硝子のヴァルキューレ(2) ──「わたしの瞳には、ご主人様しか映っておりません」
砕けた無数のガラス片が、四方八方から降り注いでくる。
そして、狙いを定めたHK416の引き金を絞ろうとした、刹那。
「わたしが、守ります」
肌の表面に電気が通るようなジリッとした感覚が走り抜け、目の前に、黒い半透明の薄膜が現れた。
降りかかろうとするガラス片が薄膜に触れた途端、弾かれて、星のように煌きながら散っていく。
「これは!?」
咄嗟に周囲を見回すと、シャボン玉のようなドーム状の薄膜が俺たちを囲っていた。
まさか、バリアーか……!?
東京テレポーターを襲撃したミイが率いる【グーリンルド】の小隊も、この能力で銃撃を防御していた事を思い出す。
バリアーの中心で腕を左右に広げたアヤカが、にやりと笑った。
「ご主人様……決して、この中で発砲しないでくださいね。コレは、もっと強力なモノです」
俺の正面。壁に取り付いていた緑の靄の一人が、透明化を解いた。
姿を現した白装束の男の右手に握られているのは、黒い大鎌。
それは東京テレポーターで重装備の警官隊を次々と狩り殺した、残忍で狡猾な変化自在の刃を持つあの武器であった。
男は俺の首を狙い、鋭い刃先を大蛇のように伸ばし繰り出した。
しかしそれは黒のバリアーに当たって容易に弾かれ、勢いを保ったまま使い手の元へ返り、男の首を一瞬で斬り飛ばした。
「……こうなるからですよ」
攻撃態勢に入っていたはずの【グーリンルド】の攻撃部隊たちは、その男の死をきっかけに、ぴたりと動きを止めた。
そのまま耳を澄ませてみると、言語は相変わらず分からないが、怯え慌てるような口調で何事かを言い争っているようであった。
恐らく、この黒いバリアーの性質を知っており、それに守られた俺たちを攻撃することは不可能だと察して、撤退すべきかどうか口論しているのであろう。
後ろで、カチリと、銃の撃鉄を起こす音が鳴った。
柚岐谷が、左手でR8マグナムリボルバーを構え、アヤカの後頭部に突き付けている。
「小隊長……この女は、どう見ても敵のようですが? 【魔法使い】……ですよね」
彼女だけでなく、宮潟、古淵、半田も、一様に緊張の面持ちで銃口をアヤカに向けている。
アヤカは、自分を狙う銃口を順々に見て、吐き捨てるように苦笑した。
「命の恩人に対して、すいぶん、非道な扱いをされるんですね……? どう思いますか、ご主人様……?」
俺は咄嗟に、一番近い宮潟のベネリM4ショットガンの銃身を掴んで、無理やり降ろさせた。
「やめろ、全員、銃を降ろせ! こいつは……今は、敵じゃない!」
すると宮潟がムッとして、俺のあごを思い切り鷲掴みにする。
「どうしちゃったのよ、宰河……!? 敵をかばうなんて、私たちが来る前に何があったの!? 筆下ろしでもされた!?」
「大馬鹿野郎、こんな時にふざけるな!」
叡は擁護もせず、無言で俺を白い目で見続けている。
アヤカを気に食わないのは全く変わらないらしい。
「最初は敵だったが、俺が降伏させた……」
「ナニを使って……!?」
「どういう質問だ!?」
俺は宮潟の腕を振りほどく。こんな痴話喧嘩でじゃれ合っている暇はない。敵に囲まれているのだ。
「アヤカ! どれが敵の小隊長か分かるか!?」
「あぁ……最愛のご主人様に頼られて、もうわたしはビショビショの洪水状態です……。もう、わたしの瞳には、ご主人様しか映っておりません……」
「お前も真面目にやれ……!!」
腰をくねらせるアヤカを無視して周囲を観察していると、『天井』に近い上方の壁に取り付いている緑の靄の一つが、目立つ赤の靄へと変色した。
……彼女の能力は、こんな便利なことも可能なのか。
俺は第四小隊のチームメイト全員から冷たい視線を浴びながら、アヤカに尋ねた。
「敵の小隊長を仕留めたい。このバリアーで、俺の撃つ銃弾だけ貫通させることは可能か?」
「いえ……それは出来ません。これは最も優れた防御壁なのですから。ですが……代わりにこんなことは出来ますよ」
俺のすぐ足元、『床』のガラスの上に突然、小さい黒い泡が噴き上がった。そして、握り拳程度のサイズの黒い魔法陣が現れる。
「これは、ご主人様をこの場所にテレポートさせたものと同じ、転送能力をもつ魔法陣です。この転送魔法陣に弾丸を通すと、もう片方の転送魔法陣から弾丸が飛び出します。この意味が……お分かりですか?」
俺は意図に気付いて、赤い靄に覆われた小隊長の居る位置の、反対側の壁を見上げた。
割れ残った壁のガラスに、小さいもう一つの黒い魔法陣が貼り付いていた。
「……なるほど、な」
俺はHK416を下げて腰のウェポンキャッチに銃身を固定、スリングでぶら下げた状態にする。
「宮潟……ベネリを貸してくれ。フラグ弾も一発」
「え? 何するのよ……?」
宮潟からベネリM4ショットガンを借り、機関部下の装填口からフラグ弾をカチャリと込め、コッキングハンドルを引いた。ボルトが後退し、排莢口から赤い散弾ショットシェルが排出され、入れ替わりにフラグ弾が薬室に装填された。
アヤカは頬を染め、恥じらいながら言う。
「ご主人様……ふたりの、はじめての共同作業ですよ。このわたしの穴に、ご主人様の熱い弾丸を今すぐ突き込んでください……」
