42:婚約の挨拶回り その4
「今回、幸運にもヘルムスが婚約者になれたのは、君が述べた条件の中で最も爵位が高く、王家にとっても都合の良い人材がヘルムスだったからに過ぎない。君がその気になれば、もっと都合の良い婚約者など幾らでも見つかる事だろう。と言うより、王家と公爵家の威信にかけて見つけ出す。これは確定事項だ」
ボースン様は静かに語っている。
ヘルムス様は笑顔のまま佇んでいる。
ワタシは……真剣に話を聞いている。
「ヘルムス様に何か問題があると言いたいのですか? それとも、ヘルムス様をワタシの婚約者にしたくない事情が公爵家にはあるのですか?」
「前者だ」
ワタシの問いにボースン様は即答して、ヘルムス様の方を見る。
「弟もトレガレー公爵家の人間だ。だからかつては婚約者が居た。居たが……婚約破棄になった。ヘルムスが魔術に傾倒し過ぎたあまり、婚約者の事を蔑ろにしたと言う理由でな」
「そうなのですか?」
「ええ、その通りです。と言ってもミーメ嬢に会う前の事。彼女は一般的な貴族としての関係性を私に求めました。私は彼女よりも魔術を選びました。だからこそ、私と彼女の婚約は破棄されました。申し訳ない事をしたと今なら思えますが……あの婚約は破棄されて良かったと思います。あのままでは、少なくとも彼女は確実に不幸になっていたでしょうから」
「そうだな。私もその点は同意しよう。だから、あの婚約は破棄されて良かった。しかし、その過去があるからこそ、ミーメ嬢には問わなければいけない。己よりも魔術を優先しかねない男を夫として迎えても良いのか、とね」
「なるほど……」
ヘルムス様の過去か。
思えば、事情が事情なだけに、ワタシはまだヘルムス様の過去を全くと言っていいほどに知らない。
なんなら、ヘルムス様の性格や好みと言ったものもまだ碌に知らないと言える。
ワタシが知っているのは、ヘルムス様の魔術の属性と、ワタシの事を魔術の師匠として慕っている……いや、崇め奉っている事くらいか。
なるほど、ボースン様は真摯にワタシの事を心配した結果として、警告してくれているらしい。
だが大丈夫だろう。
「安心してください。ワタシとヘルムス様の関係は様々な契約や政治事情を考慮した結果として結ばれた、極めて業務的な物です。ヘルムス様が自身の家と王国を優先する事も、魔術に貪欲な事もよく分かっていますし、納得も出来ます。状況によっては、むしろワタシを優先する方が怒りを覚えるかもしれないくらいです」
「そうか……。ミーメ嬢、君は下手な貴族より貴族なのかもしれないな」
だって、そもそもとして、ワタシはヘルムス様に恋などしていなくて、ワタシの秘密の為に結ばれた婚約なのだから。
なので、ワタシが大切だからと、仕事の方を……魔術を蔑ろにされた方が、ワタシとしては怒るかもしれない。
割と真面目に。
「むしろ、本当にこの婚約を結んでよいのか? そう問うべきなのはワタシなのかもしれません」
だからこそ、ワタシはこの問いを返さずにはいられなかった。
本当にワタシで良いのかと。
「ミーメ嬢。私は君の秘密を知っている。秘密を抜きにしても、君はヘルムスの恩人であり、宮廷魔術師であり、優れた人間であり、心根に問題がない事も今証明された。あり得ない事だが、仮に父と長兄が反対したとしても、私は君を推そうと思っている。だが、だからこそ聞きたい。君は自身の何処に問題があると思っているのだ?」
「過分なお言葉ありがとうございます。問題は……ワタシの見た目です」
ワタシの見た目は胸を除けば10歳児ほどである。
そのような見た目で、成人男性であるヘルムス様の婚約者になったとなれば、絶対に良くない噂の一つや二つは出て来る。
具体的に言ってしまえば、ヘルムス様をロリコン扱いするような噂だ。
「ミーメ嬢。私はミーメ嬢が小さいから好ましく思っているのではありません。好ましく思ったミーメ嬢が偶々小さかっただけです」
「事実そうですが、周囲からどう見られるかと言う話なので、少し黙ってくださいね。ヘルムス様」
