2:魔術師の誘い
「粗茶ですが」
「ありがとうございます。師匠」
あの場は直ぐに騒ぎになった。
貴族の魔術師が平民の露天商相手に膝を着いたようにしか見えなかったので当然の事である。
ワタシに出来るのは、家に魔術師を招くと宣言した上で、その場を去る事だけだった。
なお、本日売る予定だった商品は全て魔術師が割高購入し、何処かからか現れた兵士たちによって何処かへと運ばれていった。
まあ、危険な品物は含んでいないので、この点については素直に喜んでおこう。
兵士たちが協力していると言う事は、ほぼ間違いなく王城関係者であり、身元確かな人物でもあるのだから。
「しかし、此処が師匠の家ですか。探しても見つからないとは思っていましたが、まさか隠蔽の魔術で隠していたとは」
「女の一人暮らしですので。これくらいの防犯措置は当然の事です」
場所は変わって今は王都の中でも外れの方に位置するワタシの家の居間で、ワタシは魔術師と騎士に自家製のハーブティーを出した。
ワタシが最初に口を付け、続けて魔術師は喜んでそれを飲み、騎士は護衛に徹するためなのか固辞した後に壁際に立っている。
そして魔術師は何故か喜ばしそうに家の中を見回し、騎士は顔をしかめている。
人を招くつもりがない上に生業の都合で汚めの家だから、出来れば見ないで欲しいのだが……もう見られてしまっている以上は腹を括るしかない。
ちなみにワタシの家はきっちりと組んだ隠蔽の魔術によって、ご近所さん以外には認識できないようにしてある。
この辺りはスラム街ではないが、王都の中でも治安は決して良くない辺りなので。
「それで、何の御用でしょうか魔術師様。それと何故、師匠なのですか? ワタシには貴族の魔術師様に師匠と呼ばれるような心当たりなどありませんが」
「……。そうですね。では順に説明をしていきましょう」
魔術師は何処か寂しそうな顔をしてから口を開く。
ちょっと可愛いと思ってしまったが、ワタシより5歳くらいは年上だろうから、そう言う表情は慎んでほしい。
「まずは自己紹介を。私の名前はヘルムス・フォン・トレガレー。トレガレー公爵の三男にして、現在は宮廷魔術師の一人として王に仕えさせていただいております」
「ひゅっ……」
「師匠?」
「い、いえ、何でもないです……」
とんでもない名前と役職が出てきてしまったせいで、変な声が漏れてしまった。
トレガレー公爵と言うのは分からないが、公爵位が軽い物ではない事だけは、前世の知識で分かるからだ。
そして、宮廷魔術師と言うのは……とても強い力を持つ魔術師の事だったはず。
直接戦って負けるとは思わないけれど、その権力と地位はワタシを怯えさせるには十分すぎる物だった。
いや、と言うか、本当になんで師匠!?
師匠と言う言葉が本当であるのなら、ワタシは過去にこの魔術師様に何か物を教えたことになる。
でも、ワタシが16年間生きてきた中で誰かに物を教わった事は多々あれど、誰かに物を教えた……それも師匠と呼ばれるほどに親密または熱心に物を教えた事なんて一度……一度?
