涙痕のコールドブート (2) ──「ここは、ほんとうに、ユートピアですか?」
……『ここは、ほんとうに、ユートピアですか?』
ふと、ミイが言っていた言葉のひとつが思い浮かんだ。
その時は緊張で深く考える余裕がなかったが、彼女が投げかけたこの質問が、何故か引っ掛かった。
篠巻は涙を止めどなく流しながら、血まみれの床を睨んで思考する。
この台詞は、ミイが誰かによってこの場所が『ユートピア』であると教え込まれていたから出た言葉に他ならない。
ミイが、この地球上には存在しない全く別の場所……言うなれば【異世界】からやってきたというのは、彼女らが操る未知の力を見ても疑いようがないだろう。
異世界の住人が、『ユートピア』を求めてこの世界に攻撃を仕掛けてきた。
荒唐無稽な話だが、それ以外にこの状況を説明できるものは思いつかない。
……では、ここが『ユートピア』であるとミイに教えたのは誰か?
ミイに指令を与えた黒幕が居るのは間違いないことだ。
『ユートピア』というのは、彼女を捨て身のテロへ焚き付ける為の方便という可能性もあるが、流石にミイもそこまで愚かではないはずだ。
ここが『ユートピア』であるという確証が存在したから、ミイとその一味はこの場所を襲ったのではないか。
テロリストは、計画の規模が大掛かりであればあるほど、それ相応の周到な準備をする。
それは……【偵察】だ。
以前から、水面下では今日の攻撃の為の情報収集が進んでいたのではないだろうか。
敵地偵察の使命を帯びた異世界の工作員が、既に人間に紛れてこの世界の情報を収集していたとすれば、ミイの数々の不自然な言動にも納得がいく。
時折、カタコトになる日本語もそうだ。
彼女の仲間が発していた未知の言語こそ彼女たちの本来の母国語であり、日本語は今日の攻撃のために新たに習得したものであろう。
つまり異世界の工作員は、学んだ日本語を他の仲間に教授できるほど、さらに長い期間を掛けてこの言語に精通している。
もはや日本人と全く遜色のない程に。
ただ息を潜めて観察するだけが、偵察ではない。
より深い情報は、敵の社会に実際に潜り込むことでしか得ることはできない。
篠巻は、ゾッとするような悪寒を感じた。
ここには誰も居ないはずだ。あるのは、動かない屍の山だけ。
だが……目の前に、誰かの気配があった。
篠巻は涙で滲んだ視界を、ゆっくりと上げていく。
そこに、足があった。
立っている。
篠巻は恐怖で身体をがたがたと震わせながら、力を振り絞ってM870ショットガンを掴み、フォアエンドを前後させた。
そして、そのまま視線を上げていく。
「……あ…………あ……」
その正体を見て、篠巻の大きく開かれた口から嗚咽が漏れた。
「…………蓮華」
そして、最愛の彼女の名を呼んだ。
篠巻の眼前に立っていたのは、天城蓮華だった。
だが、首がない。
鋭利に切断された首の傷口から、真っ黒の血が噴き出し続けていた。





