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第二十二話:鉄壁


 ダールの濃密な存在感が戦場を支配する中、前方の土煙(つちけむり)が勢いよく弾け飛んだ。


「くははっ! こりゃ(・・・)なんの(・・・)因果(・・)だァ(・・)? いいぜ、いいぜぇ……最高に面白くなって来やがった!」


 仮面は瞳に憎悪を(たぎ)らせ、莫大な魔力を解き放つ。


緑道(りょくどう)の八十一・轟龍樹誕(ごうりゅうじゅたん)!」


 次の瞬間、彼の背後にある大地が、(うな)り声をあげてせり上がり――超巨大な轟龍(ごうりゅう)と化した。


「で、デカいッ!?」


「なんて規模の魔術だ……っ」


「この仮面、本当に何者なの!?」


 エレン・ゼノ・アリアが目を見開く中、


「白道の八十四・金剛阿修羅(こんごうあしゅら)


 ダールの背後に巨大な金剛阿修羅が浮かび上がり――慈愛(じあい)の高速剛打(ごうだ)を以って、迫り来る轟龍を木端微塵(こっぱみじん)に叩き潰した。


 まるで天変地異のような魔術合戦は、遥か遠方からも視認される。


「お、おいおい、いったい何が起きてんだ……!?」


「あっち! ダール先生が戦っているわ!」


「鉄壁のダールとやり合うなんて、いったいどこの馬鹿野郎だ!?」


 千年樹林の各所に散っていた他の生徒たちが、ぞろぞろと集まってきた。


 轟龍と金剛阿修羅が消え、激しい衝撃波が吹き荒れる中


「――そぉらァ゛!」


 仮面が持ち前の機動力を活かし、接近戦を仕掛けた。


「むっ!?」


「内臓、いただきィ……!」


 輝く一対の双刃が、ダールの腹部に突き立てられた瞬間――白銀は粉々に砕け散る。


「な、ぜ……!?」


「吾輩が本気で固めた魔力障壁、そのような(なまく)らでは通らぬ」


 次の瞬間、分厚い魔力に包まれた掌底が、仮面の(はな)(ぱしら)を撃ち抜く。


「ぱラッ!? ぁ、ゴ、が……っ」


 彼は何度も地面に体をバウンドさせながら、遥か後方へ吹き飛んでいく。


「す、凄い……。あれだけ強かった仮面が、手も足も出ていないなんて……っ」


「けっ……。ムカつくが、噂通りの化物っぷりだな……」


「これがグランレイ王国の『鉄壁』ダール・オーガスト……」


 エレン・ゼノ・アリアは、ダールの絶対的な強さに舌を巻く。


 そんな中、


「はぁはぁ、やっぱてめぇは強ぇなァ……っ。この絶望的な力の差……あの頃から全く埋まらねぇ……。ほんと、虚しくなるぜ……ッ」


 仮面は荒々しい息を吐きながら、ゆっくりと戦場に戻ってきた。


「貴様……吾輩のことを知っているのであるか?」


「『知っている』? おいおい、悲しいことを言うじゃねぇか……。かつて共に魔術を学んだ『大親友』のこと、まさかもう忘れちまったのか?」


 白い仮面が音を立てて砕けていき、その素顔が(あらわ)になる。


 ハイライトのない(にご)った瞳に綺麗にスッと通った鼻筋。

 口の端の斬り傷と右の目元の古い火傷痕(やけどあと)が、よく目立っていた。


「そん、な……馬鹿な……ッ」


 仮面の正体を目にしたダールは、驚愕に言葉を失う。


「先生、この男のことを知っているんですか……?」


 エレンの問い掛けに対し、ダールは深く重く頷いた。


「……こやつの名はグリオラ・ゲーテス。吾輩のかつての親友(とも)であり、三十年前、この手で焼き殺した元A級魔術師である……ッ」


「や、焼き殺したって……っ」


 アリアが息を呑む中、


「……かつてグリオラは魔術教会の禁書庫を漁り、『最重要機密』を持ち出したうえ、(ばん)をしていた十人の魔術師(なかま)惨殺(ざんさつ)。とある魔族が治める国へ亡命を試みた。当時『殲滅部隊』を率いていた吾輩は、教会上層部の命を受け――こやつを処分したのである」