「……。まさか……あの時の……」
ワタシは思い出した。
四年前、12歳の頃、とある事情からむしゃくしゃしていた当時のワタシは、露店を出す予定の場所で黄昏ていた一人の青年を退かすべく近づいて、相談されて、それが魔術関係だったから一週間だけと区切りをつけて色々と話したり見せたりしたのを……。
お互いに名乗りもせず、時間と場所だけ決め合って、会っていたのを。
その時の青年の姿をよく思い出してみれば、目の前の青年……ヘルムス様と瓜二つだった。
「思い出してくれましたか。四年ぶりですね、師匠」
「……」
ワタシは血の気が引いていくのを感じた。
背中を冷や汗が伝っている。
前世の知識があれども当時のワタシは12歳相応のクソガキだったと言う自覚があるからだ。
ぶっちゃけ、不敬罪に問われれば、その通りですと頭を下げる他ないくらいには。
「安心してください。師匠に対して不敬だなんだと言うつもりはありません。師匠の実力は当時でも今の私以上であると認識していますし、師匠の助言と助力が無ければ私は宮廷魔術師にはなれませんでしたので」
「そ、そうですかー……」
ワタシの口からは乾いた笑いしか出て来ないし、口の端は引き攣っている。
なお、騎士はワタシに厳しい目を向けてきている。
知らなかったんですと今すぐ大声で叫びたい気分とは、正に今この状態だろう。
「さて、私としては思い出話に興じたいところではありますが、その前に役目を果たさなければなりませんね」
「は、はいっ!」
ヘルムス様はそう言うと懐から一枚の羊皮紙を取り出す。
植物紙ではなく動物紙な辺り、本当に重要な書類のようだ。
対するワタシは背筋を伸ばし、ヘルムス様の顔を正面から見る。
座高の都合で見上げるのに近い形だが。
「闇属性の魔術師ミーメ。貴方に対して王城から誘いが来ています」
「誘い?」
「はい。王城で勤めないかと言う誘いです」
告げられたのは考えもしなかった内容だった。
平民の……それも学校の類に通ったことも無いようなワタシが王城に勤める?
冗談にしか聞こえない話だ。
「突然の事で混乱されているでしょうし、信じがたい話でもあるでしょう。なので、順に説明をさせていただきます」
「お願いします」
そこから始まったのはヘルムス様による事情説明だった。
「まず師匠もご存じの事かと思いますが、我が国では闇属性の魔術を学ぼうとする者が他の属性に比べて極めて少ないです。これは闇属性と言われて人々が想像するものがとにかく良くないのが原因ですね」
ワタシはヘルムス様の言葉に頷く。
闇属性はシンプルに闇を操る以外にも色々と出来るのだが、その色々の中にあるのが、日常生活に役立つと言うよりは犯罪行為に役立てるのが容易なものばかりなのだ。
単純に周囲を暗くし、影を濃くするだけでも、スリや盗みはしやすくなる。
暗い中でも目が見えるようになれば、夜間の待ち伏せや押し込み強盗なんかもやりやすいだろう。
呪いに至っては闇の専売特許のように扱われている。
他にも恐怖の増幅やら、死体の使役やら……とにかく闇属性のイメージは悪い。
そう言うイメージを歴史の中で押し付けられたと言うのもあるのかもしれないが、とにかく闇属性のイメージは悪く、娯楽小説の中でも悪役と言えばとりあえずは闇属性で、現実においても闇属性の魔術師は何かしらの犯罪行為を働いている場合が多い。
「この忌避感に端を発する人材不足は深刻なものでして。王城で現在最も人数が少ない属性と言えば間違いなく闇属性になります。これは急に問題になるほどではありませんが、しかし向こう十数年は解決しないだろうと言われています」
おまけに人間が第一属性に目覚めた際に、どの属性に目覚めるのかは本人の気質と血筋次第と言う認識が広まっている。
そして、闇属性に目覚める気質のイメージと言うのが、前世知識に基づくところの陰キャと言う奴なので……。
まあ、そりゃあ、そんなイメージの悪い物なんて、例え目覚めたとしても学びたくはない人間が居るのは仕方がない事だろう。
「ですが、国としては闇属性の人材は欠かす事が出来ません。陛下たちやんごとなき方々に向けられる呪いの対処に始まり、闇属性でなければ為せない事がありますので」
「……」
