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18 エルの忠告

 

 ―――東に向かい、最初に訪れた町モンゼリエ。


 活気あふれる商人の町だけあって、規模も人口密度も王都の次に大きい。

 日も傾き、空が赤くなりつつあるというのに、大通りは人に溢れかえっているほどだ。


 フェイは目立たぬようローブで顔を隠し、黒馬と共に路地裏でリゲルの帰りを待っていた。


 使者の首を持った騎士団がこの町を通らなかったか、聞き込みをしに行ったのはもう1時間くらい前のこと。

 黒馬――名前はヴェイヤンティフというらしい――に、フェイは溜息交じりに話しかけてみた。


「……リゲル遅いね」

「……」

「いつになったら戻ってくるんだろ」

「……」

「先に、宿確保してようかなあ」

「……」


「フェイ、その馬は『女は黙って男の帰りを待っていろ』と言っている」


 見るに見かねたのか、エルが馬の無言の訴えを声にして伝えてきた。

 大自然のひとつ、風の精霊の集合体というエルは、どうやら動物の声すらも聴くことができるようで、気が向いた時にこうして翻訳をしてくれる。


 ローブの合間から顔を覗かせたエルに、フェイは頬を膨らませて言葉を返した。


「だって、すぐ戻って来るって言ってたのに」

「……」

「『男はそうやって嘘をつくもんだ』と言っている」


 やたらと達観したことを言う馬に、視線を向ける。

 じっとこちらを観察している無感情な瞳が、大人びたものに見えてくるから不思議だ。


「……ブルル」

「『大体、俺のご主人様は自由を好むお方だぜ?』」

「……っブヘ、ッシュン」

「『今頃、女とよろしくやってんだよ』」


 エルを睨めば、「―――と、言っている」と付け足した。

 最初こそきちんと代弁していたのかもしれないが、最後は完全にただのくしゃみだったように思う。


「からかうのはやめて、エル。そんなことないよ」


 昨夜、今後について話し合った際に、フェイのリゲルに対する見方は一新された。

 のらりくらりとした人間で泣き虫な男かと思えば、世情に敏く、知略も力量もある。少しやりすぎるところもあるが、国の精鋭というのは、敵を徹底的に排除するものなのだろう。

 案外に頼れる騎士だと、密かに思い始めていた。


 変態偏執狂という点においては、変わらずの評価だが。


「……フェイ、あまり気を許し過ぎではないか」

 

 だがそれを見通したエルは、声を落としてフェイへ忠言する。


「ひとりだった時よりも、警戒心が薄れている」

「―――そんなつもりは、」

「貴様はこの世界でただ一人の、精霊を現象化した精霊術師であることを忘れるな」


 厳しい言葉に、視線を落とす。

 

 精霊の加護があり、精霊術に長け、尚且つ精霊の現象化まで果たした存在。

 そんな人間は、世界の歴史を辿ったとしても今まで居はしなかったのだ。

 それがどれだけすごいことなのか、そしてどれだけ悪魔を倒す希望を背負っているかを、エルはこんこんと説き続けてきた。


「―――たとえ刺し違えたとしても、悪魔を、神を殺してみせると。我と交わした約束を憶えているな」

「……うん」

「だがそれには、貴様を害する人間が多すぎる。だから誰も信じないと、貴様はそうも言っていた」


 エルの言葉に、かつて失意と絶望に満ちていた自分を思い出す。


 『死の谷』で交わした約束。

 それは、自分の命を捨てても悪魔を倒すと―――覚悟を決めたときのものだ。


 だが生憎と、助力を仰げる者はいない。人は悪魔の手の平で踊っている。誰も信じることはできない。

 だからひとりで戦う。その方が安心できる。


 フェイはかつて、エルにそう宣言した。


 その考えは今も変わらない。

 たとえあの時に拭えない恐怖を植え付けられたとしても、また立ち向かわなければと思っている。

 リゲルとだって今は行動を共にしているが、心まで預けた覚えはない。

 

(……違う、本当は安心してる)


 ふと浮かんだ否定を、首を振って消し去る。


 このままでは、いつまで経っても嘆き悲しみの声が途切れることはない。

 人の『魅了』も解けることはない。

 早く城に向かい、メフィストフェレスを倒さなければと言うエルの意見だってよく分かっている。


 私は最後の希望。

 悪魔メフィストフェレスを殺す為にこの力があるのだ。多くの人を救うために、この力があるのだ。


(もう孤独なのは嫌だ)


「……っ」


 相反する気持ちを押し殺そうと、きつく唇を噛み締める。

 ―――だめだ、弱さに負けては。

 今度こそ立ち上がれなくなる。蓋をして、耳を塞がなければ。すぐに漏れ出る『それ』を、奥底に封じ込めなければ。


 思えば、リゲルと出会ってから弱さを引き出されていた気がする。

 今まで隠していたのに、リゲルが自分を哀れと泣く姿が心地よかったからだろうか。同情心に煽られたとでもいうのだろうか。


「ごめん。私、エルに心配かけてたね」


 素直に非を認め、謝罪を口にする。

 心を強く引き結ばないと、このままでは決壊してしまいそうだと思った。


 エルはじっとフェイの表情を見つめると、黒い瞳を地に向ける。


「……もうよい。我も少しどうかしていた」

「え?」


 エルが口調を緩め、小さく告げた。


 頑固なエルらしくない発言に、驚きが先に出てしまう。

 フェイは目を丸くさせるが、話は終わりだとばかりにエルはローブの中へと入り込んでしまった。


「あまり他人に気を許しすぎるなよ」


 布越しにかけられた声を最後に、エルは口を閉じた。


「……分かってる。私にはエルだけだよ」


 聞こえてはいるのだろう。

 揺れる尾の感触に、フェイはローブの上から小さな身体を撫で、静かに微笑んだ。



「ごめん、時間かかった!」

「……!」


 リゲルが戻ってきたのは、それから更に1時間後のことだった。

 大きく手を上げて近寄ってくるリゲルに、待ちくたびれていたフェイは嬉々とした表情で立ち上がる。


 ―――だがリゲルへと目を向けた瞬間、笑んでいた顔が強張り引き攣った。


「こちらがお連れ様ですの?」


 小首を傾げ、愛らしく笑う可憐な女性が、リゲルの背後から顔を出す。

 仲睦まじく寄り添う二人に、場の空気が固まっていることなど気づくはずもないだろう。


 フェイの背後から、『だから言っただろ?』なんて思っていそうな馬の盛大な溜息が聞こえた気がした。


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