第三十五話 中国人留学生
Side:近衛高麿
1907年(明治40年)を迎えた。
ここ最近は中国大陸(清)からの留学生や亡命者が増えている。
もちろん近現代史の中で俺は把握していたが、詳しくは知らなかったので改めて調べてみた。
背景としては1905年に清国政府が科挙制度を廃止し、それまでの任官登用制度を止めたことがある。
そこで優秀な学生たちは出世のための新たな資格として、「洋科挙」つまり海外留学を目指すようになった。
当初は欧米への留学もあったらしいが、ちょうどそのころ明治維新後の日本の近代化がアジアでいち早く進んだことで、日本を経由して欧米式の近代思想や制度を学ぼうとした。
特に1905年に日本が日露戦争に勝利したことで「強い日本」に学ぼうという機運が高まった。
令和でもそうだったが、中国から見て日本なら「安・近・短」だ。
旅費が安くて距離が近い、短期留学も可能であるという、この3つの条件が重なって日本留学ブームが起こった。
留学生の数は一昨年には8000人、昨年には1万人前後まで急増する。このうちの80%が近代都市・東京の神田、早稲田、本郷周辺で生活しているという。
彼らは清国内で中学や高校まで進んでいた優秀な学生たちで、清国政府や各省の奨学金をもらって日本に来ているが、日本に来たのは留学生ばかりではなく、革命派の孫文や、清朝政府の中で改革派といわれた康有為、梁啓超などが日本にやってきた。
孫文は「国父」とも呼ばれ、辛亥革命の一番の立役者だ。
彼がヨーロッパからの帰国時にスエズ運河を通った際に、現地のエジプト人から喜びながら「お前は日本人か?」と聞かれ、日露戦争での日本の勝利がアラブ人ら有色人種の意識向上に繋がっていくのを目の当たりにしている。
孫文の思想の根源に日露戦争における日本の勝利があるとされる。
そのほかにも多くの留学生が日本で学び本国で名を残すことになるのだが、一部を紹介しよう。
まずは史実の中華人民共和国で初代総理となり、毛沢東主席の片腕だった周恩来も日本に留学していた一人だ。
また辛亥革命の立役者の一人である黄興は亡命者だった。
国民党を立ち上げ、最終的に台湾を統治した蒋介石は日本にて軍事を学んだ。
史実では1921年、中国共産党が創設されるが、立ち上げたメンバー13人のうち4人が日本留学組だった。
このように様々な事柄について留学生達は日本で学び、それを中国に持ち帰ったが、その一つが日本人が考案した語彙だった。
明治時代、日本にも中国にも西洋の概念を表す言葉は存在せず、西洋の言葉を翻訳する必要があったが、日本では、それらは中江兆民や福沢諭吉らによって考案された。
一例を挙げると、「文化」「文明」「民族」「思想」「法律」「自由」「民主」「科学」「哲学」「理想」「信用」「人格」「組合」「保健」「保険」「財政」「弁護士」「出版」「出席」「初歩」「経済」「資本」「階級」「警察」「分配」「宗教」「主観」「客観」「物理」「金融」「投資」「抽象」など、
21世紀では社会科学に関する語彙の60~70%は、「和製漢語」だという説もある。
「中華人民共和国」という国名のうち、「中華」を除いて「人民」も「共和国」も日本人が考案した語彙だというのは有名な話だろう。
俺はこういった中国人留学生たちと交流は敢えて行っていない。
これからあの国が歴史通りに動くとは思えないからだ。
特にイギリスが朝鮮半島を支配することになった影響は計り知れない。現時点での予測だが、イギリスは朝鮮半島に進出して日が浅く、朝鮮も満州も不安定だ。
この状況で清が倒れ、継承国家が早々に立ち上がって安定すると一番困るのがイギリスだ。
だから現在混乱を極めている状態の清が一番都合がいいかもしれないが、清が倒れたら混乱の継続を望むのではないだろうか。
今後は辛亥革命を迎えて清は滅びることになるわけだが、それが「辛亥革命」と命名されるかは不透明だ。
