第二十二話:鉄壁
ダールの濃密な存在感が戦場を支配する中、前方の土煙が勢いよく弾け飛んだ。
「くははっ! こりゃなんの因果だァ? いいぜ、いいぜぇ……最高に面白くなって来やがった!」
仮面は瞳に憎悪を漲らせ、莫大な魔力を解き放つ。
「緑道の八十一・轟龍樹誕!」
次の瞬間、彼の背後にある大地が、唸り声をあげてせり上がり――超巨大な轟龍と化した。
「で、デカいッ!?」
「なんて規模の魔術だ……っ」
「この仮面、本当に何者なの!?」
エレン・ゼノ・アリアが目を見開く中、
「白道の八十四・金剛阿修羅」
ダールの背後に巨大な金剛阿修羅が浮かび上がり――慈愛の高速剛打を以って、迫り来る轟龍を木端微塵に叩き潰した。
まるで天変地異のような魔術合戦は、遥か遠方からも視認される。
「お、おいおい、いったい何が起きてんだ……!?」
「あっち! ダール先生が戦っているわ!」
「鉄壁のダールとやり合うなんて、いったいどこの馬鹿野郎だ!?」
千年樹林の各所に散っていた他の生徒たちが、ぞろぞろと集まってきた。
轟龍と金剛阿修羅が消え、激しい衝撃波が吹き荒れる中
「――そぉらァ゛!」
仮面が持ち前の機動力を活かし、接近戦を仕掛けた。
「むっ!?」
「内臓、いただきィ……!」
輝く一対の双刃が、ダールの腹部に突き立てられた瞬間――白銀は粉々に砕け散る。
「な、ぜ……!?」
「吾輩が本気で固めた魔力障壁、そのような鈍らでは通らぬ」
次の瞬間、分厚い魔力に包まれた掌底が、仮面の鼻っ柱を撃ち抜く。
「ぱラッ!? ぁ、ゴ、が……っ」
彼は何度も地面に体をバウンドさせながら、遥か後方へ吹き飛んでいく。
「す、凄い……。あれだけ強かった仮面が、手も足も出ていないなんて……っ」
「けっ……。ムカつくが、噂通りの化物っぷりだな……」
「これがグランレイ王国の『鉄壁』ダール・オーガスト……」
エレン・ゼノ・アリアは、ダールの絶対的な強さに舌を巻く。
そんな中、
「はぁはぁ、やっぱてめぇは強ぇなァ……っ。この絶望的な力の差……あの頃から全く埋まらねぇ……。ほんと、虚しくなるぜ……ッ」
仮面は荒々しい息を吐きながら、ゆっくりと戦場に戻ってきた。
「貴様……吾輩のことを知っているのであるか?」
「『知っている』? おいおい、悲しいことを言うじゃねぇか……。かつて共に魔術を学んだ『大親友』のこと、まさかもう忘れちまったのか?」
白い仮面が音を立てて砕けていき、その素顔が露になる。
ハイライトのない濁った瞳に綺麗にスッと通った鼻筋。
口の端の斬り傷と右の目元の古い火傷痕が、よく目立っていた。
「そん、な……馬鹿な……ッ」
仮面の正体を目にしたダールは、驚愕に言葉を失う。
「先生、この男のことを知っているんですか……?」
エレンの問い掛けに対し、ダールは深く重く頷いた。
「……こやつの名はグリオラ・ゲーテス。吾輩のかつての親友であり、三十年前、この手で焼き殺した元A級魔術師である……ッ」
「や、焼き殺したって……っ」
アリアが息を呑む中、
「……かつてグリオラは魔術教会の禁書庫を漁り、『最重要機密』を持ち出したうえ、番をしていた十人の魔術師を惨殺。とある魔族が治める国へ亡命を試みた。当時『殲滅部隊』を率いていた吾輩は、教会上層部の命を受け――こやつを処分したのである」
ダールは事件のあらましを端的に語り、それ以上のことは深く話そうとしなかった。
「……グリオラよ。貴様はあのとき、確かに吾輩が焼き殺したはず……。いったい何故、生きているのだ……?」
