第十四話:聖眼
その後の展開は、酷く一方的なものだった。
「赤道の四・火焔朧。緑道の二・傀儡根」
「くっ……黄道の三十七・瞬雷!」
片や千変万化の魔術を容赦なく撃ち飛ばし、片や高速移動の術式でギリギリの回避を続ける。
(……マズいな。アリアのやつ、思ったよりも粘るぞ……。さすがにそろそろ終わらせないと、『反省文』を書く時間が……っ)
(梟のような永久封印クラスの魔剣は、ただ展開するだけで莫大な魔力を消耗する。エレンの魔力だって、決して無限じゃないはず。……それなのに、まるで『底』が見えない……っ。……化物め……ッ)
両者の顔には、それぞれ毛色の異なった『焦りの色』が浮かんでいた。
エレンの抱える問題も決して小さいとは言えないが、アリアのそれはもっと深刻だ。
(膂力は完敗。魔剣の格も向こうの方が遥かに上。魔術の撃ち合いじゃ絶対に勝てっこない。後は……なんだろ。魔力切れを狙った持久戦? あは……もってのほかだね)
眼前の化物は、まさに『魔力の塊』。
持久戦で勝つのは、あまりにも困難な相手だ。
そして何より、脇腹に刻まれた深い太刀傷とそれに伴う出血。
先に落ちるのは、どう転んでも彼女の方だろう。
(ふぅー……っ)
絶体絶命の状況の中、アリアは静かに覚悟を決めた。
(……もう、聖眼を解放するしかない、か)
聖眼解放。
それは聖眼使いの持つ、絶対にして『最強の切り札』だ。
しかし、魔術の基本は等価交換。
大きな力には当然、それに見合った代償を伴う。
聖眼解放の使用者は、ほんの一時的に絶大な力を得るが……。
それが切れた直後は、強烈な魔力欠乏症を引き起こし、ほとんどまともに動けなくなってしまう。
(私が聖眼を開ける時間は基本五秒、絶好調でも限界七秒。……あの化物を仕留めるには、最低でも十秒はいるだろうな……)
この時点でもう、計算上は勝てないことになるのだが……。
だからと言って、何もせずに降参するほど、アリアという魔術師は気弱じゃない。
(……大丈夫、きっと勝てる。今までこんな窮地、幾度となく潜り抜けてきた。……そうだ、未知の化物を討つには、自分も限界を超えないといけない。『十秒』、死んでも開き切れ……!)
アリアは長く細く息を吐き、小さな声でポツリと呟く。
「――聖眼解放」
次の瞬間、彼女の瞳に碧い光が灯り、途轍もない大魔力が吹き荒れた。
「なっ……!?」
「――悪いけど、一瞬で終わらせるよ」
アリアの宣言と同時、エレンはカッと目を見開く。
(これ、は……!?)
三次元空間上には、まったく何も起こっていない。
しかし、彼の魔眼は、正確にその脅威を捉えていた。
「――閉ざせ、梟!」
前方にダラリと垂れ落ちるは『漆黒の壁』。
万の呪詛で編まれたその壁は――次の瞬間、粉微塵に斬り刻まれた。
「なるほど、そういう術式か」
「……さすがによく視えているね。普通なら、さっきので終わりなんだけど、さッ!」
聖眼が輝くと同時、エレンは即座に右方へ跳んだ。
直後、彼が先ほどまで立っていた空間が、バッサリと断ち斬られた。
(距離・射程・角度、全てを無視したピンポイント斬撃か……。これはまた、随分と厄介な魔術だな)
(『三秒』、まだいける……ッ)
聖眼にはそれぞれ、魔王を討つための特別な力が宿っている。
アリアの瞳に秘められた力、それは――『斬』。
焦点の合った座標に斬撃を刻み込む、必殺の一撃だ。
エレンのように魔力を直接視認する特殊な眼を持たなければ、この斬撃を凌ぐことはほとんど不可能に近い。
(『五秒』……っ。そろそ、ろ……キツイ、かも……ッ)
(アリアの体から、凄い勢いで魔力が失われていく……。この魔術、かなりの無茶をやっているみたいだな。――なんにせよ、斬撃の起点は聖眼だ。落ち着いて距離を取るのが、正着の一手だな)
彼は冷静にそう分析し、大きく後ろへ跳び下がる。
「駄目、逃がさないよ……ッ」
アリアは聖眼に魔力を込め、エレンの動きを素早く追っていく。
その直後、彼女の視線の軌跡に沿って、空間が次々に断ち斬られていった。
(これは……さすがに追い付かれるな)
いかにエレンが速くとも、追尾する視線を振り切ることは難しい。
(よし、入った……ッ)
アリアが硬く拳を握った瞬間、
「――青道の五・煙霧」
エレンを取り囲むようにして、煙のような濃霧が立ち込めた。
これでは彼に焦点を合わせることができず、斬撃を撃ち込めない。
(ここに来て、まだそんな手を……!?)