 ダールは事件のあらましを端的に語り、それ以上のことは深く話そうとしなかった。


「……グリオラよ。貴様はあのとき、確かに吾輩が焼き殺したはず……。いったい何故、生きているのだ……?」


「確かにあのとき、俺はこっぴどく負けた。てめぇの『灼熱』に焼かれ、骨の髄まで焦がされた。そうして命の水が尽きようかというそのとき、どうせ死ぬならばと思って、一か八かでこいつ(・・・)を食ったんだ」


 グリオラはそう言いながら、ローブのジッパーを下ろし、上半身を(さら)け出す。


 そこには――ドクンドクンと強い鼓動を刻む、紫色の心臓があった。


「それはまさか……『魔人細胞』!? グリオラ、そこまで堕ちたのであるか……ッ」


 魔人細胞を食し、その因子と適合できれば――魔術師は魔人になれる。

 これは魔人化と呼ばれる現象であり、魔術師にとって最大の禁忌(きんき)の一つだ。


「ははっ、これも成り行きさ。俺が魔人細胞を選び、魔人細胞が俺を選んだ。ただ、それだけの話だ」


 グリオラはローブを着直(きなお)した後、懐からとある『ブツ』を取り出した。


「――なぁダール、お前も『魔人』にならないか?」


 投げ出されたのは、紫色の(うごめ)く果実。


「これを食えば、魔人になれるんだ。もちろん、因子に適合できなければ、ただ無駄死にするだけだが……。お前の強靭な肉体ならば、なんの問題もないだろう」


 グリオラは晴れやかな笑みを称えながら、嬉々として話を続ける。


「魔人はいいぞ? 老化もなければ、寿命もない! 永遠に強く若いままでいられるんだ! さぁダール、魔人になれ! そしてもう一度、俺と一緒にやり直そう! 今までのことは、全て水に流してやる! またあの頃のように、俺と共に『新たな秩序』を作ろう!」


「……道は(たが)った、もはや元の鞘には納まらぬ。それに何より――貴様の理想とする世界には、あまりにも『死』が多過ぎる。吾輩はもう血の道を抜けたのだ」


「はっ。『憤怒』のダールが、今更綺麗ごと抜かすんじゃねぇよ」


「その二つ名は、とうの昔に捨てたのである」


 (かたく)なに考えを変えようとしないダールに対し、グリオラは怒りを(にじ)ませる。


「馬鹿が、人の(ごう)は、そう簡単に変わらねぇよ! お前の腹の底には、今も憤怒が渦巻いている! どうしようもねぇ破壊衝動がなァ!」


「……」


「いいぜ。今から俺が、てめぇの本性を解き放ってやるよォ!」


 グリオラの全身から、不気味な魔力が()き上がる。


「よぉく見ておけよォ? これが魔人となり、生まれ変わった俺の力だ……! 刃道(じんどう)(いち)羅生斬(らしょうざん)!」


 白銀の斬撃が凄まじい勢いで空を駆け、


「これ、は……!? 白道の七十三・皇城塞門(おうじょうさいもん)!」


 (そび)え立つ巨大な城塞がそれを防御する。


 しかし、


「はっ、甘ぇぞォ!」


「ぬぉっ!?」


 グリオラの放った斬撃は、ダールの防御魔術を打ち破り、彼の肩口に深い太刀傷を刻み付けた。


刃道(じんどう)、『固有魔術』……っ。なるほど、それが魔人化の恩恵であるか……ッ)


