【外伝】近衛彦麿 ⑤
1919年9月
ロシア立憲君主国は正式に建国されて、新たな歩みを始めている。
国際連盟にも参加したし常任理事国にも選ばれた。
日英仏との四カ国同盟の繋がりは強固だと世界に証明したことになるね。
だけど問題は多いと感じている。
国内の実態を知りたかったから、時間を見つけては独りでウラジオストク市内や、その周辺地域をこっそり歩いたり、市場を見たりしていたんだけれど、結論を言えば何というか活気が無い。
何より市民の皆さんの表情が暗く、目に力が無い人ばかりだ。
何故だろうと思って、首相のニコライ・ゴリツィンさんがアレクセイに謁見した際に質問してみることにした。
「市内を視察しましたが全体的に活気が無く、暗い雰囲気でしたが理由は分かりますか?」
首相はしばらく考えたあと口を開いた。
「新たな国家を整備する為の資金が足りませんので、今までよりも税率を上げております。
恐らくそれが理由かと考えます。
また、日本をはじめ諸外国への負債も多く、返済する為にも当面の間はやむを得ない処置なのです」
この人、僕にも丁寧な口調で喋ってくれるんだよね。
それはともかく、言っている内容は理解するけど正しいのだろうか?
高麿兄様は「税金を取るのは馬鹿でも出来るけど、為政者は逆の発想をしなくてはいけない」と言っていたじゃないか。
「新たな国家体制も出来ましたが、国というのは皇帝と政府があれば良いというものではなく、国民が存在してくれてこそ成り立つものだと思うのですが、その点についてどうお考えでしょうか?」
すると首相は首を傾げながら言った。
「今までのような専制体制から、国名と同じく立憲君主制となって国民は歓迎していると考えますので、これ以上、特に何かをする必要は無いかと存じます…」
なんか違うような気がする…
「そうなのでしょうか?
私の目には国民はとても疲れているように映っています。
それに対しては、これまでとは違った施策が必要なのではないでしょうか?」
首相は不思議そうな表情だ。僕の心配をあまり理解してくれていなさそうに見えるね。
質問を変えよう。
「ロシア帝国は何度も革命が起きたことによって、共産党に乗っ取られそうになりました。
この国で二度と革命が起きないようにするには、どうするべきだと思いますか?」
すると首相は断定的に言ったんだ。
「確かに革命などというものは言語道断です。
よって私が思うには、一番有効な対策は共産思想を徹底的に叩き、革命を起こす気力が出ないほど、取り締まりを強化することであろうと考えます。
その結果として、多少市民に犠牲が出ても仕方ないのではないでしょうか?」
えっ!?
この人は何を言っているんだろう?ちょっと理解できない衝撃的な返事だった。
隣でアレクセイも驚いていた。
また、気になって他の大臣や官僚の人たちにも同じように聞いてみたけど、何と3割くらいの人が首相と同じような考えだと答えたのには本当にびっくりした!
そしてこのままではいけない、何とかしないとダメだと強く思った。
だけど少し冷静になると、そういった考えに至るのは仕方ないのかもしれないと思うようになった。
長い期間ずっと皇帝による専制体制が継続していたから、国民の声なんて届いていなかっただろうし、頑張ったとは思うけど間違いに気付けず結果的に革命が発生した。
立憲君主制になったし、開明的な方向にするのだから、今後は意識を変えて政治をしろと急に言われても対応出来ないだろう。
そこは理解するのだけれど、このままじゃ前に進まないし、本当の意味で国民の生活向上も出来ないばかりか、下手をすると共産党の悪影響を受けて、またもや革命騒ぎに発展してしまう恐れもある。
マルクスは禁書扱いとなったけれど、取り締まるだけじゃ不十分だ。
父上が実行したように、国民から歓迎されるような政策をしないと、共産党の考えが拡がってしまうだろう。
それは何としても阻止しなきゃいけないから、首相や大臣たちが謁見を申し出る度に、生意気だとは思ったけれど、僕なりの意見を述べるようにした。
実のところ首相は頻繁にアレクセイのところへ顔を出すんだよね。
そうすべきなのかどうかは知らないけれど、首相としてもアレクセイや先帝陛下の賛同、お墨付きかな?
