ポセイドン・アドベンチャー(2) ──「行くぞ! 爆破!!」
具体的な流れは、こうだ。
まず、ラペリングロープの片端を、このオフィスの柱に結び付ける。
それから、銃器対策部隊との模擬戦でも使用した紐状爆薬で防弾防炎ガラスに穴を開け、ロープを持った俺が、ビル間を跳ぶ。
スターライト室町ビルの各フロアのウインドウには庇が突き出ており、そこへしがみ付くことは現実的に可能だ。
無事にしがみつけたら、竜に襲われる前に、その建物の強化ガラスも破壊して迅速に内部に入る必要がある。
再び紐状爆薬を準備している猶予は無いことを想定し、俺が合図を送ったら、このオフィスから半田がSIMONライフルグレネードを使って強化ガラスを破壊する。このライフルグレネードの爆風は指向性であるから、俺は少し離れるだけで巻き込まれる心配はない。
俺がビルの内部に入ったら、適切な場所にロープを結び付け、オフィスに残っていたメンバーがそれにカラビナを取り付けて滑り降りる。
そうすれば全員が無事に、この奈落を越えることができる。
「……テストよし。爆破準備完了。小隊長どのが良ければ、いつでもいける」
古淵が、起爆リモコンを振って見せる。
「全力で援護します」
柚岐谷が、抱えたゲパードGM6を拳で叩いた。
「必ず、成功させてね。私を未亡人にしないでよ」
宮潟には訳の分からない激励をされる。
「……俺は、失敗をするために、この道を選んだわけじゃない。全員で必ず生き残るぞ。今度こそ、皆に美味い酒を奢ってやる」
言い終えて、俺は半田が酒嫌いなことを思い出した。
その表情の変化を察して、半田は片眉を上げて首を横に振る。
「僕が、宰河さんの酒を断るとでも? 宰河さんがオススメするなら、何でも美味いと信じてます」
「いや……飲酒の強要は道理に反する。お前には、カルピスだ」
叡にも何か言われるものかと思ったが、彼女はこちらを黙って見つめ続けるのみだった。
俺はオフィスの端で、ラペリングロープを手首にしっかりと巻き付けて、クラウチングポーズを取った。
そして、充分な助走距離がとれるよう障害物が避けられた、これから自分が走ることになる『滑走路』を見つめる。
全員、障害物を素早く走破するパルクール訓練は受けているが、こんな約十メートルもの距離の奈落を生身で飛び越えた経験は誰にも無い。
クロスボウの矢を加工して即席のロープ射出器として利用する案も考えてはみたが、銃に匹敵する威力があるとはいえ、大の大人がぶら下がっても外れないほど深く壁に矢を打ち込むようなことは不可能だ。
誰かが跳ばなければならない。
だから、俺がやる。
「行くぞ! ────爆破!!」
設置された紐状爆薬が、爆発した。
起爆した火薬の力で射出された紐状爆薬内部の高熱の銅が、防弾防炎ガラスを切断し、吹き飛ばした。
俺は地を蹴って走り出す。
銃口から飛び立とうとする、一発の銃弾のように。
俺は雄叫びを上げながら、その身を宙に放り出した。
冷たい風と浮遊感が全身を包んだ。
時の流れが、スローモーションのように感じる。
ビルから放たれる暖色の光が、俺の全身を照らし上げた。
光に近づきながら、緩やかに落下していく。
────!!