 魔術の基本は『六道(ろくどう)』。

 しかし、その外に位置する番外の力――固有魔術というものがある。

 これは血統・地縁・才覚といった先天的な要素が大きく、努力や根性で身に付くものではない。

 ただし、極一部の例外事項――例えば魔人化などによる生まれ変わりを経て、後天的に会得することも可能であり、グリオラの場合はまさにこれだ。


「さぁ、早く本気を出せ、ダール! あの頃のてめぇを呼び起こせ! その腑抜(ふぬ)けた白道を見ていると、吐き気がするんだよ!」


「ふぅー……。この力は好かぬが……やむを得まい」


 ダールは長く息を吐き、その白髪(はくはつ)()きあげた。


「――灼道(しゃくどう)(いち)煉獄憑依(れんごくひょうえ)


 次の瞬間、彼の固有魔術が展開――灼熱の獄炎が噴き上がり、その全身を紅く包み込んだ。

 目が痛くなるほどの熱量、肌を突き刺すような大魔力、文字通り桁違いの存在感を放っている。


「さて……これより先は、地獄であるぞ?」


「そんなもん、今まで何度も見てきたぜ」


 その後の戦いは、真実熾烈(しれつ)を極めた。


「ぬぉおおおおお゛お゛お゛お゛……!」


「ハァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!」


 互いの魔術を尽くした、激しくも美しい殺し合い。


灼道(しゃくどう)(さん)下下焦炎刃(かかしょうえんじん)!」


刃道(じんどう)()銀零斬(ぎんれいざん)!」


 灼熱と白銀が幾度となく衝突し、鮮血と魔力が千年樹林を彩っていく。


 それからどれぐらいの時間が経っただろうか。


「はぁはぁ……。さすがだ、ダール……っ。魔人の力を以ってしても、まだ届かねぇ……ッ。は、ははは……やっぱりお前は凄ぇよ……」


 満身創痍のグリオラは、どこか清々しい顔をしていた。


「ふぅー……っ」


 一方のダールは数多の太刀傷を負っているが、どれも命には至らぬ軽傷、『肉の宮』はいまだに健在。


 戦いの趨勢(すうせい)は、既に決した。


 三十年前に置いてきた課題を、彼は今、ようやく終わらせる。


「……さらばだ、我が親友(とも)よ。せめて痛みなく(めっ)しよう。――灼道(しゃくどう)(じゅう)日輪轟来(にちりんごうらい)


 凄まじい魔力が吹き荒び、天空に大炎球が浮かび上がる。

 それは万象を焼き焦がす灼熱の一撃。

 まともに食らえば、細胞のひとかけらさえ残らないだろう。


「は、はは……。さすがにそいつはやべぇな……ッ」


 グリオラの背中に冷たいものが走った。


「はぁー……長かったなァ……ここが終着点、か。……そんじゃ俺も、最後に手向(たむ)けを送ってやるよ。――刃道(じんどう)(しち)天千銀掃(てんせんぎんそう)


 天に浮かぶは、白銀の千刃(せんじん)


 その一本一本に極大の魔力が込められた、『超広域殲滅魔術』。


 彼はその照準を――静かにこの戦いを見守る、王立第三魔術学園の生徒たちへ向けた。


「な、何を……!? これは吾輩と貴様の戦いである! 生徒たちは関係ない!」


「よく聞け、ダール。『鉄壁』という腑抜けた()を捨て、『憤怒』という生来の(しん)を取れ。これは餞別(せんべつ)、古い友人からの最後の忠告だ」


「き、貴様ァ゛……ッ」


 己が憤怒を以って、グリオラを殺すか。

 己が鉄壁を以って、生徒を守り抜くか。


 究極の選択を強いられたダールは、かつてないほどに思考を巡らせていく。


 今ここで日輪轟来(にちりんごうらい)を解き放てば、確実にグリオラを(ほふ)れる。

 しかしその場合、愛する生徒たちは、間違いなく皆殺しにされてしまう。


 今ここで広域防御魔術を展開したとして、天千銀掃(てんせんぎんそう)を防ぐことはできない。

 しかもこの場合、自分は戦闘不能になるほどの大ダメージを負い、生徒を守り切れる保証もなく、グリオラの脅威は健在。


 ダールの魔術適性は赤道と灼道――この二属性は、白道との相性が最も悪い。

 実際に彼が一番苦手とする魔術は、何を隠そう白道である。


(どう、する……ッ)


