闇撃のインフェルノ(1) ──「私がその舌を切り落としてやる! それとも目を抉られる方が好みか!?」
東京駅地下。
俺は、船酔いに似た強い吐き気と頭痛に苛まれながら、重い目蓋を開いた。
嫌になるほど見た、干からびた死体があちこちで磔にされている食人植物の森の中。
「……ちくしょう」
俺は今、『天井』から逆さ吊りにされていた。
武器装備を全て奪われ、背に回された両手には、針金のように頑丈な黒いツタが巻きついている。
植物のせいか、この空間は異様に蒸し暑い。
既に俺の全身は汗まみれで、顔から染み出た汗の雫が、ぽたぽたと『床』に落ちていく。
俺は歪む視界にどうにか耐えながら、辺りを見回した。
すると、すぐ隣に見知った人物が俺と同じく逆さ吊りにされていた。
「……米海……米海!」
蜘蛛のトンネルで襲われた米海が、やはり武器の類を奪い去られ、拘束された状態で吊り下げられている。
喉元を見ると、微かに呼吸はしているようで、死んではおらず気絶しているだけらしい。
だが、同じく蜘蛛に拉致されていたはずの叡の姿はここには見当たらない。
遠くで、銃声がいくつも聞こえる。
敵に包囲され続けているであろう他の仲間たちも気掛かりだ。
ここから一刻も早く脱出しなければ。
その時、背後から足音が聞こえてきた。
どうにか身体を捻って後方を確かめようとするが、そこで思い切り頭部に蹴りを入れられ、意識が揺らぐ。
衝撃で、吊られた身体が自分の意志とは関係なくグラグラと揺れた。
「……暴れんな。死にたくないなら」
どうにか強く瞬きをして意識を保とうとする俺の前に、こざっぱりとした白い軍服を着た女性が立った。
黒髪の部分と白髪の部分がはっきりと半々に分かれたショートボブの髪型と、小麦色の肌、丸い大きな瞳を持つ、二十代くらいに見える女性だ。
人間かと思ったが、違った。背中に、白い蛾のような羽が生えており、時折、ゆらゆらと羽ばたいている。
間違いなく、異世界の兵士だ。
革製の黒いショルダーホルスターを装備しており、機種は分からないがピストルが挿してある。
腰のベルトには、弾薬ポーチや、刃渡りの長い銃剣が差してあった。
彼女は、側に転がっていた旅行用アタッシュケースを持ち上げて俺の前に置き、そこにどかりと腰かけて、俺を睨みながらおもむろに言った。
「ケヘラー王国、王立工兵師団、第十二技術支援小隊のメヴェル伍長だ。……お前の所属と名前を、名乗ってみろ」
彼女の言葉が流暢な日本語として通じることに強い違和感と疑念を抱きながら、俺は慎重に答える。
「……警視庁特殊部隊SAT、宰河弘樹警視だ」
ここで嘘をついても仕方がない。どうせ俺の素性は既に見抜かれているに違いない。
「意思疎通に支障なし……共有翻訳魔法は良好に機能。問題ない」
メヴェルと名乗ったその異世界の女性軍人は、得意げに鼻で笑った。
「共有翻訳魔法……?」
「この偉大な王立工兵師団が発明した魔法技術だ。個人個人が翻訳魔法を習得していなくとも、共有翻訳魔法を施した範囲内であれば、国籍や言語が異なる者同士で意思疎通が可能になる。人間には不可能な芸だ。凄いだろ?」
やけに喋りたがりの軍人だ。
手の内を自ら敵にペラペラと喋る者は、訓練が甘い。
「……そうだな。一家に一台は欲しくなる」
俺は適当に頷きながら、後ろ手の指で、奪われずに残っていた自分の腕時計の裏側を掻いた。
そこに貼り付いていたタングステン製の研削ヤスリのプレートが外れて手の中に転がり、俺はそれを使って黒いツタの切断を試み始めた。
「叡は、何処だ。彼女に何をした」
「……それは今、お前が気にすることじゃない。自分の心配をすべきだね」
メヴェルは、腰の銃剣を引き抜いて俺の前にかざした。
