリートのように頑強に硬化し、俺は大の字で立った状態で固定され、全く身動きが取れなくなってしまった。
「畜生ッ……!」
米海も、うつ伏せの状態で同様に糸を使って拘束されてしまっている。
薄闇に紛れていた、シェイトンらと同じ兵装の兵士たちが次々と姿を現し、俺と米海に銃口を向けていく。
だが俺はそこで、眼前にある輝く水晶の中に閉じ込められている人影に気付き、絶句してしまう。
「──────叡……!!」
敵に攫われていた叡は、そこに居た。
あろうことか彼女は、まるで時間ごと凍結されたかのように、その水晶の中で目を虚ろに見開いたまま浮いていた。
無骨な黒いフード付きのコートを羽織っていたはずの叡は、今は、見たことがないデザインの赤と白の煌びやかなドレスを身に纏っている。
童話の『赤ずきん』に、華麗な意匠を加えたような服装だ。
どうして叡は、こんな地獄に全く似つかわしくない華やかなドレスで身を飾った状態で、ここに封じ込められているのか。
どうやって、この場所から助け出せばいいのか。
思考が全く追いつかない。
一歩も身動きできず呆然としていると、一人の兵士が俺の目の前に進み出てきた。
「貴様が、小隊長か……?」
いかにもふてぶてしい丸顔で、綺麗に揃えた口髭がトレードマークの男。おそらく、この兵士たちの隊長格の男だ。
俺が何か答えるよりも早く、隊長の男は俺の頬を拳で思い切り殴りつけた。
どうにか俺は踏ん張って堪える。
身体が動かない状態では、倒されたら最後、二度と立ち上がることは出来ない。
「怠惰で軟弱な人間風情が……一丁前に立てつきおって。覚悟は出来てるか?」
俺は横目で、他の仲間たちの姿を探った。それはすぐに見つかった。
……半田……古淵……!!
近くの柱に、二人は蜘蛛の糸で縛り付けられていた。
古淵は、ぐったりと座った状態で拘束されている。顔は血だらけで身動きしておらず、生きているかどうかも分からない。
立った状態で縛り付けられている半田は、執拗に顔を殴られ拷問を受けた様相で、口に詰め物をされながら必死に荒い呼吸を繰り返している。
半田も俺の存在に気付いたようだが、絶望に覆い尽くされた暗い視線をただ送るのみであった。
恨むのも当然のことだろう。俺に付き従ってきたばかりに、こんな凄惨な目に遭わされているのだから。
深い自責の念を肯定するように、隊長の男の拳が再び飛んできて、頬にめり込み、脳を揺さぶり、お前は負けたのだという敗北の痛みを焼き付けていく。
それは俺たちが今まで積み上げてきた全てのものを破壊し尽くし、わずかに残っていた闘争心すらも奪い取っていくように感じられた。
「痛いか? こんなもので済ますわけないだろう。貴様らに殺された部下たちの恨み、じっくりと晴らしてやらんとな……」
隊長の男は腰から銃剣を抜いて、その先端を俺の鼻に突きつけた。
「まず、貴様の生意気な鼻を、削いでやる。そしてそれを口に突っ込んでやるから、食え。一回吐き出すごとに、仲間を一人殺す。その後は両耳、その次は目玉だ。自分の顔面フルコース、その肥えた舌でじっくりと味わえ……」
俺の横では、倒れて身動きが取れない米海が、血走った眼をした三人の兵士たちによって組み伏せられ『品定め』をされている。
「オイッ、ベタベタ触んじゃねーよ! クソが! 離れろ……!」
「おいおい、大人しくしろよ。せっかくイイ身体してんだからさ。無駄に傷つけちゃあもったいないだろ……?」
「武器を隠し持ってるかもねぇ。早急に詳しい『取り調べ』が必要だと思うんだが? どうだよ」
「ねえちゃん、俺らだってなぁ、仲間殺されてんだよ? これくらい当然の権利だろ? 従順に奉仕してくれりゃあ、悪いようにはしないってんだぜ」
頭上から、レファバールの笑い声が響き渡る。傷めつけられる俺たちを見下ろして、嘲笑っているのだ。
隊長の男が、復讐に燃える顔とはほど遠い、ニヤニヤと狂気に満ちた笑みを浮かべながら、俺の鼻先に銃剣を突き当てる。
その刃が皮膚に食い込み、ぷつりと血を弾けさせた、その瞬間。
男の背後に、陽炎が浮かび上がるように黒い女性の姿が現れた。
黒艶のある巨大蜘蛛の下半身を持ち、高雅な目つきで黒い軍服をきっちりと着こなした、長い黒髪の蜘蛛女。
「あ?」
俺の表情の変化に気付き、隊長の男が振り返ったその瞬間、彼の脳天に、銃剣が深々と突き立てられた。
何が起きたか分からず、隊長の男は白目を剥いて支離滅裂な叫び声を上げ、自分の頭に刺さった銃剣のグリップを握りしめながら、仰向けに倒れて痙攣を始める。
「……カーツェン。この役立たずの脳無しが。生け捕りにしろと、単純な命令すら聞けないか」
彼女は無表情に言って、泡を吹いて床で悶え続ける男の顔面を、その鋭い蜘蛛の足で貫いて完全に絶命させた。
兵士たちは水を打ったように慄いて静まり返り、米海を暴行しようとしていた三人組も真っ青な顔でその場を離れていく。
状況の理解が追い付かない俺は、ひたすら表情を驚愕に凍らせるのみであった。
彼女は虚無が詰まった漆黒の丸い瞳で俺の顔をまじまじと観察し、それからニカッと白い歯を見せて口だけの笑みを作った。
「君に会ってみたかった、宰河弘樹。────私の名前はオゼロベルヤ」