ヘルムス様の言葉にワタシは内心で頭が固いなと思いつつも、頷いておく。
出来る出来ないで言うなら、別の属性でも出来ない事は無いので。
ただまあ、得意不得意の話でするなら、闇属性の方が得意なので、間違ってもいないが。
「そこで陛下たちは決断を下されました。闇属性の魔術師に限っては、出自を問わず王城に招くことに。そして、その最初として選ばれたのが、市井で安全かつ高品質な闇属性の魔道具を製造して売っている師匠だったわけです」
「なるほど」
ヘルムス様の言葉に納得の言葉を返す。
ワタシに声がかかった理由が分かったからだ。
思えばワタシの商品を買っていく人の中に時々貴族の使いっぽい人たちを見かけていた。
なので、その人たちから、ワタシの存在は王城まで伝わったのだろう。
そうして存在が知られたワタシは闇属性であるのに、呪いなどの犯罪に関わる依頼は断り続けていた。
この点から、陛下に向かう呪いの防御と言った、重要である上に人格面に問題がある人間には任せられないような仕事でも任せられる可能性がある。少なくとも王城に招き入れる価値があると判断されたのだろう。
「師匠。どうか私と共に王城へ来ていただけないでしょうか」
「……」
ヘルムス様がワタシに向かって再び手を伸ばす。
対するワタシはその手を見つめてどうした物かと悩む。
あー、うん、これは困った事になった。
王城に勤めると言う事は、給料は安定するけれど、その分だけ自由は失われる。
今は防御に専念させるつもりかもしれないが、将来は誰かに呪いをかけるような望まぬ仕事をさせられるかもしれない。
人間関係のストレスは確実に増えるだろうし、その他面倒事に巻き込まれそうな予感もひしひしと感じる。
ただ、此処でこの手を取らないと言う事は、ワタシは要注意人物として国から認識されると言う事であると同時に、国王陛下たちに何かがあってこの国が荒れる未来を潰せる可能性を捨てると言う事でもある。
と言うか、実力はあれども、平民の中でもだいぶ下の部類のワタシに声をかけるくらいなのだから……目には見えずとも実情としてはかなり切迫していると考えた方が良い気もしてきている。
そうなると……選択肢は無さそうか。
「分かりました。王城に勤めさせていただきます」
「ありがとうございます! 師匠!」
悩んだ末にワタシはヘルムス様の手を取り、握った。
「ただ、勤めるに当たって一つお願いしたい事があります」
「なんでしょうか、師匠。私の権限が許す範囲であるならば、この場で大丈夫だと断言する事も出来ますが」
「大丈夫です。大した願いではないので」
ただ、これだけは先に言っておかなければならないだろう。
「ヘルムス様がワタシを師匠と呼ぶのは禁止です。これが守られないのであれば、ワタシは王城には赴きません」
「な、何故ですか師匠!?」
「ヘルムス様。ワタシは闇属性で、平民で、年下で、チビで、女です。対してヘルムス様は水属性で、貴族……それも公爵家で、年上で、宮廷魔術師として既に認められています。そんな方がワタシの事を師匠呼びしている状況なんて、災難を招き寄せる種にしかなりません。で す の で、ワタシを師匠呼びは禁止です」
「!?」
何故だろう、ヘルムス様が飼い主に叱られた犬のように見える。
だが、本当にこればかりは守ってもらわないと、冗談でも何でもなくトラブルに晒されかねないのだ。
直接的な武や毒で来てくれるなら、殴り返すだけなのだけど、権力方面や精神方面で来ると面倒くさいことこの上ないので、本当に勘弁してもらいたいのだ。
「ぐぬぬぬぬ……分かりました。では、どなたかの目がある時はミーメ嬢と呼ばせていただきます。それでよろしいですか」
「はい。それなら大丈夫です」
ヘルムス様は心底悔しそうにそう告げた。
ワタシとしては嬢すら要らないのだが……名前を呼び捨てにするのもトラブルを招きそうだし、これくらいが妥協点なのだろう。
「では、細かい点を詰めていきましょう。やっていただきたい事、やってはいけない事、給料、休日、色々と話さなければいけない事がありますので」
「分かりました。よろしくお願いします」
その後、ワタシとヘルムス様は細々とした点についても話し合って行き、ワタシは王城へと勤める事となった。
11/07誤字訂正




