幕間:遠すぎた楽園 ──「彼らの首を切り落とし、私の元へ捧げよ」
わずかに時間を遡り。東京駅にて。
グザエシル帝国特別国防隊、降下猟兵師団第三中隊所属のシェイトン・アラドール軍曹は、床に座りながら、ミネラルウォーターのペットボトルを見つめていた。
何の異物も濁りもない無色透明の液体。
それを目の前のランプの灯りにかざし、きらきらと光る様子にシェイトンはしばし見惚れる。
厳格な衛生管理が行き届いたこの国の、純潔な飲料水だ。
蓋をペキッと捻って開き、そのまま躊躇わずグイッと口をつけて、ミネラルウォーターを喉奥に流し込む。
言葉にならない美味さだった。無味のはずなのに、舌は甘さを感じる。
故郷の泥臭い、あるいは薬臭い水とは天と地の差。水が、こんなに美味いと感じられることがあるなんて。
両親が生きていたら、沢山の食べ物とこの水をお土産に持って帰ってやりたかったのに。
再び自然と涙が零れてきて、シェイトンは言葉もなく呻く。
我々はいま、再び戦争を仕掛けている。
しかも今度は、この東京という異世界の国の首都を舞台にだ。
だが果たしてこれは、本当に『戦争』と呼べるものなのか。
自身はまだ直接その手に掛けてはいないが、この東京の各地で行われた各国の軍隊の蛮行の数々は嫌でもこの目と耳に入ってくる。
東京テレポーターで行われた、グーリンルド共和国の先発隊が行った最初の民間人殺戮が、いかにも今回の侵攻作戦を象徴するような事態であった。
一方的な侵略、虐殺に他ならない。
シェイトンは今、深い疑念を抱いていた。
この侵攻作戦に加わっている各国では、侵略する標的であるこの異世界の住民について、共通して予めこのように広報している。
『彼らは、恵まれた環境と裕福さを生まれながらにして持ちながら、国土愛など皆無で神や国家へ感謝することが一切ない。それどころか誰もが例外なく横柄で差別的で不躾で、下劣な言葉を互いに投げ合い足を引っ張り合うことが大好きな、精神的にも肉体的にも軟弱劣等低俗な民族である』
このあまりにも事実と異なる下卑に脚色された民族像を、事前に国民と兵士たちへ強く擦り込んで激しい嫉妬と義憤を抱かせることで、我々の軍事行動と侵略支配を大義として正当化する世論が形成されるという算段だ。
そうして兵士たちは、国民の盛大な歓声を背に受けながら、開拓という名の大虐殺の異世界旅に送り出されたのだ。
シェイトンは苦渋の表情で、ペットボトルの蓋を半分閉めて、足元に置いた。
我々は、取り返しのつかない大きな過ちを、愚かにも繰り返し続けている。
身勝手な思惑による絶えない戦争が世界全体を壊滅させ、そして今度は、この遠い異世界の地をも侵略し戦火を広げようとしている。
仮に侵攻作戦が順調に成功してこの異世界全体を掌握することになったとしても、今度はその領土と資源の取り分を巡って再び戦争が勃発するに違いない。
この破滅の連鎖は、いつか必ず絶たねばならない。ここに来て、そんな想いがいっそう強くなった。
……だが現実には、たった一人のちっぽけな兵士に出来ることなど何もない。
後戻りが出来る段階は、とうに過ぎている。今さら白旗を挙げても、和平共存という道など無い。
殺すか、殺されるか。それだけなのだ。
シェイトンは、腰に下げた革製のホルスターから、一挺の拳銃を取り出した。
箒の柄に似たグリップを持つ大型拳銃、レッドナインピストル。
グザエシル降下猟兵師団第三中隊に支給されている拳銃のひとつで、シェイトンは個人的には好きではないが、小さい管楽器のような品のある外観が上級士官らに特に人気があり、機関拳銃型や騎兵銃型など多くの変種も配備されている定番品だ。
シェイトンはおもむろに、レッドナインピストルの後端の小さいボルトを引いて装填口を開き、クリップで束ねられた十発のルガー拳銃弾をポーチから取り出して、装填口に挿し、親指で一気に弾をマガジン内に押し込んだ。
