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21 帝国騎士アレット・スウィスト


「っ、!」


 ローブの男は慌てて踵を返すと、下る階段へ向かって駆け出す。


「逃がすかあ!」


 だが彼の身代わりとなって町中を追いかけられたフェイの怒りは、既に限界値を超えている。

 丁度『少々痛い目に遭わせてやろう』とも思っていたフェイは、迷うことなく、男の後頭部へ鉄入りの靴底をめり込ませた。


 その衝撃は、計り知れないものであっただろう。


「がっ、!?」


 男は小さなうめき声を最後に、蹴り飛ばされた衝撃で柱に顔面を直撃させ、そのまま床へなだれ込んだ。


「……容赦ないな」


 普段は滅多に人間に情を移さないエルが、ぽつりと呟く。

 フェイは気でも失ったのか、ぴくりとも動かない男へ近づくと、そのローブへ手を添えた。


 およそ、フェイが『食い逃げ泥棒』と間違われたのは、単に怪しいという一点だけではないのだろう。

 彼と同じように黒いローブを身に纏っていたから、そうと見られてしまったのかもしれない。


 しかし顔を隠すほどにローブを纏う旅人は、そう滅多に見ない。ということは、彼もなんらかの事情があるのではないか。

 そう考えたフェイは、そっと彼の顔にかかっていたローブを取り払った。


「……え、なんで……?」


 思わず、フェイは狼狽する声を上げる。

 だが次の瞬間、ローブに触れていた腕を掴まれ、あっと声を上げる間に床へ押し倒されてしまった。


 背中に走る痛みに目を眩ませた合間に、すぐさま武骨な手がフェイの首にかかる。

 力は入っていない。拘束するためだ。―――だが抵抗すれば容赦はしないであろうことが分かる力加減に、フェイは無意識に息を飲んだ。


 多少加減したとはいえ、確実にダウンさせようと思った攻撃だ。だというのに、彼が平然と動けていることに驚く。いや、それだけではない。

 フェイは自身の上へ馬乗りになる人物の瞳を、まっすぐに見つめた。


 ―――後ろで三つ編みに束ねる黒い髪、夕陽に照らされる褐色の肌。そして魔力の高さを示す紅い瞳。


 それは、今は敵国、帝国の人間である証だ。

 なぜここに、と咄嗟に口走ろうとするが、それより先に彼が口を開いた。


「……その翠の髪……」

「っ、!」


 訝しげに告げられた言葉に、ローブが脱げてしまっていることを知る。

 これ以上見られたくない一心から、フェイは手を拳にして男の顔目掛けて振りかざした。だが男は空いていた片手で封じると、いとも簡単に腕を捻り上げる。同時に、首にかけていた手に力を込めた。


「あ……っ、ぐ、」

 