ビルのウインドウに、人影が見えた。
真紅の日傘を差した、赤い服のメイド。
俺を見て、微笑んでいる。
驚愕したその時、目の前を一匹の小型竜が横切った。
よもや人が飛ぶものなど思いもしない小型竜は、そのまま悠々と飛び去っていく。
瞬きをした俺の視界には、赤い服のメイドの姿はもう何処にも映っていなかった。
ブーツの先が硬い物に触れたと思ったと同時に、俺の全身にドスンッと衝撃が走り抜け、その場に制止した。
「や……やったぞ……」
俺は、スターライト室町ビルの庇が作り出すわずかな足場に、見事着地成功したのだ。
自分でも、ここまで綺麗に着地できるものとは思っていなかった。
安心したのも束の間、背中から風圧を感じた。何か大きい物が飛んでくる。
俺は振り返り、その正体を見て戦慄した。
「嘘だろ!?」
俺は反射的に両腕を伸ばす。
そこに、叡が飛び込んできた。
胸の柔らかい感触が、直に伝わる。
信じられないことに、彼女もリュックとボディアーマーを脱ぎ捨て、ここを跳んできたのだ。
なんとか叡を無事に庇へ降ろしてから、俺は怒鳴った。
「ロープを繋げるまで、どうして待っていなかったんだ……! 俺が、失敗すると思ったのか……!?」
すると叡は涼しい顔で俺を睨みながら、握っていたM637エアウェイトのグリップを突き出した。
「これ、返す……いらない。その代わり、ボクから絶対に離れないで」
「なに……?」
「またボクから離れようとしたら、どんなに危険でも絶対に追い掛けてやる。さもなくば、一緒に居て」
「だからってな……落ちたら死ぬんだぞ……!」
「小隊長さんが死んでも、ボクが死んでも、大した差はない」
そこでようやく、宮潟からの通信が入った。
<小隊長、大丈夫!? 叡がそっちに跳んだわ!!>
「忠告が遅いぞ! どうして止めなかった!?」
<ごめんなさい……! でも、まさか一人で跳ぶなんて誰が想像するの!?>
叡の根気強さに俺は観念して、目頭を強くつまんだ。
「……もういい、分かった。とりあえず、俺も叡も無事だ。予定通り、ライフルグレネードでウインドウを破れ」
<了解……。本当に、ごめんなさい。次は、逃がさないように手綱でも着けておくわ……>
「そんなものは要らない。とにかく……早くやってくれ」
俺は溜息をついた。
「……想像以上だよ。きみは、本当に大したもんだ」
「別に、大したことしてるわけじゃない。小隊長さんと同じように、ボクは、ボクなりに、ベストを尽くしているだけ」
俺は首都第一銀行ビルを見上げ、オフィスのウインドウの穴から射撃姿勢を取る半田の姿を見守る。
<こちら半田。そちらのフロアに民間人の姿はなし。宰河さんから見て右の、レストランのウインドウにライフルグレネードを撃ち込みます。身構えて下さい>
こちらの方向に向かって爆発物が飛んでくるのは全く気持ちの良いものではないが、仕方がない。
発砲音と共に、M27IARの先端に取り付けられたSIMONライフルグレネードが射出され、狙い通りにウインドウを粉々に撃ち破った。
「叡、足元に気を付けろよ……」
「分かってる」
俺はホルスターからGSRピストルを抜いて警戒しながら、逆さまになったイタリアンレストランの店内に足を踏み入れた。
死体こそ無いが、元は品格ある雰囲気であったであろう店内は今や惨憺たるもので、無造作に散乱するテーブルや椅子などと共に、食べかけの食事が割れた皿と共にそこらじゅうにこぼれ、まるで粗大ごみ置き場のような有様になっている。
ブーツの下で、パスタがぐちゅりと嫌な感触を立てて潰れた。
だが掃除している暇はなく、俺は手早く柱にロープを結び付ける。
「叡、試しにぶら下がってみろ」
叡は張ったロープに器用にぶら下がって、頷いた。
「大丈夫。頑丈」
「よし……」
俺は無線で待機している仲間に呼び掛けた。
「こちら宰河。ロープウェイの完成だ。早く来い」