辛亥とは六十ある干支の一つだから、一年ずれたら名前も変わるのだ。
ついでに言うが、歴代中華帝国の滅びる原因をよく観察すれば、それは「宗教」と「軍閥」が密接に絡んでいることがすぐにわかるはずだ。
一例をあげるだけで「白蓮教」「黄巾党」「太平天国の乱」。そして今回の「義和団事件」といった宗教絡みだ。
最終的に弱った体制が軍閥化した地方勢力によって倒されるパターンも多い。
江沢民が「法輪功」を弾圧したのはそういう過去の教訓があったからであり、単なる気功集団ではなく反政府活動につながるカルト認定をされたからだ。
そして地方に駐留している人民解放軍部隊への統制も当然厳しいだろう。
現在の清には張作霖の北洋軍閥をはじめとした軍閥の存在がある。
ところで革命という言葉は「命(天命)を革める」という意味だ。
中華の思想として、”俗世を統治する権力は「天」と呼ばれる超越的存在が「徳」のある者に「命じて」与える”と考えられている。
そして、「徳」とは支那においては最も尊重される要目で、支配者が身につけるべき資質であるとされている。
これは「天命思想」と呼ばれ、伝説の三皇五帝以来の伝統だ。
天命思想とは「天が徳のある者に統治権を授ける」という理念であり、支配者の正統性は天の意志によって決まるとされた。
具体的には三皇五帝のうち五帝の中に挙げられる、堯から舜、舜から禹への「禅譲」(徳による譲位)の物語に象徴され、暴君に対する討伐も天命の失墜として正当化されるため、革命の理論的根拠になった。
具体的には夏の桀王や殷(商)の紂王が放伐の対象となった。
商売をする人という意味で商人という言葉があるが、元をただせば、殷(商)の人が語源だというのはおまけの話だ。
ちなみに五帝には「黄帝」も含まれており、栄養ドリンクの商品名に使われているからご存知の人も多いだろう。
つまりは最終的に勝ち残った者が、「以前の王朝は徳がなくなった」けれども「俺には徳がある」と言って権力を握り、それを繰り返した歴史であり、極端に解釈すれば宗教的行事ともいえるわけだ。
また支配者が劉さんから司馬さんに替わるようなことを易姓革命と呼ぶ。支配者の姓が変わるからだ。
一方で日本には革命思想そのものがない。
日本に明確な形で革命は起こらなかったし、今後も起こらないだろう。それは次の理由による。
日本を天皇が支配する根拠があるのか?と問われれば、それは「ある」という答えになる。
その根拠とは日本書紀にある、天照大神が与えたとされる「天壌無窮の神勅」だ。
この日本は永遠に天照大神の子孫である天皇家が支配するとした宣言だ。
よって日本ではどんな権力者も天皇を倒して自分がその地位に就くという事を発想もしなかったし、公式に実践もしなかった。これはもちろん俺の先祖である藤原氏を含めてだ。
だから日本の実権を握った武士は天皇を抹殺するのではなく、丁重に遠ざけつつもその権威だけは利用しようとした。これが世界最長の歴史を持つ国家となった理由であり、それと同時に世界唯一の単一王朝国家となった要因でもある。
それが結果として天皇の持つ「祭祀権」と、将軍の持つ「行政権」に分担する形になった。教権と帝権と言い換えると世界との比較ができるだろう。
一方でヨーロッパは教皇の持つ「教権」と皇帝の持つ「帝権」は常に争う関係であった。
聖職者の任免権(叙任権)をめぐって、皇帝と教皇が激しく対立するようになっていく。教皇優位な事件としては「カノッサの屈辱」が挙げられるだろう。
逆に皇帝優位な事件はアナーニ事件とそれに続くアヴィニヨン捕囚。などなど。
近代国家の定義には三権分立が確立されている事が求められるというのはご理解いただけるだろうが、歴史的にいきなり三権分立が出現したわけではない。
近代的な三権の分立以前に必要なことは二権の分立であった。
それは先ほど述べた「教権」すなわちローマ教皇の祭祀権であり、もう一方が「帝権」すなわち皇帝の世俗的行政権であった。