「確かにあのとき、俺はこっぴどく負けた。てめぇの『灼熱』に焼かれ、骨の髄まで焦がされた。そうして命の水が尽きようかというそのとき、どうせ死ぬならばと思って、一か八かでこいつを食ったんだ」
グリオラはそう言いながら、ローブのジッパーを下ろし、上半身を曝け出す。
そこには――ドクンドクンと強い鼓動を刻む、紫色の心臓があった。
「それはまさか……『魔人細胞』!? グリオラ、そこまで堕ちたのであるか……ッ」
魔人細胞を食し、その因子と適合できれば――魔術師は魔人になれる。
これは魔人化と呼ばれる現象であり、魔術師にとって最大の禁忌の一つだ。
「ははっ、これも成り行きさ。俺が魔人細胞を選び、魔人細胞が俺を選んだ。ただ、それだけの話だ」
グリオラはローブを着直した後、懐からとある『ブツ』を取り出した。
「――なぁダール、お前も『魔人』にならないか?」
投げ出されたのは、紫色の蠢く果実。
「これを食えば、魔人になれるんだ。もちろん、因子に適合できなければ、ただ無駄死にするだけだが……。お前の強靭な肉体ならば、なんの問題もないだろう」
グリオラは晴れやかな笑みを称えながら、嬉々として話を続ける。
「魔人はいいぞ? 老化もなければ、寿命もない! 永遠に強く若いままでいられるんだ! さぁダール、魔人になれ! そしてもう一度、俺と一緒にやり直そう! 今までのことは、全て水に流してやる! またあの頃のように、俺と共に『新たな秩序』を作ろう!」
「……道は違った、もはや元の鞘には納まらぬ。それに何より――貴様の理想とする世界には、あまりにも『死』が多過ぎる。吾輩はもう血の道を抜けたのだ」
「はっ。『憤怒』のダールが、今更綺麗ごと抜かすんじゃねぇよ」
「その二つ名は、とうの昔に捨てたのである」
頑なに考えを変えようとしないダールに対し、グリオラは怒りを滲ませる。
「馬鹿が、人の業は、そう簡単に変わらねぇよ! お前の腹の底には、今も憤怒が渦巻いている! どうしようもねぇ破壊衝動がなァ!」
「……」
「いいぜ。今から俺が、てめぇの本性を解き放ってやるよォ!」
グリオラの全身から、不気味な魔力が湧き上がる。
「よぉく見ておけよォ? これが魔人となり、生まれ変わった俺の力だ……! 刃道の壱・羅生斬!」
白銀の斬撃が凄まじい勢いで空を駆け、
「これ、は……!? 白道の七十三・皇城塞門!」
聳え立つ巨大な城塞がそれを防御する。
しかし、
「はっ、甘ぇぞォ!」
「ぬぉっ!?」
グリオラの放った斬撃は、ダールの防御魔術を打ち破り、彼の肩口に深い太刀傷を刻み付けた。
(刃道、『固有魔術』……っ。なるほど、それが魔人化の恩恵であるか……ッ)
魔術の基本は『六道』。
しかし、その外に位置する番外の力――固有魔術というものがある。
これは血統・地縁・才覚といった先天的な要素が大きく、努力や根性で身に付くものではない。
ただし、極一部の例外事項――例えば魔人化などによる生まれ変わりを経て、後天的に会得することも可能であり、グリオラの場合はまさにこれだ。
「さぁ、早く本気を出せ、ダール! あの頃のてめぇを呼び起こせ! その腑抜けた白道を見ていると、吐き気がするんだよ!」
「ふぅー……。この力は好かぬが……やむを得まい」
ダールは長く息を吐き、その白髪を掻きあげた。
「――灼道の壱・煉獄憑依」
次の瞬間、彼の固有魔術が展開――灼熱の獄炎が噴き上がり、その全身を紅く包み込んだ。
目が痛くなるほどの熱量、肌を突き刺すような大魔力、文字通り桁違いの存在感を放っている。
「さて……これより先は、地獄であるぞ?」
「そんなもん、今まで何度も見てきたぜ」
その後の戦いは、真実熾烈を極めた。
「ぬぉおおおおお゛お゛お゛お゛……!」
「ハァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!」
互いの魔術を尽くした、激しくも美しい殺し合い。
「灼道の参・下下焦炎刃!」
「刃道の伍・銀零斬!」
灼熱と白銀が幾度となく衝突し、鮮血と魔力が千年樹林を彩っていく。
それからどれぐらいの時間が経っただろうか。
「はぁはぁ……。さすがだ、ダール……っ。魔人の力を以ってしても、まだ届かねぇ……ッ。は、ははは……やっぱりお前は凄ぇよ……」
満身創痍のグリオラは、どこか清々しい顔をしていた。
「ふぅー……っ」
一方のダールは数多の太刀傷を負っているが、どれも命には至らぬ軽傷、『肉の宮』はいまだに健在。
戦いの趨勢は、既に決した。
三十年前に置いてきた課題を、彼は今、ようやく終わらせる。
「……さらばだ、我が親友よ。せめて痛みなく滅しよう。――灼道の拾・日輪轟来」
凄まじい魔力が吹き荒び、天空に大炎球が浮かび上がる。
それは万象を焼き焦がす灼熱の一撃。
まともに食らえば、細胞のひとかけらさえ残らないだろう。
「は、はは……。さすがにそいつはやべぇな……ッ」
グリオラの背中に冷たいものが走った。
「はぁー……長かったなァ……ここが終着点、か。……そんじゃ俺も、最後に手向けを送ってやるよ。――刃道の漆・天千銀掃」
天に浮かぶは、白銀の千刃。
その一本一本に極大の魔力が込められた、『超広域殲滅魔術』。
彼はその照準を――静かにこの戦いを見守る、王立第三魔術学園の生徒たちへ向けた。
「な、何を……!? これは吾輩と貴様の戦いである! 生徒たちは関係ない!」
「よく聞け、ダール。『鉄壁』という腑抜けた偽を捨て、『憤怒』という生来の真を取れ。これは餞別、古い友人からの最後の忠告だ」
「き、貴様ァ゛……ッ」
己が憤怒を以って、グリオラを殺すか。
己が鉄壁を以って、生徒を守り抜くか。
究極の選択を強いられたダールは、かつてないほどに思考を巡らせていく。
今ここで日輪轟来を解き放てば、確実にグリオラを屠れる。
しかしその場合、愛する生徒たちは、間違いなく皆殺しにされてしまう。
今ここで広域防御魔術を展開したとして、天千銀掃を防ぐことはできない。
しかもこの場合、自分は戦闘不能になるほどの大ダメージを負い、生徒を守り切れる保証もなく、グリオラの脅威は健在。
ダールの魔術適性は赤道と灼道――この二属性は、白道との相性が最も悪い。
実際に彼が一番苦手とする魔術は、何を隠そう白道である。
(どう、する……ッ)
リスクとリターン。
魔術師としての自分と教師としての自分。
ありとあらゆることを噛み締め――重い決断を下す。
「……万死を以て、大魔を滅す。学生とはいえ魔術師、この道を選んだ覚悟はあろう。……許せ」
ダールは短く詫び――憤怒の道を選んだ。
魔術師としては、それこそが正解。
彼が責められる道理は、どこにもない。
「ははっ、そうだ! それでいい! 結局、お前の本質は破壊だ! 親友も生徒も妻も息子も、全てを焼き尽くす! それでこそ、お前だ! 俺たち殲滅部隊の憧れた『憤怒のダール』だァ!」
グリオラは叫び、己が魔力を研ぎ澄ませていく。
「さぁ、俺を燃やし尽くせ! 愛すべき者を全て失え! そしてあの頃のお前に戻るんだ! 刃道の漆・天千銀掃ッ!」
超広域殲滅魔術が展開され、『死の白銀』が一斉に生徒たちへ牙を剥く。
その直後、
「――灼道の拾・日輪轟来!」
全てを焼き尽くす大炎球が、途轍もない輝きを放つ。
(皆の衆、すまぬ……っ。だが、グリオラだけは、ここで確実に仕留める……!)