最後にクリップを引き抜くと、ボルトが狩猟罠のようにバチンッと前進し銃の薬室が閉鎖された。
安全装置を掛けてホルスターに戻してから、今度は側の壁に立てかけてあった大型銃を手に持つ。
短距離制圧火器として定評のある、ヘルリーゲル水冷式サブマシンガン。
百発のルガー拳銃弾を装填可能なドラムマガジンと、連続発砲時に生じる銃身の過熱を迅速に冷却可能な水冷タンクを備えている。
隊にあると便利だが、自分が持ちたくはない火器の筆頭。ドラムマガジンと水冷タンク、この二つの機能がとにかく重く、行軍に余計な苦痛を作る。
水冷タンクのキャップを開き、先ほど飲んでいたミネラルウォーターの残りを注ぎ入れる。
軍では、汚染の程度がひどく飲料には出来ない水を機関銃冷却用に使うことが通例であったことを思うと、あまりにも贅沢で気が引ける行為ではあったが、水道が使用できないこの重力反転下では仕方のないことだ。
一本では足りないので、側の箱から追加のミネラルウォーターを取って、さらに注ぎ足していく。
「食う?」
突然、死角から声が聞こえて、何かがいきなり飛んできた。
シェイトンは顔にそれがぶつかる前に、左手で受け止める。
見ると、それはこの東京で売られている菓子パンだった。食欲をそそられる写真が印刷された、清潔な包装袋に入っている。
訝しげに見上げると、そこには見慣れた背の低い女性兵士が立っていた。
まだ少女と呼んでも差し支えないような、うら若い顔立ちで白い髪と赤い目を持つ、女性兵士。
ノーヴィー・スロティリンカ上等兵。
「……ノーヴィー、やめてくれないか。現地調達した食料も、配給制が原則。許可のない私的拾得は従軍規則に違反する」
ノーヴィーは、まるで聞いていないという風にシェイトンの向かいに座り、自分の分の菓子パンの袋を開き、ムシャムシャと食べ始める。
「聞いているのか。もし中隊長に見つかったら……」
「……私より先に死ぬくせに、何を気にしてる?」
彼女は口の中で噛み砕いている菓子パンの残骸を隠そうともせず、そのまま赤い目でシェイトンを見つめながら言う。
「放っておいて寿命で先に死ぬのもシェイトン軍曹。戦って銃弾を撃ち込まれて先に死ぬのもシェイトン軍曹。もったいない生き方はしない方がいい」
シェイトンは、虚を突かれて目を丸くした。
シェイトンは生まれも育ちもグザエシル帝国だが、ノーヴィーは元々はエスミソン公国の生まれで、種族が異なる。
この国の言葉を使って表現するのであれば、シェイトンは『人間』に近い種族だが、ノーヴィーは『吸血鬼』に似た種族だ。
動物の血液を主食とし、寿命が長く自己治癒能力が極めて高い。
グザエシル帝国を『最高の軍隊を持つ国家』とするなら、エスミソン公国は『最高の生命力を持つ国家』だ。
だが、住み心地が良い国かと尋ねられると、他国の者はもちろん、自国民ですらも大多数が『悪い国』だと言うだろう。
エスミソン公国には、いわゆる生贄の文化がある。
絶対的な権限を持つ上級貴族たちが、より永く美貌を保ち生き長らえることができるよう、国民を【薬】として喰らう生贄制度が古くより存在するのだ。
国民は、冷酷な公国軍による厳格な圧制を受け、娯楽も何も与えられず、今日の【薬】に選ばれないことを日々祈りながら、貴族の贅沢な生活を維持するためだけの奉仕労働を休みなく強いられている。
ノーヴィーは、そんなエスミソン公国から命懸けで脱出し、グザエシル帝国まで逃れてきた者の一人だ。
確率で言えば、百人が国外脱出を試みたとして、成功するのは一人いるかどうかというところ。それだけ、生きてあの国を脱出できるのは稀だ。
脱出を夢見ていたノーヴィーの仲間たちは、まず三分の一が衆人環視の中で拷問の末に処刑され、次の三分の一が公国軍の魔法兵器開発の実験材料となり、顔立ちが良かった最後の三分の一が貴族の性玩具に改造されたらしい。
何度思い返しても、胸糞が悪くなる話だ。