旧ドイツ軍が採用していたマウザーM1898ソウバック銃剣。
剣身の背に鋸刃が備えられており、草むらを切り払ったりロープを切断するのに役立つだけでなく、近接格闘時にも敵に極めて治癒困難な残忍な刺し傷を作ることが可能な銃剣だ。
「……俺たちを拷問しようっていうのか」
「あいにく、拷問は私の趣味じゃない。汚らわしいし、何より耳障りだ。魔法を使って情報をすっかり抜き出してから、一発で殺してやる方が、まさしく効率的だ」
叡の安否と所在について何も答えないということは、まだ生きている見込みは強いものの、ここではない別の場所に連れていかれてしまった可能性が高い。
だが、この現状ではメヴェルから情報を聞き出すのは恐らく無理だ。
「その脇の銃を使って、俺たちを処刑するのか。……その銃は、強力か?」
俺は彼女の持つピストルの機種を特定するため、あえてそう質問した。
自己顕示欲が高い傾向があるメヴェルは、俺が彼女の装備に興味を持ったことに対して少し嬉しそうにして、ソウバック銃剣を腰に戻して、脇のピストルを抜き、俺の額に突きつけた。
「もちろん。軟弱な人間など、一発で殺せる」
シュタイヤーP12ピストル。
これも旧ドイツ軍で採用されていたピストルで、口径は標準的な9ミリ。装弾数は八発。
着脱可能なマガジンがなく、スライドを後退させてからクリップを使って本体に弾を直接装填する方式の銃だ。
現代のピストルであれば、マガジンだけに弾を詰めておいて射撃が必要な時のみスライドを引き薬室に装填するという動作が可能だが、クリップ装填式の銃はそれが不可能ではないが難しい。
だから、この銃の弾は完全に空か、それとも薬室まで全弾装填済みのどちらかしか有り得ない。
「……もう、弾は込めてあるのか」
「間抜けなことを聞くな。この引き金を引けば、お前を殺せる」
ならば、安全装置を解除するだけで、弾は出る。
俺は強めに瞬きした。
しかしながら、先ほどの銃剣といい、彼女は何故、ナチス政権下の旧ドイツ軍で使われた古い火器を持っているのか。
どう考えても、この東京の警察や国防軍から奪った武器ではない。
「……どうして君は、ドイツの古い武器を持っている? どこで手に入れた」
「ドイツ? 何を言っている。これは、こちらの世界で造られた武器だ」
その返答に、俺は眉を寄せた。
意味もなく無駄話をしていたつもりは無いが、思いもよらぬ事実に足を突っ込んでしまったらしい。
旧ドイツ軍で用いられた今や過去の武器が、異世界で製造されていた。
しかもメヴェル自身は、その原型が旧ドイツのものであると知らなかった。
この原型となる銃が異世界にもたされたのは、メヴェルよりも前の世代での出来事ということだ。
────つまり、この東京で侵攻が開始されるよりも半世紀近くも昔に、この現世と異世界に、接触があったのだ。
その時。
「何を面白い話をしているのかなぁ?」
メヴェルの後ろから、甘ったるい声が近づいてきた。
振り返ったメヴェルはぎょっとして、微かに怯えた表情になる。
現れたのは、黒い軍服を煽情的に着崩して胸の谷間を強調している、青色の蜘蛛の下半身を持った青肌の女性。
「シュノリューネ……」
メヴェルは、その蜘蛛女をそう呼んだ。
二人の力関係は、メヴェルの顔つきを見ればよく分かる。
このシュノリューネという蜘蛛女の機嫌次第で、メヴェルを一撃で殺すことが出来る……そんな雰囲気を感じた。
「……共有翻訳魔法の試験も兼ねて、尋問を行っていた」
「勝手なことしないでくれる……? 怒りっぽいくせに軟弱なあなたじゃ、そもそも何にも聞き出せないでしょ? むしろ、真っ先に反撃されて死ぬかもねぇ」
シュノリューネは子供をあやすような口調で、メヴェルを小馬鹿にする。
