アイソレーション(1) ──「もし何か妙なものが見えたら、それは人間じゃない。容赦なく焼き尽くせ」
「……誰も居なかった、だと? 全員、別の場所に避難したということか?」
俺が尋ねると、舞原は不気味がる目つきで、通路の脇に除けてある利用客のものと思しき雑多なバッグの山を指さす。
「それにしては妙なことが多いんだ。利用客の荷物の多くがこの駅に放置されていた。持ち主が何らかの理由で……消えた。自分には、そうとしか思えない。良い方向に解釈すれば……避難に不要だから置いて行っただけかもしれないが……」
残されている荷物は、手持ちのクラッチバッグ、肩掛けバッグ、旅行用のキャリーバッグなど。背負うタイプのバックパックは無い。
持ち主がすぐに『手放せる』ものばかりだ。
「……その言い方だと、死体も何も見当たらなかったのか? 他に、敵襲の痕跡はあったか?」
「痕跡、か……。それは、実際に見てもらったほうが説明が早い。向こうの閉鎖してある南側の区画だ」
アヤカの言うことが真実であれば、この地下鉄駅も異世界軍の【地下浸透部隊】の侵攻を受けた可能性が高い。
だが、肝心の【地下浸透部隊】の正体を全く聞き出せていないのだ。可能な限り情報を集め、対抗の備えをしなければならない。
都心の地下は、まさに迷宮だ。
複数の地下鉄の路線が絡み合うだけでなく、絶えず行われ続ける拡張工事により、隣接した地下鉄駅が融合したり、付近の商業ビル地下を取り込んで、巨大化している。構造も秩序立っておらず、混沌とした建て増しにより古い内装の区画と新しい小綺麗な内装の区画が渾然一体となって、歩く者を常に惑わせる。
日々の通勤で地下鉄を使い慣れていたとしても、ひとたび初めて降りる駅に足を踏み入れれば、誰しもこの迷宮に苦しめられることになる。
そんな、普段歩くだけでも苦難の多い東京の地下が、今は強大な敵の手中に落ちた。
我々人間が作り出した地下世界が、そっくりそのまま……異世界の【地下浸透部隊】の牙城として、対峙するのだ。
俺たちは舞原に案内され、通路の閉鎖された防火扉の前に立った。
「三津村、モーショントラッカーに反応は?」
舞原は、SIG556を片手に持ちM7動体探知器を構える銃器対策部隊の隊員に声を掛ける。
「反応はありません。大丈夫です」
そこで、宮潟が三津村の脇腹を小突いた。
「過信しないで。体温がなくて微動だにしない敵は、探知できない。待ち伏せされているかもしれないわよ」
「何だって……!? それじゃあ、どうすれば……」
「お母さんから授かった、自分の五感があるでしょう? 敵が居たら、撃つ。それだけよ……」
古淵が左手の小指で鼻をほじりながら、舞原に尋ねる。
「一応聞くが、もう小細工は無いだろうな?」
「勘弁しろよ……! 凛瀬沢の言う通り、正体不明の敵に加え、あんたらとも戦うハメになったら……命がいくつあっても足りない」
舞原の視線は、叡の方へ向いた。米海から奪ったM590ショットガンを持ち続けている。
「……ボクは、別に大したことない。お爺ちゃんの勧めで習わせてもらった護身術が、役に立っただけ」
米海は、いかにも胸糞悪そうに叡を睨む。
「ケッ……そんな護身術、この日本のどこで役に立つんだ? デトロイトじゃあるめえし」
「……今、目の前で、役に立ってるでしょ」
「おい、覚えとけよ? 公務執行妨害、銃刀法違反、傷害、器物損壊、殺人未遂! テメーをボコボコにしてムショにぶち込むには、充分すぎる罪が乗ったぜ?」
「ボクは逃げも隠れもしない。警察でも裁判所でも、どこでも連れて行けば。……建物が現存していれば話だけど」
それを聞いて、半田は米海に人差し指を突きつける。
「君は、罪のない民間人、しかも未成年の少女に、ショットガンを突きつけたんだ。彼女は正当防衛として、それを阻止したに過ぎない。僕は全部、録音しているぞ。マスコミやネットの海に流されたくないなら、大人しくしているんだな……」
「あー……うるせえうるせえ。わかりましたよ、センセー」
舞原は防火扉の施錠を外し、携帯火炎放射器を持つ二人の隊員に指示を出す。
