39:婚約の挨拶回り その1
「すぅ……はぁ……」
礼儀作法の勉強をする事数日。
トレガレー公爵家に付けてもらった方から、身内相手ならば問題ない、と言う評価をいただいたところで、ワタシは挨拶回りへ赴く事になった。
「大丈夫です、ミーメ嬢。私が付いていますし、今日会う人はミーメ嬢の出自も、この婚約の意義も分かっている方々ばかりです。失敗を恐れず、実戦練習のつもりで臨んでください」
「はい、分かってます」
挨拶回りと言っても宮廷魔術師としての挨拶ではない。
ヘルムス様の婚約者としての挨拶だ。
ここでの失敗はワタシの傷になるのは勿論の事、ワタシの婚約者であるヘルムス様の傷にもなる。
ワタシ自身の傷はどうでもよいのだけれど、ワタシを守るために婚約者になってくれているヘルムス様の名誉や経歴に傷が付くのは、守ってもらう側として非常に恥ずかしく、看過出来るようなものではない。
なので、実戦練習のつもりでと言って貰えているが……全力で頑張るとしよう。
「では、始めます」
「はい」
ワタシは一歩前に出る。
そして、ワタシたちの前で立っている男性の前で、習った通りに一礼。
それから名乗る。
「宮廷魔術師が一人、『闇軍の魔女』ミーメ・アンカーズです。この度はヘルムス様と婚約をするワタシの為に家の名を貸していただくだけでなく、義父となっていただき、誠にありがとうございます。ディム・アンカーズ様」
今のワタシの名前……姓を持たないただのミーメから、アンカーズ子爵家の末席に名前を加えさせてもらったミーメの名前を。
「うむ。良い名乗りじゃ。これなら大丈夫そうじゃな」
「そうですね」
「ほっ」
とりあえず挨拶は大丈夫だったらしい。
ディム様……王城へやってきた初日にワタシの属性確認をしてくれた闇属性魔術師の老人は満足そうに頷いてくれる。
ヘルムス様も嬉しそうにしている。
「ディム様。改めて、子爵家の末席に加えていただいたこと、ありがとうございます」
挨拶が無事に出来たところで、今度はワタシ自身の言葉でディム様へ挨拶する。
さて、この辺りで、そもそも何故、ワタシがアンカーズの姓を得ることになったのかについて振り返ってみよう。
まず、ワタシはトリニティアイである事を抜きにしても、平民の宮廷魔術師の女性と言う、早急に後ろ盾を得ておかないと面倒な立場になってしまった。
だからヘルムス様が婚約者に立候補してくれたわけだが……。
ここで問題が一つ。
ワタシとヘルムス様では、平民と公爵家と言う事で、あまりにも身分の差が大きく、一部の人間が大騒ぎする事は火を見るよりも明らかだった。
そこで、ワタシには、ディム様の養子で子爵家に連なる人間と言う身分が与えられることになったのだ。
不思議な事に、これをするだけで、騒ぐ人間の数が大きく減るらしい。
「構わんよ。ミーメの嬢ちゃんをアンカーズ子爵家に迎え入れる事は我が家としても大いに益がある事じゃ。なにせ宮廷魔術師にしてドラゴン討伐が可能な実力者。ヘルムスの坊主の婚約者と言う部分が無くても、迎え入れたかったぐらいじゃ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
「一応言っておくが、これは世辞でも何でもないぞ。本当にアンカーズ子爵家としては嬉しいことこの上ないんじゃよ。現当主を務めている儂の甥っ子も諸手を挙げて喜んでおったわい」
「は、はぁ……?」
アンカーズ子爵家はワタシを喜んで受け入れてくれた。
勿論、受け入れるに当たってするべき契約は幾つもしている。
ワタシにはアンカーズ子爵家の相続権は無いと言う当たり前の話とか、ワタシに相談しても宮廷魔術師としての仕事が優先されるとか、ワタシに頼みごとをする時は宮廷魔術師への依頼になるとか。
そんなワタシがアンカーズ子爵家を害する意味が無いようにしつつ、アンカーズ子爵家がワタシを利用する事を許さないようにするための契約だ。
そんな契約を結んだワタシとしては不思議な事だったが、子爵家にとってはそれでも何かしらの利益があったらしい。