 リスクとリターン。

 魔術師としての自分と教師としての自分。

 ありとあらゆることを噛み締め――重い決断を下す。


「……万死(ばんし)(もっ)て、大魔(たいま)(めっ)す。学生とはいえ魔術師、この道を選んだ覚悟はあろう。……許せ」


 ダールは短く()び――憤怒の道を選んだ。


 魔術師としては、それこそが正解(ただしい)

 彼が責められる道理は、どこにもない。


「ははっ、そうだ! それでいい! 結局、お前の本質は破壊だ! 親友も生徒も妻も息子も、全てを焼き尽くす! それでこそ、お前だ! 俺たち殲滅部隊の憧れた『憤怒のダール』だァ!」


 グリオラは叫び、己が魔力を研ぎ澄ませていく。


「さぁ、俺を燃やし尽くせ! 愛すべき者を全て失え! そしてあの頃のお前に戻るんだ! 刃道(じんどう)(しち)天千銀掃(てんせんぎんそう)ッ!」


 超広域殲滅魔術が展開され、『死の白銀』が一斉に生徒たちへ牙を()く。


 その直後、


「――灼道(しゃくどう)(じゅう)日輪轟来(にちりんごうらい)!」


 全てを焼き尽くす大炎球が、途轍もない輝きを放つ。


(皆の衆、すまぬ……っ。だが、グリオラだけは、ここで確実に仕留める……!)


 瞬間、ダールの脳裏をよぎったのは、生涯忘れることのない『あの記憶』。



 今より三十年ほど前――。

 グランレイ王国に、一人の魔術師がいた。


 男の名前はダール・オーガスト。

 弱冠(じゃっかん)二十歳にして、魔術教会直属『殲滅部隊』の隊長を務める、若き天才魔術師だ。


『憤怒のダール』の名は、魔術界において恐怖と憧憬(どうけい)の象徴だった。

 ひとたび彼が戦場に踊り出れば、まさに『一騎当千』。


灼道(しゃくどう)(よん)焦熱浄土(しょうねつじょうど)!」


 生来(せいらい)の固有魔術――灼道(しゃくどう)という圧倒的な破壊の力で、幾多の魔人を葬り去っていく。


「お、おい、ダール……! いくらなんでも、今のはやり過ぎだぞ!」


「さっきの魔人たちとは、まだ交渉の余地があっただろう!?」


「……行き過ぎた殺しは、すなわち『悪』だよ?」


 年上の部下たちの忠告、彼はそれを笑い飛ばした。


「がっはっはっはっ、そんなものは知らん! こいつらは人間を(むさぼ)り食った悪しき魔人だ! 情状酌量じょうじょうしゃくりょうはもとより、交渉の余地など微塵もない! それに何より、俺の灼熱の魔力こそが、この絶対的な力こそが『正義』! 大魔(たいま)滅殺(めっさつ)するのが、魔術師としての責務だろうが!」


 ダールは魔術師として正しかった。

 彼の考え方は決して間違っていなかった。

 実際そのお陰で、大勢の人たちは助かった。

 確かに多くの血は流れたが、それよりもたくさんの命が救われてきた。


 しかし、彼の正しさは、苛烈に(・・・)過ぎた(・・・)


