第二十話:仮面
エレンは左目に意識を集中させ、仮面の人間を観察する。
最も目に付くのは、やはり顔面を覆い隠す白い仮面。
声質から判断して、二十代の男性だろうか。
長い漆黒の髪・身長は約190センチ・体はやや細身。
ゆったりとした黒いローブを纏っており、皮膚の露出はまるでない。
(レンズが阻害しているとはいえ、この距離でもはっきりとした魔力が視えない……。あの妙な白い仮面、あれが奴の魔力を隠しているみたいだな)
相手の正確な力量は測れないが、とにかく『敵』であることは確実。
(現状、最優先ですべきは……これだな)
エレンは仮面の男から見えない角度で、短いハンドサインを出す。
するとその直後、最後方にいたアリアが、大きくバックステップを踏んだ。
「――赤道の八・紅炎筒!」
赤銅色の炎筒が、大空に向かってグングンと伸びて行く。
(よし、これで十秒以内にダール先生が来てくれる……!)
彼女が拳を握ると同時、
「ふはっ――白道の五十四・画空閉蓋」
上空に不可視の壁が発生し、紅炎筒が弾き返されてしまった。
「「「なっ!?」」」
千年樹林には背の高い木々が乱立している。
今のような半端な高度では、誰の眼にも映らなかっただろう。
「くくっ……おいおい、どこのどなたに助けを求めるつもりだァ?」
紅炎筒の意図を見抜いた仮面は、クスクスと嘲笑を浮かべる。
「この千年樹林は、魔術教会の『特別指定管理区域』だ。お前らのような学生が、おいそれと来られるような場所じゃねぇ。どっか近くに監督者がいるんだろ?」
「……いろいろと詳しいな。元魔術師か?」
「『道を踏み外した大先輩』ってところだ」
仮面の男は軽くそう返した後、エレンたちにじっとりとした視線を向ける。
「ほぅ、ほぅ、ほぅほぅほぅ……。厄災の呪刀『梟』・メギドの馬鹿が彫った『呪蛇の刻印』・憎たらしい主神の加護『聖眼』。くははっ、中々個性的な面子が揃っているな!」
喜色に満ちた弾む声が、やけに大きく響いた、
「本当はまだ仕事の途中なんだが……まぁいい。ちょっくら遊んでやるよ」
彼はそう言うと、爪先でカツンと地面を叩く。
「――白道の七十五・不知御領」
次の瞬間、まるで薄い膜を張るようにして、仮面の魔力が大地を覆っていった。
「ここより半径三キロを不可知領域で囲った。『中』でどんだけ激しくやりやっても、魔力の魔の字も『外』には漏れねぇ。おいおいどうするよぉ……これでもう増援は望めないぜぇ?」
(((この仮面、無詠唱で七十番台を……!?)))
エレン・ゼノ・アリア、三人の思考が一致。
眼前の敵は、少なくともA級以上――遥か格上の魔術師。
不知御領を張られた今、ダールに応援を求めることも難しい。
三人の表情に緊張が走る中、
「さてさてさーてとぉ……」
下準備を終えた仮面の男は、だらりと垂れた両の袖口から、白銀の双刃を伸ばす。
(……珍しいな。双剣使いか)
エレンがそんな感想を抱いた次の瞬間、仮面の姿が虚空に消えた。
(速いッ!?)
脱力からの超加速。
この一幕だけで、仮面の圧倒的な体術がわかった。
「――まずは『蛇』からいただこうか、ねェ゛!」
白銀の刃が、ゼノの首元に牙を剥く。
「はっ、甘ぇよ! ――黒道の四十二・貳ツ牙!」
彼は漆黒の双刃を展開、迫り来る二閃の斬撃を見事に打ち払う。
「おっとっとぉ……っ」
奇襲を防がれた仮面は、軽やかな足取りで距離を取った。
「ははぁ、近接もいけんのか?」
「見下してんじゃねぇぞ、ドカスが」
十分な間合いが生まれ、にわかに緊張が解れる中――エレンの瞳だけが、忍び寄る『白銀』を捉えていた。
「――ゼノ、下だ!」
「っ!?」
信頼に足る声を聴き、咄嗟にバックステップ。
直後、白銀の長剣が地中から射出され、彼の鼻筋を浅く斬り裂いた。
「くははっ、惜しい惜しい!」
仮面は手を打ち鳴らしてケタケタと笑い、
「こ、この野郎……ッ」
ゼノは眼光を尖らせて奥歯を噛み締める。
エレンの忠告がなければ、喉を貫かれて死んでいた。
その事実が、彼のプライドに傷をつけたのだ。
「しかし、今の仕込みをよく見抜いたな……。そっちのてめぇは、探知型の術師かぁ?」
声がしたのは、耳の後ろ。
(さっきよりも、遥かに速い!?)
