第十話:解呪
エレンとゼノは秘密の階段を登りながら、解呪の詳細を詰めていく。
「さっきも言った通り、史上最悪の魔眼は、『最強・最古の呪い』だ。エレンにはこの猛毒を使って、呪蛇の刻印を解いてもらいたい」
「『より上位の呪いを以って、下位の呪いを殺す』、ですよね?」
「あぁ、そうだ。呪蛇の刻印の『核』となる部分を見つけ出し、そこに『魔眼の呪い』を打ち込んでくれ。理論上、それで解呪は成立するはずだ」
「魔眼の呪いを打ち込む……。それって、どうすればいいんですか?」
「難しく考える必要はねぇ。その特殊なレンズを外し、史上最悪の魔眼を解放しているとき、エレンの魔力はそれ自体が『最上級の呪い』になっている。呪蛇の核とお前の魔力が触れるだけで、呪いの格付けは完了――シルフィの体から、蛇の紋様は消え去る」
「なる、ほど……」
自分の体を流れるこの魔力が、最上級の呪い。
それを聞いたエレンは、少し複雑な気持ちだった。
その後、階段を登り切った二人は、煤だらけの暖炉を出て、シルフィの眠る寝室へ移動。
「はぁはぁ……っ」
ベッドに横たわる彼女は、苦悶の表情を浮かべ、荒々しい呼吸を繰り返している。
「シルフィ……つらいよな、しんどいよな……。だけど、もう大丈夫だ。呪いの苦しみは、今日で終わる」
ゼノはそう言って、彼女の頬を優しく撫ぜた。
エレンはその間、左目に魔力を集中して魔眼を解放――シルフィの現在の状態を素早く確認していく。
(……全身に巻き付く、蛇のような黒いモヤ……。大聖堂で視たものとそっくりだ。多分この呪いを掛けたのは同一人物、メギドという術師で間違いないだろう)
エレンは一度そこで両眼を閉じ、小さく長く息を吐いた。
「――ゼノさん、そろそろ始めますね?」
「あぁ、頼む……っ」
そうしてついに解呪が始まった。
エレンは左眼を凝らし、呪蛇の刻印――その内部へ向ける。
すると次の瞬間、彼の視界一面を埋めたのは、数千万節からなる膨大な術式。
(これ、は……ッ)
確かに外見の上では、大聖堂で解いた呪いと大きく変わらなかった。
しかし、その構造はまったくの別物。
千年前の大魔術師メギドが、心血を注いで練り上げた呪蛇の刻印は、凄まじい魔力とおぞましい悪意の集合体――前人未解の呪いだった。
そして何より、
(……深い……っ)
シルフィの体に刻印が打たれて十年、呪いはその間に細胞の奥深くへ染み込み、今や彼女の肉体とほとんど同化していた。
つまりこの呪蛇の刻印を解くには、人体を構成する三十七兆個の細胞から、その核となる部分を見つけ出さなくてはならない。
これは広大な砂漠の中から、米粒を見つけるが如き難業だ。
(…………無理、だ……っ)
脳裏をよぎったのは、失敗の二文字。
だが――。
(……俺がここで諦めたら、シルフィはどうなる? ゼノさんのこれまでの努力は? ――そうだ。無理じゃない、できるかじゃない……やるしかないだろ……ッ)
弱った気持ちに鞭を入れ、大きく息を吐き出す。
(集中しろ。眼を凝らせ。魔術の深奥を覗くんだ……!)
エレンが集中力を高めていくと同時、彼の体から濃密な魔力が立ち昇り始めた。
それは普段の優しくて温かいエレンの魔力とは、似ても似つかぬ邪悪。
この世の全ての不吉を煮詰めたような、どうしようもない『黒』を放つ。
(こいつ、なんて魔力をしていやがる……っ。決闘時見せた最後のアレは、まだ全力じゃなかったのか……ッ)
ゼノが絶句する中、とある異変が起こった。
「「「キシャーッ!」」」
シルフィの体を覆う黒いモヤが、数多の黒蛇に形を変え、エレンの全身に食らい付いたのだ。
これは呪いの防衛反応。
魔眼という異物の侵入を検知し、自動迎撃に入ったのである。
「おい、大丈夫か……!?」
しかし、返事はない。
(ここは……違う。こっちも……違う。これも……違う)
尋常ならざる集中力を発揮したエレンは、全身を黒蛇に噛まれながらも、解呪の手を止めなかった。
まさに忘我の境地。
彼は今、視覚以外のあらゆる感覚を遮断し、ただただ目の前のことに――核の発見に全神経を注いでいるのだ。
(……エレン、すまねぇ……っ)
ゼノは奥歯を噛み締め、自身の無力を詫びながら。
今ここで黒蛇を薙ぎ払う、それ自体は造作もないことだ。
しかし、呪いの自動迎撃を妨害すれば、術式構成が大きく乱れる。
そうなれば核の発見はより難しくなり、エレンを助けるどころか、むしろその足を引っ張ってしまいかねない。
だから、ゼノは耐えた。
何もできない無力な時間を忍び続けた。
それからどれぐらいの時が経っただろうか。
息苦しい沈黙が降り、時計の秒針だけが音を刻む中――ついに『そのとき』は訪れる。
(……見つけた……ッ)
史上最悪の魔眼は、全ての魔力を『色』で見分ける。
赤は――致死点。
そこを突けば、展開された術式は確実に死ぬ。
(間違いなく、これが呪蛇の核だ! 他の細胞を傷付けないよう、俺の魔力をここに打ち込めば……!)
彼は指先に極小の魔力を集中させ、シルフィの心臓に浮かんだ致死点、その中心を正確に射貫いた。
すると次の瞬間、彼女の体を蝕む黒いモヤは、光る粒子となって消えていく。
「ふぅー……やった……成功だ……っ」
「……解呪、できた、のか……? は、はは、ははは……っ。エレン、お前ってやつは!」
歓喜の直後――消えかかった黒いモヤは再結集し、極大の呪蛇となってエレンに牙を剥いた。
「「なっ!?」」
これは大魔族メギドの罠、『呪詛返し』。
なんらかの外的手段により、呪蛇の刻印が破られた場合、当該解呪を行った術師を憑り殺す。
呪いの強制破棄による『ペナルティ』が、こっそりと仕込まれてあったのだ。
「ま、ず……っ」
「エレン、逃げろ……!」
史上最悪の魔眼を長時間にわたって使用し、ありったけの集中力を燃やした今のエレンには、呪詛返しを回避する余力など残されていなかった。
呪いの大蛇が悪意を撒き散らし、彼を憑り殺さんとしたその瞬間――僅かな怒気を孕んだ声が、静かに響きわたる。
【――失せろ、虫螻が】
刹那、魔眼に映る万象、その悉くが死んだ。
否、抹殺された。
「……え……?」
「今……何が、起きた……?」
破滅は一瞬、残ったのは静寂のみ。
エレンの正面――ローゼス家の外壁には巨大な風穴が空き、その先にあった草・木・山、ありとあらゆるものが死滅していた。
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