シェイトンは溜息をついて、周囲に人目がないことを確認し、即座に菓子パンの包装を破って齧り付く。
濃厚な果実のソースが入った、甘美な味わいのパンだった。もう二度と、故郷の質素なパンに食欲が湧くことがなくなるかもしれない。
同じように菓子パンを夢中で食べるノーヴィーの姿は、いかにも妹分という雰囲気であるが、こう見えてシェイトンよりも二回りも歳上で、相応に多くの死地を潜り抜けてきている。
彼女が脇に抱えているのは、カラビナ98Kライフル。
グザエシル帝国の軍全体に行き渡っている銃で、新兵がまず最初に手にする武器でもある。
一発ごとにボルトハンドルを前後させて再装填する必要があり速射が効かないが、構造が単純かつ堅牢で信頼性が高い特長があり、使用するマウザーライフル弾も一撃の威力に優れている。
ノーヴィーはあえてその長所を重視してこの銃を愛用している……ということは全くなく、単純に降下猟兵師団の中でも格下の第三中隊には二線級の火器ばかり与えられているというだけだ。
あの『解放の英雄』ことメイ・ストゥーゲ少佐が率いる最精鋭が集う降下猟兵師団第一中隊には、より上位の強力な火器の数々が与えられている。
彼女らは現在、東京各地の日本国防軍の駐屯地の掃討任務に駆り出されているはずだ。
この第三中隊の四十名の兵士は現在、ガルータム王国軍を支援すべく、ケヘラー王国軍が派遣した技術支援小隊と共に、この東京駅と呼ばれる施設を一時的な拠点として駐留している。
シェイトンが菓子パンを食べ終えた時、そう遠くない場所から、男の悲鳴が聞こえてきた。
しかし、シェイトンもノーヴィーも、今さら動じることは無い。
ガルータム王国軍が進めている、この異世界の人間を利用した【緑化実験】だ。
罪人や戦争捕虜を利用した長年の遺伝子魔法実験により完成した、動物に寄生し瞬時に成長する植物を、ここで実地試験しているのだ。
今のところ、深刻な環境汚染に晒されておらず成長阻害物質の含有量が少ないこの異世界の人間の肉体とは、寄生植物との相性が非常に良いという試験結果で、この東京に住む民間人を苗床にした森が瞬く間に形成されることになった。
これで、破壊の限りを尽くしてこの地に瓦礫と死体の山が築かれることになったとしても、すぐに植物を繁殖させて豊かな土地へと造り変えることが可能であると立証されたとして、場は歓喜に沸いている。
グザエシル帝国とガルータム王国は、上辺から見ると強固な同盟関係を築いている仲であるが、この致命的な価値観の違いによる溝は一生埋まることは無いだろう。
「……とにかく、生き残ろう。そうしないと、お話にならない」
ノーヴィーは、そう神妙な顔で言う。
「生きる為に、ここまで来た。死ぬ為じゃない。……この施設の脱出に使えそうな換気口、裏道は粗方調べた。危険が迫った時は、逃げる」
それを聞いたシェイトンは目を何度も瞬きして、前のめりになる。
「まさか、敵前逃亡……!? それこそ即座に銃殺だ……!」
「……声が大きい」
ノーヴィーはいきなり手を伸ばしてシェイトンの口に指を突っ込み、顎を鷲掴みにした。
「あくまで最後の手段……。運命の転がり方は分からないということ。
私たちの軍隊は、これだけ民間人を一方的に嬲り殺しにしてきた。生き残っている人間たちは、間違いなく激しい復讐に燃えている。活路を開くために玉砕覚悟の捨て身の攻撃もしてくるはず。その時、何が起こるかは分からない」
シェイトンは息苦しさに呻きながら、メイ少佐からかつて言われたことを思い出していた。
────『敵も自国を守るため、神に全身全霊を捧げ、命懸けで抵抗してくるであろう。我が軍も、多大な犠牲を払うことになる』
ようやく指が離された。
今度はノーヴィーは思い切り顔を近づけてきて、真剣な眼差しでシェイトンを見つめた。
「シェイトン軍曹。自分が何のために生きているか、もう一度考えた方がいい……。
貴方は、本当に、この異世界の人間を命令のままに虐殺することが幸せ……?」