瞬間、ダールの脳裏をよぎったのは、生涯忘れることのない『あの記憶』。
■
今より三十年ほど前――。
グランレイ王国に、一人の魔術師がいた。
男の名前はダール・オーガスト。
弱冠二十歳にして、魔術教会直属『殲滅部隊』の隊長を務める、若き天才魔術師だ。
『憤怒のダール』の名は、魔術界において恐怖と憧憬の象徴だった。
ひとたび彼が戦場に踊り出れば、まさに『一騎当千』。
「灼道の肆・焦熱浄土!」
生来の固有魔術――灼道という圧倒的な破壊の力で、幾多の魔人を葬り去っていく。
「お、おい、ダール……! いくらなんでも、今のはやり過ぎだぞ!」
「さっきの魔人たちとは、まだ交渉の余地があっただろう!?」
「……行き過ぎた殺しは、すなわち『悪』だよ?」
年上の部下たちの忠告、彼はそれを笑い飛ばした。
「がっはっはっはっ、そんなものは知らん! こいつらは人間を貪り食った悪しき魔人だ! 情状酌量はもとより、交渉の余地など微塵もない! それに何より、俺の灼熱の魔力こそが、この絶対的な力こそが『正義』! 大魔を滅殺するのが、魔術師としての責務だろうが!」
ダールは魔術師として正しかった。
彼の考え方は決して間違っていなかった。
実際そのお陰で、大勢の人たちは助かった。
確かに多くの血は流れたが、それよりもたくさんの命が救われてきた。
しかし、彼の正しさは、苛烈に過ぎた。
深く沈んだ鳥は、大きく飛び上がるが如く、強過ぎる力は、やがて大きな反発を生む。
それは月明かりの綺麗な夜のことだった。
魔人の大群が、ダールの屋敷を襲撃した。
「姫様の仇ぃいいいいいいいい……!」
「魔術師ダールを殺せぇええええええええ!」
かつてダールが滅ぼした、とある魔人の残党たちが、忠義の心と憎悪の灯を燃やし、決死の夜討ちを仕掛けてきたのだ。
「はっ、害虫どもめが……。まとめて返り討ちにしてくれる!」
寝込みを襲ったところで、ダールの強さに変わりはない。
「灼道の陸・閃熱地獄!」
「「「ぐぁあああああああああ!?」」」
灼熱の大魔力が迸り、多くの魔人が燃えていく。
しかし――ここは戦場ではない。
この屋敷には、ダールの守るべきものがいた。
「きゃぁ!?」
ダールが灼熱を放つと時を同じくして、女性の悲鳴があがる。
「す、すまん……大丈夫か!?」
「は、はい……っ」
この家には今、ダールの最愛の妻ローレット・オーガストがいるのだ。
彼女はそれなりに優秀な魔術師だが、今は妊娠八か月目――激しい戦闘など、もってのほかだ。
「し、しばしの間、奥の隠し部屋に隠れていろ! この俺が、すぐに終わらせてくる……!」
ダールはそう言って、彼女を送り出した。
灼熱の力は、守りに向かない。
これまで守る力を磨いてこなかった彼は、最愛の妻の隠れる部屋に、結界の一つも掛けてやれなかった。
その後、どれぐらいの時間が経っただろうか。
「こ、の……化物、が……ッ」
閃熱の刃が肉を断ち、最後の魔人が燃え尽きた。
「はぁはぁはぁ……っ。さすがに百体は……多いである、な……ッ」
ダールは重たい体を引きずり、大急ぎで妻の元へ向かう。
「ローレット、ローレット! 無事、か……?」
扉を開けるとそこには――腹部を貫かれた、ローレット・オーガストの姿があった。
「……嘘、だろ……?」
ダールが激しい戦闘に身を投じている最中、とある魔人がこの隠し部屋を発見し、ローレットを襲撃。
彼女は必死に応戦するも、相討ちとなってしまったのだ。
「こ、こんなこと、あるわけが……ッ」
眼を疑った。
まるで時が止まったかのような錯覚を覚えた。
そんな中、
「……ダー、る……?」
ローレットの掠れた小声が響いた。
「……!」
ダールはすぐさま駆け寄り、優しく声を掛ける。
「よくぞ、生きていた、ローレット! だ、大丈夫だ! 俺は超天才魔術師だからな! こんな傷、すぐに治してやるぞ!」
彼は言うが早いか、すぐさま回復魔術を展開。
「――白道の三十五・快癒の光!」
しかし――せっかく構築した術式は、すぐに論理破綻を起こし、霧のように消えていく。
「ぐ……っ」
ダールの魔術適性は赤道と灼道。
白道は最も苦手とするところであるうえ、彼はその基礎的な修業を怠っていた。
「……ごめんな、さぃ……。お腹の子ども、守れなかっ……た……ッ」
ローレットの朧気な瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。
「な、何を言っているんだ! 大丈夫、二人とも助けるって言っただろう? 俺の知り合いに、凄腕の医者がいる! 天才的な白道使いだ! ただでさえ扱いの難しいとされる回復魔術、その六十番台をなんと無詠唱で使えるんだぞ!?」
なんとか元気付けようと、明るい話を絞り出すが……現実は何一つとして変わらない。
彼女の腹部からは、鮮血が止め処なく溢れ出し、その瞳からは生気が抜けていく。
(……血が、止まらない……。くそっ、いったいどうすれば……!?)