 深く(しず)んだ鳥は、大きく飛び上がるが如く、強過ぎる力は、やがて大きな反発を生む。


 それは月明かりの綺麗な夜のことだった。


 魔人の大群が、ダールの屋敷を襲撃した。


「姫様の(かたき)ぃいいいいいいいい……!」


「魔術師ダールを殺せぇええええええええ!」


 かつてダールが滅ぼした、とある魔人の残党たちが、忠義の心と憎悪の(ともしび)を燃やし、決死の夜討(やう)ちを仕掛けてきたのだ。


「はっ、害虫(ごみ)どもめが……。まとめて返り討ちにしてくれる!」


 寝込みを襲ったところで、ダールの強さに変わりはない。


「灼道の(ろく)閃熱地獄(せんねつじごく)!」


「「「ぐぁあああああああああ!?」」」


 灼熱の大魔力が(ほとば)り、多くの魔人が燃えていく。


 しかし――ここは戦場ではない。

 この屋敷には、ダールの守るべきものがいた。


「きゃぁ!?」


 ダールが灼熱を放つと時を同じくして、女性の悲鳴があがる。


「す、すまん……大丈夫か!?」


「は、はい……っ」


 この家には今、ダールの最愛の妻ローレット・オーガストがいるのだ。

 彼女はそれなりに優秀な魔術師だが、今は妊娠八か月目――激しい戦闘など、もってのほかだ。


「し、しばしの間、奥の隠し部屋に隠れていろ! この俺が、すぐに終わらせてくる……!」


 ダールはそう言って、彼女を送り出した。


 灼熱の力は、守りに向かない。

 これまで守る力を磨いてこなかった彼は、最愛の妻の隠れる部屋に、結界の一つも掛けてやれなかった。


 その後、どれぐらいの時間が経っただろうか。


「こ、の……化物、が……ッ」


 閃熱(せんねつ)の刃が肉を断ち、最後の魔人が燃え尽きた。


「はぁはぁはぁ……っ。さすがに百体は……多いである、な……ッ」


 ダールは重たい体を引きずり、大急ぎで妻の元へ向かう。


「ローレット、ローレット! 無事、か……?」


 扉を開けるとそこには――腹部を貫かれた、ローレット・オーガストの姿があった。


「……嘘、だろ……?」


 ダールが激しい戦闘に身を投じている最中、とある魔人がこの隠し部屋を発見し、ローレットを襲撃。

 彼女は必死に応戦するも、相討ちとなってしまったのだ。


「こ、こんなこと、あるわけが……ッ」


 眼を疑った。

 まるで時が止まったかのような錯覚を覚えた。


 そんな中、


「……ダー、る……?」


 ローレットの(かす)れた小声が響いた。


「……!」


 ダールはすぐさま駆け寄り、優しく声を掛ける。


「よくぞ、生きていた、ローレット! だ、大丈夫だ! 俺は超天才魔術師だからな! こんな傷、すぐに治してやるぞ!」


 彼は言うが早いか、すぐさま回復魔術を展開。


「――白道の三十五・快癒(かいゆ)(ひかり)!」


 しかし――せっかく構築した術式は、すぐに論理破綻を起こし、霧のように消えていく。


「ぐ……っ」


 ダールの魔術適性は赤道と灼道。

 白道は最も苦手とするところであるうえ、彼はその基礎的な修業を(おこた)っていた。


「……ごめんな、さぃ……。お腹の子ども、守れなかっ……た……ッ」


 ローレットの朧気(おぼろげ)な瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。


「な、何を言っているんだ! 大丈夫、二人とも助けるって言っただろう? 俺の知り合いに、凄腕の医者がいる! 天才的な白道使いだ! ただでさえ扱いの難しいとされる回復魔術、その六十番台をなんと無詠唱で使えるんだぞ!?」


 なんとか元気付けようと、明るい話を絞り出すが……現実は何一つとして変わらない。


 彼女の腹部からは、鮮血が止め()なく溢れ出し、その瞳からは生気が抜けていく。


(……血が、止まらない……。くそっ、いったいどうすれば……!?)