彼女の言葉に、心がわずかに揺れた。
しかし、その時。
サブマシンガンの銃声が鳴った。
銃弾がノーヴィーの身体に次々と突き破り、鮮血が散った。
「ノーヴィー!!」
下腹部を撃たれ仰向けに倒れたノーヴィーは、激痛に口をぱくぱくと痙攣させている。
敵の奇襲かと思ったが、違った。それよりも悪い出会いであった。
銃声が鳴った方を見ると、カチ、カチ、という奇妙な音が近づいてきた。
そこには何の姿も視認できない。だが、空気の揺れ動きを感じる。
刹那、シェイトンの目の前に、陽炎が浮かび上がるように黒い女性の姿が現れた。
黒艶のある巨大蜘蛛の下半身を持ち、高雅な目つきで黒い軍服をきっちりと着こなした、長い黒髪の蜘蛛女。
ガルータム王国軍地下浸透部隊隊長、オゼロベルヤ。
その手には、銃口から細い煙を上げるエルマ・サブマシンガンが握られている。
グザエシル帝国で製造され供与されている軽量サブマシンガンで、ガルータム王国軍に制式採用されている火器のひとつだ。
「心配するな。この程度で死にはしない」
オゼロベルヤは顔色一つ変えない無表情で言って、エルマ・サブマシンガンを続けて発砲し、倒れているノーヴィーの脚を撃つ。
再び真っ赤な血が散って、彼女の悲痛な叫びが上がった。
「やめろ……! やめてくれ!!」
耐えきれず、シェイトンは銃口の前に立ちはだかった。
その姿を見たオゼロベルヤは、心底不思議そうに首を傾げる。
「君は、撃ったら死ぬだろう?」
虚無が詰まった漆黒の目が、シェイトンの顔を深く見据える。
「それとも、死なないのか?」
衝動的にノーヴィーをかばったシェイトンだったが、その身体は恐怖で激しく震えていた。
頭が真っ白になり、舌が空回りして、その場をかわす聡明な言い訳も、身代わりを買って出る勇敢な言葉も、何も出てこない。
ただひたすら絶句し怯えながら、銃口の前に立ち尽くすだけであった。
「おい、何事だ!?」
そこで幸か不幸か、銃声を聞き付けて、丸顔に口髭がトレードマークである中隊長のカーツェン・ベイデワーグ少尉が、二人の部下を伴って走ってきた。
銃撃され倒れているノーヴィーと、今にも射殺されそうなシェイトンを見つけ、カーツェン少尉は仰天し、咄嗟に持っていたシェーグレン自動ショットガンの銃口をオゼロベルヤに向ける。
「貴様……! 何をしている!? その銃を下ろせ!」
彼の背後の二人の兵士も、緊迫した顔つきで持っていたハウエルカラビナ自動ライフルをオゼロベルヤに向ける。
すると彼女は、カーツェン少尉の顔を一切見ようともせず、淡泊に言う。
「ただ、ノーヴィー上等兵の耐久性に興味があっただけだ。実際に、『撃たれ強い』ようだと分かった」
「何だと? この狂人め……ふざけているのか!?」
カーツェン少尉は、シェーグレン自動ショットガンの銃口を彼女に近づけていく。
そこでオゼロベルヤは、エルマ・サブマシンガンの銃口を静かに下げながら、言った。
「緊張による指先の震えで、撃つ気が無くとも銃の引き金が引かれてしまうことがある。銃口は、射殺して良い物にしか向けるべきではない」
「は……?」
カーツェン少尉と二人の部下は、自分たちの首に、上方から伸びた青い糸が巻き付いていることに気付いた。
その糸は徐々に光り始めると共に、強い熱を帯び始め、彼らの皮膚にジリジリと焼き付いていく。
悲鳴を上げて慌てふためく三人の頭上を見上げ、シェイトンは、この世の終わりのような表情になる。
そこに、青色の蜘蛛の下半身を持つ女が逆さまにぶら下がっていた。
黒い軍服を雑に着て、豊満な胸の谷間を晒し出した、青髪の蜘蛛女。
無邪気な笑みを浮かべながら、両手の平から編み出した青い糸を使って、三人の首を鋭利に焼き切ろうとしている。
「ねぇ、どの首を最初に落とせるか、賭けてみようか?」
オゼロベルヤの右腕、地下浸透部隊副隊長、シュノリューネ。
敵兵を罠で狩りたい時は、彼女に頼めば全てが片付くという。
