涙痕のコールドブート (1) ──「あなたのせいです」
篠巻は、呆然と佇んだ。
つい一瞬前まで、将来を誓い合って行動を共にしていた天城蓮華の身体が、いまは頭部を失ってどす黒い血液を噴き出させながら、糸の切れた人形のようにゆっくりと倒れた。
鈍い音を立てて床へ落ちた彼女の頭部からも、じわりと黒い血溜まりが広がり始める。
……蓮華が、死んだ。
篠巻の顔から、表情が消えた。
決壊したように冷たい涙が瞳から溢れ始める。
猛烈な冷寒に苛まれて、足が震え、呼吸がままならなくなる。
心臓が脈打つたびに、現実の受容を拒む脳が疼き、意識が朦朧とした。
凄惨な死臭にまみれた地獄の中で、か弱く灯っていた最後の希望の炎が、ついに揺れて消えた。
そして、漆黒の闇が現れた。
微かに残っていた一筋の光が、消え失せ、篠巻の心は完全な闇に覆われた。
力の抜けた手から、MPXサブマシンガンが滑り落ちる。
「……せっかくの、リカイの良いニンゲンさんが、死んでしまいました。あなたのせいです」
そう責めるように言ったミイの顔は、痙攣するように笑っていた。
「男のニンゲンさんは……嫌いです。いつも、女のニンゲンさんを食物にしているのに、こういう時には、守ろうともしない。逆に、守られて、男のニンゲンさんのために、女のニンゲンさんが死ぬ。だから、男のニンゲンさんは、大嫌いなんです」
怒りを含んだ声色に反して、血で汚れたミイの瞳は輝き、晴れ晴れとしている。
彼女にとって、そうした人間の悪しき背景も、この大殺戮を極上の味へと昇華させる香辛料に過ぎない。
ただ無機質に殺すだけでは飽き足らず、殺す相手に対してドラマを嗅ぎ取ることで、自身が行う殺人の意味をさらに強めようとする、本物のシリアル・キラー。
篠巻は無言で、大鎌を握るミイを、睨んだ。
心を覆う闇に、ひとつの光が現れた。
その一筋の光明は、鮮やかな血の色をしている。
最愛の彼女を失った篠巻は、その光に向けて、静かに歩みを進めた。
────この女を、殺す。
殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
篠巻は、ホルスターからコルトガバメントを抜いた。
ガスで駆動するタイプの、銃刀法に適合したエアーガン。
「また『銃』ですか? 気が済むまで、撃ってはいかがでしょう。でも、わたしは倒せません」
ミイは油断していた。
篠巻はマガジンキャッチを押して、グリップからBB弾とガスが詰まったマガジンを左手の上に落とした。
右手に握ったコルトガバメントの本体を、宙にふわりと放り投げる。
訝しげなミイの視線が、空中の銃に向いた。
篠巻は左手に握ったマガジンの、ガス放出バルブを強く押し込んだ。
盛大な噴出音。放出口から低温のHFC134aガスが放たれ、ミイに浴びせられた。
彼女が短い悲鳴を上げて一瞬怯んだ隙に、篠巻は床に落ちたMPXサブマシンガンを右足で蹴り上げ、キャッチすると同時に、引き金を引いた。
鋭い銃声。銃口から発砲炎が伸びて、フルオートの弾丸がミイへ浴びせられる。
しかしミイが瞬時に展開した赤いバリアーによって防御されてしまう。
効かないことを想定していた篠巻は、素早く銃の狙いを傍らの消火器へ移し、発砲した。
消火器が破裂し、大量の消火剤がバリアーを張るミイを覆った。
ミイは怒りに叫びながらバリアーの中から、幾重にも人間の首を狩り取ってきた凶暴な蛇のブレードを放つ。
しかし、空振り。
バリアーに白い消火剤がびっしりと纏わりついて、視界が阻まれていたせいだ。
────コザカしいニンゲンめ。
ミイは舌打ちをして、バリアーを解いた。
張り付いていた消火剤が、宙に解放される。
視界を取り戻すが、目の前にあの獲物の姿は無かった。
ミイは辺りを見回すが、両脇の搭乗ホールの通路にも、自分が殺した血まみれの死体しかない。
……逃げた?
しかしあんな僅かな時間で、足音もなく逃げられるはずがない。
そこでミイは、気が付いた。
床の血がおかしい。
まるで……何かが音もなく滑ったような跡がついている。
刹那、重い銃声が轟いた。
風切り音が聞こえて、大鎌を持つ右腕に銀色の小さい金属塊がめり込んだと同時に、それは爆発した。
「ギャァアアアアアアアアアアアア────!!」
ミイは目を見開き、悲鳴を上げた。
右腕が、消えた。砕け散った。爆散した。
断面から、灰色の血が容赦なく噴き出す。
篠巻は、惨殺された警察官たちの死体に埋もれながら、血で汚れたM870ショットガンのフォアエンドをジャキンッと引いた。
排莢口から軽やかに、『FRAG』と刻印された薬莢が排出される。
フラグ弾。
軽装甲車両や機械への攻撃に効果的な、18ミリ口径の徹甲グレネード弾を発射する。
対人用としての使用は、厳禁。
篠巻はフォアエンドを前方に押し戻し、次の矢となるフラグ弾を薬室に装填した。
ミイは絶叫しながら、バリアーを展開し直そうとするが、出来なかった。
警察官たちに撃たれた腹部の傷が疼いて、意識が一瞬、遠のいたからだった。
篠巻はミイの眉間を照準し、引き金を絞った。
12ゲージフラグ弾が発砲炎と共に銃身から射出され、空を切り裂きながら彼女の眉間に一直線に迫る。
ミイの断末魔は、フラグ弾の壮絶な炸裂音に掻き消された。
爆炎と共に、彼女の頭部は砕け散り、消え去った。
それが、侵攻の初手の『捨て駒』として差し向けられ、欲のままに罪なき命を奪い続けた彼女の最期であった。
篠巻は、震える手からM870ショットガンを放した。
心に宿っていた血の色の光が消え失せて、ただの虚無に戻ってゆく。
「……蓮華」
最愛の彼女の名が、篠巻の口からこぼれた。
もう彼女は何処にも居ない。
死んでしまったのだ。
もし、この場所を生きて共に出られていたら、恋人同士としての新しい未来が待っていたはずだった。
しかし、彼女は殺されてしまった。
倒れたミイの身体は徐々に灰色に固まっていき、崩れ、ただの灰の山へと成り果てていた。
そこへ、どこかに隠れていたのか、目が四つある黒猫のような生き物が、静かにミイの残骸へ近寄ってきた。
黒猫は鼻をスンスンと鳴らして、悲しげにひとつ鳴くと、その灰の中に自らうずまって、動かなくなった。
……『私に、また、その格好いい篠巻くんの背中を見せてください』
ふと、彼女の言葉が蘇って、悲しみが抑えきれなくなった篠巻は、ひたすら声を上げて泣き始めた。
床を拳で叩き、彼女を守り通せなかった後悔に喚く。
死の静寂に覆われた血の海の中で、篠巻はただ泣き続けた。