俺はアヤカを完全に無視し、転送魔法陣へ向けて銃を垂直に発砲した。
同時に、安定翼を展開させた18ミリ口径徹甲グレネード弾が高速で飛翔する通過音が、頭上を突き抜けていく。
顔を上げた時、赤い靄は爆発四散していた。
名も顔も知らぬ敵の小隊長はボロ屑となり、灰色の血液と肉片を散らしながら、夜空の闇へと墜落していった。
「すげえなぁ……こりゃ、たまげた」
古淵は、ヒューッと口笛を吹く。
「こんな強力な敵の魔法使いをセフレメイドに調教しちまうとは……小隊長どの、見直したぜ」
「……あいにく、まだ童貞だ」
俺はベネリM4ショットガンを構えたまま、残りの【グーリンルド】の攻撃部隊たちの動きを注意深く観察する。
「ご主人様……敵が、撤退していきます。きっと、ご主人様とわたしの、時空を超越した愛の力に屈したのでしょう……」
悲鳴に近い声を上げながら、緑の靄が次々と、上方へ撤退していく。
彼らは壁を歩く能力を持つのか、あっという間に全員の姿が見えなくなってしまった。
「……切り抜けたぞ」
俺は信じられないという気持ちで、セフティを掛けたベネリM4ショットガンを宮潟に返した。
だが、場の緊張は解けていなかった。
半田はアヤカを心底気味悪がる様子で、首を捻った。
「……僕は、腑に落ちませんよ。どうして彼女は、宰河さんに協力するんですか……?」
彼はM27IARの銃口こそ降ろしているが、セフティは掛けておらず、いつでも撃てる状態を保っていた。
特に露骨な敵意を示しているのは柚岐谷で、R6マグナムリボルバーの銃口をアヤカから外さない。
「小隊長……こんなわざとらしい色気に負けてしまうなんて、らしくありませんよ。完璧に従順なメイドなど、空想の産物です。私たちを罠にかけるつもりで、彼女は小隊長を騙しているんです。即刻……射殺すべきでしょう」
「へぇ、随分な物言いですねぇ……どの口が、そんなこと言うんです?」
「この女は、間違いなく危険です。今の小隊長は……目が曇っています。ここで救われたのは、中嶋叡を生け捕りにする手柄を独り占めにするためでしょう。隙を見て、裏切るつもりに違いありません。危険な状況こそ、冷静な判断を」
すると、宮潟もアヤカにベネリM4の銃口を向ける。
「私も……尻軽女は絶対に信用しないわ」
「……まだ処女ですよ?」
「こんなクソあざとい処女が居てたまるかよ……」
そこで俺は再び、二人の銃を強引に掴んで降ろさせ、叱責する。
「冷静になるべきはお前らだ! 現時点では、彼女に敵意は無い。たとえ……心の内で、裏切る算段を既につけていたとしても、だ。
彼女を射殺すべき時は、彼女が明確な敵意をもって叡や俺たちに危害を加えてきた、その時だ。
それまでは、彼女へ危害を加えることは許可しない。俺たちは、軍人じゃない。警察官だ。それを忘れるな……!」
そう鋭く力を込めて言うと、古淵は腕を組んで頷いた。
「小隊長どのの言う通りだ。俺は、もはや女の身体には興味は無いが……貴重な情報源として生かす価値が充分にある。何せ、異世界の軍に侵攻を受ける、このワケの分からん狂った状況の中で、意思疎通が出来る捕虜を確保したんだぞ? 生き延びるために、敵の情報が必要だ」
「それはどうだか……。もし、彼女が嘘を言っていたら?」
疑問を呈した半田に対し、古淵はヘヘッと鼻を擦りながら答える。
「そんな時は、言われた嘘と逆の行動を取りゃいい話だろ? 嘘の反対は真実、真実の反対は、嘘だ。……大したことじゃない。恐れるな」
「ふむ……それは、深い事を言っているようで、深くないよな……?」
「まぁな」
そんな二人を横目に俺は、アヤカを黙って注視し続ける叡に聞いた。
「叡も、まだ、アヤカを殺してほしいと思うか……?」
「……ボクには、分かんない。助けてくれたことは確かだけど……信用はしてない」
「そうだな……俺も、そんな感じだ……」
バリアーを解いたアヤカが、楽しげな瞳で俺をまじまじと見つめた。
「ご主人様、これから何処に行きますか?」
「この真下にある……いや、今は真上か……地下鉄だ。そこで仲間と合流する」
「えっ?」
アヤカの表情が固まった。何か思い当たるものがあるらしい顔つきだ。
「……おい、何だ。言え」
「地下鉄は……非常に危険です。それならまだ、ここでわたしと一緒に居た方が安全ですよ。そうしませんか?」
「俺に言わせれば、地上の方が地獄だ。ここに留まるわけにはいかない。地下鉄を通れば、竜の怪物の攻撃や、天地逆転の地形変化の危険を避けて進めるだろう?」
「違います。侵攻が順調に進んでいるならば……地下には……もっと凶悪で恐ろしいものが潜んでいます」
「何だと……?」
尋ねると、アヤカは意味深に聞いた。
「ご主人様…………例えば、『火炎放射器』とか、持っていますか?」
真意が分かりかねる質問だが、その武器は思い当たるものがあった。
────『インディアンは火を着けた矢で戦ったが、私らにはこれがある。携帯火炎放射器。一噴きで、どんなバケモノでも灼熱で焼き尽くしてやれる。今回は、銃器対策部隊の一個班につき二機の火炎放射器を持っていく。まさしく、究極の銃器対策だぜ』