エレンが振り向くと同時、白銀の刃が振り下ろされた。
「――青道の十二・水扇!」
「こんな低位の魔術じゃ、止まんねぇぞォ?」
仮面が力を加えると同時、分厚い水の盾は弾け飛び、エレンの首元に鋭い刃が滑り込む。
「別に止めるつもりもないよ。黄道の十四・綴網」
水を浴びた仮面のもとへ、大口を開けた電気網が飛ぶ。
「っとぉ、危ねぇ、なッ!」
右にサイドステップを踏んだ仮面は、反復横跳びの要領で戻り、強烈な蹴撃を繰り出す。
エレンは両腕をクロスし、完璧な防御を見せたが……。
(これ、は……重い……ッ)
あまりの衝撃を受け止め切れず、大きく後ろへ蹴り飛ばされた。
「いい反応だァ! まだまだ行くぞォ!」
さらなる追撃を仕掛けようとする仮面に対し、アリアが凄まじい速度で殺到する。
「ちょっと調子に乗り過ぎよ! 白桜流――」
「違う! 後ろだ!」
「え?」
エレンの大声が響いた次の瞬間、アリアの正面にあった仮面の体は、まるで粘土のようにドロリと崩れ――彼女の背後に狂気の笑みが浮かぶ。
「まずは一匹ィ!」
「しまっ!?」
絶死の白銀が迫る中、プライドを傷つけられた蛇が、鋭い眼光を解き放つ。
「――黒道の五十六・呪刻【蛇縛】」
次の瞬間、アリアの制服に刻まれた蛇の紋様から、紫紺の大蛇が鎌首をもたげた。
「っとぉ」
仮面は攻撃対象を変更。
器用にも剣閃を曲げて、蛇の三角頭をザックリと斬り落とす。
一方のアリアは、ゼノが生み出した僅かな時間を利用し、最低限の安全距離を確保した。
「……ありがと、助かったわ」
「礼なら後にしろ。この仮面野郎……只者じゃねぇ」
ゼノとアリアが警戒を強める中、
「ったく……。普通、仲間を呪うかねぇ?」
ゼノの術式を一目で看破した仮面は、どこか呆れた様子で肩を竦める。
次の標的がアリアになるだろうと読んだゼノは、彼女の制服にこっそりと遅延発動式の呪いを仕込んでおいたのだ。
嵐のような攻防が小休止を見せる中、
「んー……」
仮面の男は唸り声をあげ、ポリポリと頭を掻いた。
「……そこのお前、さっきからおかしくねぇか?」
彼の視線の先にあるのは――エレンだ。
「蛇に仕掛けた地中の白銀もバレた。明らかに入ったはずの斬撃も、何故かお前は完璧に反応してみせた。わざわざ隠匿術式を噛ませた緑道の土分身すら、問答無用で見抜きやがる」
ここまで仮面の攻撃の悉くが、エレンの妨害に遭っている。
もしも彼の忠告がなければ、ゼノとアリアはとうの昔に斬殺されていることだろう。
「どうして俺の攻撃がわかった? 音か? 臭いか? 振動か?」
「さぁな。案外、ただの『勘』かもよ?」
「くくっ、まぁそうだよな。いや、それが正しいぜ? わざわざ自分の手札を明かす必要はねぇ」
男は肩を揺らし、上機嫌に笑う。
「あ゛ーあ、軽くつまむだけのつもりだったが……こりゃ、駄目だわ。お前……ちょっと面白ぇよ」
次の瞬間、仮面の体から不気味な魔力が立ち昇る。
それは明らかに異物の混じった力、人ならざる『ナニカ』に塗れた、正しき道を踏み外した力。
「「「……ッ」」」
エレン・アリア・ゼノが、最大級の警戒を払う中、
「さぁて、次はけっこう本気で行くぜェ……!」
仮面の瞳は、只々エレンのことだけを見つめていた。
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