そういったものが欲しいのだと思う。
この人は帝政ロシア最後の首相だったのだし、70歳近い年齢だからか帝政ロシア時代の感覚が強くて、もう意識は変えられないのかもしれないね。
僕が口を出しているのは、首相の態度を見て危機感を抱いたアレクセイのみならず、この話を聞いた先帝陛下からも、僕が首相に対して意見を言うように強く要請されたからだし、だからこそ首相も僕の言葉に耳を傾けてくれたのだろう。
それによく話を聞けばゴリツィン首相だって悪い人じゃ無い。
ただ他国を知らないだけで、僕の話もちゃんと聞いてくれるし、何とかしたいとも考えていそうだ。
高麿兄様によれば、立憲君主制において皇帝は直接政治に関与してはいけないけれど、当然のことながら国家の行く末を心配する権利があって、それが次の三つらしい。
①警告をする権利。
②激励する権利。
③相談を受ける権利。
以上が口を出しても問題の無い範囲内で、これを有効に使って進言していこうと思う。
ちゃんとしないとまたもや革命が起きてしまうぞ!と、警告しつつ、だから頑張れ!と激励してゴリツィン首相たちに動いてもらう作戦だ。
アレクセイから見れば少し面倒で手間が掛かるけど、これが国家としてのお約束だから守らねばならない。
まず最初に税金の対策から進言を始めようと思う。
別に難しい話じゃない。
古今東西、国家は必ず税金を何らかの形で徴収するもので、日本でも古くは『租・庸・調』というものがあった。
時代が進んで全国に『荘園』という名の租税回避地、いやこれは表現が綺麗すぎるから、飾らずに言えば脱税だね。
その脱税のための土地が拡大して国庫が苦しくなり、結果的に国家運営が難しくなってしまった。
この点については、我が家の祖先に責任があることだから申し訳なかったけれど、これによって正常な政治が困難になってしまったんだよね。
ロシアにおいて、それはもちろん回避しなくちゃいけないし、公平な税制は絶対に必要だと思う。
だけど今は事情が違う。
現在のロシアが最初に行わねばならないのは次の二つだと僕は思っている。
①国民を安心させること。
②ロシアの国民で良かったと思ってもらうこと。
まずはここから始めなきゃどうにもならないだろう。
そこで、僕はどうすればいいかをロシアに来る前に高麿兄様に更に教えてもらったんだ。
兄様が参考のために教えてくれたのは戦国時代だ。
なぜなら、この時代は日本にとって最も苦しい時代だったのだから、今のロシアの参考になると思ったからだって。
確かに戦国時代は日本国民にとって受難の時代と言えるんじゃないかな?
上は天皇陛下から、下は名も知れぬ庶民に至るまで、とても苦しんだ時代だろう。
人によったら「下剋上が行われた心躍る時代だ」って言う人もいるけど、当時の庶民にしてみれば戦いに駆り出され、下手をすれば田畑を荒らされる。
その上さらに厳しい年貢を取られ、この世の地獄だと思っただろう。
だからこそ救いを求めるため、「南無阿弥陀仏」、つまり『私は阿弥陀様を信じます』と唱えたら阿弥陀如来が支配している浄土、別名『極楽浄土』に行ける(往生できる)と主張した宗派が支持されたのだろうね。
この時代は戦争だけではなくて、飢饉も頻発したからだ。
いや、多分それは順番が逆で、天候不順による飢饉が頻発したから争いになったんだと思う。
僕たちのご先祖様が残した日記を見てもそれは明らかだ。
そんな苦しい戦国時代は今のロシアにとって参考になるはずだ。
まずは、どんな戦国大名を高麿兄様が称賛していたかといえば次の三人だった。
・織田信長。
・伊勢宗瑞(北条早雲)。
・武田信玄。
これらの人たちは、戦国時代に活躍した人物として今の時代でも知られている。
けれど評価する理由は、決して戦争が強かったからではないのだよと、兄様が言っていた。
結果として軍備を最大限に拡張したという意味では共通しているけれど、民に重税を課してそれらを達成したわけでは決してない、というのが特筆されるべき点なのだと強調していた。
つまり新たな着眼点によって産業を開拓し、収入を増やし、民を豊かにしたからこそ強力な軍隊を保有できたという共通点があるそうで、そこを評価していると言っていた。
ロシアもその例に倣って国を強くしたいけれど、その前に善政を行って本当の意味で強い国家にしなくてはいけない。
ロシアの現状への対策を日本の諺で例えると、「急がば回れ」がぴったりだろう。
ヨーロッパ風に言えば「ゆっくり急げ Make Haste Slowly」
そういう言葉に凝縮されるのだろうか?