ヘルムス様は自信満々にそう言っているが、こればかりはワタシたち自身ではなく、周囲の認識が主となる問題だ。
「その件か。そうだな、君が懸念するのも尤もな話だ。ただこれについてはな……」
ただどうしてか、ボースン様は何とも言えない表情をしている。
「事情を正しく把握している貴族はそのような事を口にする事はない」
「はい」
まあ、それはそうだろう。
ワタシとヘルムス様の婚約は王家も関わっている物なので、下手な批判は自分の首を絞めるだけだ。
「事情を知れる立場に居ない上に、トレガレー公爵家と仲が良くない貴族の悪口など無視すればよい」
「それはそうかもしれませんね」
これもそうだろう。
仲が良くない相手なら、ワタシの見た目が完璧だったとしても文句を言うのだろうし。
「トレガレー公爵家と仲が良い貴族は……その……どちらかと言えば、君に同情すると思う」
「えっ?」
「その、話を蒸し返すような事になるが、これもまたヘルムスの問題でな。君を貴族間の問題に巻き込まない為の策として有効だったことは確かなのだが、ヘルムスはだいたいの身内には君が自身の師匠であり、慕っていると、この四年間口にし続けていてな……。なので、君を見たら……遂に捕まったかと、まずは思うのではないかと、私は考える」
「え゛っ?」
「そもそも否定のしようが無い。愚弟の周囲には婚約破棄以降、その座を狙う女性の影は幾らでもあったが、これまで誰もその座に座らせることはなかった。なのに今になって突然のこれだ。しかも愚弟の顔を見れば分かると思うが、どう見ても愚弟の方が喜んでいる婚約だ。そうなると……ただ事実を口にしているようにしか……」
「ええー……」
ワタシは思わずヘルムス様の方を見る。
ヘルムス様は変わらずニコニコ笑顔のままである。
「私としてもミーメ嬢を馬鹿にするような言葉でなければ気にする気はありませんよ」
「「……」」
そして、ニコニコ笑顔のままに告げた。
ヘルムス様のその姿にワタシとボースン様は無言のまま顔を見合わせずにはいられなかった。
「そういう訳で、その、ミーメ嬢はどうか気にしないで欲しい。これはヘルムスの責だ」
「えーと……分かり……ました」
とりあえず納得する他なかったので、納得はした。
「それとだ。ミーメ嬢。ヘルムスは君の事を師匠として慕っている。いや、崇め奉っている。なので、君が否と言えば、だいたいの事は従ってくれるだろう。よって、兄として、トレガレー公爵家の王都駐在官として、ヘルムスが馬鹿な言動をした時には、止めるために魔術を用いても構わないとは先に宣言しておこう」
「分かりました。ヘルムス様の言動に問題があると判断した時には魔術を用いてでも止めましょう」
そして、固い握手を交わした。
たぶんだが、ボースン様とワタシの間では、何かが通じ合ったのだと思う。
「ははは。兄上もミーメ嬢も心配し過ぎですよ。私はミーメ嬢を大切に思っていますが、だからこそ順序の類を間違える気はありません」
「「……」」
ヘルムス様はそう言ってくれるが……いやうん、今ばかりはその笑顔が怖い。
大丈夫? 本当に大丈夫?
いやまあ、強制的に黙らせる魔術は幾つかあるから、いざと言う時は躊躇いさえしなければ大丈夫だけれど。
「ボースン様。無いようにしたいとは思いますが、もしもヘルムス様との婚約が破棄されたとしても、個人的な友人あるいは狩人や魔術師として、付き合いを維持できますか?」
「願ってもない事だ、ミーメ嬢。私の方でも可能な限りの便宜を図ろうと思う。ヘルムスを抜きにして、な」
とりあえずボースン様とは良い付き合いを維持したいと思う。
ボースン様はそう言うお方だ。
「と、兄上。ミーメ嬢。そろそろ晩餐の時間ですが、どうしますか?」
「ミーメ嬢、貴方に私の妻を紹介したいと思うのだが、どうだろうか?」
「喜んでお付き合いさせていただきます。ボースン様」
その後、ワタシはボースン様の奥様を紹介され、夕食を共にして、それからトレガレー公爵家を辞させてもらった。
こうして、ワタシの婚約の挨拶回りは、何とか無事に終わったのだった。




