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28 手記の内容


『―――この手記が、正しき者へ渡ることを祈って』


 そんな文章から始まる手記は、カトリーヌの父がある薬の効能を発見したことから始まっていた。


『私は、サダムという花に多様な効果があることを発見する。

 花の蜜には精神錯乱、興奮状態に陥るといった作用が見られた。だが花の実をすり潰し粉末状にすると、妄想や幻覚、不安などといった精神異常を癒す効果を見せた。

 これは素晴らしい発見だ。

 今皇国で蔓延しつつある、刻印が浮かび上がるという異常な病にも効くかもしれない』


 彼は研究資料、実験結果のサンプル等を持って、王都へ向かった。

 王都には皇国を代表する医療組織があり、そこで薬の実用性を訴えたようだ。


 だが、彼らはまったく取り合わなかった。


 刻印は病などではない。神の裁定によるものだ、という主張だけで突っ返され、彼は肩を落とした。

 そんなとき、興味深いと言って近づいてきた、ひとりの騎士がいたらしい。


『蒼い瞳が印象的な、騎士であった。彼は私の研究を褒めちぎり、是非とも活用の場を与えたいと申し出てくれたのだ。

 私は喜んで、研究資料を見せた。

 だがそれは間違いだったのだ。

 彼は『花の蜜』の効能だけに興味を抱き、実験的に香油を作って広めてみようと言い出した。

 もちろん反対の意を示したが、今度は研究資料を寄越せと―――私は命を狙われることになってしまった。

 悪用されれば、これは危険な毒物と同じになる。私が発見したものはそんなものではない』


 彼は騎士からの追従からなんとか逃れ、家に着くやすぐに研究資料を燃やした。


 すぐに居場所を突き止めてくるだろうと思っていた騎士も来る気配はなく、穏やかな日々が過ぎていったそうだ。

 しかし、事態は緩やかに動いていた。


『なんということだ。ああ、なんということだ。

 あの香油が町で売られているとは。私は確かに研究資料を燃やしたはず。なのに……まさか、あの騎士が。

 そんな……ああ、神よ。神よお助けください。神よ……。

 なんとかしなければ。

 このままでは町の人達が、娘が……っ!』


 やがて、彼の手記は狂気を帯びてくる。


 どうやら自身の背中に刻印が浮かび上がってきたことを知ってしまったようだ。

 それと同時に、『囁き』がはじまったのだろう。


『私の頭に話しかけてくるのは誰だ。研究を、もう一度、ああああうるさい、ああ、やめてくれ、私はちがう、そんなことをしたいのではない。やめてくれ、もう、研究を、早くなんとかしなければ、あああ、わたし、は彼らを、実験などに、研究を、ああ、実験に使うことは神はゆるした、止めて、止めてくれ、せめて、カトリーヌだけでもたすけたい、たすけるために、実験をするために、私は研究をすすめ、じっけ、ああああ、神よ』


 傍から見れば、精神に異常をきたしたとしか思えない文言だった。


 しばらくそういったページが続く中、読み取れたことは研究を復元したこと。そして、完成した粉末を自身が飲んで確かめたことで、わずかに精神が安定したことが記されてあった。


『―――不思議な声は続く。

 私に彼らを実験台にしろと囁いてくる。

 ここまで来ると、もう天命の声なのか私の声なのかすら分からない。私は気を狂わせてはいけない。

 そう、そうだ、成さなければならないことが、ひとつある。

 娘には、香油を使うなと言ってある。あれは手に負えないところまできてしまった。香油は恐ろしいことに、多くの人の手に渡ってしまった。神よ、我らをどうするつもりなのだ』


 書き殴ったような文字が、どこか痛々しい。

 そして最後のページには、彼の悲痛な思いが遺されていた。


『私自身で実験した結果、やはりサダムの実には精神安定の強い効果が見られた。副作用もない。

 町の人達は、明らかに異常をきたし始めている。早く彼らに投与しなければ……。

 だが、薬を飲む意志がない者へどうやって投与すればいい。


 そうだ、あの鐘楼であれば、風に乗って空気中に紛れるかもしれない。

 やらなければ。私がやらなければ。

 この町を、娘を守ってみせる。


 愛しているよ、カトリーヌ』



*** 


「うっ……、あぁ……っ」


 手記を胸に抱えながら、カトリーヌは涙を流す。

 あんな凄惨な最期を迎えた父は、すべてを守ろうと一人孤独に戦っていた―――その事実に打ちひしがれ、泣きじゃくっているのだろう。

 フェイはカトリーヌの背中に手を置くと、なだめるように撫でた。


「フェイさん……」

「……私、行くわ」

「行くってどこに、」


 おもむろに立ち上がったフェイへ、カトリーヌの視線が向けられる。

 彼女の泣き顔に小さく微笑むと、フェイはエルを肩に乗せ、入ってきた窓へと歩いていった。


「この町の人達は治っていない。そして薬はまだ鐘楼にある。だったら、やることはひとつしかないでしょ」

「でも、だからってフェイさんを危険な目になど遭わせられませんわ!」


 フェイの前へと進み出て両腕を広げたカトリーヌは、口早に続けた。


「『刻印の者』なのでしょう? 今町へ出たら、きっと殺されてしまいますわ。……わたくしの父のように。そうですわ、父は町の人達を助けようとしたのに、殺されたんです! あんな……あんな無残に、」

「ねえ、カトリーヌ」


 震える彼女へ、ゆっくりと穏やかに語りかける。


「貴女のお父さんは囁きに屈せず、悪に屈せず、最期まで町の人達を守ろうとしていた……そんなこと普通じゃできないわ。けれどお父さんは最期までその気持ちを持ち続けた。よっぽど好きだったのね、この町に住む人たちが、貴女のことが」

「……っ、」

「私に任せて。貴女のお父さんが好きだった町に、必ず戻すから」


 カトリーヌの肩を優しく押し退け、フェイは一歩を踏み出した。

 なおも縋るように、カトリーヌは振り向きフェイへ問う。


「貴方は、」


 ―――言葉が詰まる。

 彼女の自信あふれる瞳と、窓から流れる風を受けてなびく翠の髪が、カトリーヌの目に焼き付くようだった。


「―――大丈夫。自分で言うのもなんだけど、私、すごい精霊術師なの」

 

 そう言ったフェイは、カトリーヌの言葉を待たずして窓を飛び越えた。


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