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8 変態は、二度現る。


 町へ辿り着き、すぐさま治療に必要な物を買い揃える。

 だが町の規模が小さいために店の数も少なく、薬草も基本的なものしか取り揃えていないようで、手当てに必要な薬を揃えることは難しかった。

 痛み止めに効く薬草も、町の医師にかからなければ手に入れられないらしい。だからといって、医師に診てもらおうという気はさらさら無かった。


 射られたのは左肩だ。

 傷口を見せれば、おのずと刻印も晒してしまう。


 仕方なしに、気休め程度と購入した薬や薬草を持って、フェイはこの町唯一の宿屋へと向かった。


「悪いが、一泊頼みたい」


 簡素な宿だった。1階は全て食堂、酒場であり、客室は2階のみ。さほど大きくも無い外観から察するに、部屋も3、4室程度か。

 あまり旅の者も訪れないため、宿としての利用はそれほどないのかもしれない。それはそれで、都合が良かった。


「おお、いらっしゃい」


 年配の宿主は久方ぶりの客に笑顔で応じ、部屋へと案内してくれる。

 カウンターに金を置いたフェイは、しばらく一人になりたい旨を伝え、部屋の鍵を閉めた。



「……ふう」


 一息ついたフェイは、エルをベッドへ座らせ、ローブを脱ぎ捨てる。

 旅の衣装とは言い難い軽装は、動きやすさと身軽さを重視したものだ。極端に短いズボンから伸びる足は白くしなやかであり、蹴りを主とするフェイはふくらはぎまで隠れる革のブーツを履いている。

 女にとって足を晒すことは、貞操観念の薄さを意味する事だ。身体を売る女性は、皆足を出して男を誘惑する。だがフェイの恰好は風を操ることを重んじた結果であり、いつもは長いローブで隠しているために、晒すことはない。


 上着を脱いだところで、手折った矢竹が目に飛び込んできた。


 フェイは大きく息を吸い込み、それを一気に抜き取る。途端、走る痛みに唇を噛み締め、声が出るのを抑えた。

 血が床を走り、傷口から盛大に血が流れてくる。


「っ……」


 先程買った液体を傷口に振りかけ、合わせて止血効果のある薬草を塗りたくる。

 これで一晩経てば、たぶん動けるようにはなるはず―――。肩を包帯で巻いたところで、窓に面した大通りから馬の鳴き声が聞こえてきた。


 ここまで乗ってきた馬が鳴いただけか、それとも憲兵が追いかけてきたか。


 適当に包帯を結び、そっと窓から下を確認する。

 宿の前、馬を繋ぐ小屋に、さっきまでは見かけなかった馬が見えた。毛並みの綺麗な、黒馬だ。


「……」


 そして、フェイの耳に階段を軋ませる音が聞こえてくる。

 エル、と小声で呼びかければ、頷きの後にベッドへ潜り込んだ。


 包帯からじわりと赤色が染みだしてくる。止血できていない傷口を抑えながら、フェイは扉付近に身を潜め、固唾を飲んだ。

 初手が肝心だ。扉を蹴破るとすれば、そこに隙が生じる。それを利用して蹴り倒せばいい。

 重要なのは人数だ。

 あまりに多ければ、こちらが不利になる。


 フェイはじっと息を殺して、足音を慎重に聞く。階段を上り、廊下で一度立ち止まってこちらへと歩んでくる。

 人数は―――ひとり。ひとり?


 部屋の前で止まった音の主は、続いて衣擦れの音を出す。何かを漁っているような音だ。


(なに……? なにしてるの? 蹴破ってこないの? 襲いかかってこないの?)


 妙な状況に、嫌な汗がこめかみを流れる。


 そして耳を澄ませていたフェイの、すぐ真上―――鍵穴から、金属と金属のこすれる音が一瞬、本当にものの一瞬だけ聞こえてきたと思ったら、『カチン』と開錠される音が部屋に響いた。


「え」


 目を丸くしたのも束の間、目の前で冗談のように扉がばーんと開く。現れたのはひとりの男。あの変態だった。


「フェイっ!」

「ひ、」


 フェイを視界に収めた男は、扉前でしゃがみ込んでいたフェイへ腕を大きく広げ近づいてくる。

 まるで感動の再会だと言わんばかりに、蒼い瞳をキラキラさせて。


 ―――まずい。フェイは思った。


 治療をしていたばかりだったために、ローブはもちろんのこと、フェイの上半身は袖の無い薄い服一枚だけ。左腕の刻印が露わとなってしまっているのだ。

 そして何より、この男の鍵開けの技量。あれほど素早い鍵開けは、今まで拝んだことも無い。ここまで来たということはフェイを追いかけてきたのだろう。憲兵を蹴散らし、最速で町に辿り着いたフェイに、この男は僅かな時間差で追いついてきたのだ。


 ―――つまり、彼は偏執狂だ。


 そんなことを考えるより先に、フェイは男を蹴り上げていた。


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