自分は白道の回復魔術を碌に使えない。
このまま病院へ運んだとして、到底間に合うはずもない。
ダールが答えのない問題に頭を悩ませていると、
「……ありが、とう……。あなたのこと、ずっと、ずっと……愛していまし……た……」
ローレットは最後に一度だけ柔らかく微笑み、それっきり動かなくなってしまった。
「ろー、れっと……?」
名前を呼ぶが、返事はない。
「お、おい、ローレット! 意識をしっかりと持て! 大丈夫、助かるから! 絶対に俺がなんとかしてやるから!」
肩を揺すれども、返事はない。
彼女の心臓はもう、鼓動を止めていた。
「……ぉ、お……ぉおおおおお゛お゛お゛お゛……ッ」
夜の闇に男の悲痛な慟哭が響く。
「……何故、だ……何故なんだ……っ」
どれだけ魔力を滾らせようとも、出てくるのは灼熱の業火――無意味で空虚な破壊の力のみ。
時間はあった。
白道を学び、回復魔術を修めるだけの時間など、いくらでもあった。
しかし、それをしなかった。
この灼熱の力があれば、全てそれで事足りると胡坐を掻いてしまったのだ。
彼は自身の怠慢を悔い、自身の驕りを憎み、自身の無力を呪った。
「……神よ、お願いだ。もうこんな破壊の力などいらん。この命だってくれてやる! だから、頼む……頼むよ……。最愛の家族なんだ……ッ」
膝を折り、頭を垂れ、生まれて初めて神に祈った。
大粒の涙をボロボロと流し、ひたすら天に願い請うた。
そのとき――屋敷の裏手にある森から、若い男女が歩いてきた。
「あ゛ー……くそっ、なんでこんな金にならねぇ仕事、このあたしが引き受けなきゃならんのか……」
「あはは。金の亡者っぷりは、相も変わらずだねぇ」
見るからに気の強そうな女とクラウンメイクを施した道化師の男。
どこか浮世離れした雰囲気を放つ二人組は、泣き崩れるダールと血塗れのローレットを発見した。
「んー……? おやおや、これは酷い状態だねぇ」
「……魔族の襲撃に遭ったのか」
「ねぇレメ。なんか可哀想だし、治してあげたら?」
「はぁ……お前のその無駄な博愛主義はなんなんだ? 中は腐り尽くしているくせに……」
「あはぁ、誉め言葉として受け取っておくよ」
二人の会話の中、ダールの耳に届いたのは、『望外の可能性』。
「な、治せるのか!? 妻を……この状態を治せるというのか!?」
「うん、任せておくれ。彼女なら朝飯前だ」
「おいこら糞ピエロ、てめぇ何勝手に安請け合いしてんだ?」
「そう怒らないでよ。お金なら、後でちゃんとボクが全額支払うからさ。……でも、そんなことを言いながらも、どうせ治してあげるつもりだったんでしょ?」
旧友の見透かしたような口ぶりに苛立ちつつも、図星を突かれただけに言い返すことができない。
「うっせぇボケが! 深夜料金だ、三割増しで請求すっからな! ――白道の九十七・天巣回帰」
乱雑に唱えられたその魔術は、奇跡の九十番台。
本来これは、神殿で大儀式を構え、優秀な魔術師を多数揃え、年単位の長い時間を掛けて、ようやくなんとか行使する神の奇跡。
彼女はそれを気軽に無詠唱で発動してみせた。
天より舞い落ちる幾億の術式、それらは複雑に絡み合い、神秘的な回復魔術が織りなされていく。
(な、なんという、魔術技能だ……ッ)
ダールが息を呑んでいる間にも、ローレットの顔色はみるみるうちに生気を取り戻していき、すーっすーっという規則的な呼吸音が聞こえてきた。
「ほれ、治療終わり。まだ意識は戻っちゃねぇが、そのうち目を覚ますだろ。あ゛ー……後あれだ。腹ん中のガキも、ついでに治しといたぞ」