さっきの話だけど信長は商業を奨励して豊かになったのは有名だし、北条早雲はあの時代にしてはとても開明的な支配者だっただろう。
当時、大名たちが民に課す税負担は五公五民、簡単に言えば税率50%だね。
或いは六公四民という重税の場所もあったらしい。
でも早雲は四公六民と税率を低く設定したし、災害や飢饉によって年貢を納める事が出来ない農民に対しては免税にした。
しかも疫病が流行ると医療活動を行ったりと、とにかく領民のための政治を行ったという。
もしかしたらそれは彼が余所者だったから、支配の正当性を得ようとしたからかもしれないけれど。
武田信玄の政策を一言で表わせば、「農業土木」を発展させたことだろう。
この技術は大昔から世界的にあったものだけれど、特にこの時代の甲斐の国において発達したと言えるらしい。
もともと甲斐の国、山梨県は耕地が狭くて広大な水田が作れるような場所ではなかったし、水害にも頻繁に襲われるような痩せた土地だったのを、信玄が克服したとのことだ。
その成果の一つが「信玄堤」と呼ばれる堤防で、ここには将棋の駒のような形をした土塁があり、激しい水の流れをここで受け止めて分流させたり、水の勢いを弱めるために、わざわざ絶壁に流れを誘導してぶつけたりするなどの工夫が凝らされている。
これらは世界と比較しても突出して優れた技術であって、いまだに誇れる事なんだと兄様が言っていた。
数々の水害に耐えて現存しているのも凄いね。
これらの史実を参考にして、僕が考えていたロシアの現状を打開するための策は、これまでいろんなことがあって疲れた国民を慰める意味も含めて、さっきも触れたけれど最初に善政を敷くことだと僕は感じていたんだ。
そしてこの「善政」とは、昔も今も「減税」をすることだと高麿兄様に教わった。
それを実行したいし、それも普通に考えるような減税では物足りないから、もっと徹底した内容とすべきだと思った。
だからアレクセイに対して提案したんだ。
「国民からの支持を得るためにも、国土の開発を行うのと同時に、日本から更に借金してでも国民に対して3年間の租税免除を行うべきだと思う」
これは仁徳天皇の故事も参考にしたんだけど。
これに対してアレクセイは頷きながら言った。
「やるなら思い切った策が良いよね。
中途半端で出し惜しみするような策ならやらない方がマシだ。
それに僕も短い間だったけれど日本に滞在して、その伝統と権威の凄さを実感した。
我がロシアもそれに倣いたいと思うし、彦麿が言うようにそのためには国民の支持が絶対に必要で、思い切った善政が必要だとも思う」
そう言って賛成してくれた。
この提案をアナスタシアさんやタチアナさん、マリアさんも賛成してくれたんだけど、先帝陛下には賛同いただけなかった。
でも今はこれが最も必要な事だと本気で思うし、何より最初が肝心なんだ。
ここで思い切った政策をしなくちゃ前に進まないという確信があったから、粘り強く先帝陛下を説得し続けた。
そうは言っても、本当は日本からこれ以上借金するのは避けたかったのだけれど、偶然にもそこに僕の支えとなる大きな出来事があった。
それは革命騒ぎのドサクサに紛れて、もともとロシア帝国の保有していた金塊が、皇帝派軍の総司令官の立場となっていたアレクサンドル・コルチャーク提督によって、ウラジオストクへ運ばれてきたんだ。
そもそもロシア帝国の金準備高は、大戦直前の1914年時点で世界最大だったと言われていて、その保有量は1400トンにも及んだそうだ。
また、先帝陛下は世界一のお金持ちだと言われていたという。
だけど世界大戦と、それに続く革命騒ぎは金準備高に悪影響を及ぼして、その多くは外国の銀行から融資を受けるために消えていったらしい。
それでもまだ400トン以上の金塊が保持されていて、コルチャーク提督はその金塊と、ロマノフ家の財宝や財産をボリシェビキの目を盗んで持ち出し、アレクセイのもとへ届けてくれたんだ。
先帝陛下は大変喜ばれ、提督に勲章を授け海軍総司令官に任じたうえで、僕の提案を承認してくれた。
「諦めていたものが戻ってきた。これは国民のために使おう」
そう言ってくれたんだ。
また、きっとこれは神の御意志だとも言っていた。
早速これを原資として改革を始める事になったし、コルチャーク提督も苦労が報われたと喜んでいた。
ゴリツィンさんは…人格が変わったみたいに働き始めた!
やっぱりやり方が分からなかっただけで、やる気はあったんだね。
そして1920年1月1日。
今日から1922年末まで3年間の租税免除、つまり税金を取らない方針を政府を通じて布告したところ、当然だけど狙い通りに国民から大歓迎してもらえた。
後日、再びウラジオストク市内をこっそり巡回したのだけれど、以前と違って市場にも活気が出てきたし、何より市民の皆さんの表情が明るくなっていたことが印象的だった。
取り敢えず一安心だ。
これから国力を高めていくためにも、まずは元気がないと何も始まらないからね。
このことをアレクセイに報告したところ、とても喜んでくれた上に「君は国民の意識向上において功績があった」と言ってくれて、男爵から子爵へ陞爵してもらった。
要するに昇格したってことだ。
アレクセイの姉君たちにも褒められた。
特にアナスタシアさんは僕を評価してくれたみたいで、「彦麿って思った以上に頑張ってくれているし、お父様を説得できるなんて凄い。とっても見直したわ!」と言ってくれたのが本当に嬉しい出来事だった。
えへへ!もっと頑張ろう!!
そして僕のことを今までのように弟みたいじゃなく、一人の男として見てくれるようになったらもっと嬉しい。