聖眼解放から、既に七秒が経過。
アリアは下唇を噛み切ることで、朦朧とする意識をなんとか抑え込む。
「……聖眼の力、舐めないで……!」
彼女は周囲に立ち込める霧――空中に浮かぶ極小の水分に焦点を合わせ、その全てを強引に断ち斬った。
「なっ!?」
エレンの瞳に動揺が走り、アリアの顔が苦痛に歪む。
(痛……っ。さすがに、やり過ぎたか……ッ)
紺碧の瞳から鮮血が流れ、凄まじい激痛が眼窩を襲う。
だが、その痛みに見合う収穫はあった。
エレンを守る濃霧は晴れ、もはや視線を遮るものは何もない。
「ジャスト十秒――これで終わりッ!」
視界の中央、エレンの肉体を完璧に捉えた。
それと同時、紺碧の聖眼がかつてない輝きを放ち、不可視の斬撃が――神速の八連撃が刻み込まれる。
(文句なし! 正真正銘、完璧に入った! これは絶対に避けられない!)
勝利を確信したアリアは――確かに聞いた。
「次元流・八の型――」
それはかつて最強と謳われるも、戦禍の果てに途絶えたとされる『最速の剣術』。
「八翔閃」
刹那、アリアの放った斬撃の発生地点に、全く逆位相の斬撃がぶつけられ――両者は完全に相殺。
それはまさに、ゼロコンマ一秒を争う『神速の神業』。
その奇跡を現実のものにしたのが、リンから教わった最強最速の次元流、そしてあらゆる魔術的現象を正確に見極める史上最悪の魔眼だ。
「そん、な……どうして……っ」
自身の『必殺』を完封されたアリアは、無防備な姿を晒し――そこへ、エレンの蹴撃が襲い掛かる。
「……くっ」
満身創痍のアリアは、両手をクロスし、形だけの防御を行うが……。
(何、これ……お、も……ッ!?)
魔眼が燻っているときのエレンの蹴りは、分厚い鉄板さえも粉砕する。
聖眼解放の切れたアリアでは、とてもじゃないが防ぎ切れない。
「きゃぁ……っ」
あまりの衝撃に吹き飛ばされた彼女は、遥か後方の一本杉に全身を強打。
そのまま重力に引かれてズルズルとずり落ち、ピクリとも動かなくなった。
(あ、あれ……ちょっとやり過ぎたかな?)
エレンは梟を収納し、すぐにアリアのもとへ駆け寄る。
「わ、悪い、大丈夫か……?」
優しく声を掛けると同時、
「――キミ、優し過ぎ」
「え?」
突如、勢いよく跳ね上がったアリアは、エレンを強引に押し倒し――そのまま馬乗りになった。
「ちょっ、何を……!?」
「悔しいけど、純粋な魔術勝負はエレンの勝ち。でも、殺し合いでは私の勝ちよ……!」
全ての聖眼は、魔眼に対してのみ機能する『特別な封印術式』を宿している。
それは十センチ以内の至近距離において、両の瞳が合わさったときに発動――対象の魔眼を未来永劫にわたって、完全に閉ざすことができるのだ。
「キミが出し惜しみするから悪いんだよ。最初から魔眼を使っていれば、きっと楽に勝てたのにね」
言うが早いか、アリアはその細い指でエレンの左眼をまさぐり、封印術式の施されたレンズを剥がした。
そしてその勢いのまま、彼の瞳を覗き込む。
通常、この体勢に持ち込まれた時点で、普通の魔眼使いに勝ち目はない。
だがしかし……エレンの魔眼は、決して『普通の魔眼』ではない。
魔王の寵愛を受けた、『史上最悪の魔眼』だ。
(……深い漆黒に……緋色の輪廻……? …………えっ。うそ、これってまさか……!?)
気付いたときには、もう遅かった。
エレンと魔眼とアリアの聖眼が交わったその瞬間、
「ぇ、ぁ……っ」
憤怒・絶望・憎悪――ありとあらゆる負の感情が、強烈な呪いと化して、彼女の聖眼に流れ込む。
「頭、が……割れ……ッ(史上最悪の魔眼が、どうしてこんなところ、に……!? 待って、『魔眼の副作用』、キツ……過ぎ……っ。でも、エレンだって……毎日これを食らっているはず……ッ。……わけが、わかんないよ……っ。こんな地獄の中で、どうしてキミは、そんなに『普通』でいられるの……!?)」
凄まじい呪いに侵された彼女は――エレンのお腹にまたがったまま意識を失い、彼に覆いかぶさるようにして倒れ込む。
「…………あ、あのー……アリア、さん……?」
体の上でぐったりと倒れ伏す美少女。
柔らかい感触・温かい体温・規則的な呼吸――あまりに強過ぎる刺激が、エレンの全身を襲う。
「はぁ……これ、どうしようかなぁ……っ」
彼は大きなため息をつき、今後の対応に頭を悩ませるのだった。
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