「お、おぉ……おぉおおおお……ッ」
もはや言葉にならなかった。
「――ありがとう、本当にありがとう……ッ」
何度も何度も床に頭をぶつけ、ひたすらに感謝の言葉を繰り返す。
「気にすんな。サービス料も含めて、金はこの腹黒ピエロから、たんまりとふんだくるからな」
女がそう言って、視線をチラリと横へ向けると、
「ん゛ーっ。やっぱり君の白道は、いつ見ても本当に美しいねぇ……ッ」
道化師の男は、恍惚とした表情を浮かべていた。
「お前……可哀想だなんだと抜かしていたけど……。実際はただ、あたしの魔術が見たかっただけだろ?」
「うん」
「……はぁ、もういい。何百年経っても、そういうところだけは、なんにも変わらねぇな……」
女は大きくため息をついた後、クルリと振り返った。
「――あんた、『憤怒のダール』だろ?」
「お、俺のことを知っているのか……?」
「風の噂でな。……まぁ、あんたは確かに強い。これだけの魔人を一人で殺り切るなんざ、中々そうできることじゃねぇ。――だがな、ただ強ぇだけじゃ救えねぇぜ? 大切なものを守りたかったら、『守る強さ』を身に付けろ」
「守る強さ……。ど、どうすればいい? 俺はどうすれば、あんたのような『本物の魔術師』になれる!?」
「知るか馬鹿。自分で考えろ」
容赦なく斬り捨てた直後、道化師の男が唸り声をあげる。
「んー、そうだなぁ……。まず君は雰囲気がとても怖いから、もっと体を丸くすべきだね。後は……言葉遣いも柔らかくしてみたらどうかな? 『である』口調とか、けっこういいと思うよ?」
「てめぇは黙っとけ! ちっ……あれだ、白道を学べ。最低限、自分の大切なものを守れるだけの力を身に付けろ。まずはそっからだ」
「……白道……」
ダールがポツリと呟いた後、謎の男女はクルリと踵を返す。
「――そんで話を戻すが、『例の眼』はどこにあんだ?」
「さぁ? それを今から探すんだよ」
「てめっ、このペテン師野郎! 『見つけた』っつって、呼び出したよなぁ!?」
「あれぇ、そうだったっけ?」
二人は何やら奇妙な会話を交わしながら、夜闇の中に消えていった。
ダールの人生において、最も壮絶で過酷な一夜が明けた次の日――魔術教会に激震が走った。
「お、おい……待てよ、ダール! 殲滅部隊を辞めるって、本気で言っているのか!?」
「一から白道を学び直すぅ!? そりゃいったいなんの冗談だ!?」
「だ、『第三の教師』ぃ!? お前が!? なんでまた!?」
灼熱という破壊の力に溺れ、本当の強さを見失った、愚かな魔術師は死んだ。
「俺は……否。吾輩は全てを守る白魔術師――『鉄壁』のダールである!」
そして新たに、己が憤怒を捨て去った、心優しい魔術師が生まれたのだった。
■
グリオラとダールの大魔術が激突し、凄まじい破壊が辺り一帯を蹂躙する中、
「……え?」
「何が、起こった……?」
「……私、生きて、る……?」
いくつもの声が上がり、土煙が晴れるとそこには――背中に幾多の白刃を突き立てた、血染めのダールの姿があった。
「……なんで、だよ……っ。どうして攻撃をやめた、ダールゥウウウウ!?」
グリオラの慟哭が、千年樹林に木霊する。
「せ、先生……っ」
「俺たちを、守って……ッ」
死を覚悟していた生徒たちは、ボロボロと大粒の涙を零した。
「……皆、無事のようで……何よりで、ある……っ」
ダールは口の端から血を垂らし、ニコリと笑ってみせる。
(ダール先生……っ)
魔眼を持つエレンだけが、この中で唯一、ダールの断固たる覚悟を――魔術師としての矜持を全てはっきりと見ていた。
