第四話:魔法の一票
「はっ、くだらぬ戯言を……。一票は一票、そこに貴賤はない!」
ルークが強く断じた次の瞬間――恐る恐ると言った風に手があげられる。
「あ、あのぉ……。私……やっぱりエレンくんの死刑には反対かなぁ……なんちゃって……っ」
「カステラ!? いったい何を言い出すんだ!?」
「だ、だって……相手はあのヘルメスなんですよ!? 面と向かって逆らったりしたら、どんな陰湿な嫌がらせを受けるか、わからないじゃないですか……っ。下手をしたら、一族皆殺しにされるかも……ッ」
根っからのおばあちゃんっ子である彼女は、故郷に残してきた祖母のことを思い出し、小さくカタカタと震え出す。
「あはは、ボクはそんな酷いことしないよぉ」
ヘルメスは柔らかく微笑みながら、パタパタと手を振るが……それを見たカステラは、さらに怯えてしまう。
「下種め……っ。私怨で国一つ滅ぼした男が、よくもまぁそんなことが言えるものだな」
「いつまでも昔を引き摺らず、前を向いて生きていこうよ。それにあの事件は『不慮の事故』ということで、結審が付いたじゃないか」
ルークの鋭い視線をものともせず、ヘルメスはパンと手を打った。
「とにもかくにも、これで賛成三票・反対三票。振り出しに戻ったねぇ」
「く……っ」
盤面が硬直したところで、今度はダウナーな雰囲気の少女が動き出す。
「ねぇヘルメス、いくら出せる?」
「んー? いくら欲しいのかな?」
「三億から考慮する」
三本指を立てる彼女に対し、
「そうか、じゃあ五億出そう」
ヘルメスは五本指で応えた。
「わぉ、乗った」
少女は眼を輝かせ、華麗な転身を見せる。
「やっぱり私は反対。人道的観点から、エレンの極刑には賛成できない」
「なっ!?」
目の前で堂々とやってのけられた買収劇、ルークはたまらず憤激する。
「ピノ、君に魔術師としての信念はないのか!?」
「お金こそ信念」
彼女は悪びれる様子もなく、はっきりとそう断言した。
「さて、これで賛成二票・反対四票。おやおや、いつの間にか逆転してしまったねぇ……?」
魔術界に轟く悪名と莫大な資金により、あっという間に盤面をひっくり返したヘルメス。
彼が老紳士に目を向け、判決を促すと同時、
「――ふざけるな!」
ルークの怒声が、天凰の間に響き渡る。
「手前勝手な評価軸に溺れる根性馬鹿、保身に走り意見を翻意する臆病者、挙句の果てには自ら裏取引を持ち掛ける金の亡者……っ。魔術師の範を示す、殲滅部隊の隊長として、恥ずかしいとは思わないのか!?」
彼は拳を握り締め、熱く語り始める。
「冷静になって、もう一度よく考えてみろ! エレン・ヘルメスは、史上最悪の魔眼を宿しているんだぞ!? あれが街中で暴走すれば、途轍もない被害が出る……っ。君たちの浅はかな判断で、多くの人々が命を落とすんだぞ! その責任をどうやって取るつもりだ!?」
正義感に強いルークが気を吐き、話の主導権を握ろうとしたそのとき――ヘルメスがパチパチパチと乾いた拍手を送る。
「なるほどなるほど、確かにキミの言うことも一理ある。もしもエレンが暴走すれば、凄まじい大破壊が起こるだろう」
「そうだ! だから奴は、ここで確実に殺しておかねば――」
「――でも逆に、エレンが魔眼を制御し、魔王を討ち取ったら?」
「……は?」
あまりにも突拍子もない意見に、ルークの口から間の抜けた声が漏れた。
「みんなも知っての通り、魔王はまだ滅びちゃいない。千年前の戦いで傷付き、酷く弱っているけれど……。この世界のどこかで今も息を潜めている。『復活の時』を、今か今かと待ち続けてね」
ヘルメスはカツカツと歩きながら、まるで講義でもするかのように語る。
「『魔王の完全消滅』は、魔術師の――いや、全人類の悲願だ。そしてエレンは、魔王に止めを刺せる唯一無二の力を秘めている。史上最悪の魔眼を以って、史上最悪の魔王を討つんだよ! ……しかし今、ルークくんの浅はかな判断で、誰もが望む最高の未来が潰れてしまうかもしれない。その責任、キミはどうやって取るのかな?」
「そ、そんなものは詭弁だ……!」
「詭弁じゃないよ? だって実際にエレンは、グリオラ・ゲーテスという『魔人モドキ』を討った。報告によれば、グリオラは多量の魔人細胞を摂取し、暴走状態にあったそうだ。知っての通り、暴走状態の魔人は、只々大きな魔力の塊。エレンはそれを強引に捻じ伏せた! なんて素晴らしい! まさに魔王の喉元に届き得る力だね!」
「馬鹿を言うな! あんなものは、力と言わん! ただの暴走だ!」
「あれを暴走というには、些か無理があるんじゃないかな? 引率の教師ダール・オーガストおよび第三魔術学園の一年生、全員の無事が確認されている。もしもエレンが本当に暴走していたのなら、こんなことは絶対に起こり得ないよね?」
魔王の固有魔術『魔道』は、滅びに特化した力。
それが制御なしに放たれれば、あの場にいた全員は間違いなく全滅していた。
エレンは天才的な魔術センスを以って、初めて行使する魔王の固有魔術を完璧に制御していた――これは紛れもない事実だ。
「し、しかし……っ。奴は魔道を行使した後、気絶していたそうじゃないか! これぞまさに、自らの力を御し切れなかった、何よりの証拠だ!」
「それは単なる魔力欠乏症。エレンは魔術を学び始めて、まだ三か月なんだよ? 自分の限界魔力量・効率的な魔力の運用法・無駄のない術式構成、多くの魔術師にとっての当たり前を何も知らない、文字通り赤子のような状態だ。それなのに彼は、魔道を――魔王の固有魔術を完璧にコントロールしてみせた! 嗚呼、凄い、本当に凄いよ……伸びしろの塊だね!」
「……っ」
ルークが押し黙ったところで、ヘルメスは止めを刺しにいく。
「エレンを処分して、一時の安寧を取るか。エレンを活かして、恒久的な平和を掴むか。ボク個人の意見を言わせてもらえば、期待値的に見ても、後者の方が大きくプラスだと思うけど?」
「ぐ……っ」
一つ言えば、三つ返り。
二つ言えば、五つ返る。
ヘルメスの口は、無限に回り続けた。
「……(ルークくん、気持ちはわかるけれど、ここは退いた方がいい。奴は口から生まれてきたような男だ。弁論術で勝てる相手じゃない)」
「……ッ」
フォレスタの忠告を受け、ルークは悔しそうに口を噤んだ。
それを見た老紳士は、静かに結審を下す。
「賛成二票・反対四票――被告エレン・ヘルメスを無罪といたします」
こうして長い魔術師の歴史上初となる『終審裁判・無罪判決』が確定したのだった。