 自分は白道の回復魔術を(ろく)に使えない。

 このまま病院へ運んだとして、到底間に合うはずもない。


 ダールが答えのない問題に頭を悩ませていると、


「……ありが、とう……。あなたのこと、ずっと、ずっと……愛していまし……た……」


 ローレットは最後に一度だけ柔らかく微笑み、それっきり動かなくなってしまった。


「ろー、れっと……?」


 名前を呼ぶが、返事はない。


「お、おい、ローレット! 意識をしっかりと持て! 大丈夫、助かるから! 絶対に俺がなんとかしてやるから!」


 肩を揺すれども、返事はない。


 彼女の心臓はもう、鼓動を止めていた。


「……ぉ、お……ぉおおおおお゛お゛お゛お゛……ッ」


 夜の闇に男の悲痛な慟哭(どうこく)が響く。


「……何故、だ……何故なんだ……っ」


 どれだけ魔力を(たぎ)らせようとも、出てくるのは灼熱の業火――無意味で空虚な破壊の力のみ。


 時間はあった。

 白道を学び、回復魔術を修めるだけの時間など、いくらでもあった。


 しかし、それをしなかった。

 この灼熱の力があれば、全てそれで事足りると胡坐(あぐら)を掻いてしまったのだ。


 彼は自身の怠慢を悔い、自身の驕りを憎み、自身の無力を呪った。


「……神よ、お願いだ。もうこんな破壊の力などいらん。この命だってくれてやる! だから、頼む……頼むよ……。最愛の家族なんだ……ッ」


 膝を折り、(こうべ)を垂れ、生まれて初めて神に祈った。

 大粒の涙をボロボロと流し、ひたすら天に願い()うた。


 そのとき――屋敷の裏手にある森から、若い男女が歩いてきた。


「あ゛ー……くそっ、なんでこんな金にならねぇ仕事、このあたしが引き受けなきゃならんのか……」


「あはは。金の亡者っぷりは、相も変わらずだねぇ」


 見るからに気の強そうな女とクラウンメイクを施した道化師の男。

 どこか浮世離れした雰囲気を放つ二人組は、泣き崩れるダールと血塗(ちまみ)れのローレットを発見した。


「んー……? おやおや、これは酷い状態だねぇ」


「……魔族の襲撃に遭ったのか」


「ねぇレメ。なんか可哀想だし、治してあげたら?」


「はぁ……お前のその無駄な博愛主義はなんなんだ? 中は腐り尽くしているくせに……」


「あはぁ、誉め言葉として受け取っておくよ」


 二人の会話の中、ダールの耳に届いたのは、『望外(ぼうがい)の可能性』。


「な、治せるのか!? 妻を……この状態を治せるというのか!?」


「うん、任せておくれ。彼女なら朝飯前だ」


「おいこら糞ピエロ、てめぇ何勝手に安請(やすう)け合いしてんだ?」


「そう怒らないでよ。お金なら、後でちゃんとボクが全額支払うからさ。……でも、そんなことを言いながらも、どうせ治してあげるつもりだったんでしょ?」


 旧友(きゅうゆう)の見透かしたような口ぶりに苛立ちつつも、図星を突かれただけに言い返すことができない。


「うっせぇボケが! 深夜料金だ、三割増しで請求すっからな! ――白道の九十七・天巣回帰(てんそうかいき)


 乱雑に唱えられたその魔術は、奇跡の九十番台。

 本来これは、神殿で大儀式を構え、優秀な魔術師を多数揃え、年単位の長い時間を掛けて、ようやくなんとか行使する神の奇跡。


 彼女はそれを気軽に無詠唱で発動してみせた。

 天より舞い落ちる幾億の術式、それらは複雑に絡み合い、神秘的な回復魔術が()りなされていく。


(な、なんという、魔術技能だ……ッ)