彼は絶死の白銀が迫る中、日輪轟来を解除。
自身の最も苦手とする広域防御魔術――『白道の八十五・円環障壁』を展開。
その命を賭して、生徒たちを守り抜いたのだ。
「はぁ……そうか、結局お前もそうなのか……。失望したぞ、ダール。お前という男は、最後の最後で本当に……弱い。『真の強さ』というものを、どうしようもなく履き違えている。哀れ、救いようがないほどの半端者だ」
侮蔑と呆れ――グリオラの瞳は、どこまでも冷め切っていた。
「こ、この卑怯者め……!」
「一対一の勝負なら、ダール先生が絶対に勝っていた!」
「弱いのは、お前の方だ!」
生徒たちの口撃に対し、グリオラは呆れたように肩を竦める。
「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー、うるせぇ烏合だな……。いいか、その節穴をかっぽじってよぅく聴け。てめぇらのような弱者がいるから、ダールはこんな弱ぇ男になっちまったんだ。……やっぱりこの世界はおかしい。『正しい秩序』に欠けている……っ。『真の強さ』とはなんなのか、誰もわかっていない……ッ。そうだ、弱者は……間引かなくてはいけないんだ」
グリオラはそう言うと、懐から紫色の果実を取り出し――貪り食い始めた。
それと同時、彼の全身に凄まじい魔力が溢れ出す。
大量の魔人細胞を取り込むことで、完全回復を果たしたうえ、さらに広大な力を身に付けたのだ。
そして――。
「――刃道の陸・王銀」
超巨大な白銀の剣が一振り、フワリと空中に浮かび上がった。
それは万象一切を貫く、単体殲滅魔術。
その内部には、街一つ消し去るほどの大魔力が秘められている。
「よく見ておけよ、ダール。これがお前の弱さが生み出した、くだらねぇ結末だ」
「……皆、逃げるので、ある……っ」
そうは言うものの、逃げ場などもう、どこにもない。
「――さらばだ、弱き親友よ」
グリオラが腕を振ると同時、極大の長剣が解き放たれた。
「……終わっ、た……」
「こんなのどう足掻いても無理よ……」
ゼノとアリアが――否、この場にいる全員が絶望に暮れる中、
「……すみません、ヘルメスさん。約束、守れませんでした」
特殊なレンズが空を舞い、紅の瞳が露になる。
「――白道の一・閃」
次の瞬間、漆黒の大閃光は、グリオラの王銀を蹴散らし、彼の胴体に風穴を穿った。
「……ぁ……?」
困惑は一瞬、
「ぐ、がぁああああああああ……!?」
焼け焦げるような痛みが、彼の胸部を駆け巡る。
「ば、馬鹿……エレン、お前……っ」
「キミ、こんな大衆面前で……正気なの!?」
ゼノとアリアが混乱する中、エレンは大きく前に踏み出す。
「――ダール先生は弱くない」
その一歩は猛毒となりて、大地を殺し尽くす。
「自分の命を顧みず、俺たちを守ってくれたんだ」
その魔力は呪いとなりて、天空を殺し尽くす。
「お前の掲げる『真の強さ』なんか、ダールさんの『本当の強さ』の足元にも及ばない……!」
その瞳は絶対の死となりて、遍く一切を殺し尽くす。
千年前、世界中を恐怖のどん底に陥れた『史上最悪の魔眼』が、遥か悠久の時を超えて今再び、その『真の力』を解き放つ。
※とても大事なお願い!
この話を読んで少しでも
『面白いかも!』
『続きを読みたい!』
と思われた方は、下のポイント評価から評価をお願いします!
今後も『毎日更新』を続ける『大きな励み』になりますので、どうか何卒お願いします……っ。
↓広告の下あたりにポイント評価欄があります!