 腕の痛みと首の締め付けに、フェイは呻いた。


 胸のあたりにいるであろうエルが、もぞり、と動き、男の視線を下げる。ローブの合わせ目から見える、わずかなエルの毛に、男は目を細めた。


 ローブの合わせ目が解かれ、エルの姿が日の下に晒される。


「っ、うわ!?」


 その異様な姿に驚きの声を上げた彼の拘束が、一瞬弱まった。


 刹那、フェイは男の横腹を蹴りつけ、腰にある剣へ手を伸ばすと勢いつけて引き抜く。

 そして見上げ、見下ろす二つの視線の間でその鋭利な刃先が光ると、男の手から力が抜け、やがてフェイの首元から離れていった。


「……剣を返せ」

「先に質問に答えて。なんで帝国の人間が皇国領にいるの」


 男に剣先を向けながら徐々に距離を取り、フェイは問いかけた。

 エルがフェイの肩へと移動し、じっと彼を見つめる。


 いくら休戦状態といっても、一触即発の空気は決して軟化した訳ではない。

 密偵か、それとも戦に関して好意的な者の協力者か。どちらにせよ、見つかれば緊張状態を悪化させる要因でしかない。


「……」

「答えて」


 渋る男に、強い口調で促す。

 男はフェイから一度視線を外し、しばらく思案した素振りを見せると、おもむろに自身のローブを脱ぎ裏表を返した。

 そして本来表面であっただろう、ローブの背中辺りを広げると、重い口を開く。


 ―――そこには、アダン帝国のものと思われる双頭の鷲の紋章が刺繍されていた。それは、帝国直属の軍に配属する者の証でもある。


「俺は、帝国軍に所属するアレット・スウィストという。ある書簡を皇帝にお持ちしたまで……さあ、答えたのだから剣を返してもらおう」

「町を賑わせる食い逃げ泥棒が、帝国の騎士様であったなんて驚きね。……なにかあったとしか思えないけど」


 口にしたフェイの言葉に、アレットは目を鋭く細める。


 対するフェイは、緊迫を増した睨み合いに固唾を飲んだ。

 彼の言う書簡とは、時期からしても間違いなく和平同盟に関するものだろう。

 だが、その使者は首を刎ねられたと聞いた。


 ならば彼は一体なんだ。


 もし彼が密偵の類いであるなら、下手に使者が死んだことを告げれば墓穴を掘る羽目になる。

 かと言って、密偵が堂々と帝国の紋章入り軍衣を身に纏っているのもおかしな話だ。


 どこまで深く切り込むか―――どうやって情報を引き出そうか。


 フェイは慎重に次の言葉を選びながら、気取ったような口ぶりで話しかけた。


「書簡は無事届けられた? 聞けば、昨日城は何者かに襲撃されたみたいよ」

「……なにが言いたい」


 アレットの睨みに、フェイは薄く笑ってみせる。

 彼の警戒心が口を閉ざしているのだろう。フェイは剣先を下げると、気づかれないよう奇宝石を手に握った。


「身構えないで、ただ城の状況を聞きたかったの。いたのでしょう? 昨日、王城に」

「……」

「私、こう見えて城勤めをしてたのよ。今は暇を出されて、この町で買い物していたの」


 まあ、嘘ではない。


 (皇子の職務補佐として2年前)城勤めをしていたし、暇を出されたのも(色々な出来事をばっさり省略すれば)本当だ。

 うん、嘘ではない。


 アレットは眉を寄せ、フェイの顔を疑り深い目で見てくる。

 女にしては短い髪、更に翠の色をしていることや、ローブをまとっている姿など、気にかかることは山ほどあるのだろう。だがアレットは悩み抜いた末、ふむ、と顎に手を当てると、思ったより素直に答えてくれた。


「―――……ああ、……何かが壊れたたような爆発音が聞こえたと思ったら……突然地が揺れ、瓦礫が降り注いできた。何が起きたのかまでは、俺には分からない」

「そうなの」


 どうやら、彼が城にいたというのは事実のようだ。

 その襲撃は目の前にいる人物が起こしたことなど、よもや想像だにしていないだろう。目立つ逃げ方をしてしまっていたが、姿を見られていないのは幸いだ。


「もういいだろう。剣を返してくれ」

「待って、もうひとついいでしょ? 貴方どうして食い逃げ泥棒なんてしたの? おかげで間違われてずっと追いかけられてたのよ」

「……それは……申し訳ない。この国の通貨を持っていた仲間と……その、はぐれてしまってな……飲まず食わずに逃げていたため耐えきれず……つい」


 項垂れるアレットを前に、ようやく出たボロをフェイは見逃しはしなかった。

 およそ、自分でも気づいていないのだろう。


「『逃げていた』なんて穏やかじゃないわね。逃げなくてはならない事情というのは、戦争に関することかしら」

「―――ッ、!」


 アレットの紅い瞳が見開かれる。猜疑に満ちるそれを前に、フェイは口角を上げた。

 彼の剣と、懐から通貨を取り出すと、彼の前へと放る。


 床で二転、三転した通貨を驚きの目で見た彼は、「なぜ、」と率直な疑問を口にした。

 フェイは、侯爵令嬢の時に培われた『完璧な微笑み』を浮かべると、優しく穏やかな口調で告げる。


「これで、私が貴方の敵ではない証明になるかしら」

「お前……何者だ?」

「言ったでしょう? 城勤めをしてたって。もっと言えば、この国で『帝国の意思を尊重する者』でもあるわ」

「……」

「安心して、私は貴方をどうこうするつもりはない。ただ貴方の話を聞きたいだけ」

「聞いてどうする」

「どうもしないわよ。ただひとつはっきりと言えるのは、貴方を助けられるかもしれないってことくらい」


 ―――よくもまあ、こんなハッタリを並べ立てられるものだと、フェイは自嘲した。


 『帝国の意思』など、和平を望んでいるくらいしか把握していないし、もし彼が帝国にとっての戦争の引き金になるような存在だとすれば、大人しく帝国の騎士だと足がつかないように身ぐるみ剥いで、食い逃げ泥棒として捕まってもらおう―――なんて考えているとは口が裂けても言えない。