「凛瀬沢、田中。火炎放射器を準備しろ」
凛瀬沢と、銃器対策部隊の田中が、進み出て火炎放射器を構えた。
俺は、加えて忠告する。
「……二人とも、覚悟しろ。もし何か妙なものが見えたら、それは人間じゃない。容赦なく焼き尽くせ」
東京メトロ三洋百貨店駅は、南北に地下鉄銀座線、東西に地下鉄半蔵門線が交差している。
俺たちが入ってきたのは、銀座線の乗り場へ降りる改札口がある北側の通路で、これから進入するのは、半蔵門線へ向かうための南側通路だ。
案内板によると、隣接した商業ビルの地下フロアと一体となっており、かなりの広さがある。……敵が待ち伏せするには充分であろう。
舞原と三津村は、防火扉を押し開いた。
同時に、冷たい風が吹き抜けてきて、腐敗した樹木のような異臭が微かに漂った。
「これは……」
俺はHK416を構えながらその光景を見て、絶句する。
通路のあちこちに、掘削機で掘り抜いたような、大きな丸い穴が開いている。
まるで、虫食い穴だ。
俺は慎重に穴の前に立って、フラッシュライトで照らして中を覗いた。
穴は真っ直ぐではなく歪に曲がりくねっていて、ここからでは奥を見通すことができない。
隣に来た半田は、手に持った5・56ミリNATO弾の先端で、穴の中をなぞった。
「宰河さん。これ、見てください。この穴は……機械で掘られたものじゃないかもしれませんよ……」
弾の先端に、粘性のある透明な液体が付着している。
「多分、これは……唾液です」
俺は、ごくりと唾を飲んだ。
頑丈なコンクリートにこれだけの大穴を穿てる化け物が、潜んでいるというのか。
凛瀬沢は携帯火炎放射器を握りしめ、恐怖を必死に耐えている顔つきで、その先の通路を見据えた。
「……ここに逃げ込んだWASPの隊員たちは、どうやら、これを掘った怪物と鉢合わせしたようなんです」
「死体があったのか?」
「いや……何というか……それが……もう少し行くと、分かります……」
携帯火炎放射器を持った凛瀬沢と田中、モーショントラッカーを持つ三津村が先行し、その後ろをSAT第四小隊の面々がついていく。
そこに、人間の腕が落ちていた。
グレーの都市迷彩の戦闘服。確かに間違いなく、WASP隊員の腕だ。
部位は、肘から上。刃物で切断されたというより、乱暴に擦り潰し切ったような切り口に見える。
その青白い手には、コルト社製のM45A1ピストルが握られていて、銃のスライドは後退位置で停止している。全弾を撃ち尽くしたようだ。
だが、その肝心の持ち主が見当たらない。腕がひとつ落ちているのみで、死体はどこにも見当たらなかった。
「死体を片付けたわけじゃないよな……」
「まさか。そんなもの、誰も触ってないですよ……」
俺は、周辺に転がった薬莢を調べた。
M45A1ピストルの45ACP弾の薬莢以外にも、SA58バトルライフルの7・62ミリNATO弾や、AA12アサルトショットガンの12ゲージフラグ弾の薬莢も落ちている。
「あいつら、相当、撃っているな……」
薬莢は、ヘンゼルとグレーテルのパンくずの如く、通路の奥へと続いている。逃げながら、撃ちまくったようだ。狙いも安定せず、そこら中に弾痕がついている。
「……敵の血が、見当たらないわ」
宮潟が違和感に気付いた。
「あの連中も、バカだけど軍人よ。最新の火器でこれだけ景気よくバカスカ撃ったなら、一発くらいは敵に当たるはずでしょ? でも、この辺を見た限り……傷を負わせた気配も全く無いわ」
それに対し、古淵は鼻をすすりながら言う。
「つまり、こういうことか? 敵は、バリアーを使うか、弾丸を避けるくらい移動が早いってことか。全く、前途多難だぜ……」
「…………ちがう」
そう答えたのは、叡だ。
落ちていた銃弾のひとつを拾い上げて、俺に見せた。
「SA58から撃ち出された、鉄と鉛の二層で成形されたスチールポイント弾。
鉛部分が変形しているのは当然のことだけど、これは、先端の鉄部分まで潰れて砕けてる。だから、敵に弾が当たったのは間違いない。
けど……この弾は、敵を『貫けなかった』」
その言葉に誰もが、狼の群れに睨まれた子羊のような顔つきになった。