 ダールが息を呑んでいる間にも、ローレットの顔色はみるみるうちに生気を取り戻していき、すーっすーっという規則的な呼吸音が聞こえてきた。


「ほれ、治療終わり。まだ意識は戻っちゃねぇが、そのうち目を覚ますだろ。あ゛ー……後あれだ。腹ん中のガキも、ついでに治しといたぞ」


「お、おぉ……おぉおおおお……ッ」


 もはや言葉にならなかった。


「――ありがとう、本当にありがとう……ッ」


 何度も何度も床に頭をぶつけ、ひたすらに感謝の言葉を繰り返す。


「気にすんな。サービス料も含めて、金はこの腹黒ピエロから、たんまりとふんだくるからな」


 女がそう言って、視線をチラリと横へ向けると、


「ん゛ーっ。やっぱり君の白道は、いつ見ても本当に美しいねぇ……ッ」


 道化師の男は、恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべていた。


「お前……可哀想だなんだと抜かしていたけど……。実際はただ、あたしの魔術が見たかっただけだろ?」


「うん」


「……はぁ、もういい。何百年経っても、そういうところだけは、なんにも変わらねぇな……」


 女は大きくため息をついた後、クルリと振り返った。


「――あんた、『憤怒のダール』だろ?」


「お、俺のことを知っているのか……?」


「風の噂でな。……まぁ、あんたは確かに強い。これだけの魔人を一人で()り切るなんざ、中々そうできることじゃねぇ。――だがな、ただ強ぇだけじゃ救えねぇぜ? 大切なものを守りたかったら、『守る強さ』を身に付けろ」


「守る強さ……。ど、どうすればいい? 俺はどうすれば、あんたのような『本物の魔術師』になれる!?」


「知るか馬鹿。自分で考えろ」


 容赦なく斬り捨てた直後、道化師の男が(うな)り声をあげる。


「んー、そうだなぁ……。まず君は雰囲気がとても怖いから、もっと体を丸くすべきだね。後は……言葉遣いも柔らかくしてみたらどうかな? 『である』口調とか、けっこういいと思うよ?」


「てめぇは黙っとけ! ちっ……あれだ、白道を学べ。最低限、自分の大切なものを守れるだけの力を身に付けろ。まずはそっからだ」


「……白道……」


 ダールがポツリと呟いた後、謎の男女はクルリと(きびす)を返す。


「――そんで話を戻すが、『例の眼』はどこにあんだ?」


「さぁ? それを今から探すんだよ」


「てめっ、このペテン師野郎! 『見つけた』っつって、呼び出したよなぁ!?」


「あれぇ、そうだったっけ?」


 二人は何やら奇妙な会話を交わしながら、夜闇の中に消えていった。


 ダールの人生において、最も壮絶で過酷な一夜が明けた次の日――魔術教会に激震が走った。


「お、おい……待てよ、ダール! 殲滅部隊を辞めるって、本気で言っているのか!?」


「一から白道を学び直すぅ!? そりゃいったいなんの冗談だ!?」


「だ、『第三の教師』ぃ!? お前が!? なんでまた!?」


 灼熱という破壊の力に(おぼ)れ、本当の強さを見失った、愚かな魔術師は死んだ。


「俺は……否。吾輩は全てを守る白魔術師――『鉄壁』のダールである!」


 そして新たに、(おの)憤怒(ふんぬ)を捨て去った、心優しい魔術師が生まれたのだった。



 グリオラとダールの大魔術が激突し、凄まじい破壊が辺り一帯を蹂躙(じゅうりん)する中、


「……え?」


「何が、起こった……?」


「……私、生きて、る……?」


 いくつもの声が上がり、土煙が晴れるとそこには――背中に幾多の白刃を突き立てた、血染めのダールの姿があった。


「……なんで、だよ……っ。どうして攻撃をやめた、ダールゥウウウウ!?」


 グリオラの慟哭が、千年樹林に木霊する。


「せ、先生……っ」


「俺たちを、守って……ッ」


 死を覚悟していた生徒たちは、ボロボロと大粒の涙を零した。


「……皆、無事のようで……何よりで、ある……っ」


 ダールは口の端から血を垂らし、ニコリと笑ってみせる。


(ダール先生……っ)


 魔眼を持つエレンだけが、この中で唯一、ダールの断固たる覚悟を――魔術師としての矜持(きょうじ)を全てはっきりと見ていた。


 彼は絶死(ぜっし)の白銀が迫る中、日輪轟来(にちりんごうらい)を解除。

 自身の最も苦手とする広域防御魔術――『白道の八十五・円環障壁(えんかんしょうへき)』を展開。

 その命を()して、生徒たちを守り抜いたのだ。


「はぁ……そうか、結局お前もそう(・・)なのか……。失望したぞ、ダール。お前という男は、最後の最後で本当に……弱い(・・)。『真の強さ』というものを、どうしようもなく履き違えている。哀れ、救いようがないほどの半端者だ」