メヴェルは明らかに苛立って眉間をピクピクと痙攣させるが、結局何も反論せず、ピストルを戻して脇に避けた。
俺に近づいて、この顔をまじまじと見つめたシュノリューネは、舌なめずりをして笑う。
「いいわぁ……その表情。捕まって、これから仲間も皆殺しにされるっていうのに……闘志を絶対に捨てない、この顔つき。時間が許すなら、じわじわとなぶって、ゆっくりと絶望に墜としてあげたいなぁ」
「……君みたいな美人に拷問されるなら、本望だな。蜘蛛は大好きだ」
あえて怒らせるため、俺は自分の性格にもないキザな皮肉をぼやく。
するとシュノリューネは、少し目を丸くしてから、俺の唇を人差し指でつつく。
「へぇ、そうなの? 私のこと好きぃ……? 変わった人間ねぇ……。優しくいじめてあげたくなっちゃう」
どうやら、こちらはナルシスト臭い。皮肉があまり通じないようだ。
「……でもねぇ、ごめんね。今はあんまり時間がないの。もったいないけど、あなたで極上の罠を作ってあげたいと思って」
「罠だと……?」
「四肢を切ったあなたの身体の中に、たくさん寄生虫を仕込んで、たくさん悲鳴を上げさせて、あなたの最愛の仲間たちを呼び寄せるの。そこで、あなたの体内の寄生虫が飛び出して、みんなを殺すというわけ。……素敵だと思わない?」
「……お喋りが好きなんだな。それなら、俺は一切悲鳴を上げず、仲間に俺を射殺するよう指示する」
そう挑発すると、シュノリューネは微笑んだまま顔色を変えず、俺の口にいきなり指を突っ込んだ。
「それは、あなたに『舌があったら』の話でしょ……?」
冷たく血の味がする指が、愛撫するように舌のざらざらを撫で始めた。
シュノリューネは、俺の口内をじっくりと蹂躙してから、唾液にまみれた指をゆっくり引き抜いて、味わうように舐めてから、煽るような目つきで俺をじっと間近で見つめる。
「私はね、あなたのこと、ちょっと気に入っちゃったの。私の拷問を喜ばれるなんて、はじめて。短い間だけど、もっと喜んでほしくなっちゃった。だから、舌を抜くのは最後の最後にしてあげる」
「……結局、舌は抜く気なんだな」
「あなたのことは気に入ってるけど……あなたの仲間は大っ嫌い。品がなくて馬鹿で、今も暴れまくってるから」
◆
大手町駅地下。
「全員殺せ!!」
宮潟はありったけの力を込めて叫び、ベネリM4ショットガンの引き金を絞った。
蹴り倒した蜘蛛兵士の口に突っ込んだ銃口から激しい発砲炎が迸り、圧力で頭蓋骨が一瞬で砕け散った。
弾が切れ、ボルトが後退位置で停止した。
敵の転送魔法陣が次々と現れ、銃を持った蜘蛛兵士や、トンネルで戦った大蜘蛛の群れが次々と湧いて出てきている。
生き残っている宮潟、半田、古淵、凛瀬沢、麻戸井、アヤカの六人は、一心不乱にそれを蹴散らしながら地下通路を進み続けていた。
「走れ! 走れ!!」
半田はM27IARを腰だめで連射して、大蜘蛛の群れを撃ち砕き強引に道を切り開いていく。
同じく89式小銃を撃ちまくっている凛瀬沢が大声を上げた。
「前も後ろも敵だらけです! 囲まれてます……!!」
通路の後方から激しい敵の銃声が轟いて、赤く光る尾を引く弾丸が次々と飛んできた。
ガルータム王国の蜘蛛兵士とグザエシル帝国の人間兵士が混成グループとなって、銃を猛連射しているのだ。
「……しゃらくせえですね!」
最後尾のアヤカが、倒した敵から鹵獲していたヘルリーゲル水冷式サブマシンガンを後方に向かって構え、その銃身で貫くように半透明の盾型バリアーを出現させた。
そのまま、バリアー付きのヘルリーゲルを後方に乱射する。
対応が遅れたグザエシルの人間兵士を一人射殺したが、すぐさま敵グループはバリアーを張り返して弾丸を防御した。