ディム様は本当に喜んでいる。
なのでワタシは何となくヘルムス様の顔の方を見てしまうが、ヘルムス様は首を小さく横に振る。
どうやらアンカーズ子爵家の利益は、トレガレー公爵家との繋がり以外であるらしい。
「そうそう。一応言っておくとな。儂とミーメの嬢ちゃんは一応、元から親戚だったんじゃぞ。じゃから、今回の養子縁組の話はアンカーズ子爵家の中でも子供がいない。独身の魔術師である儂の所へ来たんじゃ」
「そうなのですか?」
「本当の事です。それはトレガレー公爵家の調査でも事実であるのが分かっています」
ディム様とヘルムス様曰く。
ディム様の叔母に当たる女性が一人、平民と結婚して家を出ているらしい。
そして、この女性と言うのが、ワタシの母方の曾祖母だったそうだ。
なので、遠縁ではあるけれど、ワタシとディム様はちゃんと親戚ではあるらしい。
「もしかしてワタシの闇属性と魔力量が少しだけ普通の平民より多いのも……」
「そこからでしょう。我が国では男爵・子爵の娘が裕福な平民へ嫁ぐくらいならそう珍しい事ではありませんので」
「なるほど」
うん、少しだけワタシ自身の謎が解けたような気分になった。
ちなみにだが。
男爵・子爵の次女や三男以下が平民に嫁ぐ、あるいは婿入りすることは本当によくある事であるらしい。
裕福な商家、優秀な兵士や文官、働き者の農夫や漁師、優れた魔術師に騎士、この辺りと家族と言う繋がりを得られる事は家として非常に有益であるため、積極的に縁を結ぶ動きすらあるとか。
この辺りは、正に貴族。と言う話であり、だからこそ駆け落ちなんかも時折あって、大きな騒動になる事もあるそうで……。うん、恐い。
とりあえず、『グロリアブレイド王国』は平民であっても数代遡れば、貴族の血を引いている事は案外多い。これは覚えておこう。
閑話休題。
「……。もしかしなくても、ワタシが宮廷魔術師になる場合は、いえ、何なら宮廷魔術師にならなくても、アンカーズ子爵家が後ろ盾になる予定でしたか?」
「ほっほっほ。どうじゃろうなー。もしもの話はしても仕方が無いと思うぞい」
「そうですね。気にしても仕方が無いと思います。なに、ご安心を。アンカーズ子爵家は後ろ暗いところなど一切ない家ですから。ミーメ嬢も安心して協力できると思いますよ」
ワタシの言葉に二人は笑っているが……。
ああうん、ワタシがアンカーズ子爵家に加わる事は既定路線だったか。
まあ、ワタシの為にヘルムス様がしてくれていた根回しの一つと言う事で、受け入れるけども。
なおこれは余談と言う形でディム様が教えてくれたのだが。
アンカーズ子爵家は今でこそ土属性の人間の方が多く生まれる家系となり、闇属性の人間は時々現れる程度との事だが、古く……それこそ『開拓王』の時代には闇属性の専門家、呪い払いの専門家として名を馳せていた家系だったそうだ。
なので、直系でなくともアンカーズ子爵家の血を引いていて、呪いをかける事よりも呪いを払う事を目指すような魔道具を製造、販売していたワタシの存在は、アンカーズ子爵家からしてみれば、古い時代の伝統を復活させてくれたような存在として映っているらしい。
だから、アンカーズ子爵家は非常に喜んでいるそうだ。
「ま、なんにせよじゃ。アンカーズ子爵家はほぼ名前を貸すだけ。大枠についてはこれまでと変わらんし、貴族周りでのゴダゴダはヘルムスの坊主とトレガレー公爵家、それに王家が何とかする方針じゃ。よってミーメ嬢は儂らの事はちょっと気にしてくれるだけで良い。過度に気にされても返せんし、嫉妬も面倒じゃしな」
「分かりました。改めて、この度は本当にありがとうございました。ディム様」
「うむ。では、この場はこれでお開きとするかの」
そうしてディム様は部屋から去っていった。
こうして、婚約の挨拶第一弾は無事に終わったのだった。
そう、第一弾は。
「では、次の挨拶先へ参りましょうか」
「ソウデスネー……」
実は今回の挨拶回りは第三弾まであるのであり、第一弾が最も気楽なものだったのだ。