<こちら宮潟、お疲れさま。けど、気を付けて……。向かいの三洋百貨店とか他のビルは相変わらず竜の群れがのさばっているけど……そっちのスターライト室町ビルの近くには、何故か、今は竜が一匹もいないのよ>
「何だと? それは、朗報だと思うが……」
<そうね。でも、なんか嫌な予感がするわ。動物って、自分の天敵が来たら、一目散に逃げるものでしょ? それに……人も、他のフロアに全然見当たらないの。全員、地下鉄に逃げたとかならいいんだけど、ウインドウの爆破準備をしていた時には、もっと人がいたはずなのよ>
脳裏に、あの赤いメイドの女の姿がよぎる。
「……今更、不安になってもしょうがない。俺たちも、地下鉄に行かなきゃならないんだ。早く来てくれ」
<了解。すぐに行くわ>
通信を終えて、俺は自分のブーツを見下ろした。
「ん……?」
足元に、どす黒いタールのような液体が一面に広がっている。
酒やコーヒーではない。こんな液体、さっきはこぼれていなかったはずだが。
出し抜けに、黒い液体の中へ俺のブーツがずぶずぶと飲み込まれ始めた。
水かさが上がったのかと思ったが、違う。俺の身体が、みるみる内に、この黒い沼の中に沈んでいくのだ。
「小隊長さん!!」
ロープに掴まっていた叡が、俺に手を伸ばす。だが届かない。
「叡! こっちに来るな……! そのまま掴まっていろ!!」
「嫌だ……!!」
無謀にも叡は黒い沼に飛び込んで、胸上まで沈んだ俺にしがみ付いた。
「馬鹿ッ! 二人一緒に沈んだら意味ないだろ……!!」
「ボクが死んでも、小隊長さんが死んでも……ボクにとっては同じだ!」
間もなく二人ともに、顔まで沼に沈み込んでしまった。
──────嘘だろ!?
黒い沼の水面の境を越えた瞬間、映画のフィルムを切り替えたかのように、視界は全く別の景色を捉えた。
シックな雰囲気の照明が灯り、周囲はガラス張りで夜景を一望できる、広々とした高級温水プール。
しかし、天地は逆転している。
俺と叡は抱き合いながら、『天井』となった床から、『床』となった天井へ向けて墜落していく。
「うわぁああああああ!!」
身を捩って、どうにかエアーマットの上に着地した。衝撃を受け止めたエアーマットが破け、空気が抜けていく。
「いったい、何が……」
見上げると、そこにイタリアンレストランのテーブルが落下してきた。
「危ない!!」
叡が俺に思い切り体当たりをして、俺を潰れたエアーマットの場所から押しやった。
そこに落下したテーブルが、『床』のガラスをエアーマットごと盛大に突き破って、暗黒の果てしない天空へと墜落していった。
「……クソッ、今のはヤバかった。ありがとう」
「ボクがいて良かったでしょ?」
俺はGSRピストルを握り締めながら、『床』の地形を見た。
正方形の格子状にガラスが並んでおり、いくつかが既に割れて消失し、外の冷気を吹き込ませている。竜の襲撃や、天地逆転現象の際に壊れたものだろう。
ブーツでガラスの感触を確かめると、ただ立っている分には大丈夫だが、重量を掛けると少し軋んだ。
考えてみれば、当たり前だ。人が上に乗るために設計されたものではない。
俺は改めて、頭上を見た。
『天井』には、俺たちを飲み込んだ黒い沼の姿があった。それは綺麗な環の形になっており、判読不能な文字が周りを囲っている。
「…………これは、まさか……魔法陣?」
この問いに応えるように、黒い魔法陣は蒸発するように黒い泡を立てながら消滅していった。
視線を正面に戻すと、そこに、いつの間にか『彼女』は居た。
俺は黙って叡を後ろにやると、GSRピストルのセフティに親指を引っかけて、カチンッと解除する。
ガラス越しに一望できる、竜の炎を浴び燃え盛る東京の街。
それを背に、一人の赤いメイドが立っていた。
彼女はニコリと微笑んで、恭しく頭を下げる。
「はじめまして。わたしは、アヤカと申します。……その子を、殺しにやってまいりました」