「いま殺害する意味はない。今後の認識の擦り合わせの為、脅迫をしておきたかっただけだ」
「そうなの? じゃあ、殺すときになったら、また呼んでね」
シュノリューネは青い糸をパッと解くと、上方に張り巡らした植物のツタと糸を器用に伝いながら、姿を消した。
「きっ、貴様らぁ……!! いったい、どういうつもりだ……!!」
カーツェン少尉はすっかり臆病風に吹かれた表情で、抗議をぶつける。
オゼロベルヤは意に介していない顔つきで、エルマ・サブマシンガンのマガジンを外して投げ捨て、新しいマガジンを銃に挿入した。
「それよりも。たった今、私の配下が【少女】の捕獲に成功した」
すると、カーツェン少尉の顔から恐怖と怒りが消し飛んで、たちまち手柄を得た喜びの感情に満ちた。
「何っ、本当か……!? ようやくか……!! あの気色の悪い巨大蚯蚓が倒された時は、どうなることかと思ったぞ! ハハハハハ!!」
二人の注目が逸れている内に、シェイトンは倒れていたノーヴィーを助け起こす。
「ノーヴィー、大丈夫か……?」
「…………確かに、この程度の傷じゃ、私は死ねない」
ノーヴィーは激痛に喘ぎながら、そう吐き捨てる。
この痛みをまともに受け止めるくらいなら死んだ方がマシだとでも言いたげだ。
傷口からの出血は、既にほとんど止まりかけているようだ。
「本当に、最低……。撃たれたルガー弾が二発……太腿の中に……残ってる……」
「え……?」
シェイトンがその意味を理解しきる前に、ノーヴィーは医療ポーチから外科用ペンチを取り出して、それをいきなり自分の傷口に深々と突き刺した。
驚愕して叫んだシェイトンの声と、ノーヴィーの激しい悲鳴が重なる。
やがて引き抜かれたペンチは、血だらけの弾丸を先端に掴んでいた。
恐ろしいことに彼女は、貫通せずに傷の中に残ってしまった弾丸を、自らの手で抉り摘出しているのだ。
ノーヴィーは取った弾丸を投げ捨て、痛みに涙を流しながら、再びペンチを次の傷口に突っ込んだ。
シェイトンまで涙目になって、その残酷な光景から目を逸らす。
二発目の弾丸を抉り出したノーヴィーは、血まみれのペンチを半狂乱の面持ちで乱暴に投げ捨て、今度は腰に下げていた丸い水筒の蓋を開いた。
水を飲むのかと思ったが、水筒に入っていたのは、生臭い深紅の血液だった。
浴びるように血液を貪欲に飲み始めるノーヴィーの姿に、シェイトンは面食らう。
逆さまにした水筒から最後の一滴が彼女の喉奥に落とされた時、じゅわじゅわと沸騰するような音が聞こえたかと思うと、傷がみるみるうちに癒えて塞がっていった。
……これが、ノーヴィーの自己治癒能力か。
ノーヴィーは水筒を投げ捨て、口元に垂れた血液を右手で拭い舐め取ってから、ひたすら呆然としているシェイトンを潤んだ上目遣いで見た。
「そういえば、初めて見たよね。……ドン引きした?」
「…………そうだな。かなり……」
シェイトンとノーヴィーは、カーツェン少尉とオゼロベルヤの後を追い、ケヘラー王国軍の技術支援小隊が集まっている東京駅地下の広場へと向かう。
技術支援小隊は十人。紺色の小綺麗な軍服に身を包み、落ち着きなく何か言い争っている。
ケヘラー王国軍は、兵士単体の戦闘能力はさして高いとは言えないが、その代わりに防衛に特化した先進的な多くの魔法技術を持っている。
国民全体の教養水準も優れており、この作戦に参加している七ヶ国の中では一番『まとも』と一応は言える国である。
彼らの周囲には、様々な大きさの球体が浮遊しており、その中には、この東京駅地下のあらゆる場所を監視した立体映像が次々と移り変わり表示されている。
ここで彼らは情報を収集しながら、生き残っている警視庁特殊部隊の人間たちへの攻撃を、着実に指揮しているのだ。
「……想定外の問題が発生した」
この技術支援小隊の隊長である眼鏡を掛けた老人、ライレスが、皺を深める重い顔つきで、カーツェン少尉を見やった。