 侮蔑と呆れ――グリオラの瞳は、どこまでも冷め切っていた。


「こ、この卑怯者め……!」


「一対一の勝負なら、ダール先生が絶対に勝っていた!」


「弱いのは、お前の方だ!」


 生徒たちの口撃(こうげき)に対し、グリオラは呆れたように肩を竦める。


「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー、うるせぇ烏合(うごう)だな……。いいか、その節穴をかっぽじってよぅく聴け。てめぇらのような弱者がいるから、ダールはこんな弱ぇ男になっちまったんだ。……やっぱりこの世界はおかしい。『正しい秩序』に欠けている……っ。『真の強さ』とはなんなのか、誰もわかっていない……ッ。そうだ、弱者は……間引(まび)かなくてはいけないんだ」


 グリオラはそう言うと、懐から紫色の果実を取り出し――(むさぼ)り食い始めた。

 それと同時、彼の全身に凄まじい魔力が溢れ出す。

 大量の魔人細胞を取り込むことで、完全回復を果たしたうえ、さらに広大な力を身に付けたのだ。 


 そして――。


「――刃道(じんどう)(ろく)王銀(おうぎん)


 超巨大な白銀の(つるぎ)が一振り、フワリと空中に浮かび上がった。

 それは万象一切を貫く、単体殲滅魔術。

 その内部には、街一つ消し去るほどの大魔力が秘められている。


「よく見ておけよ、ダール。これがお前の弱さが生み出した、くだらねぇ結末だ」


「……皆、逃げるので、ある……っ」


 そうは言うものの、逃げ場などもう、どこにもない。


「――さらばだ、弱き親友(とも)よ」


 グリオラが腕を振ると同時、極大の長剣(ちょうけん)が解き放たれた。


「……終わっ、た……」


「こんなのどう足掻いても無理よ……」


 ゼノとアリアが――否、この場にいる全員が絶望に暮れる中、


「……すみません、ヘルメスさん。約束、守れませんでした」


 特殊なレンズが空を舞い、紅の瞳が(あらわ)になる。


「――白道の一・(せん)


 次の瞬間、漆黒の大閃光は、グリオラの王銀(おうぎん)を蹴散らし、彼の胴体に風穴を穿(うが)った。


「……ぁ……?」


 困惑は一瞬、


「ぐ、がぁああああああああ……!?」


 焼け焦げるような痛みが、彼の胸部を駆け巡る。


「ば、馬鹿……エレン、お前……っ」


「キミ、こんな大衆面前で……正気なの!?」


 ゼノとアリアが混乱する中、エレンは大きく前に踏み出す。


「――ダール先生は弱くない」


 その一歩は猛毒となりて、大地を殺し尽くす。


「自分の命を(かえり)みず、俺たちを守ってくれたんだ」


 その魔力は呪いとなりて、天空を殺し尽くす。


「お前の掲げる『真の強さ』なんか、ダールさんの『本当の強さ』の足元にも及ばない……!」


 その瞳は絶対の死となりて、(あまね)く一切を殺し尽くす。


 千年前、世界中を恐怖のどん底に陥れた『史上最悪の魔眼』が、遥か悠久の時を超えて今再び、その『真の力』を解き放つ。

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[良い点] 今が一番良い時。 [気になる点] どうやって治めるかな。 [一言] でも面白いですよ。
[気になる点] >彼女は必死に応戦するも、同士討ちとなってしまったのだ。 相討ちでは? 応戦相手は敵でしょう? 同士うちは ・味方と味方の争い。 仲間うちでの争い。 ですよ?
[良い点] 面白い。所々にHUNTER×HUNTERとバキっぽい言い回しがあるのが最高
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