アヤカは構わず片手でヘルリーゲルを撃ち続け、彼らがそれ以上攻勢に出られないよう牽制する。
「そろそろ回り込んで来ますよ!」
アヤカがそう警告すると、進行方向の壁から黒の転送魔法陣が現れ、そこからMP40を構えた男の兵士が身を乗り出した。
「危ねえな!!」
古淵がGSRを発砲し、兵士の顔面を撃ち抜いた。
そして古淵は、倒れた兵士の死体が腰に着けているM24柄付き手榴弾のキャップを外し、点火紐を引っ張って、死体を転送魔法陣の中へと押し戻した。
「お返しだ……!」
後方、敵のバリアーの内側で爆発が起こり、兵士たちが破片を浴びて無残に吹き飛ぶのが見えた。
「……ざまみろクソ野郎!!」
だが、通路の分かれ道の死角から突然、M30三連ショットガンを構えたグザエシル帝国の人間兵士が身を乗り出し、発砲した。
赤く燃える小粒弾丸が銃口から一斉に拡散して飛び出し、古淵の顔面めがけて襲い掛かった。
古淵は、それを避けることができなかった。
そして鮮血が散った。
◆
俺は逆さ吊りにされながら、メヴェルに向けて怒鳴る。
「さっさと俺を解放しろ! さもなきゃ、お前を一番最初に殺してやる……!」
「黙れ! 黙っていろ!!」
メヴェルはソウバック銃剣を俺に向け、かすかに震える大声を上げる。
「今すぐその喧しい口を閉じないと、私がその舌を切り落としてやる! それとも目を抉られる方が好みか!?」
「やれるものなら、やってみろ! どうせお前は、動物を傷つけたことすらないんだろ!?」
「このっ……バカにするなよ!?」
その口喧嘩を、シュノリューネは微笑ましそうに見守っている。
だから俺は躊躇せず、メヴェルを挑発する。
「魔法に頼りきって、どいつもこいつもひ弱なんだろ……!? 知ってるんだよ! まともなパンチ一発できないんだろ!?」
「……ほらほらどうするのメヴェルちゃん、言われちゃってるわよぉ?」
「うるさいな!! このクソ人間め……何なら、その腹、思い切りブン殴ってやろうか!?」
「ああ、上等だ! やってみろよ!!」
正直、ここまで単純に物事が運ぶとは思わなかった。
あとはわざと強めのパンチを一発いただくだけで良い。
メヴェルは苛立ちが頂点に達した顔つきで、助走をつけるためにいくらか後ろに下がってから、拳を突き出して突進し始めた。
俺は腹筋に力を込める。
「うらぁあああああああああああああああ!!」
彼女のパンチが勢いよく腹に衝突し、俺の身体は振り子のごとく後方へグラリと大きく揺れた。
振り子というものは、重りが片方に振り切った時に位置エネルギーが蓄積され、その後は重力に引かれて反対側へと振られることになる。
ついに俺は、後ろ手で既に切断していた黒いツタを一気に解いて、両腕を開いた。
メヴェルは驚愕し、目を見開く。
俺は振り戻る勢いを利用して、メヴェルの喉を思い切り殴りつけた。
そして怯んだ彼女のショルダーホルスターからシュタイヤーP12ピストルを掴んで抜き取る。
素早く親指で安全装置をカチリと解除して、俺の足元を狙い発砲した。
俺の足を縛る黒いツタが弾丸によって断ち切られ、俺の身体はついに『床』へと落下した。
そして仰向けのまま、シュタイヤーP12の銃口をシュノリューネに向ける。
「────!?」
だがそこに、シュノリューネの姿はなかった。
倒れてもがき苦しむメヴェルしか居ない。
何処へ行った……?
「上出来。上出来ねぇ……。もっと好きになっちゃうかも」
俺は絶望した。
視線を自分の身体の方へゆっくり戻していくと、俺の腰に馬乗りになったシュノリューネが居た。
青く光る糸で、器用にあやとりをしている。
その糸は、地下鉄のトンネルで蓮の足を鋭利に切断した罠と同じものだった。