 これで彼の口が尚も開かないようであれば、致し方ない。実力行使に出るまでだ。


「……実は」


 ―――だが思ったよりも早く、男は語りだした。

 思わず拍子抜けするも、フェイは黙って話に耳を傾ける。


「俺は書簡の護衛として、それを持つ者と共にこの国へ来たんだ。しかしその者は……殺されてしまった。俺も覚悟を決めざる負えなかった時、同じ護衛の奴が身代わりになって……。そこでさきほど言った城の襲撃があり、混乱に乗じてここまで逃げてきたという訳だ」

「……そう」

「俺はすぐに国へ帰らねばならない……っ、ライナス大帝へご報告する義務を全うしなければ……」


 歯を軋ませ、吐き出す男は焦りに顔を歪めた。


 事情は理解できたが、このまま彼が帝国へ帰れば『和平同盟は失敗。使者は首を刎ねられ、皇国は帝国と戦争をする気満々だ』と伝わってしまうだろう。

 そうなれば、皇国と帝国の衝突は避けられない。

 その後になって、いくらリゲルの計画通り『皇国は悪魔に憑りつかれている』なんて訴えたって、最早聞く耳など誰も持たないだろう。

 大規模な戦争は、どちらかの国が倒れるまで続くことになる。


 それだけは避けたい。


 どうすれば計画通りに事が運ぶか―――彼を国に帰らせないのもひとつの手段だが、それはそれで見張りが必要になってくる。


 フェイは「うーん」と項垂れるアレットの前で思案し、一か八か、賭けてみることにした。

 リゲルの計画は、帝国にフェイこそが『救世主』であると吹聴し、力を借りることだ。アレットと出逢ったのも何かの縁。ここで計画の一端を担ってもらうというのも、策かもしれない。


 それに予想ではあるが、彼の堅実そうな見た目とは裏腹に、あっさりと見ず知らずの他人に事情を話す口の軽さ。

 たぶんだが、それはきっと―――。


「話してくれてありがとう、騎士アレット。私も貴方に、自分のことを明かすわ」

「……君のことを?」

「実は―――」


 僅かな躊躇いが生まれる。

 迷うな、堂々としろ、そう自分に叱咤したフェイは、慈愛溢れる笑みを作り言った。



「私は、この国に召喚された救世主なの」



 アレットの目が点になる。


 途端に気恥ずかしさが襲うが、平然を装う。


 空は眩しい太陽の明かりを失い、深い夜が訪れ始め、今だ食い逃げ泥棒を捜す男達の声が町を賑わせている。


 そろそろこの鐘楼にも追手が来るかもしれないなあ、なんて笑顔を浮かべながらふと思った。


「……か、」


 反応を示さなかったアレットの口から、小さく一音零れる。

 『か』―――……『騙るな、この痴れ者』か、『神に対する冒涜!』か、『覚悟しろ!』か。


 ひきつく笑顔のまま、アレットの続きを待つ。

 

「か、感無量です……っ! ああ、本当に……神はこの世に存在したのか……!」

「……」


 瞳を輝かせるアレットの言葉に、胸が痛む。激しく痛む。本当にこんな簡単に信じる人間がいて、いいのだろうか。


「ではそちらは神獣か!? なるほど確かに、神々しい……っ!」

「存分に崇めよ」


 喋ったエルに、尚一層驚くアレット。

 それによって、彼はフェイが救世主だと全く疑うことはなかった。


 ―――予想通りすぎて、怖い。

 話をしてみて分かったが、彼はきっと『純真』な騎士なのだろう。人を疑いきれない、信じて然るべき―――そう思っているからこそ、初対面であるフェイにあれやこれや話をしてくれたのだ。たぶん。


 津波の如く罪悪感が押し寄せてくるが、彼だけではなく、この先帝国をも欺かなければいけないと思うと、いっそ胃痛すらしてくる。

 

「だが、救世主様はこの国を案じているのでは……」

「そんなことないわ。人はみな平等。私はこれ以上の悲劇を、望んでいないの」

「ああ……っ、まこと美しき心よ……!」


 がしっと手を掴まれ、真っ直ぐな、それはもう純粋に信じて止まない透き通った瞳を向けられる。

 痛い。胸と胃が罪の意識でギリギリと痛む。


 しかし、つい先程まで交わしていた内容に矛盾があると思うのだが、気にはならないのだろうか。


「数々のご無礼お許しください! ああ、……ああ、夢のようだ。私は神に心を捧げておりまして、敵国にいると知っていても一度お会いしてみたかったのです!」


 ―――気には、なっていないらしい。なんと好都合な。


「……ええ、その心……とても嬉しいわ」


 とりあえず話を合わせるフェイは、この時まだ気づかない。


 自身の背後。

 鐘楼の階段から、じっと二人を見つめる無表情のリゲルがいることに。

 

次の話から、修羅場です。

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