そしてこの二つが車の両輪のごとく運営されることを中世の思想家であったダンテは理想とした。
教皇は一切の世俗的権限が停止されねばならない。また皇帝は教皇に対して絶対に政治的圧力をかけてはならないとした。
しかしダンテの夢は夢で終わってしまった。
一方、日本は鎌倉幕府以降800年にわたって、見事にこの二権が分立していることに気づくだろう。
これはあまり日本人自身が価値を見出していないかもしれないが、天才としか言いようがない。政治天才だ。
偶然かもしれないが。
そして世界の研究者が最近になって注目し始めたのも事実だ。
21世紀の中華はどうなのだろう?全人代がすべてを決める建前になっているが、実態は政府の上に中国共産党が存在し、統制するという一党独裁体制であり、野党は存在しない。
これは崩壊前のソ連もそうだったし、その後を引き継いだロシアもかなり怪しい。
そして政府の上に独裁政党がおかれ、個人の自由より国家が優先される状態を全体主義と呼び、日本では一般的にこれを「ファシズム」と呼ぶ。
だが、この構造を明らかにすることは、戦後日本の知的世界ではタブーとされ、この事実を公にしたがらない風潮がある。
大手マスメディア、それと歴史学会は特にそうで、長らく忌避されてきた。
戦後の日本に蔓延している自分たちの思想の批判に繋がるから都合が悪いのだろう。
マルクス史観は唯物史観とも呼ばれる。
これはヘーゲルの弁証法を継承しつつ、神や精神ではなく物質(経済)を基盤に置く点で唯物論的だからだ。
マルクスが主張したことは、”資本主義社会では労働者が自らの労働から疎外され、自分が作った製品を自分で使えない例が頻発する”とした。
そして日本においては「歴史は階級闘争によって進む」、「明治維新も封建制から資本主義への移行だ」、「武士階級は搾取階級で、庶民がそれに抗う運動こそ進歩」といった形で、歴史を“社会構造の変化”として解釈する傾向が長く続いた。
特に1950〜80年代の大学では、戦争や政治を語る際に、必ず「経済的背景」や「階級支配構造」から分析するのが主流であり、それ以外の視点(宗教・精神・文化・伝統・天皇など)を扱うと、「非科学的」と批判される風潮があった。
そんな「科学的な」考えなんて、ソビエトの崩壊とともに21世紀では絶滅しただろうと思われるかもしれない。
だが、ソビエトが崩壊したからこそマルクス経済学なんてダメだと確定したのであって、もしもまだソビエトが崩壊していなければ大真面目に研究を続ける学者はもっと大勢いただろう。
そして現実世界を見渡せば、21世紀でもマルクス主義は形を変えてゾンビのように生き延びている。
それは環境問題(資本主義の無限成長への批判)、フェミニズム、脱植民地主義、反グローバル化運動などの社会運動に理論的基盤を与えており、彼らが言う「社会正義」のための思想的フレームとして再解釈されている。
つまり、環境やフェミニズムを声高に叫ぶ人々との親和性が極めて高いといえる。
ジェンダーや家族制度をめぐる議論も、個人の解放を重視するマルクス的枠組みと、社会的統合を重んじる伝統的枠組みとの衝突として理解できる。
選択的夫婦別姓に対しての議論も、この流れで考えれば理解が進むだろう。
人間の数と同じだけ不満はあるのだ。彼らはそこを上手に突いてくる。
その一方で反グローバリズムというものは少々難解かもしれない。
反グローバリズムといっても大きく2種類あるからだ。
左派(マルクス派)は「多国籍資本が労働者を搾取するから資本主義の暴走を止めろ」、「格差を是正せよ」と主張する。
右派(民族・保守派)は国家主権や伝統文化が侵食されると考え、「国を守れ」、「家族・教育を重んじよ」と主張する。
俺は当然右派という区分けをされるというのは、一番最初の第一話で述べた通りだ。
せめて現在日本にいる留学生たちは、日本の歴史を吸収して国家体制の構築に活かしてもらいたいものだが。
どうなるかな。