「何を言う老いぼれ? 【少女】の生け捕りには成功したんだ。残りの小賢しい警察の人間共は、毒ガスを使用してまとめて皆殺しにする。難しいことなど何があるんだ」
「それが……王室騎兵連隊の兵士が一人、寝返ったようだ。防御魔法を使い、人間たちを毒ガスから守っている」
その瞬間、カーツェン少尉は顔を真っ赤にして、ライレスの胸倉に強く掴みかかった。
「何だと!? どこの馬鹿が!? 教えろ! 直ちに処刑してやる!!」
「……ここだけの話だが、我が国の王室騎兵連隊は、士気が特に低い。国王を讃える華やかな式典の開くためだけに容姿で選抜された、大した仕事もしない税金泥棒集団だ。この東京の言葉では、『アイドル』と云うものが近いらしいが……」
「そんな話は聞いてない! 裏切者など、ただちに銃殺だ! さっさとこの馬鹿者が居る場所へ案内しろ!!」
怒鳴り喚き散らすカーツェン少尉を、オゼロベルヤが背後からエルマ・サブマシンガンを使って思い切り殴り倒した。
一撃で場を沈黙させた彼女は、棒立ちになったライレスを見下ろして言う。
「今すぐ追跡魔法を使用して、全員の視界に敵の位置情報を共有させろ。敵を追い詰め、一人残らず皆殺しにする。捕虜など要らない」
ライレスの部下たちが指示に従い、両手に光を灯らせて術を念じ、追跡魔法を発動する。
これは、壁越しにでも見える特殊な魔法光を対象に取り付かせることで、敵の位置を暴き出す魔法だ。
シェイトンは緊張の面持ちで、【少女】を失った警察特殊部隊の人間たちの様子が映し出された球体に、視線を移した。
どうやらそこで人間たちも異状に気が付いたようだが、既に遅い。
オゼロベルヤの遠距離精神感応による指示を受けた怪物、グラーヴァーが、ケヘラー王国軍の裏切者である『アイドル』とやらの身体を一瞬にして食い破った。
しかし、彼女もしぶとい。下半身を砕かれ失いながらも、まだ生きている。
そこで警察特殊部隊の隊長らしい人間の男が、彼女の身体を抱え、生き残っている仲間と共に走り出した。
強い意志が宿るその鋭い瞳を見て、シェイトンは察知する。
この男は……必ず、この場所まで辿り着く。
シェイトンは、持っていたヘルリーゲル水冷式サブマシンガンを見つめ、それから、隣に立つノーヴィーを見た。
彼女は無言でカラビナ98Kライフルのボルトを引き抜いて、代わりに、機械部品がついた別のボルトを取り出して、挿し込んだ。
それは、遠距離戦用のカラビナ98Kを、中近距離戦用のピダセンカラビナ自動ライフルへと変換する、ピダセン自動装填装置だった。
彼女はそのまま、マウザークルツ弾が二十八発装填されたマガジンをポーチから取り出して、その側面にガチャリと接続し、最後にボルト後端のスライドを勢い良く引いて初弾を装填した。
「とにかく、生き残ろう。そうしないと、お話にならない」
ノーヴィーは、再びそう言った。
オゼロベルヤの遠距離精神感応による指示が、詳細な配置図の映像と共に脳内で鮮明に再生される。
「グザエシル降下猟兵師団第三中隊の諸君……狩猟の時間だ。
敵は少数だが、高い戦闘訓練を受けており、執念深い。
東京駅北、大手町駅の方面から半蔵門線を通って来る。通り道に、対人地雷を仕掛けろ。隠蔽する必要はない。堂々と設置しろ。
そう単純に罠で全滅してくれる相手ではない。進行を一時的に止める事こそが本命だ。
回避に手間取っている隙に、機関銃手と小銃手は、貫徹焼夷弾を装填したマドセン軽機関銃とハウエルカラビナ自動ライフルを一斉掃射。
敵は上等な防弾具を身に着けているが、この対装甲車弾薬を使用すれば粘土のように穴が開く。
短機関銃手、散弾銃手は、その機動性を活かして残党を狩れ。防弾具のない腰より下を撃ち、敵の機動力を確実に奪いつつ殺せ。
我が地下浸透部隊も、強力に援護をしてあげよう。
魔法、怪物、銃器……その全てを組み合わせ、人間共を皆殺しにしろ。
彼らの首を切り落とし、私の元へ捧げよ」





